3.  表現主義芸術に見られる特徴

19 世紀末に現れた前表現主義的な萌芽は、俗物化された自然主義に対する反動として生れ、そこでは外面的なものから内面的なものへ、静的な受容から動的な把握へという芸術における新しい視点が形成された訳ですが、人間存在の究極の意味は自然科学的な把握では提示し得ないことが明確となり、フロイトの無意識の発見や、ベルグソンの直観重視の哲学、フッサールの現象学など、新しい真理を求める動きは再び人間の内部へと向かいました。

このような人間の精神性や内面性の復権を目指す傾向が、暗く、重苦しい権威や時代の抑圧、典型的にドイツ的と見なされるような神秘的なもの、不気味なもの、自己反照、思弁への愛着などと、また他のモダニズムの運動とも相俟って、1910年代に多様な芸術領域において同時多発に、爆発的な伝統破壊の衝動を内に抱えた激しい精神性の高揚となって現れたのであり、まさにこの時代を包み込んだ空気が表現主義を主義を産み出したと言えます。

というのも今日、表現主義の代表的な芸術家と言われている人々(無論その全ての作品についてではなく、ある芸術家の一時期の作品を示す場合も含めて)、絵画においてはカンディンスキー、クレー、ココシュカ、シーレ、キルヒナー等、文学においてはハイム、トラークル、ベン、ブラス、シュトラム、ハーゼンクレーヴァー等、音楽ではストラヴィンスキー、スクリャービン、リヒャルト・シュトラウス、シェーンベルク、ウェーベルン等の作品について、他の領域ではもちろんのこと、同じ芸術分野においても、これら全てを「表現主義」というカテゴリーで括るにはかなりの無理があるからです。

つまり、「表現主義」という明確な芸術創作上の理論(描写技法、文体論、作曲技法など)があった訳ではなく、共通した創作態度が見られるのみで、そこに認められるのは極度に興奮した感性表現や、それまでの伝統的、慣習的な芸術技法に対する反抗、つまり因習的形式を根底から破壊しようという試みであり、実際には抽象絵画、自由律詩、純粋な音響詩、無調音楽などの形で現れましたが、これは単なる破壊衝動ではなく、それぞれの芸術家たちの感じていた政治的、社会的危機感によってもたらされたもので、未だかつて経験したことのない時代的苦悩や世界的終末感を表現するためには、従来の芸術的手法では限界があったため、必然的に新しい技法が発見されねばならなかったのです。

極端に言えば、それぞれの分野で各々の芸術家が鋭敏に先取りした時代の緊張や不安が、新しい革命的な前衛意識となって作品中に出現したのであり、時代の崩壊のヴィジョンと伝統的な芸術様式の破壊はパラレルな関係にあったとも言えます。つまり、造形芸術における形象の崩壊、文学における意味の否定、音楽におけるメロディの喪失へという抽象化は、決して非具象へと向かったのではなく、抽象化される世界そのものが解体し、失われ始めたことを意味していました。

こうして芸術は、自らを呪縛していた伝統様式を破壊し、造形芸術においてはフォルムから独立した線や色彩、文学では意味性から解放されたイメージ、音楽では階調を超越した音そのものへという、言わばそれを成り立たせている素材自体へ新たな美を求めて模索を始めますが、それは現代芸術にも通じる新しい視点を開くと同時に、自ら自らの拠って立つ基盤を打ち壊す結果を招くことにもなりました。

 

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