「なんであんなに嫉妬したの?」
翌朝、気持ちよさそうに起き出したINORANにわずかながら恨めしそうな視線を投げてから起きたJは、突然そう言った。
「嫉妬……してた?」
視線を目の前の鏡に固定したまま髭を剃る手を少しだけ止めて、INORANはそう返す。
気持ちよく眠って気持ちよく目覚めることができたINORANとは正反対な、寝不足らしいJの顔まで鏡に一緒に映っている。歯ブラシをくわえている割には眼が半分しか開いていない、寝癖も無精髭も全開なJの顔に、INORANは泡だらけの口元をほんの少しだけ歪めた。
「俺にはそう見えたけどな」
INORANがそう聞き取れたのは長年の付き合いの賜物だろう。Jが歯ブラシをくわえたままなので、実際にはなにを言っているのかほとんどわからない。
「そうか……なんでだろうね」
泡一つ残らないように丁寧に洗った顔をタオルで包む。洗面台の前をJに譲ろうと振り返ったINORANの目の前で、寝起きのライオンが欠伸をひとつ。
「……やめるか?」
バスルームのドアを開けた瞬間、背後から耳に飛び込んだ言葉の意味が、INORANには分からなかった。言葉自体も聞き取りにくかったけれど、なによりもその意味が。
「なにを?」
振り返ってJを見ると、口の中の泡を洗い流したらしいJも振り返ってINORANを見ていた。眠気も笑みもない真剣な眼で、Jは口を開く。
「会うの」
言われた瞬間だけ、その一瞬だけ、INORANの頭はパニックを起こした。けれど、次の瞬間にはJの言葉の真意を探し当てて納得する。
ああ、そういうことか、と理解してしまえば、瞬時に波立った心はまたすぐに落ち着いた。
「……もっと言っちゃえば、セックス?」
Jは、嫉妬しているように見えたINORANとの間に距離を置くことを提案しているだけなのだ。
これ以上、近づいてしまわないように。
これ以上の想いが、互いの間に入り込まないように。
けれど逆に言えば、これ以上離れないように。
これ以上離れて、今までの絆が壊れてしまわないように。
身体の距離も心の距離も、ちょうどいいところで保たなければ、いつかは絆までも壊れてしまうだろうから。
いつも一緒にいられた頃とは状況が違うからと言って、一緒にいられる時間を無理に作り過ぎてはバランスが崩れてしまうから。
「お前のこと好きになるわけにいかねぇもん」
だから、少し距離を置こう。
Jは言外にそう言って、少し拗ねたようにうつむいた。
そういうことなら距離を置くのはかまわない。完全に離れてしまうのでなければ、今の状況に見合った距離を置くことくらい平気。
INORANは、強がりでもなんでもなく自然にそう思える自分に小さく笑った。
学生の頃からずっと変わらなかった距離が、バンドの終焉と同時に変わっただけ。それに対して、気持ちが素直に切り換わってくれなかっただけ。
けれど、それももう終わり。もう、変わっていい。
「それはそうだ。でもさ、J」
昨夜眠りについた時より、今朝目を覚ました時より、もっとずっとすっきりした気持ちになるや否や、まだ半分拗ねているJをからかいたくなった。
「バンドのメンバーに好かれるのはいいんだ?」
自分たちが12年ずっと繋いでいた手を離した後、Jがつるむようになった外国人勢ご一同。彼らとJとの間にあるものもまた、恋愛感情とは程遠いものだと、もちろんINORANは分かっている。
けれど、こういう言い方をすればJは必ず噛みついてくるのだ。それをあしらうのが面白いとINORANが気づいたのは、いったいどれくらい前だったか。もしかしたらバンドをやり始める前だったかもしれない。
それほどの長い間、INORANはJをからかってはあしらい続けて面白がってきたのに。
「……それとこれとは話がちが」
「わない」
「あ?」
Jはいまだにそのパターンを学習しないらしい。
またしても見事に噛みついてくれたJが可笑しくて、INORANは肩を揺らしながら、一度は開けたバスルームのドアを閉めた。
「違わない。ああ、そっか。だから俺、遊ばれてるJに嫉妬したんだ、きっと」
「遊ばれてるって、お前なぁ……」
「遊ばれてんじゃん」
これ以上ないほど大きな溜息を落とすJに、INORANは堪えもせずに笑ったのに、不意に腕をつかまれて黙った。一時期より随分細くなった、けれど力まで弱くなったわけではないJの手につかまれた腕は、どんなに力を入れても動かせない。
「……それが羨ましいなら、また一緒にやるか?」
そう言うJの、寝起きとは思えないほどの真剣な表情と、弱まることのない腕の力に、本気を見る。
あれほどギリギリのところまでいけるバンドを、他に知らない。遊びの延長だった音楽にあれほど本気になれる場所を、他に知らない。
そんなことは、バンドを終わらせる前からみんな分かっていた。JだけでもINORANだけでもこの二人だけでもなく、皆が。分かっていた。
「バンド? 俺らだけでどうにかなるわけないじゃん。あと三人いなきゃ」
「そうなんだよなー……」
がっくりと力を抜いたJの腕から逃れて、INORANはバスルームを出た。後についてくるJの溜息が本当に残念そうで、一瞬だけ流されそうになったけれど。
まだ自分だけでやってみたいことがある。そんな状況でJの溜息に流されるわけにはいかなかった。それに、Jだって今すぐにバンドを再結成したいなんて思っているわけではないだろう。
「……べつにさ、JがLUNA SEA以上のバンド作って、そっちに完璧にのめり込んで、そのままお互いに一生終わったって、かまわないんだよ」
口をついて出たのは、INORANの本心。
Jだけではなく、自分も、他の三人も、それぞれの道をそれぞれの思うままに進んで、道が再び重なることのないまま一生を終えたってかまわない。
ただ、音楽が繋いだ自分たちの関係が、ゼロになってしまうのが嫌だっただけで。
それぞれの音楽に時間を取られすぎて、一緒にいる時間がなくなってしまうのが淋しかっただけで。
「ただ、時々こういう……セックスするしないは別としても、一緒にいる時間は、欲しいなって」
音楽が間になくても、遊んだり飲みに行ったりする時間を持てる関係でいたいだけ。
「……一緒にいる時間、作ってんじゃん、ちゃんと」
INORANの言葉の奥にある意味をどこまで分かっているのか、Jは拗ねたような顔でそんなことを言う。
「でも半年振り」
「それは忙しかったからで」
「忙しくしてる間、フランツとかに遊ばれてたんだろ? しょっちゅう」
「……お前が嫉妬したの、そこかぁ」
「んー、どうだろうねぇ?」
やっぱりJはINORANの本心までは分かっていないのだろうか。
会話は少しずつズレていくのに、何故か幸せな気分になってしまって、INORANは小さく笑った。