太陽・作

第 4 章



オスカルは、地下室から続く階段を用心深く昇り、目の前の扉を慎重に開け、拳銃を素早く構えた。
そして、人間の気配を感じて、拳銃を向けた。
「誰だ!」
「待て、オスカル。撃つな!」
そこに拳銃を構えて、立っていたのは、レジーだった。
「レジー、どうしてお前がここに・・・。」
オスカルは拳銃を手にしたまま、呆然として立ち竦んだ。

「それより、オスカル・・・。急いで逃げるぞ!!」
「この匂いは・・・?」
「そうだ、ベルトレー火薬だ。俺たちを屋敷ごと吹っ飛ばすつもりだ。」
慌ててドアノブに手を掛けるオスカル。押しても引いてもびくとも動かない。
「だめだレジー、ドアが開かない。」
オスカルの背中を冷や汗が伝う。レジーとオスカルは、外へ出るべくドアと窓を開けようと試みた。
「ドアも窓も塞いである、閉じ込められたな。他は? そうだ、オスカル、二階だ!」
二人は二階へ急いで駆け上がり、レジーが窓ガラスを椅子で叩き割った。
「オスカル、川へ飛び込め。早く!」
オスカルとレジーは、身を躍らせて冷たい冬のセーヌ川へ飛び込んだ。間一髪で大音響と共に屋敷は粉々に吹っ飛んだ。
「ひゃーっ、危ない、危ない・・・。何て言っていられん、凍えるぞ。おい、オスカル、早く向こう岸まで泳げ。」
オスカルの返事はなかった。
「オスカル?」
オスカルは、辛うじて浮いてはいたが、爆風の衝撃で既に気を失っていた。
「おい? やばいな。」
レジーは、オスカルを仰向けに浮かばせたまま首に手を廻して引き、片手で向こう岸まで泳いだ。

「隊長ーっ!」
「オスカル、どこだ。オスカルーッ。」
近衛隊員やアンドレは、元の屋敷の火事と、隣の屋敷の突然の爆発で右往左往していた。オスカルを必死で探していたが、彼女がどこにいる のかまるで掴めていなかった。

レジーは、岸に辿り着くと気を失ったままのオスカルの呼吸を確認し、肩に担いで、急いで歩いていった。

辺りが暗闇に支配された頃、やっとオスカルは気が付いた。
「ん・・・?重いなこの腕は、誰の腕だ・・・?」
ベッドの上で眼を開けたオスカルにレジーの顔が、どアップで迫る。
「気が付いたか?」
裸のオスカルを抱きしめたまま、やっぱり裸のレジーが声をかけた。
「うわーーっ! な、な、何をしているんだ!?」
自分がどんな状況にいるのか気がついて、真っ赤になってオスカルが叫んだ。
「何をって温めているだけだが。」
しれっとレジーが答えた。
「どどどどうして、私は裸なのだ!」
自分の姿にびっくりして慌ててシーツを引っ張った。
「川に飛び込んで、濡れたし、あのままじゃ凍死してしまうから脱がせたのだが。」
「私から離れろ! あ、あっちへ行け!」
胸元をシーツで隠して、喚いた。
「せっかく助けてやったのに、つれないなあ。」
レジーは、笑いながらオスカルから離れるとベッドから出て、暖炉の前に乾かしてあった衣服を身に付け始めた。
「お前まで、どうして裸なのだ。」
彼から目を背けたまま聞いた。
「俺だってびしょ濡れだったし、それに、人肌で温めなくては駄目なくらい、お前は凍えていたんだよ。」
「凍えて? ああそうか、冬のセーヌ川に飛び込んだんだ。私は気を失っていたのか?」
「そうだ。爆風のショックでな。後頭部と背中に少し傷を負っているが、治療しておいたし、大したことはない。」
「背中の傷? 見たのか、私の身体を。」
「しょうがないだろう。緊急事態だったんだし。大丈夫だって、気にするな。そんなささやかな胸。」
「あ、ありがとうと言うべきなのだろうな、助けて貰ったのだから。」
赤くなりながらも精一杯の虚勢を張って、オスカルは言った。
「まあ、礼を言われるよりも、キスの一つも貰いたいものだが。」
「キス? ふざけるな。それより、私に何もしていないだろうな?」
「意識のない女に手を出すほど、女に不自由していないって。」
「ふ、服を着るから、あっちへ行ってくれ!」
「もう全部見たから、別に恥ずかしがらなくても・・・」
そう言い掛けたレジーに怒ったオスカルの投げた枕が飛んできた。
「はいはい、今出ます。」
レジーは、枕を受け止めて笑いながら隣の部屋に消えて行った。

オスカルは、慌ててシーツを身体に巻きつけベッドから飛び降りると、そこにあった鏡に頭と背中を映して見た。爆風で何かの破片が飛んで、 当たったのだろう。切れてはいたが消毒され、薬も塗られていたし、既に血も乾いていた。ただ、レジーに裸を見られたことに、どうしても わだかまっていた。

(何がささやかな胸だ、人が気にしていることを、・・・)
オスカルはコルセットを身につけながらふと、考えた。
(このコルセットまで、あいつが脱がしたのか? 私は気がつくまで裸で、 ずっとあいつの裸の胸に抱かれていた訳か・・・?)
想像すると顔から火が出そうだった。オスカルは頭を振ると何も考えずに事務的に服を身につけた。
オスカルは、改めて部屋を見廻した。アパートの一室のようだった。
(ここは一体誰の部屋なんだ?)

暫らくしてレジーはドアの向こうで声をかけた。
「おい、オスカル、もういいか?」
「ああ・・・、いいぞ。」
彼女が憮然として答えるとワインとグラスを抱えてレジーが入ってきた。
「まだ、身体が冷えているから、飲んでおけ。」
グラスにワインを注ぐと、オスカルに差し出し、自分にも注ぐと一気に煽った。
「さてと、こうしちゃいられないんだ。俺は出かけるから、お前も辻馬車を拾って帰れ。隊でも心配しているだろう。」
「おい、レジー。私はお前に聞きたいことがあるのだ。なぜ・・・」
「すまん、今話をしている時間はないんだ。じゃあな。」
片手を上げると、レジーは、あっという間に出て行ってしまった。
一人残されたオスカルは、ワイングラスを片手に呆然としていた。

レジー、なぜ、あんな隠し通路の先にお前はいたんだ?
いること自体おかしいのだ。
あそこは『銀狼』のアジトなんだ。
『ホワイトタイガー』がいるというので我々が行ったのだ。
お前が『ホワイトタイガー』だと誤解されても仕方がないんだぞ。
どうやって弁明するんだ。
どう考えても、休暇でベルサイユに来ているとは思えないじゃないか。
私に剣を投げてくれた時もそうだ、オペラ座の時もそうだ、
どうしてあの場所に居合わせたのだ?
いつも『銀狼』が現れる所に必ずお前がいる。
教えてくれ、レジー。私を苦しめないでくれ・・・。

とにかく、隊に戻らなくてはとオスカルは外に出て、辻馬車を拾い近衛隊本部へ向かった。
改めて辺りを見回すと、今いた部屋は爆発のあった屋敷の直ぐ近くだった。
明日、明るくなったらまたこの部屋も調べてみようとオスカルは、思った。

連隊長室にオスカルが戻ると、夜遅くにも関わらず沢山の人間がいた。
「隊長! ご無事で。」
「オスカル、よかった」
皆口々にオスカルの無事を喜んだ。
「ああ、すまん。何とか爆発前に逃げたのだが、ちょっと・・・。まあ、私のことはいい。ところで、『銀狼』はどうなった?」
「それが、最初に入った屋敷では、火が付けられて、その隣の屋敷は爆発致しましたし、結局誰一人捕まえることはできませんでした。」
ブールジェ中尉が悔しそうに報告する。
「分かった、ブールジェ中尉、詳しくは報告書にまとめて明日の朝一番に提出してくれ。」
「はい。」
「ジェローデル大尉を残して、後は引き取ってくれ。」
皆部屋から出て行って、ジェローデルとオスカル、アンドレの3人が残った。

「ジェローデル、あのアジトの情報はどこからだったのだ?」
「『ブルーシャーク』だと思うのですが。」
「思うというのは、どういうことだ。」
「『ブルーシャーク』からの情報は、ある一定の決まりがあるのです。あちこちから入ったのでは、分からなくなりますからね。近衛では、 私のところへある方法で入ることになっています。これは隊長と言えどもお話しする訳には参りません。彼の身に危険が及びますから。」
「なるほどな。諜報員の正体がばれたら、拙いわけだ。」
「そうです。大体諜報員というのは、敵の中に身を置いていることが多いので、かなり危険な仕事なのです。それで、今回の情報は私がたまたま『ブルーシャーク』と連絡を取ろうと動いていた矢先に入った情報で、正規のルートではなかったのです。それを確認しようと手間取ってしまって、私がアジトに乗り込むのが遅れたのです。今日は『ブルーシャーク』と連絡が取れるはずだったのですが、なぜか取れませんでした。彼が連絡出来ない事情があったのだと思いますが。」
「そうか・・・。」
「また、明日彼と連絡を取って見たいと思いますが、こちらから連絡を取るのはなかなか難しいのです。」
「分かった、ご苦労だった。」

「それと、偽のエロワ伯爵の件ですが。確かにオルレアン公とあちこちで一緒にいるところを目撃されていますが、ただそれだけです。ご婦人方には美丈夫なので評判はよろしいようですが。特に不審な情報は 入っていません。今は、パレ・ロワイヤルにいるはずですが。」
「パレ・ロワイヤルか、迂闊には手出しできないしなあ・・・。」
オスカルは、不満そうな顔で頬杖をつきながら、指で机を叩いた。
「あ、そうだ。今日のアジトとされた屋敷の持ち主と借主は?」
オスカルの問いに、ジェローデルは資料を広げ調べる。
「えーっと・・・、ちょっとお待ちください。火事で燃えた屋敷は・・・通りの・・・隊長! 持ち主はオルレアン公です。そして、借主はエロワ伯爵です。」
「なんだって! ここでも、この二人がでてくる訳か。王妃様主催の舞踏会まであと2日、『銀狼』もそれまでに派手に動いてくれればこちらも手を打ちようがあるのだが、頭が痛いなあ・・・。」
オスカルは机に頭を突っ伏した。
「オスカル、この頭の傷は? それにこの背中は?」
アンドレがびっくりして問い詰めた。
オスカルは、アンドレの問いには答えずに、椅子から立ち上がると二人に背を向けた。

「ジェローデル、お前はもう下がっていいぞ。少し休め。」
「はい、失礼します。」
ジェローデルも彼女の怪我には気が付いていたので心配だったが、言われたとおりに黙って部屋を出て行った。
二人きりになるとアンドレが咎めるように言った。
「オスカル、惚けるな。この傷はどうしたのだ。軍服も背中が裂けているし、ここも怪我しているのか? 見せてみろ。」
アンドレは、オスカルの軍服を脱がせた。オスカルはおとなしくアンドレのされるがままになっていた。軍服の下に着ている白のブラウスも裂けて、血がこびり付いている。
「オスカル、傷を見てもいいか?」
オスカルは黙って頷くとアンドレに背中を向けたままブラウスを脱ぎ、ブラウスと両手で胸元を隠していた。彼女の流れるような豪華な髪を片側に寄せて、背中をよく見えるようにすると、左側の肩甲骨のところに、長さ10センチ程の浅い切り傷と 内出血の跡があった。治療はきちんと済んでいるいるようだったし、血も既に止まっていた。心配するほどの怪我ではなかった。
「オスカル、あまり心配させないでくれよ。」
アンドレは、ほっとしながら彼女の肩を軽く叩いて言った。
「大したことはない。あの爆発で少し怪我しただけだ。かすり傷だよ。服は着替えがなかったからな。」
オスカルはさも何でもないことだと言わんばかりに明るい声で言った。
「違うんだ、オスカル。俺が聞きたいのはそんなことじゃない。誰とどこにいたんだ? 自分で背中の治療はできないだろう。しかもお前の行方が分からなかったのは、かなり長い時間だ。」
アンドレは、オスカルの着替えを持ってきて手渡しながら聞いた。
オスカルは衝立の向こう側へ行くと着替え始め、暫らく考え込んで黙っていたが、やがて静かな声で呟いた。
「アンドレ、今はまだ言えない・・・。」

朝になると、オスカルは誰にも黙って、一人で昨日の部屋を尋ねた。
「えっと、確かこの部屋だな。」
古びたアパートの2階の角部屋。自分の記憶を再び確認するとドアをノックした。
「はーい・・・」中から、若い女の声がして、ドアが開いた。
「どなた?」赤毛の若い女が、眠そうな顔を覗かせた。
「あっ、これは失礼。あの、すみませんがこちらのお部屋はあなたのお部屋ですか?」
「そうよ、私が2年前から住んでいるわ。」
つっけんどんに女が答える。
「2年前? 昨日は、この部屋にいらっしゃいましたか?」
「昨日? 変なことを聞くのね、昨日は出掛けていていなかったけれど。さっき帰ってきたばかりよ。これから寝るんだから、帰って頂戴。」
オスカルを押し戻そうとする。
「ちょっと、失礼」
オスカルは強引に部屋に押し入ると部屋の中を見回した。暖炉、鏡、ベッド、窓の位置、窓枠の形、カーテン、床の絨毯の色、そして染みまで同じだ。昨夜の部屋に間違いない。
「ちょっと、出て行ってよ。何よあんた、人を呼ぶわよ。」
彼女は大声で怒鳴った。
「ああ、すみません。大変失礼しました。」
オスカルはあっさりと引き下がると部屋を出た。

あの部屋に間違いはない。なのになぜ、他の人間が住んでいるんだ? 
どうして? レジーお前は、どこで何をやっているんだ。

冬の鉛色のどんよりとした空から、初雪が舞っていた。オスカルは自分の心と一緒で、すっきりとしない空を見上げると、力なく馬に跨り、 ベルサイユの近衛連隊本部に戻っていった。

赤毛の女は、オスカルを押し出すと隣の部屋に隠れていた男に向かって聞いた。
「これでいいの、レジー?」
「ああ、ありがとう。」
レジーは窓枠に持たれ腕を組んだまま、遠ざかって行くオスカルの後姿をじっと見つめていた。




-つづく-

              

 

                    

しのぶさまのイラストはこちら