上越線新幹線開業前

 上越線は現在でこそ日中は普通列車が時折走るだけという線区となってしまいましたが、
上越新幹線が開通する以前は新潟と首都圏を結ぶ大動脈として特急列車が多数運転され
ていたのはもちろん、日中に貨物列車も設定されていました。このページでは昭和55〜57
年に撮影した当時の上越線の様子を紹介します。

 敷島〜渋川間、大正橋を渡る181系「とき」、181系が最後まで活躍した列車として知られる「とき」ですが末期は14往復中3往復(最末期は2往復)のみが181系でした。

 大正橋を渡るクモ二83・4連の荷物列車、日中こんな電車も走っていました。

 津久田〜岩本間、津久田鉄橋を渡る183系「とき」、通常12連で運転されていた「とき」ですが、新幹線開通後の転属に備え末期は9連に短縮されていました。

 津久田鉄橋の上り線を行く「はくたか」、当時の「はくたか」は上越線経由で上野と金沢を結んでいました。

 水上〜上牧間、上り181系「とき」、編成中グリーン車のみ将来の転用を予定した485系の車体を使用していたので車高が異なっているのが分かります。

 水上へ到着する「いなほ」、当時の「いなほ」は上野から上越線経由で秋田・青森を結ぶ長距離ランナーであり食堂車も連結されていました。

 水上駅構内で離合する183系と181系の「とき」。

 水上機関区で待機する上越国境越えの補機、EF16。
EF16は新幹線開業より一足早く、昭和55年にEF64・1000番台に置き換えられて姿を消しました。

 湯檜曽〜水上間、水上の鉄橋を渡る上り貨物、EF16とEF15の重連が色々な貨車で編成された長い貨物列車を牽く、これぞ正調「上越貨物」。

 水上の鉄橋を渡るEF58牽引の臨客、上越線では日中EF58の運用は無かったので臨客は狙い目でした。