釣りの魅力

硬調の竿を満月にたわめグッとこらえる。これ以上下流へは下がれなし。鮎との最後のやりとりが続く。鮎が反転して上流に頭を向ける。この瞬間、竿を思い切り天井へ差し上げる。鮎が水を切り踊りながら低空を飛翔し、たもの中に消える。その鮎を手にしたとき、全身からドッと安堵感が湧き出てきた。秋風の棚引く川面を眺めていると、金星を胸に抱いた若鮎が赤錆びた婚姻色を腹に落ちてゆく姿が思い浮かぶ。来年はどんな鮎に会えるのか。
 釣りの魅力はなんだろうと時々考えることがある。釣りキチ達の答えは、「釣りを経験したことのない人にはわからない世界」「釣り場には電話はないし、うるさく言う人はいないし・・・・・」「大漁を夢見ながらの仕掛け作りも楽しいし・・・」その釣り人の経験、生活基盤に応じて違った答えが返ってくる。釣りの最大の魅力は、なんと云っても魚のかかった瞬間のようだ。この瞬間の表現も様々で、「雷に打たれたような・・・」「頭の中が真っ白になるような・・・」「胸をドンと打たれるようだ」「ある種の性的感覚に似ている」この瞬間が如何にすばらしいかは、大物を釣った人や、初めてその魚を釣った人が、手を震わせ膝をガクガクさせ呆然自失に陥っている姿を見てもわかることである。釣りは大人を子どもの世界に引き戻してくれる。川や海や大自然の中で、大の大人が目を輝かせ、子どものようにはしゃぎ、まだ釣ってもいない大物の話を平気でしてしまう。なんて楽しいのだろう。

 最後の、開上健の「オーパー」の中にあった中国の諺を紹介します

一時間、幸せになりたかったら 酒を飲みなさい。

三日間、幸せになりたかったら 結婚しなさい。

八日間、幸せになりたかったら 豚を殺して食べなさい。

永遠に、幸せになりたかったら 釣りを覚えなさい。

           ( 1992.10 新潟県医師会雑誌 「喫茶室」 )






子どもと共に育つ

 子どもの成長はつくづく早いもので、よちよち歩きをし、片言を話し出したと思っていた子どもが、もう多感な中学生生活を送るまでに成長してきています。親は子どもにとって良かれと思えることを自分の青春に照らし合わせて、できるだけ多く与えてやろうと努力しています。しかしどんな世界でもそうですが、一方的に与えるだけではうまく行かず、投げ返ってきたボールをうまくキャッチしてやらなければなりません。

 人間形成にとって一番大切な時期は三歳までの乳児期であり「三つ子の魂百まで」とよく言われるように、この時期がその子にとって人格形成、その他全てに面に重要なことはよく知られた事実です。またこの時期に、如何に接したら子どもがうまく育つかという議論は多くあります。しかし、親が子どもからどんな影響を受けているかに関する研究はほとんど見当たりません。これまで、子どもだけに重点を置いて語られてきたからです。当たり前の事かもしれませんが、この時期に親も子どもから多くの事を吸収してきたのです。作用があれば反作用があるように、また「子育てを通して親が育つ」と言うように、親にとっても同様に多くの事を教えられ吸収する時期なのではないのでしょうか。

 そして今、次に大切な人間形成の時期である思春期真っ只中の中学生に接する時、多くを与えようとするのではなく、子どもから学ぼうと言う姿勢でお互いに影響しあい、よりよい関係ができたらと考えています。

                             (平成7年2月  北の輪)





不老不死

 人類は昔から二つの大きな夢を抱いてきた。

 一つは錬金術、もう一つは永遠の生命を得る不老不死である。錬金術は夢と消えたものの、副産物として中世から近代における産業革命の原動力となった。

 不老不死はその実現が不可能であるが故に人類の永遠の夢であった。しかし、癌の研究の過程から夢が叶えられようとしてきている。人間の寿命、全ての生物の寿命は何者かによって規定されている。様々な動物の皮膚繊維芽細胞を最高の条件で培養すると、果てしなく継代培養ができるようであるが、ある日突然その細胞は死滅してしまう。この培養期間が種によって異なりこれがその種の寿命と考えられてきた。さらに動物の各器官でもそれぞれの寿命があるようである。例えば、腸の絨毛上皮はたった3日の命しかなく新しい細胞に置き換わってしまう。つまりいろいろの生物も、またその生物の各器官も何らかの理由、機序によって寿命が規定されているのである。然るに癌細胞は他の細胞を無視し永遠に生き続けるのである。この寿命のメカニズムを解明した延長上に不老不死が垣間見えてくる。このメカニズムを解く鍵は遺伝子にあるようである。現在、各国はヒトの遺伝子解明に躍起となっている。21世紀初頭には全てが解明されようとしている。

 人類は科学特に医学の進歩に助けられ本来の種の寿命に迫るまでに長寿となってきた。種の寿命を超え、自然の摂理に逆らってまで生きる必要が、果たしてあるのだろうか。皮肉なことに不老不死を夢物語にとどめるため、遺伝子解明、遺伝子操作に対して警鐘を鳴らさなければならない時代となってきたのではないだろうか。

             (1994.4 新潟県医師会雑誌 「喫茶室」)