太陽・作

第 3 章



その晩レジーは、結局帰ってこなかった。オスカルは心配していたが、アンドレに彼はもう子供ではないし、大人の男にはいろいろあるのだとしっかりと諭されてしまった。自分だけがいつまでも、子ども扱いされて非常に面白くなかった。
「レジーのばか、女ったらし・・・。」
自分の訳のわからない感情に、オスカルは戸惑っていた。

次の日、オスカルは準夜勤で、深夜までの勤務だった。
この日は王妃も特に出掛けるということもなく、ただ私室で謁見などをこなしていた。その王妃の側に一日付いていた。

オルレアン公と共に王妃の私室に現れたのが、昨日レジーに誰か聞かれたあの男だった。年のころは30才前後か、190cmはありそうな均整の取れた体躯を、刺繍も豪華な深緑のアビ・ア・ラ・フランセーズに身を包んだ、美丈夫だった。薄茶色のウエーブのかかった長い髪をアビと同色のリボンで束ね、髪と同じ薄茶色の瞳を王妃に向けて、微笑む。

「王妃様、こちらはエロワ伯爵です。」
オルレアン公が王妃に紹介する。
王妃の前に優雅に膝を折り、恭しく礼を取ると言った。
「お初にお眼にかかります。私はル・アーブルより参上致しました、リシャール・アレクサンドル・ド・エロワと申します。どうぞお見知りおきを。」

王妃の手をとると優美なしぐさで手の甲に口づける。
オスカルは王妃の側でその男を間近で見て、一見すると優しそうに見える薄茶色の眼が獲物を狙う猛禽類の眼のように感じた。エロワ伯爵は、その鷹のような眼をオスカルにも向け、軽く微笑むとオルレアン公と共に王妃の私室を辞した。

レジーは休暇でベルサイユに来ていると言った、なのになぜこの男のことを気にしていたのか? 優雅さの中に何か冷たいものを感じさせるこの男は一体何者なのだ? 
オスカルは、また疑惑が大きく広がって行くのを感じていた。

夜――。
ベルサイユにほど近い酒場で、男3人集まって、大いに盛り上がっていた。
蜂蜜色と亜麻色と黒色の髪の男。レジー、ジェローデル、アンドレだった。
「俺たち3人はまったく性格が違うのに、どうして女の好みは一緒なんだ?」
レジーが大きな声で悪びれずもせずに言った。
「女性の好みが一緒と申しますと?」
ジェローデルが不思議そうにレジーに聞いた。
「俺が分からないと思っているのか、お前たちは随分前から恋敵だろう?」
ジェローデルとアンドレはお互いに顔を見合わせて絶句する。
「ということは、レジーも・・・。」
アンドレがおもむろに口を開いた。
「ま、そういうことだな。但し、ご本人はそちらの方面に疎いからまるで分かっていないみたいだがな。お前たちもあんまりのんびりしていると、いくら氷の花でも萎れてしまうぞ。俺も久しぶりにベルサイユに来た事だし、行き掛けの駄賃で手折って行こうかな?」
「私は彼女より年下ですので、機会を伺っているだけです。勝手に来て、手折られて堪るものですか。」
ジェローデルが珍しく憤慨して言った。
「俺だって、ずっと見守ってきているんだからな。レジーより俺のほうが付き合いが長いんだ。」
アンドレも息巻いた。
「ははは・・・。その調子だ、頑張れよ二人とも。誰が射止めても恨みっこなしだ。俺も頑張ろうっと。あいつは俺の初恋なんだから。」
「そうだ、初恋といえば、レジー、お前今はたしかオン・フルールに住んでいるって言っていたよな。」
「それが、どうかしたか。」
「オスカルには内緒だが、俺はオン・フルールで初恋の女の子に会ったんだ。俺がまだベルサイユに来る前だ、確か7歳のときかな。両親とオン・フルールへ船を見に行ったんだ。その時、やはり両親に連れられて船を見に来ていた女の子に会ったんだ。一つくらい年下かな? かわいいピンクのドレスを着て、ドレスとお揃いのピンクの帽子を被っていたんだ。真っ直ぐな金髪にすみれ色の瞳で、本当に天使みたいにかわいい子だったなあ。」
アンドレは自分の脳裏に浮かぶ、天使のような清らかな彼女の思い出に幸せそうに浸っていた。

「アンドレ、その話しってまさか、その子のピンクの帽子が風で飛んだので、慌ててお前が拾ってやった、とかいうんじゃないだろうな。」
レジーが、混ぜっ返すように言った。
「そうだ、その通りだ。悪いか。」
アンドレはレジーの言い方に、自分の思い出を馬鹿にされたような気がして怒ったように答えた。
「それで、その子がお前にありがとうといいながら、お礼に手に持っていた熊のぬいぐるみをくれた・・・。」
「そうだ、どうして分かるんだ?」
アンドレはびっくりして、レジーに詰め寄った。
「そりゃあ、お前、分かるさ。そのピンクのドレスを着ていたのは俺だ。」
「ええーーっ! 何だって!」
アンドレは持っていたグラスを取り落とした。

「だから、俺の名前が何故女名だと思う? 幼年仕官学校に入るまではオスカルと反対に女として育てられていたんだ。男の名前をつけて、男として育てると二人の兄貴みたいに早く死んでしまうとかいって・・・。」
「そういえば、彼女はレジーヌって名乗ったっけ・・・。レジー、お前、俺の初恋の思い出を無残にも踏みにじりやがって、この野郎。」
「俺のせいじゃない、勝手に勘違いしたお前が悪いんだ。俺は女だとは言わなかった筈だからな。」
「ドレスを着た、レジーヌって名前の男が普通いるか。」
「アンドレお前って結局、倒錯したやつが好きなのか? ははは・・・」
「くっくっく・・・」ジェローデルも笑いこけている。

「ジェローデル、お前も人のことを笑っていないで、お前の初恋物語でも聞かせて貰おうか?」
レジーが笑いながら言うとアンドレも憮然としたまま同意した。
「私の初恋ですか? そうですね、ちょっと情けない話なのであまり人に言いたくないのですが・・・。」
「人の話を肴にして笑ったんだから、是非聞かせて貰いたいな。」
アンドレが酒に手を伸ばして、自分のグラスに注ぎながら言った。

「はいはい、分かりました。どうせ笑われるのでしょう。私が5歳くらいですか、父に連れられてあるお屋敷に伺ったのです。はっきりと覚えていないのですが、海軍の将軍のお屋敷だったと思うのです。そこで父と離れて遊んでいたら、迷子になってしまって、まあはっきり言いますと心細くて泣いていた訳なんです。」
「迷子で泣いてた・・・?ぶふっ・・」アンドレが吹き出した。
「だから、笑うって・・・。まあいいでしょう。そこへ、そのお屋敷のお嬢様が現れて、私を慰めてくれたのです。私より1〜2歳くらい年上だったでしょうか? 水色のドレス、真っ直ぐなブロンド、すみれ色の瞳・・・」
夢見るようにそこまで言ってからジェローデルはある疑惑に気が付いた。
「まさか、そんな訳ないですよね。フォーレ先輩!」
ジェローデルの翠の瞳が大きく見開かれた。
「それで、その彼女が言ったか? 大丈夫? 泣かなくてもいいのよ、私も一緒にお父様を探してあげるから、と。そしてお前にチョコレートをくれて、頭をやさしく撫でてくれた。」
レジーのすみれ色の瞳が悪戯っぽく輝いた。
「や、やっぱり・・・・。」
呆然となって、固まるジェローデル。
「いやーっ、あの時の亜麻色の髪に翠の瞳のかわいい男の子は、お前だったのか。ははは。俺ももてるな、男にもててもしようがないが。ははは・・・」
お腹を抱えて笑いつづけるレジー。

「お前達って、初恋の相手が俺で、現在の想い人がオスカルか。結局、二人の好みがえらく似ているんだな。」
「もう、やってられん。」アンドレはグラスにがばがばと注ぐと、一気に煽った。
隣でジェローデルも「美しい思い出が先輩のおかげで台無しです。」
と言いながら、アンドレと同じく飲み続ける。
「おいおい、そんなに飲むと明日が大変だぞ。オスカルに怒られても俺は知らないからな。」
と注意はしながらも、レジーもにこにこと楽しそうに飲んでいる。
3人は結局夜更けまで、笑い、飲み、どんちゃん騒ぎを続けた。

次の日、オスカルはアンドレとジェローデルの二人が酒臭いのに気付いて、
「どうしたのだ、二人とも珍しいではないか。お前たちが揃って二日酔いだなんて。」
「は、申し訳ありません。隊長。ちょっと・・・」
「ちょっとな、」男二人は、顔を見合わせて笑った。
「ふざけていないで、二人とも顔を洗って来い! 真面目な話なんだ。」
オスカルの一喝を受けて、二人は慌てて顔を洗いに行った。

戻ってきたジェローデルにオスカルは尋ねた。

「この間、頼んだものはどうなった」
「物が物だけに、もう少し時間が掛かりますが。」
「分かった。出来るだけ急がせてくれ。『ブルーシャーク』からまだ連絡は入らないか?」
「確認して見ます。」
「それとル・アーブルから今ベルサイユに来ているリシャール・アレクサンドル・ド・エロワ伯爵という人物について至急調べてくれ。分かる範囲総てだ。」
「はい、すぐ調べます。」
ジェローデルは急いで出て行った。

数十分後、ジェローデルは出て行ったときと同じく急いで戻ってくるとオスカルに報告した。
「隊長! エロワ伯爵ですが、彼はもう生きてはいません。」
「何だって!」
「リシャール・アレクサンドル・ド・エロワ伯爵は、1710年9月18日生まれ、生きていれば70を越えていますが、1740年30歳の時に落馬事故で亡くなっています。彼自身兄弟姉妹もなく結婚もせず、後継ぎの子供も無かった為、そのままエロワ家は途絶えている筈です。」
「では、昨日オルレアン公と現れ、エロワ伯爵を名乗ったあの男は一体誰なんだ?」
「あの男と申しますと。」
「昨日、王妃様の私室に現れたんだ。身長190cmくらい、かなりがっしりした身体つきだったな、深緑のアビ・ア・ラ・フランセーズを着て、薄茶色の髪と瞳、きれいな顔立ちだったが、目つきの冷たい油断のならない印象を受けた。それに銃や剣もかなり使えるだろう、見れば分かる。但し、軍人という感じではなかったな。一昨日、庭園でも見かけたし、昨日は王妃様の私室にまで現れたんだ、見かけた人間はかなりいる筈だ、情報を集めてくれ。」
「はい、すぐに。」
ジェローデルはオスカルの情報を書き取ると又走って出て行った。
「アンドレ」
「何だ?」
「レジーは昨夜帰ってきたか?」
「いや、一緒に飲んではいたが、どこか寄るところがあるというので別れたが。」
「レジーも一緒だったのか? まったく、私が夜勤で動けないのをいいことにお前たちは・・・。レジーにも聞いて見たいことがあるのだが・・・。」
オスカルは彼に聞いてもいいものか、悩んでいた。エロワ伯爵を名乗った男、そしてレジー、どちらもオスカルの心に影を落としていた。

『銀狼』のボスと目される『ホワイトタイガー』が今ベルサイユに来ている筈だ。
レジー、お前は、まさか・・・。

「隊長!」ブールジェ中尉が飛び込んできた。
「『銀狼』のアジトが分かりました。」
「よし、直ぐ行くぞ。二個小隊準備せよ。アンドレ行くぞ。」
オスカルは、ブールジェ中尉以下、二個小隊を連れて、急ぎアジトへ向かった。

セーヌ川岸の静かな1画にアジトとされる邸宅はあった。
「よし、ブールジェ中尉お前は、一個小隊と裏口を固めろ。残りの小隊は私について来い。アンドレお前もだ。」
オスカルは、銃を持ち、表から堂々と飛び込んだ。
「出て来い『ホワイトタイガー』、お前の思い通りにはさせない!」
オスカルは辺りに凛と響く声で言った。
「隊長、火事です!」隊員の一人が大声で告げる。
「畜生! 火をつけて、その隙に逃げる気か。火を消せ!」
オスカルは、そう言いながら自分は2階を目指して階段を駆け上がる。
「オスカル、危険だ、待て!」
アンドレは消火の為の水を探して、一瞬オスカルから目を離してしまった。
「探せ、『ホワイトタイガー』が必ずどこかにいる筈だ。」
オスカルは2階の部屋を一つずつドアを開けて、誰かいないか確認していった。

ガタン・・・

そのときとなりの部屋で小さな物音が聞こえた。
オスカルは足音を忍ばせて、物音の聞こえた部屋へ行き、ドアを蹴破って、銃を向けた。
そこには既に誰もいなかった。但し、本棚の後ろの隠し扉が半分開いていた。
「なるほど、こういう仕掛けか・・・。誰か通ったばかりみたいだな、よし。」
オスカルは、隠し扉から中に一人で入っていった。
「オスカル、どこだ。オスカルーッ!」
アンドレは、見失ってしまったオスカルを焦って探していた。

オスカルの前に下へ降りる階段が続き、地下まで階段が伸びていた。階段を降りきると、そこにまたドアが有り、その先にまだ何かあるのだろうと思われた。銃を構えて、ドアをそっと開けると、天井の低い通路が延びていた。一本道で隠れるところのまるでない通路だったので、一人では危険かと思われたが、オスカルはそこにあった蝋燭に火を点けると蝋燭を片手に慎重に進んだ。かなり長い通路を背を屈めながら抜けると、そこは別の屋敷の地下室で秘密の通路で互いに行き来が出来るように繋がっているのだった。





-つづく-