太陽・作

第 2 章



次の日、ベルサイユ宮殿に出仕するとオスカルは、連隊長室に副官5名全員を集めさせた。

「他言は無用だが、昨夜帰宅途中に『銀狼』に襲われた。私を近衛連隊長と知っての襲撃だった。賊の人数は、たぶん10名だと思う。黒装束にマスクだったから、無論顔は見ていないが。10名全員にそれなりの傷は負わせてある。あのメンバーは大した剣の腕前ではなかったから、良かったがな。」
「隊長は、お怪我はございませんでしたか?」
首席副官のジェローデル大尉が心配そうに尋ねた。
「大丈夫だ。ちょっと危なかったが、でも、剣が空を飛んできてくれたからな。」
「は? とにかくご無事でなによりでした。こちらが、昨夜指示のあった資料と王妃様のスケジュールです。」
「分かった、ジェローデルを残して、後は部署についてくれ。」
「はい。」
4人の副官は、それぞれの部署に就くべく、散っていった。

「隊長、ところで、空を飛んできた剣というのは、どういうことなのですか。」
ジェローデルが不思議そうにオスカルに聞いた。
「ああ、あれか。私が剣を取り落としたときに、誰かが助けてくれたのだ。 私の名を呼んだので振り返ると剣が飛んできた訳だ。」
「誰かと申しますと。」
「誰だか分からない。男の声ではあったが、聞き覚えはなかった。でも、私のことを『オスカル』と呼び捨てにしたな。剣はこれだ。確か、フランス海軍のものだと思うが、分かる範囲で調べてくれ。」
昨夜の剣を持ってくると、ジェローデルに渡した。

「分かりました。隊長、今後も何かあると困りますので、隊の若い者を何人か護衛に付けさせますので、ご了承ください。」
「私にか? 冗談ではない、止めてくれ。軍人が護衛を付けて歩けるか。」
「いいえ、『銀狼』の目的が王妃様だけでなく、隊長にもあると分かった以上このままにしておく訳には参りません。あまり目立たないようにさせますので。」
「オスカル、俺も賛成だ。昨夜だって、もう少しで危ないところだったではないか。」
後ろに控えていたアンドレも口を挟む。
「本当にお前達は心配性なんだな。」
あきれ返ったように、二人を見た。
「何と仰られてもかまいません。私はあなたの副官ですので、あなたをお守りする義務がございます。」
「分かった、もう勝手にしてくれ。但し、私の足手まといにならないようにさせてくれよ。」

オスカルは先ほど渡された資料を読み始めた。
その間にジェローデルは、剣を調べに行っていた。
しばらくして彼が戻るとやはりフランス海軍の剣で、詳しくは海軍歩兵隊の将校クラスのものであると確認された。

小一時間ほど資料を熟読したオスカルは顔を上げ、
「今夜はオペラ座での舞踏会か。こんな時に舞踏会はあまり有り難くないな・・・。よし、ジェローデル大尉、ブールジェ中尉に伝えてくれ。今からオペラ座に二個小隊を連れて、不審物がないかどうかの確認をするようにと。」
それからオスカルは紙に必要な物を書き出して、彼に渡しながら言った。
「それとこれを用意しておいてくれ、出来るだけ早く。」
「えっ、これは・・・、隊長本気ですか?」
ジェローデルは紙に書かれた物を見てびっくりして聞いた。
「そうだ、仕方がないだろう。不本意だがな。お前にも協力して貰うぞ。」
「それはもちろん、構いませんが。でも、私にお任せになってよろしいのですか?」
「いいのだ、どうせ私は良く分からないし、お前に任せる。では、頼むぞ。」
「はい、隊長。」

その夜――。
オペラ座で行われた舞踏会の間中、王妃の側を片時も離れずにオスカルは、護衛についていた。会場のあちらこちらにかなりの数の近衛隊士を配置し、警護に当たらせていた。常に緊張を保ち、辺りの雰囲気に神経を尖らせていた。そのとき、一瞬光った物をオスカルは、見逃さなかった。二階の桟敷席の物陰から王妃に向けられた銃口に気付いたオスカルは、一瞬の躊躇いも見せず猛然と撃った。銃身が激しく跳ね上がる。
パーン! 銃声が響いた。
「キャーーッ!!」
辺りは瞬時に騒然となった。
「王妃様を控え室へお連れしろ! 早く!」
大声で怒鳴ると、オスカルは拳銃を手に桟敷席へと続く階段を駆け上がった。隊士約10名とアンドレも後に続く。

オスカルに右腕を撃ち抜かれた刺客は、彼女が到着するより一瞬早く逃げ出し、人ごみの中へ紛れ込もうとする。
「逃がすな! ジェローデル、出口を固めろ! アンドレお前は右から回れ!」
オスカルは、大声で的確な指示を与えると自分は、桟敷席から一階へひらりと飛び降り、後を追った。人々が右往左往して逃げ惑う中をオスカルは、刺客から目を離さず徐々に追い詰めて行った。

刺客の逃げ込んだ先は、舞台裏だった。大道具やら小道具やら雑多な物が置いてあり、隠れるところも多く、彼女が後を追って飛び込んできたときには、刺客の姿は見えなかった。オスカルは、用心深く拳銃を手に息を潜め、足音を忍ばせて、人間が隠れられそうなところを一つずつ探していった。そして、人の気配を感じて彼女が振り返った瞬間、銃口が自分に向けられ今まさに火を噴こうとしていた。
その刹那、彼女は強い力で抱えられ横っ飛びに宙を飛んだ。

ターン!ターン!ターン!ターン!

4発の銃声が同時に鳴り響き、硝煙の匂いが漂う。
人が倒れる大きな音が聞こえた。
辺りに静寂が戻り、そっとオスカルが頭を上げると、
「相変わらず、無鉄砲だな、オスカル。」
と彼女を抱えたままの男が声をかけた。
蜂蜜をとかしたような色の真っ直ぐなくせのない金髪にすみれ色の瞳。
「レ、レジー・・・。レジーか?」
オスカルは、びっくりして蒼い眼を見開いたまま、聞いた。
「そうだ、久しぶりだな。」
彼女の手を掴み、立ち上がらせる。

レジーヌ・フランセット・ド・フォーレ。
訳有って女の名を持つ彼はオスカルの幼年仕官学校の同級生だった。13歳で別れてから、一度もオスカルは彼に会ったことがなかった。

海軍の紺の軍服を見事なまでに鍛え上げた体躯で着こなした彼は、190cmを超えるだろう長身となっていた。センターで分けたストレートのハニーブロンドの髪も今では背中まで届いていた。陽に焼けた精悍なマスクには子供の頃からの甘さをまだ残していたし、陽気なすみれ色の瞳は楽しそうに輝いていた。意志の強さを示す引き締まった唇から真っ白な歯を覗かせて彼女に向かって笑いかけた。

「あっ、刺客は?」
オスカルは我に返ってレジーに聞いた。
「そことそこだ。俺が撃った。死んでいるだろう。」
日常会話のように事も無げに彼は言った。
「そうか、死んだか・・・。えっ、二人だったのか?」
彼女としては、死なせずに生かして捕まえて、『銀狼』の情報を掴みたかったのだが、自分の命が危なかったのだからそうも言っていられなかった。
「そうだ。注意力が足らないぞ。」
彼に言われるまで、刺客は一人だと思い込み、もう一人の存在に気付くこともなかった自分が恥ずかしかった。
オスカルは、隣に立つレジーを見上げて、
「レジーお前、えらくでかくなったなあ。以前は同じ位だったのに。」
と感心したように言った。
「一応、女名でも男だしな。お前よりは大きくならないと。」
銃声を聞き、ジェローデル他近衛隊の人間とアンドレが駆け付けた。
「隊長、ご無事ですか?」
「オスカル、大丈夫か?」
ジェローデルとアンドレが同時に声をかける。
「ああ、平気だ。レジーに助けて貰ったから。」
「フォーレ先輩、お久しぶりです。」
ジェローデルは如才なく挨拶する。
「ああ、お前たちは士官学校卒業までいたから、学年は違うが、面識がある訳か。私は幼年学校でさえも中退だからな。」
オスカルが変なことに感心していると、アンドレが不用意につい言った。
「レジーって、幼年仕官学校でお前と同期だったあの、レジーヌ・フランセット・ド・フォーレ伯爵か?」
「アンドレ危ない」
オスカルが言うより早くアンドレは、レジーに一発殴られていた。
「ばかだね、お前は。」
オスカルがあきれ返ったように言った。
「そうだったな。本名を呼んだら殴られるって、忘れていたよ。」
頬を擦りながら、アンドレはばつの悪そうな顔で苦笑した。
散々殴られた昔を思い出して皆で笑った。

「レジー、しばらくはベルサイユに居られるのか?」
「ああ、その予定だ。」
「では、今晩は家へ泊らないか? 久しぶりに話しもしたいし。」
「そうだな、後でお邪魔するよ。」
「では、私はこの始末があるから、また後で。」

オスカルは遺体検分と現場検証に立ち会った。一人の右腕は、オスカルの銃で撃ち抜かれていたが、これが死因である筈もなく、刺客は二人とも眉間を一発で打ち抜かれていた。
見事な銃の腕前だった。オスカルを左手で抱え、横っ飛びに飛びながら彼が続けざまに撃った二発だった。尋常な腕前ではない。

オスカルが立っていた辺りを探すと、自分の頭の高さに刺客が撃った2発の銃弾がめり込んでいた。あのまま立っていたら、今ごろ頭を打ちぬかれて、天国へと旅立っていただろう。オスカルは、全身の皮膚が粟立つのを感じていた。そして、自分の頭の中に小さな疑問点が存在していることに気付いた。なぜ、眉間を撃つ必要があったのか? あれだけの射撃の腕なら、致命傷を与えずに撃つことも出来た筈だ・・・。何故? 

オスカルとレジーは晩餐を一緒に済ませ、ブランデーを飲みながら、久しぶりの会話を楽しんだ。
「いやーっ、久しぶりだな、本当に。何年振りだろう。」
「私が近衛に入隊するときだったから、15年位か・・・。レジー、お前は今どこに住んでいるのだ?」
「父も亡くなったから、パリの屋敷は引き払って、今はオン・フルールに住んでいるんだ。でも、大体が海の上だから、滅多に陸にはいないがな。」
「海の上というと、やっぱり海軍か?」
「そうだ。海軍歩兵隊で中佐だ。お前は今准将なのだろう。」
「まあな。でも、所属が違うからな、直属の上官ではないな。お前が近衛に来たら、こき使ってやろうと思っていたのに。なぜ、海軍に行ったのだ?」
「近衛には、お前がいたからな。お前にこき使われるのがいやだったからだろう。」
レジーは笑いながら言った。

その笑顔を見て、急に思いついてオスカルが聞いた。
「そういえば、海軍歩兵隊というと、あの剣はやっぱりお前か?」
「そうだ。手を貸してやろうかと思ったが、相手の奴等は大した腕じゃなかったから、アンドレとお前で充分だと思って、見学させて貰った。相変わらず、基本に忠実な生真面目な剣だな。でも、今日は俺が居なかったらどうなっていたと思う? 連隊長たる者自分が動き回るのではなく、時には傍観者でなくてはな。一人であそこまで追い詰めたらだめだ、危険すぎる。」
「お前も歳をとって、随分と常識人みたいなことを言うではないか。私と同じ強情張りの無鉄砲のくせに。」
「それも、そうだ。」
二人は顔を見合わせて吹き出した。

「今回は休暇で来たのか?」
ブランデーグラスをゆっくりと廻しながらオスカルは聞いた。
「そうだ。ずっと海の上だったからな。たまにはベルサイユで羽を伸ばしてみようかと思って。それにお前の顔も見てみたかったからかな。お前のことはあちこちで噂を聞いていたぞ。フランスの近衛連隊長はえらく腕の立つ美人だと。」
「褒めて貰っても何も出ないぞ。ふふふっ。レジー、良かったら、ベルサイユにいる間ずっと泊って行ってくれ。」
「そうさせて貰おうかな。」
「うん。では、私は仕事を持って帰ってきたから、これで失礼する。ゆっくりしてくれ。何かあれば、アンドレに言ってくれればいい。」
「分かった。あ、オスカル、明日俺もベルサイユ宮殿に行きたいのだが。」
「じゃあ、近衛の連隊長室へ寄ってくれ。案内するから。」

翌日、オスカルはレジーを連れて、二人でベルサイユ宮殿を闊歩していた。今まで、一人で歩いていても貴婦人達の注目を一手に集めていたのに、レジーまで加わったのでその日は大騒ぎだった。

緋色の軍服に柔らかなウェーブのかかった金髪と蒼い瞳のオスカルと、紺色の軍服にくせのない真っ直ぐな金髪とすみれ色の瞳のレジー。

対照的な色合いの軍服に二人の色合いの違う長い金髪が良く映えていた。二人揃っていると、対の人形みたいに見栄えた。

「レジー、私は王妃様のところへ行ってくる。この辺でしばらく待っていてくれ。」
「分かった。では、麗しいご婦人方を眺めながら、散歩しているさ。」
一人になったレジーは貴婦人方にあっという間に取り囲まれた。

しばらくしてオスカルが戻るとレジーは、まだ貴婦人方の中に埋もれていた。
「おい、行くぞレジー。」
オスカルはあきれ返って怒鳴る。
「失礼、ご婦人方。また後ほど。」
すました顔でオスカルの側につく。
「また、後ほどお待ちしていますわ。フォーレ伯爵。」
レジーは後ろ手で手を振った。
「レジー、唇に口紅がついているぞ。」
オスカルは険のある声で言った。
「お前、妬いているのか?」
ハンケチで拭いながら聞いた。
「何で私が妬かなきゃいけないんだ。」
自分でもどうして、こんなに嫌な気分で声がきつくなるのか理解できなかった。
「俺は、女性を自分から口説くことはしない。ただ拒まないだけだ。来る者は拒まず、去る者は追わず。これが俺の信条だからな。それに花は手折ってこそ花だ。咲きっぱなしじゃ、早く散ってしまうぞ。ベルサイユには、氷の花を手折ろうという気骨のある男は一人もいないのか?」
「はん、余計なお世話だ。まったく、ちょっと会わなかったら、とんでもない女ったらしになったものだ。」
「女ったらし? 冗談は止めてくれ。博愛主義者と言って欲しいな。はっははは・・・。」
レジーは豪快に笑い飛ばした。

「オスカル、あいつは誰だか知っているか?」
レジーは、急に真面目な顔でオスカルの耳元に囁いた。
「え? 誰?」
「あいつだ、あの噴水のところにいる男の二人連れの背の高い方だ。」
「噴水の・・・、ああ、一人はオルレアン公だが。もう一人は、分からないな。私も見たことはない。」
「そうか・・・。オスカル俺はちょっと野暮用を思い出したから、またな。」
そういい残すとレジーは、すたすたと行ってしまった。
「あ、おい、レジー。人を呼び出しておいて、何なのだ。」
オスカルは、遠ざかっていくレジーをただ見つめていた。

 

 



-つづく-