2001年晩夏 青春18きっぷの旅U 永遠の寵児 大垣行9375M列車 ★後編★ |
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2001年8月26日、5:55、俺と弟RKは大垣に到着。乗り換えのために 連絡階段を猛ダッシュ!!みんなして怒濤の勢いで駆け抜ける。かくして、隣ホーム の、3205F普通姫路行に落ち着く。ボックスには座れなかったが、ドア脇に席 を確保する。大垣での接続は5分。ほとんどが9375Mからの乗り換え客である。 ごった返す喧騒の車内。そんなことはお構いナシに、姫路行は大垣を後にした。 東海道本線の大垣、米原間は、列車本数が最も少ない、我が国を代表する在来幹 線にあって、ちょっとローカルな区間である。東海道本線の主たる運転系統は、 東京〜熱海の東京口エリア、つまりJR東日本エリア、熱海〜豊橋のJR東海静岡 エリア、豊橋〜大垣のJR東海名古屋エリア、米原〜神戸〜山陽本線姫路のJR西日本エリアに大別できると思う。まあ俺の勝手な分類ですんで、間違ってるかもしれませんが、普通電車、快速&新快速電車などで考えた場合、こんなカンジでしょう。 しかし、大垣と米原の間は、岐阜、滋賀県境ということもあろうが、東海道の誉れ高き名を戴いている割に、列車本数が少ない。東海道ローカル線なのだ。データイムに 関して言えば、1時間2本の区間運転が中心である。我が上越線で例えるならば、 大垣〜米原は、越後中里〜水上に相当する。もっとも上越線のこの区間の場合、2時間乃至4時間に1本という、複線を無駄にするしょうもない超過疎路線だから、例えが悪いかもしれないが、1時間2本は、東海道ではこのくらいの例えが適当かもしれない。日中に乗ろうとすると、意外と接続が悪かったりするのである。垂井、関ヶ原と町があり、乗り手は結構いると思われるのだが。また蛇足であるが、大垣〜関ヶ原 には、急勾配を避けるために建設された下り線専用の単線の別線がある。本線の北側を、大きく迂回する路線であるが、現在は優等列車などに使われている。かつては新垂井という、下り列車しか来ないちょっと有名な駅が存在したが、今や昔話である。 余談が長くなってしまいました。姫路行の3205Fは、混雑したまま、垂井、関ヶ原と急勾配を登る。400年前、天下分け目の大合戦が繰り広げられた、あの関ヶ原古戦場である。名神高速道路や新幹線と顔を会わせながら山間をくねるように進んでいく。程なくして滋賀県境、いよいよ関西圏に入ったな、と実感する。柏原、近江長岡、醒ヶ井と停車し、降りる準備である。モチロンこれでも神戸に行けるのだが、 JR西日本自慢のアーバンネットワーク、新快速電車による高速運転を利用しない手はないでしょう。本当ならばコッチに来るとき、いつも新快速に乗っているので、たまには停まらない各駅の表情を観察したいのだが、今日は神戸まで行って、尚且つ長岡に帰らなければならない。やはり新快速で、一気に神戸までワープする必要があるのである。米原では3分接続で新快速姫路行3203Mがある。車掌放送で、向かい側に停車中とのこと。みんな同じこと考えてるようで、ドアの前が異様に殺気立つ!! 6:35米原着。左側ドアが開くと同時に、ほとんどの客が、向かい側の223系新快速にダッシュをかます。ちょっとした小競り合いである。俺は進路右側のシートを確保し、少し遅れをとったRKを待ったが、女性に隣席を取られてしまった。俺が 立って、RKを座らせようとしたが、RKはこれを断り、立っていると言った。せっかく座らせてあげようと思ったのに!!まあ、座りっぱなしも疲れるからね。暫くは立ったままもいいかもしれないね。ココは3分接続、6:38、すぐに米原を発車。 かつては221系の王道だったのだが、世代交代は早いもので、今や後輩の223系が、新快速の大役を担っている。米原を出た新快速は、まだ新型車両であることを アピールするかの如く、快調に加速し、心地よいスピード域に達する。新潟では到底味わえない、在来電車のスマートなスピード感、と言ったところ。名古屋圏もそうだが、京阪神の新快速運転は、やはり並行私鉄との激しい競争から生まれたもの。サービスの向上は、やはり競争相手があってこそ・・・と、いつも実感するのである。 彦根、能登川、近江八幡、野洲、守山、草津と停車。それほど通過駅があるワケではないが、やはり電車の性能と転換クロスシートの快適さの相乗効果で、速いもんだな〜〜と、つい感心してしまう。車内は一層混雑してきた。京都まではほぼ一方的な乗車だろう。RKに、座るように勧めたが、まだいいと言う。それなら京都まで立っててもらいまひょか(爆)??車内の会話が一層賑やかに聞こえるのは、やはり生粋の 関西弁だからなのか??老若男女、ほとんどみんないわゆる関西弁で喋っている。それって当たり前のことなのだが、やはり異郷に来た感覚である。RKは、生の関西弁に、ついつい笑みをこぼしそうになるのを必死にこらえている様子。ここでうっかり長岡弁を発したら、どうなってしまうのか(笑)!!草津からは複々線になって列車は 再び爆走を始める。石山寺で有名な石山、近江の都大津、逢坂山トンネルを越えて、湖西線と合流すると、京の山科である。高いホームから見下ろす落ち着いたたたずまいは、京都駅より京都らしさを感じてしまうのは果たして俺だけだろうか?? またまた蛇足だが、(長浜)〜米原〜京都の東海道本線は、琵琶湖線という愛称がついているが、琵琶湖がほとんど全く見えないのに、琵琶湖の東岸を通っているだけで 安易に琵琶湖線などと命名するのは如何なものか??そんなことなら琵琶湖が車窓に広がる湖西線こそ、琵琶湖線の愛称、いや、正式名称にふさわしいのではないか?? 東山トンネルを抜けると、巨大な駅ビルが威容を魅せる京都である。この駅舎建設に当たっては、賛否両論があったようだが、俺は悪いとは思っちゃいない。平安の古都は古都らしく、と言うのもワカランでもないが、京都だって躍動する大都市なのである。国際観光都市の玄関にふさわしい大きな駅舎は、悪いもんじゃないでしょ?? 京都では、席が空いたので弟を座らせて、自分も座ろうとしたが、近くに小さな子連れのお母さんがいたので、我々は席を譲ることにした。小さな親切、大きなお世話って言うでしょ(バカ)!!俺もそろっと座ってるのに疲れてきたからちょうどいいや。 京都を出ると、新快速の本領発揮である。各駅の客はブルーの201系電車などに任せて、こちとら、高槻、新大阪、大阪と大爆走である!!ウ〜〜ン、やっぱり速いね。 西大路を通過し、桂川を渡り、山崎付近で名神高速道路をくぐる・・・という、今までの旅で見慣れた風景である。すれ違う列車もひっきりなしである。高槻に停車し、 快調に飛ばした新快速は、新大阪へ。そしてワイドな淀川を渡り、大阪に到着。 予想通り、席が空いたので我々はシートに腰をおろす。神戸まではあと25分ほどであるが、ここで眠らないように気をつけないといけない。我々は夜行でまともに眠っていないため、今すぐにでも睡魔が襲ってきそうなヤバイ状態なのである!!大阪を 出ると、再び淀川を渡り、兵庫県へ。尼崎を出て福知山線を分岐する。大阪と尼崎ってこんなに近いの??って感じてしまう。言い忘れていましたが、天気は期待を裏切り、京都辺りから雨になっていたのでした。傘もないので神戸での散策は、ちょっと 出来ないな〜〜とガッカリする。車窓には雨に煙る六甲の山並が見えてきた。芦屋に停車し、神戸らしい傾斜地の市街地が進路右手に広がり始める。阪神淡路大震災から 6年半。。。今尚、難儀をして生活している人が多くいることを忘れてはならない。 後ほど訪ねる三ノ宮を経て、我々は目的地、神戸に到着。8:24である。改札をを通り、駅舎を出るが、雨は変わらず降り続けている。とりあえずは濡れながらも、 近場を散策である。楠木正成の墓碑があるという、湊川神社まで歩いて行くが、雨の 境内は、人影もまばらである。日曜日な上に、朝早いということもあるが、クルマも人もまだまばら、といったところである。雨も弱まらないので、神戸駅に引き返し、 再び新快速に乗って、神戸随一の繁華街、三ノ宮に降り立つ。とりあえずは朝メシを 食わなければならない。RKは某牛丼屋がいいと言っていたので(神戸まで来てあの牛丼かいな^^;)三ノ宮駅周辺をブラブラ歩いて探すが、なかなか見当たらない。 ちょっと細い道に入ったところで、ようやく見つけ、特盛で朝食である。RKはサラダも食っていた。まあ何でも食いなさい。安いからね(笑)!!御馳走サマでした!! 残った時間で三ノ宮周辺を散策し、写真を撮ったりお土産を買って、再びホームに上がる。1時間半ほどのタイムリミットは、あっという間に過ぎ去り、名残を惜しみつつも、9:54、新快速湖西レジャー号3302Mで三ノ宮を後にする。これから 11時間以上も掛けて、ホームタウン長岡に帰らなければならない。山科までは同じ東海道を引き返すので、コメントは省略!!この新快速は山科から湖西線に入る。高架で東海道本線と別れると、長等山トンネルをくぐり抜け、琵琶湖西岸に出る。最初の停車駅が西大津である。琵琶湖の対岸に、大津の市街地が遠望できる。この湖西線は1974年、北陸特急の所要時間短縮と、琵琶湖西岸の観光資源開発を目的に竣功した比較的新しい路線である。全線が高架か切通し、トンネルで構成され、踏切は一切ない非常に高規格な路線である。各駅も没個性的な高架である。そんなワケで、湖西線を新快速でブッ飛ばすと、ちょっとだけ新幹線気分が味わえるのだ。サンダーバードなどの特急なら、尚更のことだろう。進むにつれて、広大な琵琶湖が車窓一面に広がる。この日はあいにくの雨模様だったが、以前に湖西線に乗ったときは、青い空と湖面が交わる、絶景だったのを思い出す。やはり湖西線こそ、琵琶湖線に改称すべきだ。比叡山坂本、堅田と停車し、雨の琵琶湖を車窓に映しながらグングンスピードを 上げていく。今日は休日運転ということで、湖西レジャー号の愛称がつき、志賀、比良にも臨時停車。行先も、近江今津から、永原まで延長運転である。近江舞子からは 各駅に停車し、11:32、本来の終点近江今津で乗り換え。10分接続で敦賀行の4845M(413系)に落ち着く。割と空いた状態で、近江今津を発車。 413系は年期の入った北陸本線仕様の2扉近郊型交直流電車である。ここまで乗ってきたのが京阪神の主力、223系だっただけに、言葉は悪いが、大幅なグレードダウンを隠しきれない感がある。スピードも223系には及ばない。車両や車内の乗客の雰囲気を総合しても、滋賀県内ながら、早くも北陸に入ったような錯覚に陥るのである。別に北陸を悪く言うつもりはない。我が新潟県だって、大きく捉えれば北陸の仲間だからね。近江中庄、マキノ、永原と停車し、いよいよ北陸色が濃くなってくると、交直流切替のセクションである。暫し車内燈が消え、程なくして電源が交流に切り替わる。北陸本線が右手から合流すると、近江塩津である。北陸、湖西という大幹線の分岐駅ながら、周囲は山に囲まれたのどかなたたずまいである。新疋田を経て 12:18、我々は敦賀に降り立つ。この電車がそのまま13:10発の金沢行になるのだが、50分も車内で待ってはいられない。腹ごしらえもするため、一旦改札をくぐり、駅前に出てみる。港町だが、海岸まではちょっと距離がありそうである。再び駅に入り、これまで何度か御世話になった立ち食いコーナーで、てんぷらうどんを食べる。俺もRKも、実はうどん派なのだ。お菓子とドリンクを買い込み、再び先ほどの電車に乗り込む。まだ20分以上あるため車内は空いていたが、ボックスは確保しておかないとね。特急街道の異名を持つ北陸本線。「サンダーバード」「雷鳥」 「加越」「しらさぎ」など、多くの特急が行き交う華やかな路線(?)なのだ。ちょうど上りの485系「雷鳥」が到着したので、写真を撮る。そんなことしてるうちに 時間となり、この先2時間の道程、13:10、金沢行は、敦賀を後にした。 敦賀を出ると、すぐに北陸トンネルに入る。1962年に開通し、これまで峻険な 山並を通っていた旧線から移行したのである。北陸本線の歴史は、交流電化と線形改良の歴史と言っても過言ではない。この北陸トンネル開通は、北陸本線改良の代名詞だが、線形改良はココだけに限らない。先ほど通ってきた滋賀、福井県境もかつては 異なるルートを通っていたのを、深坂トンネルとループ線で路線変更。新潟県内の北陸本線の大半は、複線化&電化を機に、地滑りや高波の恐怖に晒されていた海岸沿いの旧線から、長大トンネルの新線に移行したのだ。海岸沿いには、旧線の遺構が多く残っており、またサイクリングロードとして、整備されているのも特筆に値する。特急街道として君臨するには、まさに強固な路盤と、直線的線形が不可欠なのである。 北陸トンネルを抜けると、越前路の緑の中を快走する。湯尾、南条付近で北陸自動車道が並走するポイントがある。また蛇足だが、敦賀〜今庄の北陸自動車道も、やはり難所であり、上下線が大きく離れた線形となっている。また上下線が、ねじれ位置関係になっているのも大きな特徴である。詳しくは地図を参照してみてくださいね!! 福井平野が開けてくると、武生、鯖江と停車し、県都福井に到着である。福井駅は只今大掛かりな工事の真っ最中!!線路、ホームとも位置が東よりにずれた仮設のものになっている。詳しいことは分からないが、連続立体交差化の工事であろう。本来のホームのあった場所は、線路もホームも撤去された後だった。ある程度の乗降を確認して、福井を後にした。もっと混雑すると思いきや、意外とそれほどでもなかった。 福井を出ると、正面衝突事故の惨事を引き起こした、京福電鉄越前本線の線路が並行する。一度目の事故から半年で起きてしまった、まさかの二度目。これでは鉄道の信頼回復は非常に難しいだろう。二度目の事故以降、バス代行になっていたということだが、その後ニュースを聞いていないので、電車が復活したのかどうか俺は知らない。しかし、越前本線のレールは痛ましいくらいに赤く錆付いていた。森田、春江、 丸岡、芦原温泉と停車。もう既に稲刈りが終わった田圃が多い。実は福井県というトコロ、何度も通ってはいるのだが、不思議と観光したことがない。福井市内はモチロンのこと、東尋坊、九頭竜湖、名刹曹洞宗大本山永平寺など、見所が多いと思われる越前国を、今度はゆっくりと探訪してみたい、などと思っているうちに、加賀石川県に入った。大聖寺、加賀温泉、動橋、粟津と停車し、節目たる小松に到着。ここからは快速運転になる。既に金沢都市圏内である。小松を出ると、美川、松任にだけ停車し、街並が広がると高架を駆け上り、15:13、終点金沢に到着である。 金沢は大学4年のときのサークルの夏合宿を始め、兼六園観光などでも訪れたことがある。今日は、神戸からの雨模様をズルズルと引き摺ってしまい、次の直江津行まで1時間20分あるものの、兼六園や武家屋敷観光はちょっと無理である。香林坊辺りを散策しようかとも思ったが、RKが乗り気ではないため、結局駅付近をブラブラして、駅の中のショッピングモール(?)を物色して、お土産を買ったりして過ごしていた。これから乗らんとする455M(富山〜直江津551M)は、終点直江津まで3時間9分を要するロングコースである。敦賀でうどんを食べたり、車内でお菓子を食べたりしていたんで、それほど腹は減っていなかったが、さすがに長岡まではガマンできないだろう。ということで、夕食を買うことにしたのだ。RKとナニにしようか話し合った結果、京樽があったんで、穴子丼を買うことにした。RKはその他に ネギトロ太巻を1本オーダー。まあ、富山を過ぎた辺りで腹が空いてくるだろうし、 電車も空いてくるはずだから、ボックスさえ確保してしまえば、食う環境としては、 支障はない。夕食を買った後は、キオスクで最後のドリンクとお菓子である。ラストコースに向けた準備は整った。ちょっと早いが、ホームに上がってみると、まだ30分以上もあるというのに、既に475系の直江津行は入線していて、ドアも開いていた。まだほとんど乗っていない。とりあえずはボックスを確保して、RKはサッカー雑誌で早くもくつろぎモードに入った。俺は俺で、薄暗い金沢のホームでは写真撮影に少なからず支障があることを承知していながらも、やはり写真を撮るためにホームに降りた。SRE「はくたか」や「加越」これから乗る475系などを撮影。結果的によく撮れていたのは、475系だけでした。後は暗さに負けてしまった(爆)!! かくして発車時刻に。16:34、475系の直江津行は、静かに金沢を後にした。 高架を駆け下り、東金沢、森本、津幡と停車し、七尾線を分岐。倶利伽羅越えで越中富山県に入る。そう言えば、大学4年の夏合宿のとき、金沢から富山まで485系の快速に乗ったことを思い出した。あのときは朝の通勤通学ラッシュ時間帯だった。 金沢発車時点では空いていて非常に快適で、18きっぷでこんな贅沢いいの??って思ったものだったが、石動を経て、次の福岡で大量の高校生が乗り込んできたことが 嫌でも脳裏をよぎった。そして高岡ではそれにも増して大量の乗車と下車があり、富山到着が遅れた記憶がよみがえる。間合いの運用なのか何か知らないが、どうして明らかに混むと分かっていて特急型の485系を入れるとは何事!!と疑問を感じたものである。今は日曜夕方の時間帯、しかし各駅でもそれほどの乗降はなく、17:32富山に到着。そろっと周囲が薄暗くなってきた。ほとんど乗らないまま、13分停車の後、富山を発車した。後は県境に向かって走るのみ。これ以上の乗車はなく、下車一方で空いてくるだろう、と予測する。さてと、そろっと腹も減ってきたので、金沢で買った穴子丼を頂くことにする。京樽は、川崎の高津に住んでいた頃も、時折御世話になっていたが、安くもなく高くもなく、味もそこそこでいいんじゃないかな?? お茶ではなく、「DAKARA」とともに(笑)、美味しい穴子丼を食べました。 夕食を楽しんで、ゆっくりとくつろいでいるうちに、滑川、魚津、黒部と停車。 予想通り、車内はドンドン空いてきた。県境現象というヤツだろうか??それでも直江津まではまだ1時間半を要する。昨日からの強行軍と夕食後ということで、さすがに眠くなってきました。入善、泊、越中宮崎と記憶が薄れる中、ようやく新潟県に入る。もはや日が落ちたのか、辺りは真っ暗である。結局今日一日、天気には恵まれなかった。それは心残りだが、事故や遅れもなく、ココまで来たことに感謝しよう。市振、親不知、青海、糸魚川。あいまいな記憶だけが残っている。糸魚川を出て、湖西線以来の直流に切り替わる。車内燈が消え、真っ暗になったのでビビった(笑)。 その後は、俺もRKも再びウトウトモードで過ぎてゆき、有間川、谷浜を経て、終点の直江津に到着。ココまで来てしまえば着いたも同然である。と言うのは甘い考え。 まだ長岡まで73キロの道程が残っている。4分接続で新井始発の115系に乗り換える。最後の最後で、運のいいことにブルーラインのリニューアル車にヒットする。まだリニューアル車には乗ったことがなかったので、ちょっと嬉しかったりして。 19:47、1363Mは、長岡に向けて直江津を後にした。眠気も少し取れてきたので、金沢で買ったお菓子を食べながら、暗い車窓に眼を向ける。俺はつい1箇月前に乗ったばかりの区間である(最初の旅行記を参照)。もう暗いし、格別の期待も 持たないまま、車窓が過ぎてゆく。長い一日だったな〜、と顧みながら。実質品川から始まった、8月26日。18きっぷを使って一日で神戸まで行って、長岡に帰って来る。学生時代の夜行列車ウン連チャンというハードな旅に比べたら、それほど大したことはないのだが、一般人の常識から考えたら、やはり普通の旅ではない。18きっぷの持つ「超格安の乗り放題」という特性故に、どうしても観光に時間を割く勇気が持てないのは事実だ。乗れば乗るほどお得というのは、そのままに解釈し使ったのなら、列車に揺られること=観光という方程式が成立する。ちょっと馬鹿げた等式だが、それもいいじゃないか。列車に揺られて、四季折々の車窓を楽しみ、偶然ボックスで一緒になった人たちとの会話を楽しむ。これだって立派な観光だと思うよ。。。 最後の列車も、結局記憶が曖昧なままだったが、心地よい揺れに、また再び18きっぷで旅をしようと誓うのであった。・・・柏崎、来迎寺を経て、21:09、終点長岡に到着。21:20発の終バスに揺られ、ウチに着いたのは、22:00前であった。2001年夏、俺の18きっぷの旅はこうして終わりを告げたのである。。。 ★THE END★ |
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