太陽・作

第 7 章





走り続ける馬車の中で縛られたままのオスカルは身動きもとれず、パニックを起こしていた。
助けに行かなければともがくが、もがけばもがくほど縄は手首に食い込み、 彼女の白い肌から鮮血が滴る。血走った目で、唇を血が出るほど噛み締め ながら、オスカルは必死で考えた。

何とか、助ける方法はないのか。
早くしないとアンドレとジェローデルがレジーに殺されてしまう。
なぜ? どうして、こんなことに・・・。 
信じていたのに、レジー・・・。
私のせいだ。誰か頼む、あの二人を助けてくれ。
私はどうなってもいい、二人を私の大切な二人を助けて!
自分に出来ることはないのか?
何か方法はないのか?

精神的な責め苦にのたうち回って苦しむオスカルの目に、馬車に追いついた馬上のレジーが見えた。
「レジー、教えてくれ、二人は?」
血を吐く思いで尋ねたが、レジーは何も答えずオスカルを一瞥すると先に行ってしまった。ホワイトタイガーに部下の一人が報告した言葉は、オスカルを絶望の淵に叩き込んだ。
「ボス、レジーのやつ、大したものですぜ。眉一つ動かさずにあの二人を殺しました。」
「アンドレ、ジェローデル・・・」
オスカルの見開いたままの眼から急速に光が失われていき、手足の先が冷たくなっていった。そして、耳からも音が消えていき、感覚がすべて崩れ、彼女の意識は彼女の心を守るために失われていった。

オスカルが気が付いたのは、『銀狼』のアジトのベッドの上だった。
うつ伏せの状態のままベッドに寝かされていた。
縛られたままの手首に血が乾いてこびり付き、ずきずきと痛んだ。
オスカルは頭を持ち上げ、辺りを見廻した。レジーが側の椅子に座っているのが見えた。部屋の中には、他にも何人か『銀狼』のメンバーらしい人間が酒を飲んだり、カードで遊んでいるのが見えた。

オスカルが気がついたのを見て、レジーが椅子から立ち上がると彼女に近づいた。オスカルはレジーに顔を向け、ありったけの軽蔑を込めて喚いた。
「卑怯者! あの二人は丸腰だったんだぞ。それを殺したのか? 軍人として、恥ずかしいとは思わないのか? 私は絶対にお前を許さない。私もさっさと殺すがいい。」
「おお、相変わらず威勢がいいですね。その麗しい装いに似合いませんぞ。華麗なる連隊長殿、あなたは殺しませんよ。外国で高く売れるそうですから。」
ボスのホワイトタイガーが部屋に入ってくるなり、オスカルに言った。
「外国に売る・・・私を? 冗談じゃない、殺せ!」

ホワイトタイガーは、オスカルに近づくと好色そうな笑みを浮かべ、オスカルのドレスの大きく開いた胸元を眺めた。
「美しい・・・。その白磁で作られたような絶妙な色合いの白い肌。氷のような冷たさを讃えた蒼い瞳。薔薇色の唇。豪奢な黄金の髪。見れば見る程美しい。神の最高傑作でしょうね。巷の噂では、近衛連隊長は処女だと評判でしたが、果してどちらなのか、調べてみましょうか。」
彼の指がオスカルの顎を捕らえた。
「いやだ・・・。」オスカルは恐怖のために青ざめた。
「ボス、ちょっと待ってください。その役は俺に譲って貰えませんか?」
レジーが静かに声をかけた。
「うーん、まあ、いいでしょう。今回は君のお手柄ですから。」
ボスはレジーにその場所を譲った。レジーはゆっくりとオスカルに近づくと、首筋にそっと触れた。
「や、止めろ! 血塗られた手で私に触るな。」
オスカルは、全身が嫌悪の為に粟立つのを感じた。精一杯顔を背け、ほんの少しでも彼から逃れようと身を捩った。だが、大きな彼の手がオスカルの肩を掴みベッドに押さえつけた。
「!!・・・・・」オスカルは声にならない悲鳴を上げた。
ふと、レジーは顔を上げると
「ボス、皆で見学ですか?」と苦笑しながら聞いた。
「そうですね、見学する価値はありますからね。」ボスは平然と答えた。
「そうですか、それじゃあ、仕方がない。ちょっと、短剣を貸してください。」
「どうぞ。どうするんですか。」
ボスが短剣をレジーに渡して、聞いた。
「縛られたままの女を抱く気はありませんからね。どうせ逃げられませんし、 縄を切ってやろうかと思って。」
青ざめたままのオスカルの背に手を回して上半身を起こすと手首と胸の縄を短剣で切って、自由にしてやった。 オスカルは、自由になった両手を擦ると、唇を噛み締めたままレジーのすみれ色の瞳を睨み付けていた。

「さて、覚悟しろよ。」レジーはそう言うとオスカルに圧し掛かった。
「いやだ、止めろ、離せ!」
レジーは、嫌がり暴れるオスカルの耳元に誰にも分からないように小さい声で何かを囁くと、オスカルから離れ立ち上がった。
そして、大げさに広げていた両手を竦めると言った。
「ボス、やっぱり代わりましょう。どうも見られていると調子がでません。」
「駄目ですね、そんなことでは。こんないい女は、滅多に抱けませんよ。」
「次に頑張りますよ。」
「では、美しい連隊長殿。有難く頂戴しますか。」
ベッドの上のオスカルに
近づき、首筋に口づけようとした瞬間、ホワイトタイガーの動きが止まった。
「うっ・・・」
「冗談ではないぞ、有難く頂戴されてたまるか。」
オスカルはホワイトタイガーの頭に拳銃を突き付けながら言った。
「な、なぜ・・・拳銃が・・・」
「皆、動くな! ボスの命が惜しかったら、手を上げて貰おうか。ホワイトタイガーお前もな。」
オスカルは拳銃を突き付けたまま、しぶしぶ両手を上げたホワイトタイガー を立たせると、自分もベッドから降りた。
「いやあ、悪いね。」
レジーは笑顔で部屋にいた部下の武器を取り上げると次々と縄で縛っていった。

「レジー、貴様!」
ホワイトタイガーの口調から優雅さが跡形もなく消えうせ、声までも低く変わっていた。
「悪く思わないでくれよ、これも仕事なんでね。すべてのアジトを一度に叩かないと『銀狼』の壊滅は望めないんだな。」
「レジー、もしかするとお前は、あの有名なフランスbP諜報員ブルーシャークか?」
「そんなに有名か? いやー、照れるな。」
レジーは、頭を掻きながら愉快そうに笑った。
「ブルーシャーク? レジーが、諜報員?」
オスカルは何が本当で何が嘘なのか良く理解できなかった。

「今ごろ他のアジトも俺の仲間が叩いている頃さ。ここにも間もなく援軍がやってくるだろう、アンドレとジェローデルもな。」
オスカルに向かってウインクすると優しい笑顔を向けた。
「レジー!」
オスカルの頬が、薔薇色に輝き、一気に喜びが溢れた。
「畜生! 殺していなかったのか。」
「もちろん、俺は悪人しか殺さない。オスカル、剣だ、受け取れ。」
「ありがとう、レジー」
投げられた剣を左手で受け止めた。
「まだ、屋敷の他の部屋には部下が相当の人数残っている筈だ、オスカル 気をつけろよ。」
「分かった。」

「オスカルーーッ!」
「あっ、アンドレの声だ。」
オスカルがちょっと気を取られた瞬間
パーーーーン!!と大きな音と共に強烈な光が発せられた。
オスカルは目が眩んで、一瞬何も見えなくなった。
その隙にホワイトタイガーが窓ガラスに体当たりして窓を壊すと外へ飛び出した。
「し、しまった!」
「オスカル、あいつは俺に任せろ。お前は後を頼む。」
レジーはホワイトタイガーを追うと疾風のように駆けて行った。

アジトとなっている屋敷の中は、近衛の小隊とレジーの仲間そして『銀狼』と 入り乱れての戦いとなった。オスカルは、拳銃を剣に持ち替えて部屋の中へ飛び込んできた敵と応戦した。
「こい! ちょっと動きにくいけど、お前たちにはこの格好で十分だ。」
オスカルは、ドレスを着たまま、きれいなアンガルド(基本姿勢)をとった。
左手でドレスを摘み、華麗なる剣さばきで、次々と敵を倒した。
「隊長ーっ、ご無事ですか?」
ジェローデルが何人かの敵の剣を器用に捌きながら、走ってきた。
「お前も無事で何よりだ。」溢れんばかりの笑顔を向けた。
「ドレス姿でも、すごい腕ですね。」
「当たり前だ。鬱憤晴らしに、思う存分暴れるぞ。」
敵と戦いながらオスカルとジェローデルは、明るく会話をしていた。
「ほーら、マルシェ!  おおっと、バッテ! それ、ファント!」
「隊長、お見事! 私も負けませんよ。」
「はいっ、ファント。デガジェ。」
二人で次々と倒していった。

「ジェローデル、危ない!」
オスカルはドレスを捲るとガーターベルトに刺してあった短剣を取り、素早く投げた。
「う、うわあーーっ」
ジェローデルの後ろから襲おうとしていた敵の肩に見事に命中した。
「た、隊長・・・。あ、ありがとうございます。」
オスカルのドレスの下のすんなりと伸びた白い足をもろに見てしまったジェローデルは赤面してしまって、力が入らなくなってしまった。
「どうした? ジェローデル、顔が赤いぞ。」
オスカルは力の抜けた部下を
その理由も分からぬまま心配して声をかけた。
「いや、あの隊長。別に・・・。」

どやどやと味方が大挙してオスカルのいる部屋に押し寄せた。
「隊長、一味は首領を除き、全員捕縛致しました。」
エリュアール大尉がオスカルに向けて敬礼すると、息を弾ませて報告した。
「オスカル、無事だったか?」
アンドレはオスカルを見つめ、どこも怪我はないらしいと分かり安堵のため息を漏らした。
「お前こそ、心配したのだぞ。レジーに殺されたのかと思って。良かった、無事で。」
オスカルは、アンドレに優しく微笑かけると、彼の胸を叩いた。
「あっ、そういえば、レジーは?」

レジーとホワイトタイガーは森の中で誰にも邪魔されず一騎撃ちで闘っていた。
「ブルーシャーク、お前とは是非闘って見たかったんだ。」
「それは、光栄だな。ホワイトタイガー、お前を倒さない限り『銀狼』は必ずまた蘇るだろう。」
「その通りだ。私が生きている限り、絶対に。」
「では、俺はお前を絶対に倒さなくてはならない訳だ。」
「行くぞ。」

レジーの剣は、オスカルの剣とは違い、命を賭けた実戦で鍛え上げられたものだった。故に情けは無用で、致命傷を一撃で与えることを目的としていた。
ホワイトタイガーにしても、テロ行為を繰り返してきた組織の首領として君臨しただけあって、剣の腕前は一流だった。レジーと同じく命を賭けた実戦で鍛え上げられた腕だった。その二人が戦うのだから、どちらかの命の灯火が消えるのは明白であった。

真っ白なアビ・ア・ラ・フランセーズに身を包んだ、ホワイトタイガー。
片や紺色の海軍の軍服に身を包んだ、レジー。

二人は剣を手に静かに構えの姿勢をとった。
いつもの甘い雰囲気を漂わせたレジーではなかった。すみれ色の瞳も殺気を孕んで爛々と輝いていた。ホワイトタイガーも獲物を狙う猛禽類の目に豹変していた。
二人はまったく微動だにしなかった。森の中を風が吹き抜ける微かな音が 聞こえるだけで、木に僅かに残った葉が静かに揺れていた。
二人の殺気が迸った瞬間、傍らの木に止まっていた鳥が、慌てて飛び立った。鳥の羽音と二人が動いたのは同時だった。目にも止まらぬスピードで二人の剣が動いた。
そのまま総てが止まった。まるで何事もなかったかのように静寂が辺りを包んだ。

「つっ・・・」
レジーが剣を落として、跪いた。左腕から鮮血が流れる。
「・・・・・・」
ホワイトタイガーの左胸に深紅の薔薇の花が咲き、豪華な刺繍の入った真っ白のアビを紅く染めていく。ホワイトタイガーは何が起こったのか分からないような表情を浮かべたまま、ゆっくりと崩れ落ちた。


「終わったな・・・、やっと・・・。」
レジーは、左腕を押さえ、立ちあがりながら呟いた。

「レジー」「おーい、レジー」「フォーレ先輩」
オスカルとアンドレそしてジェローデルがレジーを探して駆けてきた。
「レジー! 大丈夫か?」
オスカルはレジーの血を見て、慌てて近寄った。
「オスカル、ああ、大丈夫だ、大した事はない。」
オスカルは、ドレスの下のペチコートを裂くと、レジーの傷の応急処置を始めた。
そんな二人を見てアンドレがジェローデルの腕を引っ張ると言った。
「行こうぜ、俺たちは用はない。」
「え、フォーレ先輩じゃ、隊長が危険です。」
「いいんだよ、レジーはもう行かなくてはならないんだから・・・。」
「でも、芝居とはいえ、私を本気で殴りましたからね。少しは文句も・・・。」
「レジーにさよならくらいは、言わせてやれ。」
アンドレはジェローデルを無理やり連れて行った。

「レジー、ありがとう。」
オスカルは彼の傷を縛り終わると、顔を見上げて言った。
「オスカル、騙してごめん。」
「ううん、いいんだ。敵を欺くにはまず、味方からというからな。でも、よかった、お前が『銀狼』の仲間じゃなくて・・・。でも、何で私を縛らせたんだ? ひどいじゃないか。」
「暴れると怪我をする可能性があったからだよ。お前は二人を守るためなら かなり無鉄砲なことをするだろう。でも、手首が傷ついてしまったな。」
「いいんだ、大した傷じゃない。お前がブルーシャークだったなんて。それならお前の不思議な行動も納得がいく訳か。」
「この仕事も大変だけど、遣り甲斐があるんだ。その代わり犠牲にしなくてはならないものも多いんだけどな。」
「犠牲って?」
「そうだな、本当に言いたいことが言えないことかな・・・。オスカル、お前に・・・。」
「私に言いたいこと?」素直な瞳で彼を見つめた。
「いや、いいんだ。ああ、そうだ。今日は25日、クリスマスだ、お前誕生日だろう。誕生日おめでとう、オスカル。」
「あ、ごたごたしてて、忘れてた。ありがとう、レジー。」
「オスカル、俺にクリスマスプレゼントをくれないか? 折角お前が珍しくドレスを着ていることだし。麗しの女神様からの祝福のキスを」
「そうだな、いいぞ。」そう言って彼の肩に手を置いて背伸びをするとレジーの頬に唇を寄せた。
自分の頬にキスした彼女をそっと抱き締めると耳元に囁いた。
「いいや、唇だ・・・」
びっくりして彼を見上げると、すみれ色の瞳が彼女を見据え、絡め取る。
オスカルは、決心したように目を閉じ、レジーがそっと唇を重ねた。
きつく彼女を抱きしめた逞しい腕の中で、彼女の強張った身体の力が少しずつ抜けていくのを感じた。
柔らかな吐息が洩れ、オスカルの白い指が彼の首筋に長い髪に絡み付く。
深く長い口づけからオスカルを開放すると、レジーはオスカルの蒼い瞳を じっと見つめた。
「オスカル、俺は・・・、」
そこまでで言葉を止めると彼は唇を噛み締めて顔を上げ、彼女を抱きしめて いた腕を名残惜しそうに離し、いつもの笑顔を無理やり作って言った。
「じゃあ、オスカル。俺は行くぞ。また、いつか、会えるな?」
「レジー、もう、行ってしまうのか? 言いたいことはそれだけなのか? お前はいつだって自分のことだけ、私の気持ちなんて考えないんだ。レジー、私はお前が・・・」
レジーは馬にひらりと跨るとオスカルの言葉を遮り、
「さよなら、オスカル」と彼女に背を向けたまま振り返らずに言った。
「待って、レジー。」オスカルの言葉にも耳を貸さず、彼は馬の腹を蹴った。
「はいっ」駈足で走り去る馬上の彼に向かってオスカルは一声叫んだ。
「愛していると云ってくれ。」
彼の耳に届いたのかどうか、彼女には分からなかった。
気がつくとレジーは、また夕陽の中へ一人消えていった。

何も言ってはくれなかった。
レジーの馬鹿野郎。
お前が私の側に居られないのは、分かっているさ。
でも、もう一度、聞きたかったんだ。お前の愛の言葉が・・・。
レジー、私はお前が・・・。
レジーーーッ!

オスカルの言葉は、行き場を失って、木枯らしと共に消えていった。

                         

エピローグ




次の仕事の為にアメリカに向かう帆船『ル・ブロンニュー号』の甲板に自慢の蜂蜜色の長い髪を潮風になびかせて、レジーは佇んでいた。
彼はじっと波頭を眺め、海の蒼さにオスカルの瞳に想いを馳せていた。

「オスカル、愛している! 愛している!ずっと前から・・・、そしてこれからも、・・・」

海に向かってあの時どうしても言えなかった言葉をレジーは心を込めて思いっきり大声で叫んだ。

聞こえたんだ、オスカル。あの時のお前の言葉は。
でも、俺はお前の側には居られない。
それが分かっているから、言えなかったんだ。

お前の側には、お前を愛している男達がいるよ。
いつかお前もきっとその愛に気がつく時がくるだろう。
お前が選んだ男なら、きっとお前を一生愛し守ってくれるだろう。
それが俺でないのは、淋しいが・・・。

いつかもう一度、会えるかな? 
俺の永遠の恋人。
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。

 

 

−FIN−


 

−あとがき−


時代考証を厳密にやると何も書けなくなってしまうので、かなりおかしなところがありますが、目をつぶってください。
特に停電?シーンですが、電気と違って蝋燭は一度に全部消すことはできません。
でも、原作でも黒い騎士の登場シーンでもありましたので、お許し下さい。本当はある訳がないですね。

オスカルが剣を使いながら言ったセリフはフェンシングの基本用語ですが、説明すると長くなるので気分だけ楽しんでください。
フェンシングの用語はフランス語なんですってね。初めて知りましたわ。

レジーも無事に正体を現しました。
皆様のご想像通りというところでしょうか。
最初の構想段階では極悪人にするつもりでした。作者の予定通りには行かないものです。おかげで全然予定と話しが変わってしまいました。
オリキャラを登場させてもいいものか、悩んだのですが、行動と設定のまったくフリーな人間というものを書いて見たかったので、登場させて見ました。
お付き合い下さってどうもありがとうございました。




                         

 しのぶさまのイラストはこちら