2001年晩夏 青春18きっぷの旅U 永遠の寵児 大垣行9375M列車 ☆前編☆ |
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☆はじめに★ 異常猛暑の記録を打ち立てた2001年盛夏も、残暑が厳しい見込みとは言え、 今や秋の気配が感じられるようになってきました。8月25日、26日にかけて、 長岡から東京都区内までの普通乗車券と、残り2回分となった青春18きっぷで、 弟と神戸方面に旅行してまいりました。あいにく神戸では雨に降られ、あまり散 策できなかったのですが、それなりにハード且つ楽しい旅になりました。 品川から大垣まで乗車した臨時快速9375M列車は、熱烈な青春18キッパー に寵愛され、まさに「永遠の寵児」たる所以を感じました(なんのこっちゃ)。 品川駅8番線での整列(座り込み)では、大学時代のサークルの仲間3人に大変 御世話になりました。この場を借りまして、感謝の意を表します。 8月25日、13:50、上越線水上行1738Mは、長岡駅5番線を後にした。 旅の始まりである。乗車券は、長岡⇒東京都区内。まずは弟(以下RK)と合流し て、品川から大垣行臨時9375Mに乗車するため、いざ東京に向かう。RKは、 従兄弟たちと、浦和の駒場スタジアムでJリーグ浦和レッズの試合を観戦してから、 俺と品川駅で合流する段取りになっている。また、東京経由ということで、大学時 代のサークル仲間3人と会って、メシを食おうということにもなっている。とにか く、東京に向かうことが必須条件なのである。1738Mは、ノーマルな新潟色 115系3両編成。至ってオーソドックスな旅の始まりである。宮内で信越本線を 分岐し、我が愛しの路線、上越線に入る。車内はそれなりの乗車がある。越後滝谷 小千谷、越後川口、北堀之内、越後堀之内、小出・・・と順次停車。途中で気が抜 けてしまったのか、疲れていたのか、よく分からないうちにウツラウツラしていた。 心地よい揺れと、モーター音が気持ちよい。六日町、塩沢、石打を経て、15:03 越後湯沢に到着。1738Mは水上行だが、ここで下車。これにはワケがある。 今日8月25日は、新宿行の臨時快速9732M「一村一山号」が走るのである。 事前に時刻表で調べたら、ちょうど運転日だったんで、コレに乗らない手はない。 それも一気に新宿まで乗り換えナシで行くことが出来るのだから、席を確保してし まえば、コッチのものである。ココまで乗ってきた水上行は、4分停車の後、越後 湯沢を後にした。案内放送では、同じホームに入るということなんで、列について 待つことにする。・・・程なくして、石打方から新前橋電車区の165系モントレー 色の6両編成が、ゆっくりと入線してきた。3+3両で、前寄り3両が自由席、後は 指定席である。さっき来るとき、石打の電留線にコレが留置されているのを確認していたので、格別の感動もないのだが、やはり急行型165系電車はいい!!早速乗り込んで、2号車に席を確保する。発車まではまだ10分程度余裕があったんで、ちょっと写真を撮りに、ホームに降りる。この臨時快速と、金沢行のJR西日本681系、 「はくたか」を撮影。再び車内に戻ると、いよいよ発車である。15:27、臨時快速「一村一山号」は、定刻どおり越後湯沢を発車した。新宿まで3時間半の快適な旅 である。車内は若い客から往年の客まで、いろいろである。。。 越後湯沢を出た列車は、往年のモーター音を唸らせながら、まずは上越国境の山越えに挑む。越後中里を通過すると、最初の難関、松川ループ。右回りで勾配を登って行く。関越自動車道が横に並ぶと、土樽を通過、程なくして上越国境清水トンネルに突入する。1931年、当時の隧道掘削技術の粋を結集して開通させた、先人たちの偉業を偲びながら。気温が低いためか、窓は僅かに曇ってきた。茂倉信号場を経てサミットを越えると更に轟音を立て、一気に下っていく。速度が落ちると、清水トンネルを抜け、最初の停車駅土合に到着。ハイカーが数人乗り込んできた。列車は更に下り上越国境最終難関、湯檜曽ループを左回りで下る。眼下にこれから通らんとする、 線路を見下ろす景観は、屈指の山岳路線である上越線の大きな魅力であろう。湯檜曽を通過し、新清水トンネル入口で下り本線と再会。この山越えの醍醐味を味わいたい方は、是非雪深い厳冬にお薦めいたします。列車本数が少ないのが厳しいですが、川端康成の「雪国」世界を味わいたいなら、やはり冬に乗ってみて欲しいものです。 山越えをクリアし、列車は水上に到着。かつては群馬側の山越え前線基地となった水上駅。今でも運転系統上の節目の駅として、存在をアピールしている。2分停車のうちに結構乗り込んできて、水上を発車。それにしても冷房が効きすぎでちょっと寒い感がある。まあ暑いよりはマシか。後閑、沼田、渋川と、見慣れた利根川河岸段丘の佳景を見ながら、関東平野に下って行く。沿線にはカメラを構えた鉄道マニアをちらほら見掛けた。群馬の拠点、新前橋、高崎と停車し、列車は高崎線に入る。 既に日は傾き始め、夕景の中、高崎線を疾走、と行きたいところだが、臨時のスジなので、それほど飛ばすことは出来ない。神流川を渡り、埼玉県へ。本庄、深谷、熊谷と主要駅にこまめに停車する。高崎線も見慣れた風景であるが故に、ウトウト。 鴻巣、桶川、上尾、宮原と停車し、18:19、ターミナル大宮に到着。それなりに乗降がある。ココからは線区上は東北本線である。大宮を出た列車は前にもまして、 ゆっくりと進む。この区間上り「ムーンライトえちご」のトロさといい勝負である。 ・・・不意に肩を叩かれた。振り向いてみると、新宿で待ち合わせの予定だった、3人のウチの一人、後輩のYS(旅行記1のYS229です)だったのだ。大宮から乗り込んで来たらしい。YSは、仙台まで行って来た帰りで、懐かしのリバイバル特急「ひばり」を撮影してきたという。おつかれさま。赤羽で別のボックスが空いたので そちらに移動。お喋りしてるうちに池袋に到着。今度はもう一人、同期のTKが乗り込んできた。というワケで、残る一人MTは、新宿で待っていることだろう。。。 ゆっくりと埼京線を走り、19:03、定刻どおり、9732Mは新宿駅に到着。 MTと合流し、4人体制になった。本当はもう一人、同期のKWにも会いたかったのだが、仕事ということで今回は残念ながら会うことが出来なかった。夕方の混雑の中、我々は山手線内回りで品川まで移動。とりあえずは、臨時大垣行9375Mが入線する、臨時8番線ホームの様子を見に行く。只今19:30。何と!!既に並んでいる輩がいるではないか!!列車入線は恐らく23:30前後だろうから、まだ4時間もあるというのに。この根性には驚きである。しかし、夕飯をしっかり食っておかなければならない。俺のリクエストで、品川駅構内のラーメン店に入り、それぞれ好きなものをオーダー。俺は最近のマイブームである、タンタン麺を注文した。美味美味!! みんなお腹いっぱいになったところで、満足して店を出る。そして再び8番線の様子を窺いに行ってみる。只今20:15、さっきまではすべての乗車目標に列があるわけではなかったので、それでも安心していたが、今度は様子が一変!!短いながらも、ほぼすべての乗車目標に列が出来ている!!これはもう遊んではいられない。と感じた 我々は、とにかく列につくことにした。入線までは3時間以上あるが、座席確保には 代えられない。また、これが青春18きっぷでの旅行の醍醐味とも言えるのだ。本日の品川発は、今シーズンの最終運転である。しかも事前の情報から、今晩の運用は、JR東海神領電車区の113系近郊型10両編成と知り、正直ちょっと待て!!と思ったものである。近郊型・・・つまりデッキなし3扉のセミクロスシート車である。 急行型と違い、ボックスに限りがあるので、座りたければ、尚のこと早く列につかなければならないのだ。ホーム座り込みのためには敷物が必要である。階上のキオスクでスポーツ新聞(東スポ)を買って来て、ホームに広げる。まるで花火大会の場所取りを彷彿とさせる一景であるが、並んでる人たちは、みんなそんなカンジである。 久しぶりにたくさんの電車を見た気がする・・・これはMTの感想であるが、まさにその通りで、山手線、京浜東北線、東海道本線、横須賀線の電車がひっきりなしに 往来する。そんな中で、まだ入線まで3時間もある列車を、座り込んでまで待っている光景は、ある種異常である(爆)!!しかし、ほとんどの旅人はこれを苦痛とは思ってはいないようである。いや、モチロンワカラナイが、この品川8番座り込みこそ、青春18きっぷで旅行する者にとっての、乗車すること以上に大切なセレモニーなのだ、と俺は勝手に解釈する。モチロンみんなが18きっぷじゃないだろうが、ほとんどは18きっぷでしょ(笑)!!列は時間が経つにつれて、少しずつ長くなってきた。 俺は、列についてくれた3人に感謝しつつ、サッカー観戦を終えて、品川に向かっているはずの弟RKと連絡をとるため、階上の公衆電話に行っては、RKのケータイに TELしてみるが、留守電サービスになってしまう。きっと電車の中なんだろう。 座り込みを始めてから1時間半。21:50、ようやくRKが姿を現した。 既に座り込みの列は、どの乗車目標も相当な長さになっている。この光景に、RKは ちょっとビビッテいる様子である。まあ無理もないことであろう。確かに異常なのだから。RKの機嫌がいいのは、レッズが勝ったからだ!!浦和駒場スタジアムから徒歩で浦和駅まで来て、宇都宮線で上野、後は山手線で来たと言う。3人に缶コーヒーを 振る舞い、RKは疲れた表情を見せながらも、サッカー雑誌を読んでいる。熱烈な浦和レッズサポーターなのだ。22:00を回り、TK、MT、YSの3人は帰宅の途につくことになった。久々の再会は、品川駅での夕食と座り込みという、何だか一般人の感覚で考えると??だが、2時間近くも我々兄弟のために座り込みにつき合ってくれたことは、本当に感謝の念に絶えない。マジありがとうございました!! 22:30、予想では後1時間程で入線のはずである。既に列はドコも長蛇!!割り込む隙などありゃしない。そんなコトしたらボッコボコにされることだろう(爆)!! RKは相変わらずサッカー雑誌を読んでいる。それほど暑くはないのだが、多少蒸す感がある。それでも、この待ってる間のドキドキ感は、不思議と抑えられない。もはや一つのイベントと化している、品川8番座り込み。駅員と警備員に促されて、ランダムだった列が、きれいな3列に整えられる。23:00、RKと交替で階上のトイレに行き、自販機でペットボトルのドリンクを買う。23:15、敷物を片付け、荷物を整理して並ぶように指示が出た。いよいよ入線である。さあ皆が皆殺気立つ!! 23:30、ようやく大垣行9375Mが8番線に滑り込んできた。世代を超えた多くの旅人に愛される、まさに「永遠の寵児」。それにしても113系、ホントだったんですね。座り切れないことは明らかな旅人群集絵巻。扉解放!!行けぇ〜〜〜!! 何とか我々はボックスを確保。モチロンすぐに埋まりましたが。中年のオジサンと、 30代くらいのオニイサンが相席となった。ドア脇の席も埋まり、予想通り、座りきれなかった人が大勢出る。新聞敷いて、床にへたれこむ者もいれば、立ったままドアにもたれ掛かっている者も。3時間並んだ甲斐があったなと実感したものである。 発車時刻が近付くにつれ、更に多くが乗り込んできた。恐らく旅人だけではないから 途中で降りる人も多くいるだろう。しかし大垣まで座れない人がいることは必至だ。 23:53、「ムーンライトながら」が品川を出る。アチラも混んでますな〜〜。 23:55、今シーズン最終運転の9375M大垣行臨時列車は、多くの旅人を乗せて、異常ともいえる環境の中、品川駅8番線を後にした。停車駅は、小田原までの 各駅と、熱海、三島、沼津、富士、静岡、浜松、豊橋、名古屋、尾張一宮、岐阜、穂積、終点大垣である。豊橋で「ムーンライトながら」に道を譲ってもらう形になり、 大垣には、「ながら」よりちょうど1時間早い5:55に到着する予定。6時間の夜行旅である。「ながら」が豊橋より先、三河塩津、尾頭橋以外の各駅に停車するのに対し、この9375Mは、豊橋で「ながら」を抜く上、その先主要駅にしか停車しないで爆走するので、大垣到着時には、1時間の差ができるというワケである。24時間をフルに活用する18キッパーにとって、1時間の違いは大きい。乗りっぱなしにせよ、どこかで観光するにせよ、それだけ時間を有効に使えるのだから。川崎、横浜 戸塚、大船・・・各駅で乗降はあったが、混雑度はさほど変わらないまま、漆黒の東海道をモーター音も甲高く西進する。同じボックスのオジサンとオニイサンと18きっぷの話でちょっと盛り上がってしまった。それぞれ、大阪と京都の人である。RK も疲れているはずなのだが、喧騒のためか、それとも興奮してるのか(?)、暗い車窓に眼を向けていた。1:09、小田原に到着。ここからは快速運転になる。 小田原から熱海にかけて、狭隘な海岸沿いを進むため、トンネルが多くなり、速度も落ちる。しかし、深い眠りについた街並とは対照的に、この列車は絶え間ない喧騒 に包まれている。「ムーンライトえちご」を夜行列車環境のスタンダードと考えている俺にとっては、通路まで客で埋まり、減光もできないこの列車、ランク付けするならトリプルZだろう。劣悪環境の極みである(言い過ぎかな)。でも、嫌なわけじゃないんですよ。嫌なら最初ッから混むと分かっているこの列車には乗りませんから。 やはり、18キッパーならではの、感じていたい「旅の空気」が、この列車にはあるから。などとクサイ台詞はワザとらしいのでやめておこう。でも、やっぱ好きです。 熱海を経て、JR東海エリアへ。丹那トンネルを轟音で爆走。三島を経て沼津に到着である。ここでは17分ほど停車するんで、先頭車のトイレに行っておく。モチロン 車内通路は埋まっていてマトモに歩けないので、ホーム経由でトイレに行きました。 沼津を発車すると、富士、静岡と停車するが、いずれも1〜2分停車である。途中 由比付近で、国道1号&東名と並走するが、東海道本線は制限が掛かっているため、 爆走するクルマにどんどん抜かれていった。富士の高嶺を遠望できる静岡由比海岸は東海道随一の景勝地であろう。夜じゃ関係ないですがね(爆)!!駿河、遠州路を快走し、3:51、浜松に到着。10分停車のうちに、RKも1号車のトイレに行って来た。眠っている人、起きている人(眠れない人)様々であるが、俺ら兄弟はウトウトするものの眠れない方だっただろう。愛知県に入ると、4:29、豊橋である。ここまで追いかけてきた「ながら」にようやく道を譲ってもらい、引き離す番である。 2分停車で4:31、豊橋を発車。三河路の爆走ゾーン。期待に応えるかのように モーターを唸らせて疾走する。8月も下旬、日が短くなったこともあり、まだ空は暗いが、名古屋が近付くにつれて、東の空が明るくなってきた、しかし厚い雲が広がっているようで、この先の天候を案じる。豊橋から約50分の爆走。5:19、名古屋 に到着。それなりに下車があったが、それでも客の大半は大垣まで乗っていく様子。 3分停車で名古屋を発車。空は更に明るくなってきたが、やはり雲は厚い。せめて神戸を後にするまで雨に降られたくないと思っていたが、天気は西から変わるもの。我々はその西に向かっているわけで。。。尾張一宮、岐阜と停車。やはりそれほどの下車はない。モチロン大垣を目的地にしている人もほとんどいないだろう。みんな乗り換えて関西を目指すのである。9375Mのラストコース。さて、そろっと荷物を網棚から下ろし、乗り換えの準備である。きっとみんなダッシュかますだろうからね。穂積に停車し、5:55、6時間を経て9375Mは、終点の大垣に到着した。 扉が開くと同時に、連絡階段に向かってみんな猛ダッシュ!!まさに異常である。。。 大垣駅の跨線連絡階段は乗り換え客が怒濤の疾走。我々も走る走る!! ★後編★へつづく |
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★写真で体感!! この旅の軌跡 ☆前編☆ ウッ!! やっぱ電車。。。 | |||||||||||||||||||||||||
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▲上越新幹線接続特急として、越後湯沢と北陸各都市を快適に アクセスする、特急「はくたか」。写真はJR西日本が誇る、 681系特急型交直流電車。六日町〜犀潟は、第三セクターの、 北越急行ほくほく線を経由する。ちなみに「はくたか」のルーツは、 上越新幹線開通まで活躍した、上野〜金沢(長岡経由)の特急である。 2001.8.25./越後湯沢駅 |
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▲臨時快速「一村一山号」として運転される、165系急行型直流電車。 国鉄時代、急行全盛期に大活躍した165系だが、今や希少価値の高い 古き良き名車となった。写真は、新前橋電車区所属の「モントレー色」 と呼ばれる、主に多客期の波動用に運用される車両。上信越の各路線で 様々な愛称を冠した臨時列車として活躍する。 2001.8.25./越後湯沢駅 |
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▲品川駅8番線にて大垣行臨時快速9375M列車を待つ、座り込みの 群集の一景。この写真はまだ早い時間帯で、この暫く後、各列は更に 長蛇と化す。青春18きっぷで旅をする者にとって、この座り込みは、 一つのセレモニーと言った感がある。新幹線や航空機で高速移動する 旅が一般的になった昨今、実はこんな風景も息づいているのです。 2001.8.25./品川駅8番線 |
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