越後交通 長岡線

 長岡市街地から信濃川を渡った対岸の西長岡を起点に信越本線の来迎寺、及び越後線の大河津(現・寺泊)を経由して寺泊へと延びていた越後交通長岡線は昭和50年3月31日の西長岡〜大河津間をもって旅客営業が廃止され、平成7年3月31日の西長岡〜来迎寺間をもって貨物営業が廃止され全廃となりました。このページでは旅客営業最終日の画像と貨物営業のみとなったころの画像を紹介します。
 尚、長岡線の画像に関しては、私の古くからの友人でありますよねおやじさんより画像を提供していただきました。

 西長岡に停車中の廃止記念花電車、かつては色々な電車が在籍した長岡線ですが、最後まで残った電車は小田急からの譲受車のみでした。

 西長岡駅のホームです。最後の二日間は子供は無料で乗車出来たので車内は子供で満員だったような覚えがあります。

 昭和50年3月31日夕方、西長岡で発車を待つ電車、もうすぐ長鉄の旅客営業も終わり。

 西長岡で並ぶED311とED401、両者とも貨物営業廃止時まで在籍しましたが旅客営業当時はこのような塗装でした。

 花電車とED512です。ED512は旅客営業廃止後、同型のED511と共に、長野電鉄からやってきたED5101・5102に置き換えられて廃車となりました。

 来迎寺を後に才津へと向かうED311とED401の重連、昭和59年の撮影です。

 長編成のタンク車を牽いて深沢駅構内に差し掛かるED5102・5101の重連、昭和63年12月の撮影ですが当時は貨物扱い量も多く、この組み合わせの重連も時折見られたようです。

 才津でデンカのセメント貨車を切り離し、身軽な編成となって西長岡へ向かう重連。

 日越で入換中のED5101、日越には糸魚川からの明星セメントの貨車が入線していましたが才津に比べると貨車数は少なく2〜4両程度でした。

 日越で入換中のED5102、ED5101と同型ですが正面窓のHゴムの色が白でちょっと印象がちがっていました。西長岡〜越後関原間は平成5年に廃止となっています。

 才津付近にて、西長岡へと戻るED311・ED401、長岡線の列車は貨車が付くのは来迎寺〜才津間の一往復のみのことが多く、機関車だけの走行シーンも多かったです。

 長岡線の西側の丘陵地より俯瞰、上方には上越新幹線の高架も見えます。列車のバックは関越自動車道ですが、かつては一面田んぼだったことでしょう。

 深沢〜才津間、コスモス畑の向こうを行くED5101牽引の列車、ちょうど機関車にスポットライトが差し込みました。

 深沢〜来迎寺間、渋海川への築堤を行くED401牽引の列車。ED401とED311が青塗装となったのは最後の2年間のみです。

 才津で入換中のED5101、最後の3月の撮影です。機関車にはヘッドマークが取り付けられていました。

 来迎寺付近を行くED401とED311の重連、平成7年3月20日撮影の午後の返空列車です。長岡線にセメント貨車が入線したのはこの日が最後だったようです。

 西長岡に揃ったED401・ED301・ED5101。ED5102は一足早く休車となっており、最後まで活躍したのはこの3両でした。

 西長岡駅東側の信濃川の土手より撮影した構内です。廃止間近のころで貨車の姿も少なかったです。このあたり現在は再開発されかつての面影はありません。

 長岡鉄道時代の寺泊海水浴場への往復割引乗車券(印刷見本券)です。長岡線を利用して寺泊へ海水浴に出かける人も多かったことでしょう。

 車内補充券です。長岡鉄道時代のものでしょう。寺泊新道・寺泊海水浴といった駅名が記載されています。

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