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仕事が連日続く中、相手方が仕事をキャンセルしたおかげで突然できた夕方までのオフを、俺は部屋でただぼんやりして潰した。
このところ、仕事以外の時間はずっとこの調子だった。もう何日くらいになるのかわからないけど。
SUGIZOがこの部屋を「出て行った」時から、ずっと。
俺は必要以上にこの部屋から出なくなった。
この部屋に残るなにかを、大切に抱きしめるように。
この部屋に残るなにかに、しがみついているように。
その「なにか」がなんなのか、見当はだいたいついてた。だけど、認めたくなかった。
認められるはずがなかった。
起きる。煙草を吸う。シャワーを浴びる。着替える。車に乗る。スタジオに行く。
その行動の先にあるのは、音楽のはずなのに。
俺がその先に求めてるのは、違うモノだった。
周りのスタッフやメンバーが口々に挨拶してきても生返事だけで、俺は自分の愛機に歩み寄る。
どれだけステージで投げつけたりしても、いつも理想に近い音で鳴ってくれるベース。そいつまでがこの数日、調子が悪かった。
内部回路の調整とか、そんなモンで直るようなモノじゃなくて。
原因は、俺にある。間違いなく、俺に。
俺が、音楽とは違うモノを求めながらベースを弾くから。だから、ベースがいい音で鳴ってくれない。
音が正直だって、こんな時ほど思い知らされる。
でも、どんなに集中しようとしても無駄だった。
俺が求めてるモノは、ほんの少し足を動かせば届く距離にあって、どんなモノより遠かった。
それが気になって仕方なくて、俺は集中できないままスタジオに通う日が続いた。
「……J? どうした?」
完全防音のスタジオ内を満たしていた音が不自然なタイミングで消えて、残響音に真矢の訝しげな声がかぶった。
「いや、べつに……ふつーに弦切れただけ」
問われて答えて、手元に視線を落とす。切れた弦が勢いよく跳ねたおかげで、左手の指先と右手の甲にみみず腫れができて、薄く血がにじんでいた。切れて跳ねた弦は、もっと盛大に傷をつけてくれることもあるから、この程度で済むならふつーに切れたと言って差し支えない。
「とりあえず手当てしてもらって来いよ」
右隣から溜息混じりにかけられた声におとなしく従って、ベースはローディーに任せて、手の空いているスタッフに傷の手当てをしてもらう。
スタジオに来る前、起きた時から考えてることを、車で走ってても人と話しててもベース弾いてても、ずっと考えてる。
しまいにはさっきベースを弾いてる間、そのことを考えてるうちに妙にいらついてきて、ピックを持った指や腕に必要以上の力を入れてることにも気づかないで、このザマだ。
自分で自分を嘲笑おうにも、顔の筋肉が強張っててうまく動かない感じがするようじゃどうしようもない。
原因はわかってる。
手当てが終わった両手に。たぶんけっこう疲れてるように見えるんだろう横顔に。数ヶ所タトゥーを入れたカラダに。
穴が開くんじゃないかと思うほど強く感じる、視線。
原因は間違いなく、それ。
正確に言えば、原因の原因が、それ。俺がそれを気にすることが原因で、こんなケガしたりする。
不躾な視線にさらされることなんて慣れてるのに。
そういった視線を無視することくらい簡単にできるのに。
この視線だけは、意識の外へ追いやることが出来ずにいる。
「……ちょっと休憩してきていい?」
スタジオ内は禁煙。煙草をポケットから取り出して喫煙所に行くという意思表示に代えると、INORANがスタッフの間をすり抜けて出て行った。
その後を追って真矢が出て行って、RYUはスタッフと話し始める。
大勢のスタッフが周りをうろつく中、なにもしないでいるのは俺と、SUGIZOだけ。
SUGIZOが俺の部屋を出て行って以来、挨拶さえまともにしてない。そんなのはどちらかの機嫌が悪い時は当たり前のことだったから、スタッフもべつに気にしていなかったけど。
俺に向けられる強い強い視線は、間違いなくSUGIZOが送ってくるモノ。
一度だけ、真っ向から視線が絡んだことがある。俺を見ているSUGIZOに視線を投げたら、ものの見事にかち合った。
瞬きにも満たない時間だけで、それはすぐにそらされた。でも、俺がSUGIZOを見ていない時、SUGIZOが俺を見てる。それは、視線がかち合った後もずっと続いた。
じゃあ、なんでSUGIZOがそんなに強く俺を見る?
……それがわからない。
むしゃくしゃした気分のままに煙草を取り出しかけて、ここが禁煙だったことを思い出す。
ベースの弦を張り替え終えて細部の微調整に入っているスタッフに声をかけて、ドアに向かう。こんな時こそ煙草を吸うか酒でも飲まないとやってられない。
「………………J」
ドアまであと一歩のところで、後ろから声がかかって、無言のまま立ち止まる。
無視してもよかった。あれから今日までの間、俺たちはずっとそうしてお互いを避けてきた。今も、そうしてもよかった。
だけど、無視するにはあまりにも、その声が気になった。
「…………………………話が、ある……」
言うだけ言って、声の主は立ち止まったままの俺を追い抜いてドアを開け、通路へ出て行く。
その背中が、あの時より一回り細くなったことを、俺は知っている。
その原因をたぶん、俺が作ってしまったんだろうってことも、想像はつく。
でも、気を引かれたのはそんなものじゃなくて。
「……なんでそんな泣きそうな声で言うんだよ……」
周りのスタッフに気づかれないように小声でつぶやいて、俺はSUGIZOを追った。
SUGIZOの後を追って歩く。通路ですれ違うスタッフには、SUGIZOも俺もごく当たり前のこととして挨拶したりする。そうする時のSUGIZOの声はべつに、なんの変化も感じ取れなくて。
けど、さっき俺を呼んだあの時の声は間違いなく、いつものSUGIZOの声じゃなかった。
SUGIZOが俺に話したいことってのはなんだろう、と思う。
いろいろ考えられるから、かえって見当がつかなくて、むしゃくしゃした気分が強くなる一方で。
SUGIZOは、たぶん喫煙所にいるだろうINORANと真矢を避けたいのか、喫煙所の前を通ればすぐ着けたはずのミーティングルームのドアを開けた。今の時間、スタッフはみんなスタジオの方にいて、ここいは誰もいない。
ドアを閉めて、パイプ椅子の一つにカラダを投げ出したSUGIZOを、俺は壁際に立ったまま黙って見ていた。
俺からSUGIZOに話すことはなにもない。
自分の部屋で、抱きしめるように、しがみつくようにしてる「なにか」を自分で認めることができない限り、俺からSUGIZOに話すことは、なにもない。
SUGIZOは、動かなかった。
うつむいて、たぶん瞳を閉じて、足を投げ出して、腕を力なく降ろしたまま。
「……前に……俺を抱いてる間、俺がオマエの腕の中で死ぬんじゃないかって思った……そう言ったよな」
そのままで、腕を伸ばしても届かない程度の距離を置いた俺に、ようやく聞こえるくらいの声で、そんなことを言った。
俺は黙っていた。その後にきっと、SUGIZO自身の想いが言葉になるんだろうと思ったから。
なにも言わない俺をどう思ったのかはわからない。SUGIZOは小さく溜息をついて、また口を開いた。
「……逆のこと思ったんだ……俺を抱きしめたまま、オマエの心臓が止まったら……そう考えたら、怖くなった」
SUGIZOがそう考えたのがいつのことなのかはわからない。だけどたぶん、そう考えた時からずっと、SUGIZOはその考えを胸のどこかに抱え込んでいたんだろう。
根拠もなく確証もない、けれど間違いなくすぐ近くにある、不安。
『……「別れ」に対してすっげぇ臆病になってる自分がいてさ……』
初めてカラダを重ねた後、SUGIZOはそう言ってた。
その思いを、「身近にいる誰か」に対して抱いてたその不安を、SUGIZOは俺っていう一人の人間に対して強く抱いた。
俺に対してだけ強くなった、「別れ」に対する不安。
それが意味するモノが、俺にはわからない。わからないから、黙ったままSUGIZOが動くのを待った。
SUGIZOはまだうつむいたまま、カラダから力を抜いたまま、動かずにいる。
通路から、SUGIZOと俺を呼ぶ声が聴こえた。スタジオに戻らない俺たちを、スタッフが探しているらしい。
そのうちに、ミーティングルームに灯りがついてるのを見つけたらしいスタッフが、ノックの後で顔をのぞかせて、そろそろ始めるそうです、とだけ伝えてきた。俺が鷹揚にうなずくと、機嫌が悪いとでも思ったんだろう、そのスタッフは早々にドアを閉めた。
室内にまた沈黙が降りる。
重苦しいくせに、妙な浮遊感が伴うような、不可思議な沈黙だった。
まだなにも言わないSUGIZOを見ているのにも飽きて、そろそろ戻ろうかと思ったその時。
SUGIZOが、動いた。
うつむいていた顔をゆっくり上げて、しっかりと瞳を開いて、俺を見据えて。
メイクをしてるわけでもないのにキレイに色づいた唇が、薄く開いた。
「……怖かったんだ……怖くなって、そんな場面が来たとしても見なくてすむように、オマエから離れようと思った……オマエといた時間を忘れようと思った……」
SUGIZOがゆっくりと瞼を閉じた。もう一度キレイな瞳をのぞかせた時、キレイな雫がこぼれ落ちた。
その雫は、最後に無理矢理抱いた時みたいに、俺の汚れた部分を暴くようなものじゃなくて。
ただそこにあるだけだった。だからこそ、キレイだと思った。
壁に預けていた背中を起こして、吸い寄せられるようにその雫に手を伸ばす。
たった二歩、足を進めるだけで、温かくて冷たいその雫に、指先が触れた。
「……SUGIZO……」
名前を呼んだ自分の声が、ほんの少し震えたのがわかった。SUGIZOが「出て行った」部屋で独り、その名をずっと呼んでいた時みたいに、声が震えてた。
背中を丸めて、椅子に座ったままのSUGIZOと同じ高さまで視線を下げた。
間近でまっすぐに見つめたSUGIZOの頬には、次々にキレイな雫があふれてきて、頬に添えたままの俺の指も濡らしていた。
SUGIZOはもう一度ゆっくりと瞼を閉じて、唇を震わせた。
「……なのに……できなかった……」
震える唇からこぼれた言葉ごと、俺はSUGIZOを抱き寄せた。
Tシャツの鳩尾の辺りが濡れていくのを、ぼんやりと感じながら、SUGIZOの言葉の意味を考えていた。