Believe ― SEQUELAE






2





 翌日、俺は久しぶりにSUGIZOからの電話で起こされた。早朝からSUGIZOを探し回ったあの時以来のこと。
『これからそっち行くから』
 行ってもいいか、でも、行きたいんだけど、でもなく、決定事項として告げられたその言葉に、妙な不快感を抱きながらシャワーを浴びた。
 そう長くバスルームにいたわけでもないのに、チャイムが無機質な音で来客を告げたのは、俺がバスルームを出てやっとジーンズを穿いた時だった。
 タオルで乱暴に髪を拭きながらドアを開ける。ドアの前に立ったSUGIZOは、昨日泣き腫らした瞼もそのままのひどい顔で俺を見上げていた。
「……なんの用だ」
 素っ気なく言い捨てる。
 昨日SUGIZOが吐き出した言葉だけじゃ、俺には足りなかった。
 俺とこの部屋にいた時間を、SUGIZOが忘れようとしてできなかった。そこまではわかった。そこまでしかわからなかった。
 静かに涙を落としながら言うSUGIZOを抱きしめたのは、深く考えてのことじゃない。
 ただ、俺とのことを話していて、泣いてほしくなかったから。あえて理由があるとすればそれだけのことで。
 だから、昨日の今日でSUGIZOがここへ来る理由は、まったくわからなかった。
「……昨日……時間なくて、話し切れなかった、から……」
 あの話の続きをしに来た、ということらしい。あれ以上なにを話すことがあるのか、俺にはやっぱりわからなかったけど、とりあえずSUGIZOを招き入れた。
 リビングのソファの端に落ち着いたSUGIZOに、一応は気を遣ってコーヒー出してやって、俺自身はSUGIZOとは反対側の肘掛に座って、SUGIZOに背を向けた。なんとなく、SUGIZOの顔を常に視界に入れておきたくなかった。
 SUGIZOは黙ってコーヒーを半分ほど流し込んだ。カップをテーブルに戻すと、深く溜息をつく。
「……それで?」
 このまま黙っていても仕方ないから、俺の方から話を促してやる。これ以上の言葉をかけるのは、SUGIZOが一通り話し終えるまでやらないつもりだけど。
 SUGIZOはそれでもまだ黙ったまま、もう二回深い溜息をついた後、ようやく口を開いた。
「……J……なんで俺を抱いた?」
 その質問には最初にカラダを重ねた後で答えた覚えがあった。ただし、少しズレたことを答えた気がする。
 なんでSUGIZOを抱いたのか、正直なところ俺自身もよくわかってない。
 俺を誘った時のSUGIZOに引きずられるように、流されるように、そのカラダに指を這わせただけだったから。
 だから、今更その理由を聞かれても、どう答えたらいいかわからない。
 黙っているより他になにもできなくて、俺はくわえた煙草に火をつけた。これが今日の一本目。煙の味はやけに舌を刺した。
「……なぁ……なんで……?」
 重ねて問われても答えない俺に、SUGIZOは焦れたふうでもなく言葉を積み重ねる。
「……俺が誘って、Jが誘いに乗って、だから俺はJに抱かれたんだし……それはわかってるし、それを責めるつもりもなにもないよ……だけど、二回目以降がわからない……どうしてもわからない……Jがなんで俺を抱いたのか……」
「……知ってどうする?」
「……なにも……ただ、そのことで俺がおかしくなってるってのは、わかってる?」
「おかしい……?」
「おかしいよ。自分でわかるもん……ああ、でもこのところJもおかしいから、俺のことまで気ぃ回んなかった?」
「……オマエがどうおかしいって?」
「……J……」
 昨日と違って、俺を呼ぶ声は泣きそうな感じはなくて、ただ、振り向かずにはいられないような引力があった。
 自分の意志がどこにあるのかもわからないまま振り向いた俺の唇に、SUGIZOのそれが重なった。
「……オマエ……俺が傷つかなかったとでも思ってんの?」
 触れ合わせただけで唇を離すと、息がかかるくらいの至近距離でSUGIZOはそうつぶやいた。
「傷ついたよ、すっげぇ……最初に誘ったのは間違いなく俺だよ。だけど……あんなことまでされる筋合いはなかったはずだ」
 つぶやくように囁くように言葉を紡ぎながら、SUGIZOの声がだんだん変わっていくのを、俺は黙って聞いていた。
 昨日俺を呼び止めた時みたいな、泣きそうな声だった。
 それだけで、SUGIZOの言葉に嘘がないことがわかる。
 SUGIZOは本当に、俺のせいで傷ついたんだって、わかる。
「……だから聞きに来たんだよ……J、オマエはなんで俺を抱いた?」
 間近で視線を絡ませたまま、SUGIZOが聞いてくる。
 傷と言うなら俺は確かにSUGIZOに傷をつけたんだろう。あれで傷つかずに平然としていられる方が不思議なくらい、俺はSUGIZOの意思もなにもかも無視して、自分の好きなようにしてたんだから。
 それはわかる。
 SUGIZOを傷つけるつもりはなかったと言ったところで嘲笑されるのがオチかもしれないけど、傷つけるつもりはなかった。それでも、SUGIZOが傷ついたっていうことはわかる。
 だけど、その言葉が妙に癪に障る。
 結局俺はSUGIZOに振り回された形になるわけで。
 SUGIZOに誘われて、SUGIZOが望むままに抱いてやって、その後しばらくは俺の好きなようにしてたけど、最後には一方的に放り出された。
 それが傷になったかどうか、俺にはわかってない。だけど、SUGIZOの「傷ついた」って言葉が癪に障るのも事実で。
「……俺にこれだけの傷をつけておいて、よくそんなセリフが言えるよな」
 気がついたらそんな言葉が口から出てた。
 SUGIZOに傷つけられたと思ってないわりには、すんなりと出たその言葉に、言った俺自身が戸惑った。
 だけどよく考えてみれば、SUGIZOが俺の部屋から「出て行った」後、俺はずっと精彩を欠いてたわけで。
 そんなふうになった原因は、SUGIZO以外に考えられなくて。
 俺をここまでおかしくさせたその原因は、SUGIZO。
 捻じ曲がり始めたのは、SUGIZOが俺の部屋を「出て行った」あの時。
 それ以来、俺がずっとおかしかったのは事実。
 それほどの悪影響を「傷」と呼んでいいなら、俺はきっとSUGIZOに傷つけられたんだろう。
「……J……?」
 まったくわかってない不思議そうな顔のSUGIZOに、余計に腹が立つ。
「オマエだって俺に傷をつけた。なのに、オマエに自分だけ傷ついたような顔されると、腹立つんだけど」
「傷つけた……?」
「傷ついたのが手前ぇだけだとか思ってんじゃねぇよ。確かに俺はオマエを傷つけただろう。だけど、俺だってオマエに傷つけられた」
「……J、意味がわからない……」
「わからないならわからなくてもいい。ただ、オマエも俺を傷つけたんだってことさえわかってればそれでいい」
 戸惑ってる表情のSUGIZOに苛立ちを覚えながら、目の前のSUGIZOより自分自身に腹が立つ。
 まるでガキの八つ当たり。それを制御すらできない自分に、一番腹が立つ。
「……J……」
 俺を呼んだSUGIZOの瞳の色が、変わった。
 戸惑いも疑問も消したその瞳はただ、じっと俺を見つめて、笑った。
「……なら……俺はどうすればいい? またオマエに抱かれればいいのか?」
 なにかを嘲笑うように唇の端を吊り上げて、SUGIZOは笑っている。
 誰が簡単に抱かれてなんかやるか、と思ってるようにも見えるし、俺なんかに抱かれてた自分を嘲笑ってるようにも見える、そんな笑み。
 だけど、俺がSUGIZOに求めたいのはそんなモノじゃなかった。それだけは、言われた瞬間にわかった。
 俺はSUGIZOのカラダを求めてるんじゃない。
 ……じゃあ、なにを?
 躍起になってその答えを自分の中に探す俺を、SUGIZOは口元に笑みを刷いたまま見つめている。
 そんな顔は見たくなかった。
 キレイに笑ってなくてもいい。不機嫌そうな顔でもいい。いつものSUGIZOの顔が見たかった。
 こんな、なにもかもをあきらめたような顔じゃなくて。
 ……望むのはそれだけか?
 自分に聞いてみて、すぐに答えを出す。
 それだけじゃ足りない。
 ……じゃあ、他になにが欲しい?
 そこまで考えてようやく答えを見つける。
「……あの時のことを忘れようと思って、でも、できなかったんだろ……だったら……」
 じっと俺を見たまま笑うSUGIZOを見返しながら、俺はゆっくりと口を動かした。
 少しずつしか言葉を繋げられない自分にまた苛立ちながら、それでも見つけた答えを言葉に換えようと足掻いてみる。
 気の利いた言葉なんか出てこない。
 遠回しな言い方さえ思いつかない。
 なら、バカ正直に言うしかない。
「……だったら、ここにいろ」
 俺がSUGIZOに望むのは、たったそれだけのこと。たったそれだけの、だけどかなり難しいこと。
 SUGIZOの顔から笑みが消えた。代わりに浮かんだのは、驚きと、困惑。
 薄く唇を開いて、なにか言葉を探しているらしいSUGIZOに、重ねて言ってやる。
「俺を傷つけた代わりに、オマエがここにいろ。それだけでいい」
 やっと言葉の意味を理解したのか、SUGIZOは少しうつむいて、もう一度顔を上げた。さっきと同じ嘲笑を貼り付けた顔を。
「またこの部屋から出ないでオマエに好き放題されてろって? 冗談じゃねぇ」
 鼻で笑いながら言い捨てて、SUGIZOは俺から視線をそらした。すっかり冷めた残りのコーヒーを一気に喉へ流し込んで、乱暴にカップを置くと、軽く目を伏せたまま口元を歪めた。
「オマエの時間が止まるのを見ることになるのが嫌だから、離れようと思ったんだって言ったはずだぜ? なのにここにいろって、オマエ全然わかってねぇよ。これだからアタマ悪いヤツって手に負えないんだよな」
 誰かを、なにかを嘲りながら、SUGIZOはそんな悪態をついてみせる。
 だけどそんなのは、わざと俺を挑発しようとして無理してるようにしか見えなかった。
 その挑発に乗ってやることは簡単だった。いつもの俺ならそうしてたはずだ。だけど、そうする気にはならなかった。
 挑発にもならない挑発に乗ってやるより、今言わなきゃいけないことがある。
 上手く言えないかもしれない。上手く伝わらないかもしれない。
 だけど、今それを言わなかったら、SUGIZOは二度とこんなふうに俺に接することはなくなるんだろう。
 だから、俺はそれを言葉にした。
「『ここ』の意味が違う。この部屋って意味じゃない……ココ」
 言いながら、俺を見ようとしないSUGIZOに手を差し出す。
 この手が届く場所に、いてほしかった。
 SUGIZOがこの部屋を「出て行った」後、ずっと抱えていたモノ。抱きしめていたのに認められなかったモノ。
 それをやっと認める気になった自分に、心の中で少しだけ笑う。
 ……どうやら俺は、SUGIZOが欲しかったらしい。
 SUGIZOはあの時みたいに逃げてるわけじゃない。
 あの時、SUGIZOが逃げるならどこまでも追いかけて捕まえるつもりだった。SUGIZOが逃げてないなら、無理に縛りつけることはない。
 SUGIZOが望んでいたのは、「突き放して、でも抱きしめてほしい」ってことだった。
 だから後は、突き放してしまえばそれでいい。それでいいはずだった。
 だけど、俺の方が放したくなくなった。
 ただ、この部屋に縛りつけるんじゃなくて。この腕に封じ込めるんじゃなくて。
 この手が届く場所にいつもいて欲しいって思ってる。
 SUGIZOは困惑した表情で、俺が差し出した手と俺の顔とを交互に見て、なにか考えているらしい。
 俺はSUGIZOがなにか言葉を紡ぐのを待った。手を差し出したまま。
 しばらくして、やっとSUGIZOが口を開いた。キレイに色づいた唇からこぼれたのは、嘲笑でも怒りでも困惑でもなかった。
「……それだけ……?」
 なにも知らない子供みたいに首を傾げて聞いてくるSUGIZOは、キレイだった。
 俺が黙ったままうなずいて、差し出した手をもう少し前に出すと、SUGIZOは嬉しそうに俺の手を取った。
「……じゃあ……俺がオマエにつけられた傷の代償は……?」
 SUGIZOは細い指先で俺の手のひらをなぞりながら、今度は打って変わって楽しそうに言う。
 上目遣いでじっと見上げてくるSUGIZOの視線に絡め取られて、言葉の意味を考えるのに少し時間がかかった。
 確かに、求めるのが俺だけってのはフェアじゃない。
「……なにがいい?」
 どうすればいいかわからなくて、SUGIZOが望むことをストレートに聞き返す。
 SUGIZOはまだ俺の手をいじりながら、なんとも楽しそうな顔で俺を見上げた。
 その唇からこぼれる言葉を聞き逃すまいと、俺が肘掛から少しだけ身を乗り出すと、SUGIZOは小さく笑って俺の耳元に唇を寄せた。
「……ここにいろよ」
 軽く触れて遊んでいた俺の手を、離れないように強く握って、SUGIZOは小さな小さな声で囁いた。
 俺の耳元から顔を離すと、SUGIZOは握ったままの俺の手に額をこすりつけるようにする。
 服従の証とかそんなモノじゃない。これは、もっと違う意味の行動。
「……離れるのが怖いって言ったよな、俺……オマエが目の前で死ぬのなんか見たくないって言ってんのに、それでも俺に『ここにいろ』って言うなら……オマエもここにいろよ……置いて行かれるのはもう嫌だからな……」
 少しずつ少しずつ、こぼれ落ちる言葉。その音を拾い集める耳から、触れ合ったままの手から、染み込んでくるような。
 顔を上げないSUGIZOの声はくぐもっていて、だけどちゃんと俺に伝わってくる。
「……オマエが死んじまうんじゃないかって思った、それが怖かったって、俺も言ったはずだ……どっか行っちまうのも死ぬのもダメだからな。オマエがそれをクリアできるなら、俺は、ここにいるから」
 少しずつ少しずつ、言葉を音にする。
 根拠もなにもない不安を抱えてるのはSUGIZOだけじゃない。俺も同じだから。
 傷を舐め合うんじゃなく、こんな同族意識からでもいい、お互いに手の届く距離にいられたら。
 その先のなにかが、変わっていく気がする。
 SUGIZOがゆっくりと上体を起こした。俺を見るその顔には、キレイなキレイな笑みが浮かんでた。








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