西暦2001年1月27日。やんちゃ好きな放火魔が導火線に火をつける、その日。
INORANはなんとも複雑な気持ちで赤坂にいた。
Jのライヴを見るのが初めてなわけではない。Jの隣という定位置を失ってから1ヶ月後だということも、極端に気にしていたわけではなかった。
むしろ、楽しみだったのだ。
同じステージに立っていたら、定位置が自分の斜め後ろである上に花道へ出て行って客を煽ることも珍しくないJを、常に視界に入れておくことなどできなかった。だが今日は、そのJの姿を自分の目でしっかりと見ていられる。
97年、メンバー全員がソロで動いていた時にも、INORANはJのライヴを見ていた。約10年ぶりに、ステージの上のJを客席から見ていたことになる。いつもなら隣に立っているはずのJを、絶対に手が届かない距離を置いてじっと見つめる。それがどんなに不思議な感覚を伴うのか、上手く言葉に換えることがINORANにはできなかったけれど。
その時から更に3年半。楽しみでないはずがない。事実、会場に着くまでは期待が他のすべての感情を凌駕していて、自分でも呆れるくらいに興奮を抑えられなかったのだ。
しかし、会場でそれは一変してしまった。
うっすらと積もった雪のせいで、予定していた時間よりかなり早く家を出る羽目になり、それでも無事に会場へたどり着いたINORANは、リハーサルが進められるホールではなく、ロビーにいた。
現在進行中のリハーサルが終わってしばらくすれば、外で凍えているファンがなだれ込んでくる場所。そのファンが通るのに十分なスペースを空けて次々に並べられる、花。スタッフがあわただしくも丁寧に進めるその作業を、INORANは特になにを考えるでもなく眺めていた。
長年世話になった事務所の社長からの花を見てさえ、なにか特別な感情が湧いてくることはなかった。
それなのに。
「……一人だけそういうのって抜け駆けって言うんだよーSUGIちゃーん……」
仕事に余念のないスタッフが聞きつけるとも思えなかったけれど、それでも声を落として口の中で小さく呟く。そのINORANの視線が向けられた先には、たった今飾られたばかりの百合をメインにした花があった。その札には、1ヶ月前までステージ上でINORANから最も離れた位置に立っていた痩身の男の名がある。
「俺だけ贈らなくて、他の三人がみんな贈ってるんだったらいいんだけどさ……一人だけじゃん……」
口調が拗ねていることにINORAN自身気づいてはいるのだが、それを修正しようと考えることはない。本気で拗ねているんだから、という気持ちもあるし、それを咎めたりからかったりする人間が周りにいないから、というのもある。
INORANは周りの誰にも気づかれない程度に口をへの字に曲げていたが、そのまま固まっているのも暇で、手持ち無沙汰なのをごまかすように煙草をくわえて火をつけた。
ホールから漏れてくる音は、ついさっきまで4年前にJが生み出した曲たちだったが、今は耳慣れないバンドの音になっている。
たぶん、Jが少し前に送ってくれたカセットテープの、あのボーカリストのリハーサル。音質の悪いテープですら一発でそれとわかった、Jの音、Jの曲。それに飲まれてしまうことなく自己主張する女性の声は、INORANにもかなり強烈な印象を与えてくれた。
しかし、テープでは確かに存在していたJのベースが、今ホールから漏れてくる音には存在しない。バックバンドの顔ぶれが気になって、INORANは半分も吸っていない煙草をもみ消すとホールのドアを押し開けた。瞬間的に耳から脳の奥までを襲った爆音にもすぐに慣れて、PA席の前までゆっくりと移動する。
ステージの上に目を凝らしても、そこに立つメンバーに見覚えはなかった。センターに立つボーカリストのためにJが選抜した顔ぶれなのかどうかもわからないが、Jが選んだにせよ別の誰かが選んだにせよ、INORANが抱いた感想は変わらなかった。
「……役不足なんじゃない?」
すぐ近くにいるPAスタッフの耳にも入らないよう、口の中で呟く。
Jから送られてきたテープを聴いた限りでは、今ステージの中央に立つ女性の歌にはかなりのパワーがあることがわかる。しかし、バックに入っている音がその歌に負けている感じはしなかった。例えば、INORANがよく知っているベースの音一つ取ったって、彼女の歌に負けてはいない。むしろ、Jの音にも曲にも負けない彼女の歌に、INORANは驚いたのだ。
けれど、ステージで彼女を囲むバンドメンバーの音は、テープの音ほどの力を持っていない気がした。
テクニックの面では安心して任せることができるのかもしれない。だが、ライヴという場所で必要なのはテクニックよりもむしろ、圧倒的な存在感。それがないことには恐らく、彼女の歌には誰も勝てないだろう。
ステージの中央、ドラムの山台の両サイドには、見慣れてしまった赤いスピーカー。そのフロントに描かれたマリア像を覆い隠すべく、グレーのカバーがかけられるのを、INORANはぼんやりと見つめていた。その前に立つ女性さえ視界に入れず、スピーカーが姿を隠されてしまうのを、ただ見ていた。
こんな時にどんな感情がわいてくるものなのか、INORANにはよくわからなかった。わからないまま、ただステージをぼんやりと見ていた。
客入れの少し前まで、INORANはロビーとホールを行ったり来たりして遊んでいた。楽屋に行く気はなかった。少なくとも開演前は。
デカい図体に似合わず小心者なJのことだからどうせ、終幕の1ヶ月後だとか3年半ぶりに自分がステージ中央で歌うだとかリハ不足だとか、そんな諸々の事情のおかげで変に緊張しているに決まってる。INORANはとっくの昔に熟知しているJの性格を、これ以上ないほど正確に把握していた。
それを冷やかしに行くのもまた一興、なんて言って、ついさっき顔を見せたばかりの真矢は嬉々として楽屋へ向かったけれど、INORANはそれにも同行しなかった。
自分が来ていることは恐らく、真矢なり他の関係者なりからJに伝わるだろう。けれど、顔を見せてやるのはライヴの後。そうやって焦らせば、Jは余計に緊張してしまうのだ、きっと。
つまりINORANは、真矢より更に意地の悪いことを考えていたわけで。
JにそんなことをしてJを怒らせずにすむのはたぶん、INORANの他には何人もいないだろう。その自信があるからINORANもそんな悪戯をする気になってしまう。
客入れが始まって、徐々に埋まっていく1階席と2階席を更に上から見下ろしながら、INORANは真矢が来るのを待った。Jが楽屋でどんな顔をしていたか、開演前に報告してくれと頼んでいたから、それを小さな楽しみに。
ところが、真矢が楽屋から戻ってくるより先に、彼がこの席へ姿を見せた。
雪が降っているというのにそんな薄着で大丈夫なのかと心配になるような格好の彼は、ゆったりと人の波をすり抜けて来る。
「……来たの?」
自分の隣に陣取って、さっそく自分にしなだれかかってきたSUGIZOに、INORANは小さく小さく溜息をついてそう言った。あんまりな台詞であることくらいINORANもわかっているけれど、これは半分以上わざと選んだ言葉。
メンバー中一人だけわざわざJ宛に花を贈っておいて、その上本人までご登場、というのは、そんな手段を考えつきもしなかったINORANからすれば少し悔しかったから。
「Jからはちゃんとインビテーションもらってるし、zilchのライヴは久しぶりだから楽しみだし。だから来たの。変?」
さらりと言ってのけるSUGIZOは、INORANの言葉の真意をわかっているのかいないのか。文字通りふんぞり返るような感じで座っているSUGIZOの隣で、INORANは口の中で奥歯を噛み締めた。
SUGIZOにはJからインビテーションが行ったという。なのに、INORANにはなにも来ていないのだ。だからと言って中に入れてもらえないわけでもなかったから、べつにいいのだけれど、妙に悔しい。これについてはSUGIZOが悪いわけではなく、どう考えてもJが悪いのだが、INORANが苛立つ原因になってしまったことに変わりはない。
ここでSUGIZOに八つ当たりするつもりもないけれど、せめてもう一言くらいなにか言ってやろうとINORANが口を開いた時、真矢が現れた。その隣には隆一の姿がある。
「見てきた見てきた。すっげぇガチガチだよ、Jのヤツ。おっもしれぇくらい緊張しててさー」
「珍しいよね、J君があんなんなってるの」
真矢と隆一が口々に楽屋でのJの可笑しさを語ってくれる。曰く、Jは余裕の笑みを浮かべながらも行動が落ち着きなく、スタッフに呼ばれたりすると慌ててしまって、そこら辺にあるものを落としたり人にぶつかったりしては、外国人勢に笑われているのだそうで。
「あれだけ慌ててるとさ、本番でJがどれだけミスるか、かえって楽しみだよね」
SUGIZOが苦笑しながら言う。Jの慌てぶりを見てきたような口調からして、SUGIZOも楽屋をのぞいて来たのだろうと想像がつく。
「……って、INORANは楽屋行ってないの?」
対照的にINORANが話に乗らないのを見て、SUGIZOが不思議そうに言う。INORANは黙ってうなずいた。細かいことまで説明する気はなかった。
「なぁんでー? 面白いよ?」
面白いのなんかわかってるんだってば、という言葉は胸の奥へ押し込んで、INORANは曖昧に笑ってみせた。
開演前のお決まりのアナウンスが入ると同時に、場内の温度は急カーブを描いて上昇し始める。zilchのファンも少なくはないはずなのに、SEに合わせて湧き起こるのはJの名を叫ぶ声ばかり。
これでは、オープニングアクトとして出るはずのあの女性ボーカリストはやり辛いだろうと考えながら、INORANはただなんとなくステージを見つめていた。
隣に陣取ったままのSUGIZOは、すぐ後ろに座った隆一を相手になにか話しているばかりで、ステージに見向きもしない。なんのためにここへ来たんだ、と聞こうかと思ったけれど、INORANはやはりなにも言わなかった。言ったってどうせ口でSUGIZOに勝てるはずもないし、演奏が始まれば変わるかもしれないとも思ったから。
SEが流れる中、さっきのサポートメンバーたちがステージに出てくる。準備が整った頃に、シンプルな衣装をまとった彼女が姿を見せる。
Jでもzilchでもないその姿を認めた観客の、Jの名を呼ぶ声が力を失った後、突然それは始まった。
一瞬にして観客の視線を集めることに成功した彼女の声に、ずっと喋っていたSUGIZOまでもがステージに目を向け、そのまま固まった。
その隣でINORANは、開演前となにも変わらない無表情でステージをただ見つめていた。
感じることはなにもなかった。彼女の歌の存在感は認めるが、やはりバッキングの存在感がつり合っていないと面白くないのだ。だから彼女が二曲を歌い終えても、INORANの表情は変わらなかった。SUGIZOは隣で「すげぇ」だの「かっこいい」だのと興奮気味に喋っていたけれど。
INORANが特に反応しないことと、後ろで誰かが感心したような声を上げたことで、SUGIZOはまた後ろを向いてその誰かと話し始めた。ステージの上からは彼女とサポートメンバーが順に姿を消そうとしていて、INORANはそれを目で追っていた。
ギタリストがわざと残してみせたノイズが、INORANの隣に座る痩身のギタリストのそれと酷似していて、それがINORANの神経に触れたのだ。逆撫でされたような不快感ではなく、細い細い針で神経をほんの少し突付かれたような感覚。
あのギタリストをJが選んだかどうかなんて知らないけれど、なにも手癖が似ている人材を起用することもないだろう、と思ったのだ。
SUGIZOはそんなINORANの胸中を知ってかしらずか、ずっと隆一や真矢と話し続けている。
ステージの上では、放火魔が思う存分暴れられる場所を作るためのセットチェンジが始まっていた。
ステージに走り込んできたJの姿を認めた瞬間、INORANは自分の心臓がおかしくなったのかと思った。それほど、鼓動が激しくなった。
なにも変わらない。
出逢った頃から。楽器に触れ始めた頃から。一緒に走り出したあの時から。なにも変わっていない。
4年前のソロの時と同じ顔ぶれに囲まれて、第一声もいつもと変わらず、一曲目の最初の一音を叩き出す寸前に見せるあの笑みすらそのままで。
Jがそこに居る。
絶対にINORANの手の届かない距離に居るのに、なにも変わっていないから手に取るようにその表情までわかってしまう。
もう、あの隣に自分の居場所はない。
そんなことはとっくに知っていたはずなのに、もう自分の中できちんと整理したはずなのに、INORANの動悸はおさまらない。
どうして、あのJの隣に自分がいないんだろう。
どうして、お互いの距離がこんなに離れているんだろう。
4年前には面白がって見ていられたのに、客席でJを見ているということが、今はとても不自然に思えた。
自分は、あのJの隣にいるのが当たり前なのに、当たり前だったのに。
わかっていたはずの「『終幕』の後の光景」に、なぜこんなにもショックを受けるのか、INORANにはわからなかった。
「INORAN? だいじょぶ?」
不意に膝の上に置いていた両手に触れられて、固まったようにステージを凝視していたINORANは、慌てて顔を上げた。自分の手に触れたのがSUGIZOだとわかって、肩に入ってしまった力を抜く。
ステージの上ではメンバーがチューニングの真っ最中。そんなタイミングでさえJばかりを見ていた自分に小さく笑って、INORANはSUGIZOの手をそっと外させた。大丈夫だと、なんでもないのだと言葉を添える前に、ステージ両サイドのスピーカーから音があふれ出した。
Jと自分との距離を実感してしまったINORANには、その音に浸ってしまうことは、もうできなかった。
それは、Jがステージから姿を消してzilchのライヴがスタートしても、アンコールでJが再登場しても、変わらなかった。
「……おーまーえぇぇぇ……なぁんでスタート前に来ねぇのぉ? 淋しいじゃん」
ライヴ終了後の楽屋に顔を出したINORANは、たった11曲+αで喉を嗄らしたJが盛大な溜息と一緒に抱きついてくるのを、邪険に振り払った。
ただでさえ屋内でコートを着ているせいで暑苦しいのに、この上Jの巨体にしがみつかれてたまるか、と思ってのこと。INORANでなくとも嫌がる者は多いだろう。
しかしJは、叱られた子犬のようにうなだれてみせたのも一瞬で、めげずにINORANに手を伸ばしてくる。INORANと離れてからの1ヶ月という時間もJにとっては関係ないようで、INORANはそれを嬉しいと思う反面、そんなJに戸惑ってもいた。
ライヴ中は、手の届かない距離にJと自分が離れてしまったことを実感して、あんなにも複雑な心境に陥ったというのに、手の届く距離にいることを許されればそれを鬱陶しいと振り払う。我ながら呆れてしまう、とINORANは軽く溜息をつきながらも、もう一度Jの手を払いのけた。
「息苦しいのも重苦しいのも暑苦しいのも嫌だからね、俺」
互いの距離が1ヶ月前までのそれと同じくらいに縮まるのは嬉しいが、それと暑苦しさを許容するのとは話が違う。INORANがすっぱり言い切ってやると、さすがにそれ以上手を伸ばせないようで、Jは大人しくソファに戻った。小声でぶつぶつと文句を並べながら、だったけれど。
「スタート前、INORANだけ来ないからさ。淋しかったのは事実だぜ?」
「淋しかっただけなんだ?」
本気で残念そうな顔をして言うJから、狙っている言葉を引き出そうと、INORANは少し意地の悪い質問をしてみる。Jがそれに引っかかるのは目に見えている。そんな確信を抱けるくらいにはJのことを知っている自信が、INORANにはあるから。
「それでなくても緊張してんのに、お前が来てるのに楽屋に来ないっていうだけで、緊張度3割増。『勘弁してくれー!』ってマジで思ったもん」
案の定引っかかってくれたJが吐き出したのは、見事にINORANの狙い通りの言葉。それを最後まで聞くより先に、INORANは小さく笑った。
Jが緊張していたことなど、ベースとボーカルの両方で大量にミスしていたことからも簡単にわかる。けれど、それをJの口から直接聞けば、やはり面白いわけで。
「……成功」
「あ、なに、それ狙ってたのかよ!? ひっでー……」
堪えきれずに肩を震わせて笑ってしまったINORANを見て、Jは途端に肩を落とす。その姿がお預けをくらった犬のようで、やっぱりINORANは笑ってしまう。
「あれ、俺がそういう意地の悪いことすんの好きって、知らなかったの?」
追い打ちをかけるかのようにINORANが言うと、Jは改めて肩を落とし、盛大に溜息をついた。
「……なぁんでそういう意地の悪いことを、よりによってこんな日にやるわけぇ……?」
「こんな日だから」
「……わかるようなわかんねぇような」
「わかんなくてもいいよ」
素っ気なく言い捨てるINORANに、Jは懲りずに歩み寄ってくる。
1ヶ月前までは当たり前だった、手の届く距離。
それを妙に意識してしまって、INORANは近づいてくるJを視線だけで牽制しようとした。しかし、そんなINORANの視線にも動じないJは、INORANの肩に片手を置いて、耳元に顔を寄せてくる。
「……INORANさ、機嫌悪い?」
懲りないJを引き剥がそうとするより先に小声でそう言われて、INORANはJを突き放さない代わりに同じくらいの小声で答える。
「あんまり良くない」
「なんで?」
その質問に答えるにはプライドがほんの少し邪魔したけれど、Jに対してだけは昔からなぜか上手く嘘をつけないINORANは、さっきよりも更に小さな声で答えた。
「……花」
「はな?」
「ロビーに並べられてたヤツ」
「ああ、あれ……が、どうかした?」
「SUGIちゃんだけJ宛の花があったでしょ。だから」
「……なんでそれで俺に八つ当たりすんの」
「八つ当たりなんかしてないよ」
嘘である。八つ当たりしていることなど、INORAN自身が誰よりもよくわかっている。ただ、Jに図星を指されてしまったのが悔しいだけで。
Jは、よくわからないと眉をひそめながらも、INORANの傍らにへばりついたままで聞いてくる。
「俺なんも悪いことしてねぇじゃん?」
「そうだけど……」
「……八つ当たりって言うより……拗ねてる?」
なぜこうも自分の奥の奥まで見抜かれてしまうのか。
Jの前で嘘をついても、必ずと言っていいほど見抜かれてしまう。それが少し悔しいけれど、隠しても見抜かれるならいっそバラしてしまえと、INORANは少しだけ口を尖らせて、拗ねている一番の理由をJにぶつけた。
「……SUGIちゃんと、あとは誰にインビテーション送ったの? 俺にだけ送んなかったとか言ったら、マジで怒るよ?」
Jは少しの間黙っていた。憮然とした表情を隠そうともしないINORANを、ただ抱きしめていた。Jの重みにINORANが眉をひそめるのも気に留めず、INORANの肩口に顔を埋める。
「INORAN」
「……なに」
「あのな…………………………」
そのまま小声でINORANに耳打ちしているJを見て、ジョーイやレイがにやにやと笑っている。一緒になってSUGIZOや真矢まで笑っている。
笑われている本人であるJは、外野をまったく無視して言いたいことを言い終えると、なにごともなかったようにINORANを解放した。そのJを冷やかす声が周りから上がっても、Jは一瞬ニヤリと笑ってみせただけ。
その傍らに立ったままのINORANの方がむしろ、様子がおかしかった。落ち着きなく視線をさまよわせ、時折どうしようかと迷うようにJを見る。
「どうしたの?」
INORANの様子がおかしいことに気づいた隆一が近寄ると、INORANは弾かれたように顔を上げた。
「俺、帰る!」
落ち着きを取り戻すでもなく、INORANは突然それだけ言って、楽屋から出て行ってしまう。
「おい、INORAN? どしたー?」
その背中を追いかけた真矢の声にも応えないまま、INORANの足音は忙しなく楽屋から遠ざかっていった。
楽屋に残っていた者は、さすがに唖然とした表情を見せていたけれど、いくらも経たないうちにまた談笑の輪に戻っていく。
その中でJだけが、ソファに身を沈めたまま、口元に笑みを刻んでいた。
『どうせ持って帰れるわけじゃない花なんか贈られるより、黙ってても見に来てくれる方が嬉しいって、知ってた?』
楽屋の照明を落とし気味にしてあったのが幸いと言うべきか、そんな台詞をさらりと耳に流し込まれたINORANが頬を赤く染めていたことは、Jしか知らない。