1.  世紀末芸術における前表現主義的な傾向について

表現主義という名称は1911年に Wilhelm Worringer がセザンヌ、ゴッホ、マチスの作品を「表現主義」と評したことに由来し、印象主義の対立概念として造形芸術に用いられ始めたものですが、やがて20世紀初頭(1910〜1923年頃)のドイツにおける芸術様式や世界観を示す概念として転用されることになりました。

この名称の成立過程からも明らかなように、新しい芸術概念の多くは造形芸術において起こり、そこから言語芸術全般、あるいはまた更に抽象化の進んだ音楽へという経過を辿り、幅広い芸術領域に波及する傾向をもっていますが、表現主義もこの例に洩れず、その先駆的な萌芽は19世紀末に生じた反伝統主義的な造形芸術運動に求めることができます。

19世紀の中頃、ヨーロッパでは飛躍的な自然科学の進歩により、唯物論的、実証主義的な世界観が主流となり、思想の面ではダーウィンの進化論やマルクスの経済理論など、また芸術の分野でも美術における写実主義や、その後の印象派、また文学における自然主義など、数多くの科学的観点に立脚した思想や芸術理論が生れました。しかし世紀末になると、このような科学主義的潮流への反動から、新しい汎ヨーロッパ的芸術運動、すなわちフランスにおいてはアール・ヌーヴォー、ドイツではユーゲント・シュティールと呼ばれる運動が現れ、そこでは「新しい」や「青春」という言葉で暗示されているように過去の伝統に囚われない、時代に適合した自由な芸術様式と美が求められるようになりました。

この世紀末はベル・エポック(良き時代)と呼ばれ、表面的には平和な安定期であり、交通機関の発達などにより芸術の国際化や芸術世界の拡大が図られた時代でしたが、一方で機械文明の発達に伴う社会問題の発生や、ヨーロッパ的世界観の崩壊の危機が露になり始めるなど、近代的な不安と緊張が生じ始めた時代でもありました。

このような社会背景のもとに生れた世紀末芸術、主に造形芸術に顕著に認められる特徴は、分析から総合へ、外面の描写から内面の表現へと向かう視点の大きな転換にありました。例えば写実主義の頂点とも言える印象派の人々が、科学的分析により概念としての輪郭を否定し、外界を時々刻々と変化する光の振動として捉えることで、千変万化する自然を忠実に再現しようとしたのに対して、その即物的感覚性を批判した象徴主義や総合主義の画家たちは、はっきりとした輪郭線、平面的でデフォルメされた構図、大胆な色彩を用いて画家個人の内面世界を表現することにより、絵画のなかに新たな精神性を復活させようとしたのです。

まさにこのような傾向にこそ表現主義の先駆的な萌芽は認められるのであり、ヴァン・ゴッホの「私は赤とグリーンで人間の激しい情熱を表現しようと試みた。それはリアリズムの立場からは、文字通り真実とは言えない色であるが、燃えるような感情の動きを表現する暗示的な色なのだ。」、あるいはムンクの「自分が見るものを描くのではなく、見たものを描くのだ。」という言葉はこうした新しい運動の特徴をよく表わしています。

こうした潮流を引き継ぎ、20世紀の初頭に出現するイタリアの未来派、フランスのキュービズム、フォービズムといった芸術理論と相前後し、相互に影響を受けつつ、ドイツにおいて新しい精神性を求める動きは、「表現主義」という芸術全般における革新的なモダニズムの運動へと展開することになります。

 

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