三法印
仏教の教えを3つの言葉でいいあらわしたものを三法印(さんぼういん)といいます。
@諸行無常(しょぎょうむじょう)
A諸法無我(しょほうむが)
B涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)。
この3つのことばを三法印といって、仏教の旗印ともいわれています。この三法印を説くのが仏教の教えであり、三法印を説かなければ仏教とはいえません。

@諸行無常
 諸行とは一切のなりゆきということであり、私達の生活すべてのことです。私達の生活、あるいは人生といっていいかもしれません。無常とは、同じ状態がひとときも続かないということであり、良いと思っていることも、悪いと思っていることも同じ状態が続かないということです。私は健康を一番頼りにしていますという人多いし、財産が頼りだという人もおられると思います。また、地位や身分をあてにしている人もおられると思う。しかしこれが必ず当てがはずれるぞということ。最後は必ず、頼りにしているこの私の体がこわれることになる。
だからこそ、今、命いただいておるということに思いをいたし、1日1日を大切にして欲しいという、お釈迦さまからのメセージでしょう。諸行無常を簡単に言ってみれば、何ひとつ同じ状態が続かないから、何ひとつあてにならないぞということ。

A諸法無我
諸法とは一切の存在のこと。人間も含め一切の存在は単独で存在するものでなく、お互いの関係で成立しているもの。お父さんといっても、お母さんがおり、こどもがおり、家族があってのお父さんであり、単独でお父さんということはありません。社長さんといっても、社員がおり、株主がおり、重役もおり、その人たちがいて、はじめて社長さんといえる。だからすべてお互いの関係。単独で存在するものはなにもないということ。
諸法無我を簡単に言ってみれば、すべてはお互いに持ちつ持たれつの関係だから、すべては自分の思うようにはならんぞということ。

B涅槃寂静
この2つのことがしっかり心にきざまれておれば、楽におだやかに生きてゆくことができるということ。これが涅槃寂静ということ。

三法印を俗な言葉で言えば、@あてにならんぞ、Aままにならんぞ、Bそれがわかれば、気がらくだということ。
この3つの言葉が三法印ということ。
しかし、私達の毎日の生活は、健康をあてにしたり、お金をあてにしたり、地位や名誉をあてにしたりしている。また、子供や夫・妻・家族を自分の思い通りにさせたい、なってもらいたい、そればかりやっている。しかし現実にはすべてあてがはずれる。また、自分の思い通りにはいかない。だから苦しいということが生まれる。
そこで、この3つのことば、『あてにならんぞ、ままにならんぞ、それがわかれば気が楽だ』、を生活の根底において毎日の生活を送れば、いろいろな場面で、ああそうだったなあ、あてにしたい、ままにしたい、ばかりだったなあと思えることがいっぱいあるはず。どうか、毎日のなにげない生活の場面でこの3つの言葉をしっかりと味わってみてください。

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