瓦礫の街
26
その場にいた誰もが、一斉にINORANを振り返った。怒りをあらわにしてINORANを睨みつけ瞬きすらしない者、腕を組んでうつむく者。まだあどけなさの残る若い者の中には、今にも泣きそうな顔でINORANとJを見比べる者もいる。
Jはうつむいたまま動きを止めていたが、やがてゆっくりと顔を上げて、INORANをじっと見つめ返した。表情はない。ただ、虚ろではなかった。強い光を宿した瞳が、INORANの言葉にJの心がまったく動じていないことを示している。
そのJに、INORANは同じように強い視線を向け、もう一度口を開いた。
「このまま戦いに行ったら、Jは死ぬ」
その瞬間、Jの目がわずかに細められたのを、SUGIZOは確かに見た。
Jは何かを言おうとして、唇を開きかけては結び直すことを幾度か繰り返した。そうしてようやく出てきた言葉は、SUGIZOの予想を大きく外れていた。
「――それは、『神託』か?」
神託。
ずいぶん長い間聞かなかったような気がする言葉だが、ラウルで育ったSUGIZOには馴染み深い言葉だった。
だが、何故Jが神託のことを知っているのか、何故INORANにその言葉を投げつけるのか。そして何故、今この時にこの言葉が出るのか。
SUGIZOには分からなかった。Jの意図も、Jがなにをどこまで知っているのかも、まるで見当がつかなかった。
「……知ってたの?」
震える声でINORANが言う。なにを、とは聞かない。Jも問い返すことはせずに、静かに頷いた。
「ああ、知ってた。さっきのお前の言葉は『神託』なのか?」
Jの声はあくまでも穏やかで、INORANになにかを期待しているわけでもなければ、INORANを責める風でもない。そのことが一層、SUGIZOを不安にさせる。
多分Jにはもう、迷いはまったくないのだ。INORANの答えがどうであろうと、Jが進もうとしている道は変わらない、変えられないのだと思い知らされる。
「……違う」
INORANはJの思いを察しているのか、それともJの言う通りさっきの言葉が神託ではないのか、首を横に振ってそう呟いた。
するとJは、笑った。少しだけ寂しさを混ぜたような、静かな笑みだった。
「なら、俺は死なねぇよ、大丈夫だ」
しかし、Jの言葉にもINORANは引き下がらなかった。むしろ更に一歩踏み出して、Jの袖をしっかりとつかみ、まっすぐにその顔を見上げている。
「違うけど、でも……行ったら、Jは死ぬ。きっと」
「『神託』でもねぇのに、なんでそう言える?」
あくまでも冷静に返すJに、INORANはためらいがちに答えた。
「……勘でしかない、けど……」
Jは、自分の袖をつかむINORANの手を両手でそっと包み込んだ。そのままINORANの手ごと胸元に引き寄せて、また笑う。
「大丈夫だよ、その勘は当たらない。死ぬ気がしねぇんだ」
言い聞かせるように包み込んだ手を軽く叩いてみせて、JはINORANの手を離すのと同時に背を向けた。
呆然と立ち尽くすINORANを残して、Jは奥に張られたテントへと歩いていく。Jの部下も大半がそれに続いた。その中に、SUGIZOが以前見かけたことのある顔が幾つかあった。SUGIZOがこの廃墟へ入ろうとした際に通った西側の路上で、あてもなくぼんやりしていた者達だった。そう言えば、さっきここへ来るまでの間に、いつもなら路上にいるはずの者を一人も見なかった、とSUGIZOは思い返す。南からの侵入者であるはずの彼らがいつからJに従って動いているのか、SUGIZOには分からない。
SUGIZOは黙ってINORANに歩み寄り、その肩に手を置いた。INORANは焦点の定まらない瞳をSUGIZOに向けて、小さく息をついた。まるで、Jに手を握られてからずっと呼吸していなかったかのような、細いのに重い吐息だった。
「INORAN……『神託』は、ここでは得られないの?」
SUGIZOがINORANの身体を腕に抱き込みながらそっと問い掛けると、INORANはびくっと身体を震わせて、泣きそうな顔でSUGIZOを見上げた。
神託を得ることは、ラウルではINORANにだけ可能なことであるはずだった。INORANはその能力があることで、幼い頃からコミュニティの中で特別な扱いを受けていた。
SUGIZOを含む他の子供も大事にされてはいたが、INORANに対する大人の態度には畏怖の感情が滲んでいたように、SUGIZOには思える。INORANが口にする神の言葉が的外れなものであればそれも薄れていったのかもしれない。だがINORANが告げる神託はいつも、どんなことに対しても外れなかったから、大人達はINORANを敬いつつ遠ざけるという態度を取り続けていた。果ては、INORANと対等に付き合うSUGIZOまで遠巻きにする者もいたほど、INORANの神託はどれも確実に的中していたのだ。
しかし、INORANがJに投げた言葉は神託ではないという。Jがどうして神託のことを知っていたのかは分からない。そしてそれ以上に、INORANの神託が得られる条件や、INORANがなぜあんなことを言ったのかが、SUGIZOには読めなかった。
INORANは大人しくSUGIZOの腕に抱かれていたが、やがて顔を伏せてしまった。そして、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
「違うんだ……ごめん……」
「INORAN? なにを謝るの? 顔を上げて。ちゃんと話して」
謝られる筋合いはないはず、と内心で首を傾げながら、SUGIZOはINORANの顔を見ようとした。だがINORANは頑として顔を上げずにいる。
「……俺にはあんな能力ないんだよ」
それでも粘るSUGIZOに根負けしたのか、INORANはそう呟いた。その言葉の意味を考え込んだSUGIZOがなにか言う前に、INORANはSUGIZOの腕を振り払った。驚くSUGIZOの顔を睨み上げて、INORANは声を絞り出した。
「神をこの身に降ろして『神託』を得るなんて、そんな力、俺には最初からなかったんだよ!」
SUGIZOは、振り払われた手を宙に浮かせたまま、凍り付いてしまった。
神託を得る力が、INORANにはなかった――?
だとしたら、ラウルにいた頃にINORANが口にした数々の神の言葉はなんだったのか。全て作り事だったとでもいうのだろうか。
次から次へと疑問がわいてきて、SUGIZOは困惑した。
それでもSUGIZOが口を開こうとした瞬間、遠くで銃声が響いた。朝の乾いた空気を貫いて届いたその音に、見張りの者もINORANとSUGIZOも、意識を音のした方へ向ける。銃声は続かなかったが、見張りの者達は緊張を解かずに音のした方を見つめている。すでにJの指示で動き始めている者がいるのだろう。
今はJの動向をうかがい、自分たちの行動を決めなければならない。過去のことをあれこれ考えている余裕は無かった。
SUGIZOは結局、かけるべき言葉を見つけられないまま、もう一度INORANの背に腕を回して抱きしめた。INORANは唇を噛み締めたまま、促されるままに顔を伏せた。
うなだれるINORANと、その背を抱くSUGIZOを、もう誰も気にしていないようだった。
SUGIZOはINORANの手を取って、J達を追ってゆっくりと歩き出した。見張りの者だけが、ちらりと二人を見て、すぐにゲートの向こう側へ視線を戻す。
朝日はもう、その姿を完全に現して、辺りを照らし出していた。
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