HAPPY BIRTHDAY ver.01






 9月29日。
 昨年は散々Jに振り回された誕生日を、INORANは自宅で静かに過ごしていた。
 とは言っても、家の電話もFAXも携帯もひっきりなしに鳴るから、猫は日付が29日に変わった頃からずっとご機嫌ナナメ。INORAN自身もあまり機嫌がいいわけではなかった。理由は、今朝マネージャーの電話で起こされたから。ちなみに用件は「事務所に届いているバースデープレゼントの第一便をとりあえず持って行きたい」というものだった。つまり、第二便以降の予定もあるということで。
 有名税だと笑うには少々気が重かった。それでも、プレゼントはかさばってしまうし、電話では相手の行動を束縛してしまうからと、FAXやメールで済ませてくれる友人がいる。祝いの言葉に添えられた気遣いは、素直に嬉しかった。
 そう言えば、と唐突にINORANは思い出す。
 携帯メールの件数はかなりのもので、マメにチェックしなければ追いつかないのだけれど、PCの方もそれは同じなのではないだろうか。
 プレゼントの箱で両手を塞いだマネージャーを迎え入れたり、ご機嫌ナナメの猫の相手をしたり、FAX用紙の予備がなくて朝からコンビニへ出かけなければいけなかったり、自分も食事くらいはちゃんと取りたいと思ったり、一本一本の電話が長引いたり。
 そんなこんなが積み重なって、昼過ぎになってもPCの方のメールチェックをしていなかったのだ。
 思い立った時にやらないとまた忘れてしまいそうだから、と考えて、INORANはノートPCを膝に乗せて電源を入れた。
 いつも見て回るあちこちのサイトを訪れるのは後回しにする。LUNA SEAのオフィシャルサイトの掲示板や、自分のオフィシャルサイトのメールフォームからメッセージを送ってくれるファンもいるだろう。しかしその二つのサイトについては、後日まとめてデータを送ってもらうよう、スタッフに頼んである。だから、今日はどちらも覗きに行かない。
 メールを受信してみると、出てくるわ出てくるわ、凄まじい数である。以前、偶然にも数日間PCを起動できない日が続いた時に溜まったメールの数をあっという間に超えて、それでも受信は終わらない。
 やっと受信が完了して、改めてその数を確認したINORANは、盛大に溜息をついた。去年のバースデーメールの数を遥かに上回っている。まだ昼過ぎだと言うのに、である。今夜、日付が明日に変わる頃にはまた凄まじい数になるのではないだろうか。それを想像すると頭が痛かった。
 毎度恒例のダイレクトメールや添付ファイル付のものなどを端から削除して、それでも数が減ったように見えない。
 振り分けて残ったメールの件名を頼りに更に振り分けて、事務的な内容のものを先に確認していく。誕生日を祝ってくれるものは申し訳ないけれど、ざっと眺めるだけにとどめる。中には急用や仕事上のものもあるかもしれないから、それを優先した。
 それからようやく誕生日を祝ってくれるメールを一つ一つ読んでいって、時折頬を緩めたり、声を上げて笑ってみたり。そんなことをしている間に日は暮れて、ロクなことをしないまま誕生日の夜が更けていく。
 久しぶりに簡単な食事を家で作って、まあまあの出来のそれと一緒に一番気に入っているワインを飲んで、またメールと電話とFAXに追われて。
 日付が変わる7分前に、それは来た。
「……誰だよ……?」
 マンションのエントランスではなく、自宅のドア脇のインターホンがいきなり鳴ったのだ。
 エントランスを通らないということは管理人かなにかだろうか。首を傾げながらインターホンの通話ボタンを押そうとして、INORANは固まった。
 モニターに映る人影は、見間違えようのない顔に見慣れた笑みを浮かべている。
 相変わらず金色の短い髪に、夜だというのにしっかりかけたサングラス。笑みの形に引き上げられた唇から覗く八重歯。
『ああ、いたいた。入れてくんねぇ? 今日けっこう寒くてさ』
「……なにしに来てんだよ」
 口ではそんなことを言いながらも、INORANはエントランスのドアを開けてやった。開けてやらなければいつまでもエントランスで震えているだろうJの性格を、INORANは嫌と言うほどわかっていたから。





「間に合う?」
 エントランスを抜けてINORANの部屋のドアから顔をのぞかせたJの第一声が、それだった。
「時計持って来んの忘れたんだよ。まだ間に合う?」
 どうしてこういうところでヌケているのだろうかと溜息をつく気にもなれずに、INORANは小さくうなずいてJを招き入れた。
 よほど外が寒かったのか、猫背を更に丸めてリビングに足を踏み入れたJは、まず壁に掛かるシンプルな時計を見上げた。
「げ。あと5分ないじゃん」
 そう呟いたJは焦ったように、背中に隠していた腕を前に持ってきた。
 その手に、CD-Rのケースが一つ。
「はい、プレゼント」
「……今日もらった中で一番飾り気がない……」
「飾り気のなさすぎるメール一通で俺の誕生日終わらせたのは誰だよ?」
「あ、ばれたか」
「ばれるって」
「J、変なとこでヌケてるから気づかないかと思ったんだけど」
「気づいたから仕返しにこういうことしてんじゃん」
 にやりと品のない笑みを口元に刻んで、JはラッピングもしていないCD-RをINORANに押しつけてきた。
 渋々受け取ったそれは、ケースにもその中身にも、なにも書かれていないしラベル等もない。
「……お礼の言葉は聴いてからにしようかな」
「きっついこと言うなぁ……」
 プレゼント、とJが言ったからには、このCD-Rはバースデープレゼントなのだろう。けれど、得体の知れないモノをもらっても素直にありがとうとは言いたくないのがINORANの性格。
 実際、過去に受け取ったJからのプレゼントで、得体が知れないままうやむやになっているモノというのは幾つかある。今年もその轍を踏んだのでは、と怪しんでしまったのだから、礼を言うのを躊躇いもする。
 こんな風に、ついJをからかってうろたえさせて落ち込ませてうやむやにしてしまう自分に、無性に嫌気がさすことが、INORANにはある。
 それが正直になれない自分の悪癖であることなど、学生の頃にすでにわかっていた。けれど、Jが本気で怒ってしまう少し手前で攻撃の手を緩めれば、ひとしきり落ち込んだ後のJは必ず、恐る恐るINORANに手を伸ばしてくる。その手を取れば、Jは必ずINORANにキスしてきて、最低でも丸一日くらいはこれ以上ないほど甘やかしてくれる。
 その心地良さを知り、その甘い空気に慣れてしまったINORANは、だからついついJをからかってしまう。
 良心の呵責がないわけではない。けれど、Jと知り合うまでずっと「お兄ちゃん」だったINORANは、甘えさせてくれるJにずいぶん長い間遠慮していたのだ。長年かけてようやく、こんな天邪鬼な方法でだけ、Jに甘えることを自分に許せるようになった。
 甘えるのにも駆け引きが必要な、名称に困る微妙な関係。
 それを疎ましく思ったことなどない。
 ただ、それだけの関係でいたくないだけなのだ。
 今だって、本気で落ち込んだ素振りを見せるJに、本当は甘えたくて仕方ないのだ。得体の知れないプレゼントにだって、素直にありがとうと言いたい。
 けれどそんな気持ちに、駆け引きを楽しみたいINORANがブレーキをかける。
 かかってしまったブレーキは強力で、かなり強くアクセルを踏み込まないとこのまま素直にはなれない。
 久しぶりでもあるんだし、と、INORANはアクセルを踏み込まずに少しずつブレーキを緩める方法を選んだ。
「新曲?」
「会心の作よ」
「誰の?」
「内緒」
「…………………………んなこと言ってると、捨てるよ?」
 やり過ぎないように、Jの神経を突付くような言葉は選ばないように、慎重に慎重にINORANは攻撃を仕掛ける。
「それは却下。いいから聴いてみろって」
 これ以上は危険区域、とINORANが判断した通り、Jの声から笑みが消えた。あと数分でINORANの誕生日が終わることを気にして、駆け引きを楽しむ余裕を失くしたらしい。
 本気になったJにはとりあえず逆らわない方がいいし、逆らう理由もないから、INORANは小首を傾げてJに問い返す。
「今?」
「今。日付が変わる前に」
「……つまんなかったら3秒で止めてやる」
 とりあえずこれが最後の攻撃。そう決めてINORANが放った言葉は、余裕を取り戻したらしいJの笑みにはね返された。
「それはないね。絶対にないよ」
「すげぇ自信だねぇ……」
 仕方ない、と少々大げさに溜息をついてみせて、INORANはベッドルームへ足を向けてコンポにCD-Rを叩き込んだ。
 読み込まれたCD-Rのトラック数が表示されるのを待ってから再生する。
 スピーカーが震える前に、自分はベッドの端に腰を落ち着けた。Jは遠慮もなしにベッドに上がって、INORANの背後に膝をついた。リビングに置きっ放しのノートPCの電源を切り忘れていることを思い出したけれど、そのために動く直前、スピーカーがCD-Rに刻まれた音を弾き出した。
『INORAN、誕生日おめでとう!』
 耳に飛び込んできたのは、人の声だった。昔から変わることのない明るさと優しさの滲む、間違えようもない真矢の声。
『やー、Jがどうしても喋れって言うからさー……』
 どうやらこのメッセージCDはJの企画らしい。真矢はそれに乗ったというわけだ。今日になっても真矢から電話もFAXも来ないと思ったらそういうことか、とINORANは黙ってうなずいた。照れくさそうな祝いの言葉がくすぐったくて、Jが隣に立っているのも忘れて頬を緩めてしまう。これなら確かに、3秒で止めるなんていう仕打ちはできない。
 トラック数を表す数字が増えると、続いてこれまた底抜けに明るい声が耳に飛び込んできた。
『誕生日おめでとー! INORANちゃん、J君ちゃんとこれ届けてくれてるかなぁ?』
 耳に馴染む、隆一だけが使う呼び方。ちゃっかりとJにツッコミを入れつつ、テレビやラジオで喋るのとは少し違う声で、隆一もINORANの誕生日を祝ってくれた。
 更にもう一つトラック数が上がって流れてきたのは、少し硬質の声。彼にしては穏やかな。
『Happy Birthday, INORAN……この前はライヴお疲れさま。俺の時も来てね』
 シンプルだけれど、その裏にたくさんの意味を込めたような、SUGIZOの温かい言葉。
 そして、最後のトラック数が表示されたその瞬間。
 INORANの背後から伸びたJの腕が、サイドテーブルに置いてあるコンポのリモコンを取って、ストップボタンを押した。
 なにをしているんだと咎める間もなく、INORANの顎はJの手に捕らえられて、深く深く口付けられる。
 角度を変えて絡みついてくるJの舌を甘く噛んだら、離された唇の代わりに舌だけが引き出された。体温よりは低い空気に触れても、絡む唾液は乾かない。
 INORANの息が上がりかけた頃、不意にJが身体を離した。顎に伝った唾液が急速に冷えて、背中に感じていた体温と重みが失せる。
 けれど、どうかしたのか、とINORANが問うより先に、Jの重みが今度は肩にかけられた。耳朶から首筋、シャツから覗く鎖骨まで、生温かい吐息と熱い舌が行き来して、INORANは同じように熱を持った吐息を零した。
「……Happy Birthday……」
 背筋を這い回る紛れもない快感に肩を震わせたINORANの耳に、不意にJが囁いた。
 その次の瞬間、リビングの時計が静かに小さな鐘の音を響かせた。INORANの誕生日の終わりを告げる、12時の鐘。
「……狙ってたな……?」
 身体に燻り始めた熱を逃がすようにゆっくりと息を吐いて、INORANは背後に立つJを睨み上げた。Jが時間を気にしていたのは、CD-Rの再生が間に合うかどうかというだけでなく、これを狙っていたからだろうと思ったのだ。
 しかしJは慌てたように首を横に振った。誤解だ、と。
「違うんだよ。CDこのまんまかけてると、俺が……『Happy Birthday』って言うまでに手間かかるから、間に合わないと思って……」
 CD-Rのトラック数が4で、最初に真矢の声が聴こえた時に、予想はしていた。ex.LUNA SEAのメンバー全員分のメッセージが入っているのだろうと。そして、この場にいるJ自身のメッセージはたぶん最後だろうと。そこまではINORANも予想したのだ。
 このCD-Rを編集したのはJだろうから、当然Jは内容をわかっているだろう。どうせ自分のメッセージを自分で聴くのが照れ臭くて、それもあってコンポを止めてしまったのだろうとINORANは思っていたのだけれど、どうやらそればかりではないらしい。
「……べつに日付変わったってかまわないんだけどね、俺は。女の子みたいに記念日にこれと言ってこだわりないし」
 勝手にうろたえてから、これまた勝手に落ち込んでいるJをなだめようとINORANが口を開いたら、Jは唇を尖らせた。
「……じゃあ祝わなくてよかったのかよ?」
 今度はなにかと思ったら、INORANの言葉に拗ねたらしい。
「そうは言ってないじゃん。ただ、遅れたって気にしないよって言っただけで」
「でもさぁ……」
 まだうじうじと文句を並べるJに、INORANはふと去年の誕生日を思い出した。
 去年はやはり拗ねていたJの「弟」気質に笑ったけれど、今年はJの「コドモ」気質の相手をさせられているらしい。
 幾つになってもいつまで経っても変わらないJの性格を、INORANは割と気に入っているのだ。気に入っていると言うより面白がっていると言った方が合っているかもしれないが。
 しかし、延々と拗ねられているのも、それはそれで厄介なもので。
 仕方なくINORANは話題転換してJの機嫌を直す方法に出た。なぜ自分の誕生日に人の機嫌の心配をしなければならないのかと、内心で少しだけ腹を立てながら。
「それよりさ……ヤる気で来たんだろ? あんまり手間くってると俺、寝ちゃうよ?」
 Jの好きな上目遣いで挑発するためだけの言葉を投げてやる。
「……へぇ……そういうこと言っちまっていいわけ? 本気にしちゃうぜ?」
 すぐさまINORANの挑発に乗ったJは、さっきまでの拗ねたコドモの顔はどこへやら、にやりと意地の悪い笑みを浮かべてINORANの頬に小さくキスしてきた。
 だが、その程度で引くINORANではない。こちらも含みのある顔で笑って、Jを振り返る。
「……その前にやっておくべきことはさせてね、っていうの、追加」
「なに?」
「PCの電源落としてないし、今日まだシャワー浴びてないし」
「じゃあ一緒に風呂入ろーぜ。PCの電源はシャワー浴びに行く途中で落とせばいいし」
「……エロオヤジ」
「あぁ!?」
「見え透いてんだよ、考えてることが。シャワー浴びたいなら先に行けよ。俺、メールチェックしなきゃ」
 容赦の欠片もない言葉と共に、ほんの少し甘くなりかけた空気を切り捨てるようにINORANが立ち上がった。当然Jはベッドの上に置き去りである。
「……去年は素直で可愛かったくせにー……」
 再びいじけモードに入ったJに、INORANはベッドルームのドアノブに手をかけた所で立ち止まって、もう一度にやりと笑ってみせた。
「年とるってことはそれだけずる賢くなるってことだろ? いつまでもクソガキなお前の方がおかしいよ」
 舌打ちしながらもJは後を追っては来ない。テーブルに置きっ放しだったノートPCの電源を切って、INORANは口元を緩める。
 きっと今夜は明け方近くまで離してもらえないだろう。それを嫌だとは思わない。
 ただ、身体が疲れるのは間違いない。せめて仕返しに、まだ聴いていないCD-Rの4トラック目を目覚まし代わりのBGMにしてやろうかと考えながら、INORANはバスルームに身体を滑り込ませた。
 誕生日の夜は、まだ終わらない。








BACK  NOVELS TOP

POSTSCRIPT