太陽・作

第 6 章





深夜2時過ぎ――。
レジーは営倉の硬いベッドの上で平気で寝ていた。
小さな物音で目を覚まして起き上がると、隣の牢の鍵が外され、扉が軋んだ音を立てて開くのが見えた。
隣の牢にいたエロワ伯爵と名乗っていた男は、レジーに近づくと小さな声で言った。
「行きましょうか。」
レジーが黙って頷くと、男は細い金属の棒のようなもので器用に鍵を開け、レジーの入っていた牢の扉を開けた。
そして二人は、営倉から煙のように忽然と消えた。

『銀狼』の仲間が森の中で二人を待ち受けていた。
エロワ伯爵と名乗っていた男が、レジーに不敵な笑みを浮かべながら言った。
「あなたへの試験は見事に合格です。今回の仕事は失敗でしたが、まだチャンスはあります。取りあえず、『銀狼』にようこそ。あなたのような男をこそ我々は歓迎しましょう。私は『銀狼』の首領で、裏の世界では『ホワイトタイガー』と呼ばれています。」
レジーに向かって右手を差し出した。
「よろしく。俺はレジーだ。」
レジーは、差し出されたその手を掴むと言った。
「とにかく、乗って下さい。」
ホワイトタイガーは、レジーに自分と一緒の馬車に乗るように勧めた。

「あの、近衛の連隊長も女だと思ってちょっと侮りすぎました。ことごとく邪魔されましたから。今夜もあの首飾りを目印に、暗殺も確実に成功する筈でしたのに。今度こそ、二人とも必ず息の根を止めてやりましょう。次のチャンスは明後日のクリスマスです、あなたにも手伝って頂きます。」
「よし、俺もこの世界で名を上げるチャンスだな。」
「そうです。頑張ってください。期待していますよ。」

その頃、オスカルに、レジーとエロワ伯爵と名乗っていた男の脱走が報告された。
「申し訳ありません。隊長。鍵を簡単に開けられてしまったようです。監視の者もまったく気がつきませんでした。監督不行き届きで申し訳ありません。」
ジェローデルがオスカルに頭を下げていた。
「いいんだ、ジェローデル。厳重にしたところで、同じだっただろう。向こうの方が一枚上手だったな。私の考えが甘かったのだ。責任は私にあるのだから、監視の者にも処罰が行かない様に頼む。」

オスカルは椅子から立ち上がると、窓辺までゆっくりと歩きそして外を眺めた。木枯らしに吹かれた落葉がカサカサと音を立てて、舞い上がっていた。

「こうなると、最後のチャンスは、明後日のクリスマスか。こちらにも、『銀狼』にも、お互いに最後の勝負時だろう。ところで、以前頼んでおいたものは、準備出来ているのか?」
振り返ると彼に聞いた。
「はい、隊長。先ほど届きました。中身は確認してあります。」
「本当は、これはやりたくなかったんだが。」
深いため息をつくと窓に凭れ、暗い声で誰に言うでもなく呟いた。
「そうですね。」
彼女の暗い声とは対照的に彼は明るく答えた。
「おい、ジェローデル。お前喜んでいないか?」
形の良い眉を心持ちひそめながら問いつめる。
「いいえ、とんでもありません。喜んでいるなどと。」
「そうか。何か目が笑っているような気がする。」
「いえいえ、で、こちらに持って参りましょうか?」
「いや、いい。見たくない・・・。」
オスカルは、想像するだけで既にうんざりしていた。

次の日、オスカルは、明日の予定を関係者と事細かに打ち合わせをしていた。パリの小さな教会で行われるクリスマスのミサに、オスカルと二人だけで、出席したいというのが王妃の達ての願いだった。大勢の共の者や護衛の者を連れて行かないということは、それだけに危険が多く、オスカルとしては承服し兼ねていた事案であった。

でもこれは、かなり前から予定されていたことだったので、逆に言えば『銀狼』に絶対に流れているだろう情報だった。だから敢えてそれをそのまま使い『銀狼』に襲わせて、一味をボス共々一網打尽にするというのがオスカルの計画だった。最初から襲われる計画なので、もちろん王妃の身代わりが必要で、これを普通の女性に頼むには危険すぎるので、王妃の身代わりをオスカルが、オスカルの身代わりをジェローデルが務めることになっていた。

当日、オスカルは王妃の私室を借りて、着替え始めた。
着替えの手伝いと化粧は、王妃の侍女が担当してくれた。
この計画の為に自分は出かけられなくなった王妃は、オスカルのドレス姿を楽しみに側を離れなかった。
「王妃様、私のドレス姿など楽しみになさいますな。」
オスカルは、衝立の向こうで鎧のようなコルセットをきつく絞められて息も絶え絶えに言った。
「あら、どうして、オスカル。私ぜひ一度あなたのドレス姿、見てみたかったのよ。」
「本当はジェローデルにこの役を譲ろうと思ったのですが、彼は私よりも大きくて、いくらなんでも分かってしまいますから。別にドレスでさえなければ、どうということはないのですが・・・。しかし、世の女性方はこんなものを良く着ていらっしゃいますね。私には、到底耐えられません。」
オスカルは元気のない声で言った。
「まあ、オスカルったら、ほほほ・・・。」

「王妃様、オスカルさまのお仕度が出来ました。」
衝立からオスカルがうんざりとして既に疲れ果てたような顔で姿を見せた。王妃付きの侍女たちからは感嘆の声が上がった。
「鏡はこちらでございます。どうぞ。」
オスカルは鏡の前に進み、自分の姿を眺めた。
黒のベルベットに銀のアラベスク模様を配したシックで上品なデザインのローブ・ア・ラ・フランセーズだった。色の白いオスカルに良く似合っていた。但し、胸元はオスカルが想像していたよりもかなり大きくVの字に開いており、彼女を赤面させていた。黄金の髪も黒色と銀色の細いリボンと一緒に編みこまれ、結い上げられていたので、白く細い首筋と華奢な鎖骨も白日の元に晒されて、大きく開いた真っ白な胸元を強調しているように感じた。いつも軍服の硬い襟に守られている部分に外気が触れるのは、とてもたよりない気分だった。

(ジェローデル! あいつに全部任せたのは失敗だった。最低胸元の詰まったドレスと条件を付けておけば良かった。こんなに開けやがって、胸が半分も見えてるじゃないか。このドレスは、あいつの趣味か? ちっくしょー、覚えていろ! 後で絶対文句言ってやる。)
とてもドレスで麗しく装っている貴婦人の感想とは到底思えなかった。
「まあ、オスカル。とても素敵よ。いつも軍服だから分からなかった
けれど、案外胸もあるのね。ふふふ。」
「お、王妃様。」
オスカルの真っ白い肌が、見る間に赤く染まっていった。
「オスカル、何も付けないのでは首が寂しいわ。これも付けておいでなさい。」
そう言って、ダイヤモンドの首飾りと耳飾りを渡してくれた。
「あの、王妃様。このことはどうかご内密にお願いします。私が王妃様の身代わりだということを絶対に知られてはならないのですから。」
「分かっています。オスカル、気をつけて下さいね。」
「はい、ありがとうございます。」

「王妃様、ジェローデル大尉が参りました。」侍従長が声を掛ける。
「王妃様、失礼致します。」膝を折って、王妃に挨拶する。
ジェローデルは、オスカルの身代わりなので、いつものオスカルの軍服と同じく緋色のものを着ていた。但し、サイズが違うのでこれもドレスと一緒に仕立てさせたものだった。そして、髪の色が違うので、金髪の鬘をつけていた。
「まあ、ジェローデル大尉なの? 遠目で見たらオスカルと間違えそうね。不謹慎だけど、わくわくしちゃうわ。」
「ジェローデル、準備はOKなのだな? では、行こう。」
オスカルは、顔を隠す為の扇を持つと、ジェローデルの側に歩み寄った。
「た、隊長?」
ジェローデルは、オスカルの神々しいばかりの美しさに目を見張り、美辞麗句の得意な彼がつい言葉に詰まった。
「ジェローデル、いいか、頼むから何も言わないでくれ。本当はお前に文句を言いたいのを我慢しているのだから。」
彼の前を通り過ぎながら、オスカルは怒りを抑えて静かに言った。

オスカルは扇で顔を隠しながら、馬車回しまで歩くと、ジェローデルと二人で馬車に乗り込んだ。御者役には、アンドレがなっていたが、襲われた場合は一目散に逃げて、オスカルたちの馬車からかなり離れてついてくることになっている、エリュアール大尉率いる部隊に、助けを求めるように厳命しておいた。これが遅れるとオスカルとジェローデルも持ちこたえられないかも知れないし、あまり近くに配置すると『銀狼』も襲ってはこないだろうし、この適度な距離が大事だった。

同日朝――。
レジーとホワイトタイガーは、こちらも最後の打ち合わせをしていたが、レジーがホワイトタイガーの計画に口を挟んでいた。
ホワイトタイガーの計画は恐るべきもので、二人の乗った馬車を馬車もろとも大砲で跡形もなく吹っ飛ばそうとする過激なものだった。
「そんな美的センスのまるでない殺しは、真っ平ごめんだ。それに俺は女子供は殺さないことにしている。これは俺の唯一のポリシーだからな。」
レジーが大声で訴える。
「では、お前はどうしたいのだ。」
ホワイトタイガーがレジーに聞いた。
「あの二人は今フランスで1、2を争う美人だ。片や麗しのロココの女王、片やベルサイユに咲く氷の花と呼ばれる近衛連隊長。いくらなんでも殺すのは、非常にもったいないだろう。」
「それで。」
「それでだ。無傷で捕まえて、海の向こうの遠い外国へでも売った方がいいんじゃないか。どこぞの国では金髪碧眼の美人はえらく高く売れるらしいし、二人とも金髪碧眼だしな。」
「成る程、組織の資金になる訳だ。あの二人がこのフランスから消えればこちらの目的は達成される訳だから、それでも良い訳か・・・。分かった、お前の言う通りにしよう。では、どう動けばいい?」
首領の言葉にレジーは頷くと、自分の計画を説明しだした。

「ドレスってどうしてこう動き難いのだ。これでは、いくら私でも武器がまともに扱えないぞ。」
愚痴っぽく言ったオスカルにぼけーっと見惚れていたジェローデルが慌てて、「そうでしょうね。」と答えた。
「でも、このパニエがあるおかげで武器を隠し持てるがな。」
オスカルが嬉しそうに目を輝かせて言った。
「は? 麗しのドレスの下に武器ですか?」
「当たり前だろう。丸腰でこんな危ないことができるか。いろいろあるのだぞ、ガーターベルトに短剣だろう、特製のポケットに拳銃、それから・・・。」
「それはそうですが、何か嬉しそうですね。宝物を隠している子供みたいですよ。普通の女性はドレス姿で武器の話など嬉しそうになさいません。」
「悪かったな、普通ではなくて。」
オスカルは子供みたいに拗ねて、そっぽを向いた。
(そこがあなたの素敵なところでしょうか。くっくっく・・・)
ジェローデルは、笑い顔を見られないように反対側を向いてこっそり笑った。
「笑うな、ジェローデル! 大体お前はいつも・・・」
ガタン! 大きな物音と共に馬車が止まった。
アンドレは命令通り、御者台から飛び降りると、後方へ向けて急いで走り出した。

馬車を取り囲む数名の人間の気配を感じ、
「お客様が大勢おいでになったみたいだぞ、ジェローデル。」
「命が惜しかったら大人しく降りろ!」『銀狼』の手下の声がかかった。
「隊長、気をつけてくださいね。取り敢えず剣をどうぞ。」
剣をオスカルに渡した。
「お前もな。」
ウインクして見せると、剣を受け取り『銀狼』に取り囲まれた馬車の外へ出た。

馬車から降り、『銀狼』の前に姿を見せたのは、黒地に銀の模様の入ったドレスを着て、左手で持った扇で顔を隠し、右手に剣を持った、金髪の麗しい貴婦人だった。
「アントワネットだ! 捕まえろ。」
「王妃様、物騒なものをお持ちで。扱いなれぬ物で抵抗なさるとお怪我なさいますよ。」ホワイトタイガーの台詞に
「怪我をするのは、果たしてどちらかな。」
オスカルは扇で顔を隠したまま尊大に言った。
「何だと? お前は誰だ!」ホワイトタイガーが怒鳴った。
扇を下げ、顔を見せると微笑みながら辺りに朗々と響く声で言った。
「オスカル・フランソワ、近衛連隊長だ。」
すらりと剣を抜くと華麗なポーズで剣を構えた。
「やはりお前がホワイトタイガーか? 確か、エロワ伯爵と名乗っていたな。」オスカルがにこやかに尋ねた。
「では、こいつは」
ホワイトタイガーはジェローデルを振り返ると言った。
「連隊長の主席副官で、ヴィクトールと申します。どうぞよろしく。」
同じくにこやかに微笑むと優雅に挨拶した。
「ふ、ふざけるな!」
ホワイトタイガーはオスカルとジェローデルにからかわれて烈火のごとく怒り、
「お前たち、王妃と連隊長だと、確認したのではないのか。」
部下に向かって怒鳴った。
「すみません。王妃の私室から出て参りましたし、遠眼鏡で見たもので、はっきりと顔立ちまでは確認出来なかったのです。」
部下の一人が情けない声で報告した。
「では、仕方がない。連隊長殿。あなたの剣の腕前は既に存じ上げております。部下ではあなたに歯が立たないでしょうから、私がお相手致しましょうか。」
ホワイトタイガーが剣を抜くと、オスカルに向かって優雅に剣を構えた。
彼の目が獰猛な鷹の目に変わる。オスカルは、ホワイトタイガーがドレス姿で戦える相手ではないことを一目で見て取った。二人は剣を合わせると相手の出方をお互いにじっと待った。ホワイトタイガーもオスカルの剣の腕前は十分に感じとっていたので迂闊には手を出せなかった。膠着状態が静かに続いた、その間誰も動けず静かに見守っていた。

「動くな、オスカル。」
レジーがアンドレの腕を後ろ手に取ると喉元に短剣を突きつけながら、ゆっくりと姿を現し、そして言った
「こいつがどうなってもいいのか?」
「アンドレ!」
「すまん、オスカル。捕まった・・・。」
「レジー、お前・・・。信じていたのに・・・。」
「悪いな、オスカル。海軍も刺激が足りないし、『銀狼』で面白可笑しく生きるのもいいかなと思ってさ。金も欲しいし。」
「レジー・・・」
「さあて、お二人さん、素直に剣を手放して貰おうか。」
ジェローデルは、剣を足下に投げながらレジーを睨みつけて「卑怯者」と一言だけ言った。
「オスカル、止めろ。いいんだ、俺はどうなっても。頼むオスカル、剣を捨てないでくれ、逃げてくれーっ!」
アンドレは必死の形相で叫んだ。
オスカルは悔しそうに唇を噛むと睫を伏せ、剣を放り投げて、「好きにしろ・・・」と一言、ため息と共に呟いた。
「このお嬢さんは何をするか、分からないからな。ちゃんと縛っておけよ。」
部下がロープでオスカルを後ろ手にすると縛りあげた。
「止めろ、隊長に何をする。」
オスカルを助けようと割って入ったジェローデルをレジーは、殴り倒した。
「よし、良くやったレジー。追っ手が掛からないうちに行くぞ。男二人はどうする。」
ホワイトタイガーがレジーに向かって聞いた。
「俺が始末しておくよ。先に行ってくれ。」
オスカルは数人に腕を抱えられて、引きずられるように馬車に押し込められた。
「止めてくれ、レジー、止めろーーっ!」
オスカルの悲痛な声が、走り去る馬車から聞こえた。
その場に残ったレジーは、短剣を片手にアンドレとジェローデルに不敵な笑みを浮かべながら近づいた。
「レジー、頼む、オスカルだけは助けてくれ。」
「フォーレ先輩・・・」
             

 

 

                        
-つづく-