太陽・作

第 5 章




連隊長室に戻ったオスカルにジェローデルが少々怒りを含んだ声で尋ねた。
「隊長、どちらへ行っていらしたのですか。」
「ああ、すまん。ちょっとプライベートで。」
「いくらプライベートでも、誰かをお連れにならないと困ります。」
杓子定規に言う彼にオスカルはうんざりして、
「ああ、分かった、分かった。ところで用件は何だ。」
と自分の席に腰を降ろしながら答えた。
「隊長、お待ち兼ねの『ブルーシャーク』からの情報が入りました。」
オスカルは、椅子にキチンと座り直し、声を潜めて聞いた。
「それで、何だって?」
「それが、”王妃様の首飾りを良く見ろ”と一言なんですが。」
「は? 首飾り? それだけか?」
蒼い眼を丸くしてジェローデルを問い詰める。
「そうです。」
「それじゃあ、何を言いたいのか分からないな。首飾りね・・・。」
オスカルとジェローデルは、二人で暫らく考えていたが、
「私が王妃様にお伺いして来る。ここで考えていても埒が明かない」
そう言ってオスカルは机に手を付くと立ち上がった。
「私もご一緒に参ります。」
ジェローデルが前に立ちはだかる。
「お前はいい。」
「いいえ、失礼ですが、隊長は宝石には興味もなければ、お詳しくも ございません。私の方が分かります。」
彼はきっぱりと言い切った。
「そう言われてみれば、そうか・・・。一応女なのに情けないな・・・。」
「よろしいではありませんか。興味のあるなしは人それぞれですので。」

二人は王妃の私室で、明日の舞踏会で身に付けることになっている首飾りを宝石担当の侍女から見せてもらっていた。
「こちらですか?」
二人は手袋を嵌め、ケースから首飾りを取り出し直に手にとって眺めて見た。超大粒のエメラルドを数百個のダイヤモンドが 取り巻くデザインとなっていて、いくら宝石に興味のないオスカルでも かなり高価なものだということくらいは分かった。
「オスカル、この首飾りがどうしたのですか?」
王妃が不思議そうにオスカルに聞いた。
「王妃様。申し訳ございません。理由は申せないのでございます。」
「分かったわ、オスカル。あなたを信じていますから、いいのよ。」
二人は暫らく首飾りを見て、小声で何か言い合っていたが、オスカルが 王妃に向かって口を開いた。
「王妃様、不躾なお願いがございます。大変申し訳ございませんが、 こちらの首飾りを私に今夜一晩お貸し願えないでしょうか?」
「オスカル、あなたにですか? もちろん、普通に使うわけではなさそうね。いいでしょう、お持ちなさい。」
王妃は秘密めいたところが楽しくて、可笑しそうに言った。
「はっ、ありがとうございます。それでは拝借致します。」

連隊長室に戻った二人は、相変わらず首飾りをひっくり返して裏を見たり、光に透かして見たり、いろいろやっていたが、さっぱり分からなかった。
「『ブルーシャーク』ももう少しはっきりとした情報をくれればいいのに。」
オスカルがつい溢した。
「でも、隊長。このエメラルドですが、以前王妃様が身につけられて いたのを拝見した覚えがあるのですが、その時と今では輝きが少し違うような気がするのです。」
ジェローデルが考えながら言った。
「私は全然分からん。」
「私はエメラルドが一番好きな宝石ですので、隊長と見方が違う のでしょう。でも、何が違うのでしょうね? エメラルドに何か塗ってあるようにも見えるのですが。」
エメラルドを見つめて、考え込むジェローデル。
「さあな、何が違うのか分かれば苦労はない。」
そう言うと立ち上がり、伸びをしながら窓辺に寄り、外を眺めた。
「ああ、もう暗くなっているではないか、時間の過ぎるのは早いな。首飾りを見ているだけで、一日が終わってしまったぞ。」
「隊長、失礼します。灯りをお持ちしました。」
下士官が声をかける。
「ああ、頼む。」
部屋の中の蝋燭に火を灯していく。首飾りが置かれたテーブルの上にも火が灯された。エメラルドが蝋燭の灯りに照らされて、鮮やかな翠色に煌く。
「やはり、宝石は光を当てると美しさが増しますね。」
ジェローデルが何気なく言った。
「光を当てる? 光に反応する訳じゃないし・・・。えーい、光でなければ 闇だとか・・・。ははは・・・。何かもう疲れたな。」
オスカルは机に近づくと首飾りを手に取り、蝋燭の光に当て、それから 灯りの届かない暗いところへ冗談で持って行った。
「た、隊長!?」ジェローデルの声が上ずっている。
「え? 何だ。」
「首飾りが・・・。」
オスカルは手に持った首飾りが暗闇で黄色っぽく光っているのを見た。
「どうして、暗闇で光るのだ?」
オスカルはもう一度しっかりと灯りの中で首飾りを見た。
「灯りの中だと別に普通なのだな。それが暗闇だと・・・」
そう言いながら手元の灯りを吹き消した。
「わっ、やっぱり光るぞ、ジェローデル。」
オスカルは、首飾りを手に唖然としている。
「凄いですね。こんな光、初めて見ました。暗闇の中でものすごく目立つ でしょうね。」
ジェローデルは慌てて近寄ると首飾りを覗き込みながら感心して言った。
「目立つ・・・。それだ! ジェローデル、やつらの目的はそれだ。」
「首飾りが暗闇で光れば・・・。そうか、目印になる訳ですね。」
二人の表情は瞬時に明るく輝いた。
「そうだ。舞踏会はかなりの灯りが灯される。昼間並に明るい。今回は 鏡の間だから尚更だ。そこで、灯りが消されたらどうなる、人々はパニックで、 右往左往する中、王妃様の首飾りだけが暗闇に浮かぶ。暗殺に使うには もってこいの小道具だ。遠くから狙撃もできるだろうし、近くからでも、目標を 見誤るということがないのだからな。」
オスカルはその事実に改めて興奮していた。

オスカルは椅子に座りなおすと、首飾りを机上に置いて、冷静に考え 始めた。
「とすると、これを逆に利用しなくてはな。狙撃される可能性もある訳だから、身代わりは使えないな。そうすると・・・。よし、ジェローデル、 これとこれを用意してくれ。舞踏会は明日だから、時間がないが、頼む。」
ジェローデルは、オスカルから渡されたメモ書きを確認すると彼女の考えを瞬時に理解し、急いで出て行った。

(『銀狼』覚えていろよ、絶対にお前たちの思う通りにはさせない。今度こそ、捕まえてやるからな『ホワイトタイガー』首を洗って待っていろ。)

そして、準備が何とか間に合って、王妃主催の舞踏会が鏡の間で華々 しく開催された。オスカルとジェローデルは、ぴったりと王妃の側に付き添っていた。王妃の首には、エメラルドの首飾りが燦然と輝いていた。

オスカルが鏡の間を見回すと、オルレアン公と例のエロワ伯爵の姿も見えた。
「ジェローデル、オルレアン公の隣にいる紺色のアビを着た背の高い男が、 例のエロワ伯爵だ。一応、注意しておいてくれ。」
オスカルが小声で告げた。
「はい、分かりました。」
(あれは、レジーか?)
エロワ伯爵の直ぐ側に、紫色のアビ・ア・ラ・フランセーズに身を包み、 いつもは真っ直ぐ垂らしている蜂蜜色の長い髪をリボンで束ねたレジーが いるのをオスカルは見つけた。

王妃はオスカルとジェローデルに守られ、皆に声を掛けながら鏡の間を進む。
「オルレアン公、ご機嫌いかが? エロワ伯爵も楽しんで頂いているかしら。」
「これは、王妃様。ご機嫌麗しく。」
「こんな盛大な舞踏会は、始めてでございます。さすが王妃様主催の舞踏会で ございます。」
エロワ伯爵も優雅な仕草で挨拶する。
「こんばんは、こちらは初めてかしら?」
「お目にかかれて光栄でございます。レジーヌ・フランセット・ド・フォーレと 申します。」
にこやかな笑顔で膝をおり優美に礼をとる。
「まあ、麗しいお名前なのね。どうぞごゆっくり楽しんでいらしてね。」
「ありがとうございます。」
王妃が自分の前を通り過ぎるとレジーは下げて いた頭をゆっくりと上げ、オスカルにすみれ色の瞳を向けると軽く微笑んだ。

楽団の演奏が続き、鏡の間には豪華な色とりどりのドレスが溢れかえり、 そして踊りの輪も広がっていった。
レジーもあちらの貴婦人こちらの貴婦人と次々と相手を替えると優雅に ダンスを楽しんでいた。オスカルはそんなレジーを見つめて、いらいらしている自分を感じていた。

その時、突然場内の灯りが総て消えた。
「きゃーーーっ」「な、何だ。」「どうした」
一瞬の内に鏡の間はパニック状態となり、貴婦人方の悲鳴があちこちで 上がり、大騒ぎとなった。

その消燈を合図にオスカルの部下が前もって用意されていた等身大人形に 掛けられていた黒布を一瞬で取り去った。中から現れた人形の首に 掛けられていたのは、あのエメラルドの首飾りだった。暗闇の中で首飾り だけが妖しく光り輝く。

その光を目指して動く数名の気配を追いながらオスカルは、既に指示を 与えてある部下の行動を待った。近衛の下士官約百名が用意されていた 灯りを持ち、大挙して暗闇となっている鏡の間に飛び込んできた。 一気に明るくなった鏡の間で不審な行動をオスカルの目前に晒したのは、 人形に向かって短剣を振りかざしているエロワ伯爵と拳銃を構え持った レジーだった。オスカルとジェローデルは、二人に向かって剣を突き付けた。
「動くな! 武器を放して、手を上げて貰おう。」
オスカルが凛とした声で叫んだ。
近衛隊士が二人の周りをぐるりと取り囲む。
暫らくの沈黙の後、エロワ伯爵は、表情一つ変えずに短剣を足元に投げ捨てると黙って両手を上げた。
一方レジーは、苦笑いしながら持っていた拳銃を足元に置いた。
それからおもむろに剣を外して、下に置き、両手を上げた。
「よし、連れて行け!」
心の動揺を誰にも気取らせないようにきっぱりと言ったオスカルだった。 二人は後ろ手に縄を掛けられると、両側から抱えられるように連れて行かれた。
オスカルは、レジーのその姿を見ないように目をそらしていた。

舞踏会は残念ながら、途中でお開きとなってしまった。
でも、王妃はもちろん誰一人怪我もなかったので、近衛の面目も充分に 立った。

オスカルは、連隊長室にやっと戻ると、心身ともに脱力していた。
アンドレが椅子に力なく座り込んだ彼女のために温かいショコラを持ってきた。
「アンドレ、レジーが・・・。嘘だよな。あいつが悪いことなんか、出来る訳がないよな。」
ショコラを受け取りながら、オスカルが悲しそうな目でアンドレに訴えた。
「そうだとも、オスカル。何かの間違いさ。心配することはない。疲れが 取れるから飲むんだ、オスカル。」
「うん・・・。」
カップを両手で包み込むように持つと、ショコラに口を付けた。
アンドレは座っているオスカルの後ろからやさしく肩を抱きしめた。
「アンドレ、ジェローデルを呼んでくれ。」
「分かった。その間にショコラを飲んでおくんだぞ。」
アンドレはそういい残すと部屋を出て行った。
(レジー、私がお前を取り調べなくてはならない。どうして、お前は・・・。)
「隊長、失礼します。ジェローデルです。」
「ジェローデル、エロワ伯爵の方はどうだ? 何かしゃべったか?」
「いいえ、隊長。相変わらず氏名もエロワを名乗っています。調べがついているんだと言っても、平然としています。もちろん、何も話しません。」
「そうだろうな・・・。ところで、あの、レジー、いやフォーレ伯爵は。」
「フォーレ伯爵も、氏名以外は一言も話しをされていません。伯爵には今 エリュアール大尉が尋問に当たっています。」
「そうか、ではお前は引き続きエロワ伯爵を頼む。私はフォーレ伯爵と 話してみたいから。」
「分かりました。でも隊長、大丈夫ですか? 無理をなさらないで下さい。」
ジェローデルは、オスカルの顔色が悪いのに気が付いていた。

オスカルは、レジーが拘留されている近衛の営倉に向かった。
取調室に使われている部屋の前へ行くと、部屋の中からエリュアール大尉の大声が聞こえた。
「氏名は分かった。だからその後だ、もう一度言う、なぜあそこで拳銃を 抜いた? え? 王妃様を撃つつもりだったのだろう! 答えろ!  おい、貴様、何とか言え。」
机をバンバンと叩いて興奮して叫んだ。レジーは我関せずという顔を崩さず、表情を全く動かしもしなかった。
「エリュエール大尉、私が代わろう。」
オスカルは静かに部屋に入ると言った。
「あっ、隊長。でも、・・・」
「いいのだ。ご苦労だった。ここは二人だけにして、お前たちは部屋の外で待機してくれ。」
下士官2名とエリュエール大尉が部屋から出て行くと、オスカルは彼の縛めを解いてやった。
「レジー、何か飲むか?」
「ブランデーが欲しいんだが、ここでは無理だな。では、紅茶を貰おうか。」
場にそぐわない、いつもの明るさでレジーは答えた。
「分かった、ちょっと待っていてくれ。」
オスカルは部屋の外の下士官に紅茶を持ってくるように頼んだ。
紅茶が届くとオスカルは、レジーに渡し、それからレジーと机を挟んで 向かい合わせの椅子に座った。彼のすみれ色の瞳をしばらく見つめ、 そしてゆっくりと口を開いた。
「レジー、私にも話してはくれないのか?」
やっとの思いで彼に問い掛けたオスカルに、レジーはやさしく微笑んで 頭を振った。
「オスカル、俺が言いたいのは一言だけだ。」
彼女の蒼い瞳を射すくめるように見つめ返すと呟いた。
「何だ?」
「愛している。」彼女の耳朶にレジーの信じられない言葉が響いた。
「ふ、ふざけるな!」
椅子を蹴って立ち上がったオスカルの両の二の腕をレジーが立ち上がりざまに強い力で掴むと自分に引き寄せた。彼女が怯えた表情で彼を見上げると、すみれ色の瞳が真剣に自分を見つめていた。

オスカルの中で何かが弾け飛んだ瞬間、彼の逞しい胸に抱きすくめられ、 激しい口づけを受けていた。しっかりと閉じていた彼女の歯列を割り、 彼の舌が忍び込んだ。そして、逃げ惑う彼女の舌をしっかりと捕まえると、 強く吸った。オスカルが彼の口づけに答え、彼の首に自分の腕を絡ませて 縋りつくまで、口づけは深く、長く、愛を込めて続けられた。

「信じるよ、レジー・・・」
オスカルは抱きしめられたまま、彼の胸に顔を伏せ、消え入りそうな声で 囁くと、そっと温かな彼の胸から離れ、部屋を出て行った。そして部屋の外に待機していた部下に、彼を営倉に入れて置くように指示すると 連隊長室に戻って行った。

 


-つづく-