あ、見つけちゃった?

天袋

ここには特になんもない。

が、

とりあえず俺様のことでもつらつら書いて置いておく。

…あ?

なんでそれが天袋なのか?

俺はね、卒業アルバムは天袋にしまってあんの。

 

そんなこんなでぷろひーる。

 

本名 恐ろしいレベルで外見にそぐわないお名前。子の字なんかついてるぜ(笑)。
 
HNとその由来 本来は「もり。」という。「。」までで全部。べつにモ●娘。の影響ではない。
「もり。」と書いてそれを楕円形でうるぁっと囲むという署名をしたことがあるのでこうなる。
俺様を「もりしゃ」と呼んだのは藤村嬢である。
「もりさん」→「もりしゃん」→「もりしゃ」なんだそーだ。
ある系統のサイトのみ、「あんた誰よ?」ってな感じの別HNを使用するらしい。
 
おたんじょおび クリスマスイブイブイブ。さあ数えてみよう。ちなみに齢は巳年生まれの二十代。
 
性別 女。
生物学上は間違いないはずだが、実際の生態を見ると……これを「女」に分類していいのか疑問。
 
血の型 日本人に一番多いらしいアレ
 
出身・生息地 東日本の某米どころ。冬は田んぼもグラウンドもスキー場と化す雪国。
 
見た目 変。ファッションに関しては特に、およそ「今時の若いオンナノコ」からはかけ離れ、
我が道のみを邁進することすでに十年弱。
っていうか体格からして異常。同い年の男子の平均身長をcm単位で凌駕している。
よって、ある種異様。
 
ナカミ 気管支喘息と腰痛と肩こりと近視と乱視はすでに積年の友。
 
性質 暗い。マイペース&後ろ向き思考万歳。
 
あくびとうたた寝。全身の関節を鳴らす。
時折お子様と化してみたりするが、正気の沙汰である。
 
好きなもの 眠りと活字と、独りの時間と、そして音。あとはコドモ(乳幼児限定)。
 
嫌いなもの 朝と昼と、大勢の中に存在することと、そしてつまんない音。
あとは虫と汚いオトナ。
 
座右の銘 「眉間にシワ寄ってる人はそれ伸ばして楽しい顔しよう!
ついでに脳ミソのシワも伸ばして、みんなバカになろう!」
弐〇〇〇年八月六日の日記参照)

 

 

成長過程ダイジェスト版。

 

お目見え。 恐らく同年代の中でもトップクラスであろう体重で外界に出る。
陣痛が来る前に破水したとか、外界に出てみたら臍の緒が首に一巻きしてたとか色々。
ノーマルなサラリーマンの親父と、当時専業主婦のおかんと、
生意気盛りであっただろう三歳児のオニイチャンに囲まれ、順当にデカくなったらしい。
 
ちびちび。 四歳で、補助輪なしでチャリンコに乗れた。
が、当時住んでたアパートの前で、無茶なスピードで曲がり角に突っ込み、
案の定曲がりきれずにコケたのが人生最古の記憶。
 
すたぁと。 幼稚園の園舎の一角にあった音楽教室。アパートの住人でそこに通う子供が多かった。
俺様も入園と同時にちゃっかりそこへ入れてもらい、音楽人生スタート。
小学校に上がるとレッスン時間が遅くなり、あまりに眠かったので
間違えずにオルガンの鍵盤を叩きながら寝るという特技を編み出す(笑)。
 
しょおがくせえ。 一年の秋、気管支喘息と診断される。
二年であまりの発作のひどさに衰弱し、激ヤセする。
喘息対策も兼ねて、オープンしたばかりの某デパート六階のスポーツジムの
スイミングスクールに、兄と二人で放り込まれた。
三年からメガネ族。学年で一番早く、変に目立った。
たぶんこの年から、エレクトーンからピアノに転向。
四年から部活動開始。運動音痴の上に喘息持ちなので、迷うことなく合唱部。
一年間はアルトに回されたが、残り二年はメゾソプラノ。六年の時はなぜか、
ソプラノの更に上のソロパート担当三人のうちの一人に抜擢された。いまだに謎。
この頃、兄の影響でTM NETWORKを知る。ロック・ポップスはこの辺りから。
 
中学校。 暗黒時代。聴いてたのはTMからの流れでB'zとか。
一年生後半、一週間の入院を二回やらかす。
病名はよくわかっとらんが、身体だけ成長しすぎて内臓の成長が追いつかなくて
血液の絶対量でも不足してたのか、貧血のひどいのをやったらしい。
検査しまくった後の主治医の台詞は、
「どっこも悪くないから、早く大人になりな」だった…。
二年の終わり、受験体制に入るためピアノとスイミングスクールをやめる。
 
高校。 制服のサイズに困りそうだったので私服校へ。
共学校だが女子クラスだったため、とうとう最初から最後まで
四十五人中一番背が高かった。
元が女学校だったそうで、お茶にお花にお琴というお嬢様ちっくなものが
部活として残っており、面白がって琴部へ。
ここで生まれて初めて弦楽器に触り、案外面白いもんだと味を占める。
 
人生踏み外しかけ。 高校二年進級直前の三月、黒夢がデビュー。ついで五月にGLAY、
七月にL'Arc〜en〜Cielがデビューし、前後してLUNA SEAが売れた。
きれいにその順番通りにハマっていく。
人生初のライヴは高校一年の大江千里だったような気が。
三年の秋、予備校サボってL'Arc〜en〜Cielを見に行くも、
一緒に行った先輩が倒れ、不完全燃焼に終わる。
 
そして見事に踏み外し。 どうにかこうにか大学に受かり、東北某所へお引っ越し。
ここでおきょうに出逢ったのが運の尽き…もとい、音マニアへの第一歩(笑)。
楽器のない生活に耐えられず、入学して三ヵ月後にベースを購入。
友人その一の彼氏を拝みに生まれて初めてライヴハウスに足を踏み入れ、味を占める。
四年間通い詰めたCD屋では、店員さんみんなに顔を覚えられた。
卒業寸前には、「お土産セット」と称して店頭用のポスターなんかをいっぱいもらった(笑)。
入学時に持っていったCDは二百枚前後。四年間で七百枚を超えた。
現在、人に貸したままのものも含めて八百枚前後。まだまだ増殖中。

 

 

押し入れ探検終了。あとはほんとになんにもないよ。

 

と、言いつつ……

 

 

こんなところまで面白がって見てくれたヤツには……

 

 

このくらいしなきゃだぁね、やっぱ……

粗茶ですが。