3.  トラークルの詩形式

先述したように、ここではトラークルの作品112編を対象として考察しますが、その時間的な変化を探るために製作年代別に作品群を以下のように三分割することにします。

T. 処女詩集、『詩集:Gedichte』 (製作年代:1909.6〜1913.4)  49編

U. 第二詩集、『夢のなかのセバスチャン:Sebastian im Traum』                     (製作年代:1912.9〜1914.5)  49編

V. 「ブレンナー誌に発表された詩 (製作年代:1914.3〜9) 14編

この三つの分類の中にも、互いに製作年代が重複しているものもあり、厳密な意味で言えば正確な年代順とは言えませんが、Tを初期、Uを中期から後期、Vを最後期として捉えてもその概略は把握できるものと考えました。

トラークルの詩形について考察を始めるにあたって、まず各時期における押韻詩、無韻自由律詩、散文詩の数を見ると次表のようになります。(押韻詩は有節で脚韻のあるものとし、脚韻のないものは無韻自由律詩として分類)。

 

押韻

無韻

散文

T

42

7

-

49

U

9

38

2

49

V

2

11

1

14

53

56

3

112

この結果から、明らかに時代の経過に応じて、押韻詩から無韻自由律詩へという方向性の変化が読み取れるのですが、後期に至っても押韻詩が創作されていることを考えると、トラークルが意識的に伝統的な詩形の破壊を考えていたというようよりは、作品のテーマ、つまり滅びや不安のヴィジョンの深化を表現するために、必然的に不安定な律動へと移行したと考える方が自然だと思われます。勿論これらのことについては後に考察しますが、ここでは各時期に見られる詩形の具体的な例を上げてその概略について述べてみます。

まず、初期の押韻詩の例として、1910年7月頃に書かれた、「嵐の夕べ」(Der Gewitterabend)を例に取りたいと思います。

 

Der Gewitterabend

O die roten Abendstunden !
Flimmernd schwankt am offenen Fenster
Weinlaub wirr ins Blau gewunden,
Drinnen nisten Angstgespenster

Staub tanzt im Gestank der Gossen.
Klirrend stößt der Wind in Scheiben.
Einen Zug von wilden Rossen
Blitze grelle Wolken treiben.

Laut zerspringt der Weiherspiegel.
Möven schrein am Fensterrahmen.
Feuerreiter sprengt vom Hügel
Und zerschellt im Tann zu Flammen.

Kranke kreischen im Spitale.
Bläulich schwirrt der Nacht Gefieder.
Glitzernd braust mit einem Male
Regen auf die Dächer nieder.

 

嵐の夕べ

おお 赤い夕刻よ!
開け放たれた窓辺に、ブドウの葉はもつれあい
青の色に巻きついて、仄かに光り揺れ動き
部屋には不安の亡霊が巣くう

どぶの悪臭の中、埃は舞い
ガラスをきしらせ風が吹き込む
野生の馬の一群を、どぎつくひかる雲々を
稲妻が駆り立てる

沼の水面は音をたててはじけ
窓枠でカモメが鳴き喚く
火の騎士は丘を駆け下り
炎となって樅の根元に砕け散る

病棟で悲鳴をあげる患者たち
夜の羽が青くさやぎ
突如きらめく雨粒が
屋根屋根を打ち鳴らす

 

この押韻詩はABAB形式の交叉韻とAAAAの積重ね韻という単純な脚韻をもち、四行一節の四節から成立していますが、トラークルの押韻詩はこの四行一節を基本単位として、四節または三節で構成されているものが、その大半を占めています(押韻詩53編中、29編)。ソネット形式(6編)や五行一節の作品もありますが、その他は殆ど基本形の応用であり、用いられている韻も素朴なものが多く見られます。

エミール・バルトは「ゲオルク・トラークル」のなかで、ゲオルゲやリルケの後期の作品に意識的な無韻への傾向がみられるように、韻は青春のものであり、その快い響きが人間の若き日の恐ろしい孤独を宥め、青春期のみなぎる歓喜を生み出す一つの麻酔剤の役目を果たすのではないかと述べ、ヘルダーリンにもみられた押韻欲の低下傾向が精神錯乱期に消失し、晩年再び押韻が戻ってくるのは、彼が少年の日に回帰したことを意味するものであるという見解を示しています。ここで興味深いことは、バルトがこの精神錯乱期にヘルダーリンが創作した韻とトラークルの押韻が非常に似通った響きを持っていると指摘している点です。つまり晩年、ヘルダーリンが用いた押韻には、彼の病んだ魂が狂気の闇からおぼろげな精神に向かって語り掛け、明晰な精神世界へ向かって羽ばたこうとしている微かな羽音が感じられるのに対して、錯乱したヘルダーリンと同様の優しく単調さに満ちた、極端に貧弱な韻を持つトラークルの押韻詩からは、逆に秩序ある精神世界から深淵な狂気に向かって優しく舞い上がろうとしている羽ばたきが聞こえるというのです。トラークルがヘルダーリンの最後期から詩作を始めているというこの指摘は、トラークルの詩人としての資質を探るうえで重要な意味を持つものと言えます。

一方、トラークル自身は、ある手紙の中で、一節四行、四節からなる初期の詩形について、「この手法により四つの別々のイメージがつき合わされてただ一つの印象を作り上げるのであり、いきいきとした情熱がこの形式を生み出したのだ」と語っています。

話を上記の「嵐の夕べ」に戻すと、作品冒頭の O die roten Abendstunden ! (おお 赤い夕刻よ!)のように「O」や感嘆符「!」を伴う詠嘆または心情告白とも言える表現が見られますが、こうした詠嘆の表現はトラークルの全期に渡って現れ(112編中、50編)、彼の作品のもう一つの特徴ともいえる一人称の少なさを補い(112編中、純粋に「Ich」という単語が現れるのは9編のみ)、彼の内面世界を作品に反映する重要な意味を担っています。

また初期の作品についてはフランス象徴派の影響も指摘されており、Es ist 〜(〜がある)という詩形(深き淵より:De profundis、詩篇:Psalmの二編に見られる)は、明らかにランボーの Il y a〜という形式を借用したものであると言われています。

それでは次に中期における詩形式の代表的な例として、1913年3月頃に創作された「安らぎと沈黙 (Ruh und Schweigen)」を取り上げてみることにします。

 

Ruh und Schweigen

Hirten begruben die Sonne im kahlen Wald.
Ein Fischer zog
In härenem Netz den Mond aus frierendem Weiher.

In blauem Kristall
Wohnt der bleiche Mensch, die Wang' an seine Sterne gelehnt;
Oder er neigt das Haupt in purpurnem Schlaf.

Doch immer rührt der schwarze Flug der Vögel
Den Schauenden, das Heilige blauer Blumen,
Denkt die nahe Stille Vergessenes, erloschene Engel.

Wieder nachtet die Stirne in mondenem Gestein;
Ein strahlender Jüngling
Erscheint die Schwester in Herbst und schwarzer Verwesung.

 

安らぎと沈黙

羊飼いたちは木の葉の散った森に太陽を埋葬し
猟師は凍てついた沼から
山羊の毛網で月を引き寄せた

青い水晶のなか
その蒼白の男は住んでいる、自分の星に頬杖をつき、
あるときは赤紫の眠りのなかでうなだれながら

だが鳥の黒い飛翔は
見るものの心を、青い花々の神聖さを、絶えず揺り動かし
こときれた天使たちは忘却に寄り添う静けさを思う

月明かり射す岩間にまたも額は黄昏て
ひかり輝く青年
秋と黒い滅びのなかに、妹の姿が浮かびあがる

 

この詩は第三節にのみはABA形式の脚韻をもつ以外は、行長も異なる自由律で構成されており、中期にはこうした一節三行を基本単位とした自由律詩が多く見られます。

しかし、中期の詩に特徴的なのは形式もさることながら、その内容的な変化にあり、そこでは初期作品に見られた現実的な世界は後退し、純粋な内的イメージで描写される非現実的な世界が展開されるようになります。「表現主義文学のなかで遂行されるすべては、言葉のエクスタシーから起こり、表現主義詩人はその感情に酔うように、その言葉に酔う言葉のフェチシストである」とも言われているいるように、言葉によってのみ生み出される非日常的な、現実世界から切り離されたイメージによる抽象化の世界に没入する傾向が、この頃からトラークル作品にも顕著になり始めます。

更に後期になると形式については一節十行前後からなる詩、あるいは無節の自由律詩が多く見られるようになりますが、その一例として1914年3月に書かれた三部構成の詩、「黄昏の国(西欧):Abendland」の3を取り上げることにします。

Abendland 3

Ihr großen Städte
Steinern gufgebaut
In der Ebene !
So sprachlos folgt
Der Heimatlose
Mit dunkler Stirne dem Wind,
Kahlen Bäumen am Hügel.
Ihr weithin dämmernden Ströme !
Gewaltig ängstet
Schaurige Abendröte
Im Sturmgewölk.
Ihr sterbenden Völker !
Bleiche Woge
Zerschellend am Strande der Nacht,
Fallende Sterne.

 

黄昏の国

平地に構築された
石の冷たさをもつ
巨大な都市よ!
暗鬱な額の故郷をなくした男は
こうして言葉もなく
風にしたがい
はだかの木々の丘を
歩みつづける
暮れながら流れゆく河よ!
千々に乱れ飛び去る雲間にのぞく
悪寒をもたらす夕べの赤は
未曾有の戦慄を抱かせる
ああ死にゆく人々よ!
夜の岸辺に砕け散る
淡く青い波浪
落ちてゆく星々よ

 

トラークルの後期において現れる、このような細かく行分けされた詩は、初期に見られた個々のイメージを組合せて一つの印象にまで高めるという手法を更に凝縮させたもので、行を細分化することにより断片的な心象が一層強められ、そこから浮かび上がる全体のイメージはより鮮明なものとなっています。またこの詩に限って言えば、使用されている動詞は二つのみ(folgt, ängstet)であり、この点では名詞的なイメージの連なりだけで作品を構成する未来派の文学論に近いものがあります。

以上、詩形式について簡単に触れましたが、トラークルの詩形式にはヘルダーリンやランボーなど先人の影響は見られるものの、極端な文体破壊などは見られず、全般的には文法的にも極めてオーソドックスな形式を持つものと言えます。

 

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