DF50最後の活躍

 予讃本線・土讃本線はDF50終焉の地として知られています。私が初めて四国を訪れた昭和57年
5月の時点ではマン型も旅客仕業もすでに無く、ズルツァー型のみが貨物列車牽引に最後の活躍を
続けていました。このページでは昭和57〜58年に撮影したDF50をはじめとした当時の四国の鉄道
の様子を紹介します。

 夜の高松に到着した59号機、機関車はただちに切り離され連絡船航送の入れ換えが行われます。

 高松で出発を待つ「しおかぜ」、右端には南風も見えます。当時四国の特急はこの2系統のみ。高松駅にはまだ架線もなく貨物ヤードも広がる広々した感じの駅でした。


 僚友の休む高松運転所脇を駆け抜ける55号機。

 多度津で出発を待つ37号機、ヤードには貨車が多数並び旅客列車の発着も多く活気が感じられました。

 多度津にて、59号機のサイドビュー。
 キユニ26を先頭に急行「土佐」、当時国鉄の郵便荷物輸送はまだまだ健在であり急行列車の先頭に立つ郵便荷物車の姿も見られました。

 海岸寺付近を行くキハ58系急行「いよ」、キハ58系も本来の活躍をしていました。

 前の写真と反対方向から撮影した「しおかぜ」、DF50を待ちましたが目的の列車は運休でした。

 旧客と並ぶ29号機、すでに組むことは無くなっていた両者ですがDF50牽引の客車列車には一度乗車してみたかったものです。

 箸蔵〜佃間、吉野川を渡る44号機牽引の上り貨物。