5.  色彩語について

トラークルの用いる独特な色彩語は、彼を表現主義の詩人として位置づける大きな要因になっています。ここでは作品研究の最後に、彼の詩を解釈するうえで重要な役割を担っている色彩語について考察してみます。

19世紀末、ゴッホやムンクに見られた内的世界を強く打ち出すために用いられた反リアリズム的色彩は、表現主義の画家たちに継承され、彼らによって更なる精神性と時代的固有性が付与された後、形象のデフォルメを経て抽象画にまで到達します。その代表的な画家であるカンディンスキーは色彩をいったん形象から引き離し、それに独自を意味を付与して絵画に取り込むことを試みています(黄は地上的、青は天上的な色彩、黒は可能性のない虚無など)。

トラークルは、こうした表現主義の画家たちが絵画に用いたのと同様に、色彩語から本来もっている意味を剥奪し、独自の意味づけをして作品に(もちろん全ての色彩語にではなく、部分的なものですが)取り込みました。こうした独自な色彩語の使用法は、彼が画家のココシュカと面識があったことからも、表現主義の絵画に影響を受けたことは否定できないでしょうが、前にも触れたように、フランス象徴派からの影響も強く、文学固有の展開によってこうした手法が取り込まれるようになったという側面も見逃せない点です。

例えばランボーの「A は黒、E は白、I は赤、U 緑、O 青よ、母音らよ」(母音)という有名な詩に見られるように、象徴派の詩人たちは、視覚と聴覚、臭覚や味覚といった異種感覚の混合により新たな感覚を生み出したのですが、トラークルにおいても色彩語が何らかの音と結びつく作品があり、こうした共感覚を用いた色彩語の使用は象徴派からの影響と言えます。

それでは彼の色彩語の独自性についての具体的な分析に移ります。トラークルは、それほど多彩な語彙をもつ詩人ではなく、色彩語も頻繁に使用されるものから、ほんの数例しか用いられていないものも含めて14種に過ぎませんが、ここで対象として取り上げている112編の作品中、色彩語のない詩は一編もありません。

次表は彼の色彩語の中から代表的なものを10種選び、初期、中後期、最後期における各色の出現数を調べたものです(色彩語は色を明示する名詞、動詞、形容詞、副詞をすべて含めたもので、数字は色彩語の使用回数ではなく、語の現れた詩の編数)。

  深紅
初 期 15 27 24

5

21

3

22

9

24

6

中後期 15 30 35 24 20

24

9

6

18 11
最後期

5

8

10

4

3

5

-

-

9

2

35 65 69 33 44

32

31 15 51 19

初期:49編、中後期:49編、最後期:14編  計112編
その他の色彩語:バラ色(rosig): 16編、灰色(grau):20編、象牙色(elfenbeinern):2編、真紅(Scharlach):3編

この結果から、トラークルが最も頻繁に使用している色彩語は青で、次に黒、金色、赤、白と続いています。また茶色(褐色)と黄色を除いては、全期を通じてほぼ同数なのに対して、緑色と深紅(purpur)の使用回数が著しく増加していることが分かります。

これらの意味については、後に個別の色彩について考察しますが、彼の色彩語は大きく以下の三種に分類できます。

  1. 慣習的に使用される場合
  2. 象徴主義的な共感覚を用いたもの、あるいは事物のもつ色彩のみを抽象化して取り出す場合
  3. 色彩語の通常の意味を超えて、新たな自律的意味合いが付与される場合

もちろん、彼の色彩語は、こうした一元的な分類を許すものではなく、多元的な広がりを有するものですが、以下にこの分類に沿ってその具体的な例を見てみることにします。

まず、慣習的な用法についてですが、通常、色彩語には事物の本来もっている色を明示する場合と、その色から喚起される特定の気分的価値(白は清純、黒は邪悪、青は聖なるもの・冷たさ、赤は情熱など)を表現する場合が考えられます。トラークルの作品にも、こうした通常的な色彩語の使用例は数多くみられます。以下にその数例を挙げてみます。

im grünen Geäst (緑の枝々で:Sebastian im Traum)

die gelben Blumen des Herbstes (秋の黄色い花々:Landschaft)

über stummen Wäldern, / Die gehühllt in schwarze Linnen.
(黒い布に覆われて沈黙する森並に:Die junge Magd)

im braunen Gärtchen (褐色の小庭で:In der Heimat)

die rote Flamme ihres Herdes (暖炉の赤い焔:Winternacht)

Kastanien schwühl in goldnem Glanz verkümmern.
(栗の木々は、重々しく金色の輝きのなかで衰弱する:Traum des Bösen)

ここに例として取り上げた黄色、茶色、金色、黒といった色彩は極めて慣習的な使用例が多く見うけられるものです。黄色(gelb)は穀物や野原、植物や髪といった単語と共に、また茶色(braun)は木々や庭、あるいは村といったものの形容に用いられ、多くの場合、秋のイメージを喚起させます。言わば写実的要素を強く含んだこの二色の使用回数が、中後期にかけて著しく減少していることは注目に値します。

また、金色(golden)は、日や星の輝き、黄昏、熟したブドウ等の形容によく用いられていますが、これは失われ行く栄光を暗示する色でもあり、中後期に一度減少したこの色彩が、最後期に再び数多く見られるようになるところに、この色のもつ特徴が現れています。

黒(schwarz)は上記の例にも見られるように、夜や闇、影の描写と同時に、邪悪なものや狂気、汚れといった気分的要素を表現する色として使われており、彼の詩のテーマからも、この色彩が多用されることは予想されるものです。

しかし、部分的に抜き出して見れば慣習的な用法として捉えられる、「さすらう子供の白い寝間着」(Des wandelnden Knaben weißes Schlafgewand : Die Verfluchten)、や「おまえの足元の青い泉」(Der blaue Quell zu deinen Füßen) といった描写に見られる「白」や「青」といった色彩は、詩の流れや、トラークル作品を包括的に見た場合、自律的な意味合いが付与されているとも受け取れ、色彩語が慣習的であるか自律的であるかといったことを一概に断定することはできません。

 

それでは次に象徴主義的な色彩語の使用、あるいは事物に付帯する色彩のみが抽出された例を幾つか取り上げてみます。

Verhallend eines Gongs braungoldne Klänge
(しだいに消えゆく金褐色のドラの響き:Traum des Bösen)

Vorm Fenster tönendes Grün und Rot.
(窓の外では緑と赤の響き:Die Bauern)

Der Abend tönt in feuchter Bläue fort.
(夕暮れ湿った青のなかで響きわたる: Im Dorf)

Im Dunkel der Kastanien lacht ein Rot.
(栗の木立の暗がりで赤いものが笑っている: Die Verfluchten)

In Goldnem schwebt ein Duft von Thymian,
(金色のなかにジャコウソウの香りがただよう: Der Spaziergang)

langsam kriecht die Röte durch die Flut.
(ゆっくりと赤いものが河を這ってゆく: Vorstadt im Föhn)

Im Grau, erfüllt von Täuschung und Geläuten,
(灰色のなかは、幻影と鐘の音で満ちる: Dämmerung)

上記のように作品の流れから遮断された詩行では、当然、抽出された色彩が何を意味するものなのかは明確にはなりませんが、象徴派的な色彩語の場合は、前後の脈絡を知れば、それが何の抽象であるか大よその見当をつけることができます。この例で言えば、窓外で音をたてている緑と赤は、木々や花であり、暗がりで笑う赤いものは、この前行に登場する老女の唇の色、河を下る赤いものは屠殺場から流れ出す家畜の血であることは容易に想像できます。

こうした色彩語の使用には、明らかに象徴主義の影響を感じますが、形象から輪郭を奪い、その色彩のみを取り出すという点では印象派に近いといえるかも知れません。しかし、このような色彩語の使用法は、初期作品に幾らか多くみられる傾向はあるものの、彼の色彩語全体に占める割合からすれば極僅かな例に過ぎません。

 

最後に表現主義的傾向の現れとも言える、色彩語の自律的な使用例について、各色別に考察してみることにします。

最初に彼の色彩語のなかで、最もこの自律的な特徴が明確に現れる「白(weiß)」から始めることにしますが、傾向を探るために、「白い」という形容詞がどのような名詞と結びついているのかを部分的に抜き出してみると次のようになります。

手(Hand)、異郷のもの(Fremdling)、悲しみ(Traurigkeit)、魔術師(Magier)、

こめかみ(Schläfe)、頭(Haupt)、水(Wasser)、月(Mond)、人間(Menschen)、

生活(Leben)、天使(Engel)、瞼(Lider)、眠り(Schlaf)、声(Stimme)、孫(Enkel)、

息子(Sohn)

ここに取り上げたものは、ほんの数例に過ぎず、これだけでは「白」の自律的意味合いを探ることはできませんが、関連する詩行を抜き出し、相互の連関を比較するとその意味するところはかなり明瞭になります。

Der Tote malt mit weißer Hand
Ein grinsend Schweigen an die Wand.
(死者が白い手で、壁際に不気味にほくそ笑む沈黙を描き出す: Romanze zur Nacht)

Ein Feuerschein glüht auf im Raum
Und malet trübe Angstgespenster.
Ein weißer Fremdling tritt ins Haus.
(部屋ではこうこうと炎が燃え立ち、くすんだ不安の亡霊を描く。白い異郷のものが家を訪れる: Musik im Mirabell)

Die Sterne weiße Traurigkeit verbreiten. (星々は白い悲しみを広げる: Dämmerung)

In seinem Grab spielt der weiße Magier mit seinen Schlangen.
(墓のなかでは白い魔術師が彼の蛇と戯れる: Psalm)

Am Abend sinkt das weiße Wasser in Graburnen.
(夕暮れ 白い水が骨壷のなかに沈む: Helian)

Immer denkst du weiße Antlitz des Menschen
Ferne dem Getümmel der Zeit;
(時の喧騒から遠く離れ、
おまえはいつも人間の白い顔を思う

Sonne alter Tage leuchtet
Über Sonja weiße Brauen,
(過ぎ去りし日々の日差しが、ソーニャの白い眉を照らしている: Sonja)

Stille blüht die Myrthe über den weißen Lidern des Toten.
(死者の白い瞼のうえに、そっとギンバイカの花がひらく: Frühling der Seele)

Das wilde Herz ward weiß am Wald; / O dunkle Angst / Des Todes,
(猛り狂う心は森で白くなった。おお暗き死の恐怖よ: Das Herz)

Der weißen Enkel dunkle Zukinft bereitet,
(白い子孫が暗い未来を用意する: Der Abend)

die weiße Stimme sprach zu mir : Töte dich!
(白い声が私に命じた: 死ね!: Offenbarung und Untergang)

上例からも分かるように、ここに見られる「白い」という語は、伝統的な色彩を暗示するものでも、気分的価値を表現するものでもありません。それは殆どの場合、死と密接に関わって出現してくるのであり、この「白」に伴なわれて現れるものは、彼岸にある霊的な存在を意味しているように思われます。R.N.マイアーは、トラークルの「白」を「現代のなかでは、悲劇の刻印をもつ最初の、徹底的に遂行された色彩抽象」であり、「非・生命、非・現実、総体的な滅びの状態」を意味する「総体的な解放のネガティブな暗号」であると述べています。

もちろん、彼の作品に現れる全ての「白」が、こうした自律的な意味をもっている訳ではないが、ここで見られるトラークルの「ネガティブな暗号」としての色彩語は、マイアーの言うように表現主義において初めて獲得された新しい現代的な抽象の現れと言えます。

次に、この「白」と並んで恐らく同じような意味付けがされていると思われる銀色(silbern)について、以下に幾つか例を引いてみます。

Auf silbernen Sohlen gleiten frühere Leben vorbei
(銀色の足取りで、かつての生活は滑り去ってゆく: Psalm)

Da in Sebastians Schatten die Silberstimme des Engels erstab.
(セバスチャンの影のなかで、天使の銀色の声が死に絶えたとき: Sebastian im Traum)

Silbeln sank des Ungebornen Haupt hin,
(まだ生れぬものの頭が銀色に崩れおちた: Kasper Hauser Lied)

Zu deinen Füßen
Öffnen sich die Gräber der Toten,
Wenn du die Stirne in die silbernen Hände legst.
(おまえが銀色の両手に額を埋めるとき、その足元で死者たちの墓がひらく: Verklärung)

Silbern weint ein Krankes / Am Abendweiher,
(夕暮れの沼で、病んだものが銀色の涙を流す: Abendland)

Mit zerbrochnen Brauen, silbernen Armen
Winkt sterbenden Soldaten die Nacht.
(砕け散った眉と銀色の両腕をぶら下げた死にゆく兵士たちに、夜が手招きをする: Im Osten)

leise rann aus silberner Wunde der Schwester das Blut.
(妹の銀色の傷口から そっと血が滴った: Offenbarung und Untergang)

このように「銀色」もまた死や滅びの描写と共に用いられることが多く、「白」ほど明確ではありませんが、それに準ずるものと考えられます。

それでは次に「深紅」(purprun)を見てみたいと思いますが、この色は王位、あるいは高位聖職者が着用する衣装の色であり、日本語にはこれに妥当する言葉はなく、辞書によれば「紫がかった濃紅色」ということになりますが、便宜上「深紅」と訳すことにします。この色は、中後期になると急激に使用回数が増加しており、慣習的な使用では夕暮れや血のイメージと共に用いられていますが、その他にも多用な意味合いが含まれています。

Da aus des Einsamen knöchernen Händen
Der Purpur seiner verzückten Tage hinsinkt.
(孤独なものの骨ばった両手から、その恍惚とした日々の深紅がこぼれ落ちるとき: Rosenkranzlieder)

Schön: o Schwermut und purpurnes Lachen.
(うるわしい、おお憂愁よ、深紅の笑い声よ:Abend in Lans)

er neigt das Haupt in purpurnem Schlaf.
(彼は深紅の眠りのなかに頭を傾ける: Ruh und Schweigen)

O, die purpurne Süße der Sterne. (おお、星々の深紅に輝く甘さよ: An einen Frühverstorbenen)

Leise kommt die weiße Nacht gezogen,
Verwandelt in purpurne Träume Schmerz und Plage
Des steinigen Lebens,
(そっと寄せくる白い夜が 冷たくこわばる生命の苦痛と苦悩を 深紅の夢に変える: Föhn)

ここに抜粋した例だけでは、「深紅」がどのような意味を含むものであるか非常に漠然としていますが、次に挙げる例を見ると、その意味するところは極めて明瞭になります。

情欲の深紅の炎(purpurne Flamme der Wollust : Verwandlung des Bösen)

深紅の疫病 (Purpurne Seuche : An die Verstummten)

飢えた者の深紅の罵声 (die purpurnen Flüche des Hungers : Vorhölle)

憂愁の深紅の傷跡 (die purpurnen Male der Schwermut : Abendland)

深紅の責め苦 (Die purpurnen Martern : Gesang des Abgeschiedenen)

おお 夕暮れの窓辺に 深紅の花々から 不気味な骸骨と死が現れた
(Weh, des Abends am Fenster, da aus purpurnen Blumen, ein gräulich Gerippe, der Tod trat. : Traum und Umnachtung)

戦闘の深紅の高波 (Die purpurne Woge der Schlacht : Im Osten)

以上のように、ここに引いた例では「深紅」が現世的な苦痛や欲望と結び付けられており、まだ幾分慣習的な気分的価値を含んでいるともいえますが、初めに取り上げた例においては、こうした気分的価値が更に抽象化して使用された例と言えます。こうした「深紅」の意味するところは「白」ほど明瞭ではなく、その使用回数も多くはありませんが、やはり自律的な意味合いを付与されているものと考えられます。

「深紅」と並んで、同系色である「赤」(rot)も数多く使用されていますが、ニ、三の例外を除いて、殆ど慣習的な使用法とみて差し支えないと思われます。

また、中後期にかけて数多く見られる「緑」(grün)も、殆どの場合、木々や植物の描写、あるいはその抽象化された名詞形として現れるのであり、「赤」と同様、慣習的な使用の粋を超えるものではありません。しかし、緑色の花(die grüne Blume)といった通常用いられない表現が三例あり、これがまだ花の咲いていない蕾の状態を示すものか、あるいは特別の意味合いを付与されているものかは判別し難いところですが、「緑」は彼の色彩語のなかでは、バラ色(rosig)と共に明るいイメージをもたらし、(幾つかの例外を除いて)最も生を喚起させる色彩であると言えます。

最後に最も頻繁に使用され、彼の作品の基調をなしているとも言える「青」(blau)について見てみます。

In der Stille
Tun sich eines Engels blaue Mohnaungen auf.
Blau ist auch der Abend;
Die Stunde unseres Absterbens,
(静けさのなか 天使の青い芥子の目が開く 夕暮れはまたも青い 我々の死滅するとき: Rosenkranzlieder/Amen)

Ein blauer Aungenblick ist nur mehr Seele.
(青い瞬間はもはや魂にすぎない: Kindheit)

aus verfallener Bläue tritt bisweilen ein Abgelebtes.
(朽ちてゆく青から 時おり死に絶えたものが現れる: Stundenlied)

Leise läutet im blauen Abend der Toten Gestalt.
(青い夕暮れのなか 死者たちの影が静かに鐘を鳴らす: Verwandlung des Bösen)

Ein reines Blau tritt aus verfallener Hülle;
(澄みきった青が朽ちてゆくベールから現れる: Der Herbst des Einsamen)

Immer klangen von dämmernden Türmen die blauen Glocken des Abends.
(暮れかかる塔から いつものように青い晩鐘が鳴り響いた: An einen Frühverstorbenen)

Geistlich dämmert Bläue über dem verhauenen Wald
(伐採された森のうえで青いものが亡霊のように暮れてゆく: Frühling der Seele)

Wieder folgend der blauen Klage des Abends
Am Hügeln hin,
(丘づたいにつづく 夕暮れの青い嘆きに また導かれながら: In Hellbrunn)

Des Abends blaue Taube
Brachte nicht Versöhnung.
(夕暮れの青いハトは 和解を運びはしなかった: Das Herz)

こうした抜粋からも、「青」という色彩が彼の作品において本質的な意味をもっていたことが受け取れます。つまり、この「青」は、季節で言えば「秋」、時間で言えば「夕暮れ」と対をなすものであり、それは日の光が失われ、黒い闇に包まれるまでの時の流れを示すと共に、あらゆるものが熱を失い、霊的なものと化して滅びの世界へと沈んでゆくことを暗示する色彩であると言えます。

また、この「青」と結びつく名詞は、流れ(Fluß):3例、水(Wasser):6例、泉(Quell):7例といったように、水に関するものが多いのですが、

Der blaue Fluß rinnt schön hinunter,
(青い流れは美しく下ってゆく: Seele des Lebens)

dein Antliz beugt sich sprachlos über bläuliche Wasser
(おまえの顔は無言のまま 青い水面に屈み込む: Nachtlied)

es rauschte ein blauer Quell im Grund,
Daß jener leise die bleichen Lider aufhob
Über sein schneeiges Antlitz;
(谷底で青い泉の音がした。男は自分の雪のように白い顔のうえで 蒼ざめた瞼をそっと開いた: Siebengesang des Todes)

といった例に見られるように「青い流れ」も「青い水面」も下降的な意識と結びついており、「青い泉」も明らかに非現実的世界の現れであり、ここで「青い」と形容されているものは「滅び」へと誘うものと解釈できます。

他にも「青い動物」(ein blaues Tier)、「青い野獣」(ein blaues Wild)といった抽象表現がそれぞれ3例づつありますが、そこにも上記のような傾向がはっきり示されており、

Ein blaues Tier will sich vorm Tod verneigen
(青い動物は死に向かって頭を垂れようとする: Verwandlung)

のであり、

Ein blaues Wild
Blutet leise im Dornengestrüppe.
(青い野獣は 静かに茨の藪で血をながす: Elis)

のです。恐らくこの「青い動物」や「青い野獣」は人間性を失い、次第に世界をも喪失してゆくトラークル自身、あるいは人類の暗喩ではないかと思われます。

こうした例から、「白」が非生命、非現実の抽象であったのに対して、「青」という色彩語は、「白」へ至る途上のもの、言い換えるなら「滅び」つつあるもの、「滅び」の世界へと誘い込むものといった自律的意味が付与されていると言えます。しかし、他の色彩語と同様、「青」にも多分に気分的価値が含まれた用法が見受けられ、前述したように、それが慣習的であるか、自律的であるかを判別することは不可能であり、それらは分かち難く結びついているとも言えるので、彼自身がどこまで自覚的にこの色彩語を用いていたのかを判断するのは極めて困難です。

以上、トラークルの色彩語について考察してきましたが、この自律的な色彩語の他にも、彼の作品には「妹」、「星」、「額」、「洞窟」、「異郷者」、「芥子」、「石」などといった多くの暗喩が用いられており、これが彼の詩を難解なものにしている一つの要因となっています。しかし、こうした傾向は表現主義に限らず現代にまで継承されているものであり、この点でトラークルは現代文学の先駆的役割を果たしたと言えます。

 

次 へ

メインに戻る