太陽・作

第 1 部

 

第 4 章 新たなる旅立ち

登場人物紹介

 


春の朝のやさしい日差しと自分の腕や胸に感じる柔らかく暖かな感触に、レジーが幸せな気分で目覚めると、ベッドの上掛けから零れるウェーブの掛かった金色の長い髪が見えた。慌てて上掛けを捲り覗き込むと、自分の懐にもぐり込むように眠っているオスカルを見つけた。
レジーは一瞬血の気が引いた。
(もしかして俺は約束を破って、こいつに手を出したのか?)
呆然としている彼に
「レジー、起きたのか。具合はどうだ?」
目を覚ましたオスカルは彼の額に手を当てて、
「うん、熱も大体下がったみたいだな。良かった。」
と嬉しそうに言った。
「あの、オスカル、俺はあの・・・。」
「お前は無理し過ぎて倒れたのだ。すごい熱だったのだぞ。何も覚えていないのか? お前があまり寒がるから暖めてやったのだ。」
無邪気に答えた彼女にレジーは何もしなかったらしいと安堵の胸を撫で下ろした。

「いや、朝から少し調子が悪かったことは確かだが・・・、それより朝食の仕度をしなくては。」
とベッドから起き上がろうとした彼をオスカルは制して
「今日1日は素直に休んでいて貰おうか。」
「いや、もう日数も残っていないし、トレーニングを休む訳にはいかない、もう大丈夫だ。」
「私が迷惑なのだ。トレーニングは一人で出来る事をちゃんとやるよ。心配するな、お前は寝ていろ。朝食は簡単でいいか? ちょっと待っていてくれ。」
そう言って、オスカルは部屋を出ていった。

冷たい湖でちょっと泳いだ位で熱を出すなんて、どうなっているのだ。精神が弛んでいるからか?
それとも、自分の主義主張とあまりに反していることをやり続けて、身体が拒否反応を示したのか?
全く情けない。レジーは深々とため息をつくと、自分の不甲斐なさにがっくりと来ていた。

二人は彼の部屋で昨日の残りの野菜スープとチーズ、パン、牛乳、果物で朝食を済ますと、オスカルはいつものようにランニングと柔軟運動に外に出て行った。

外でのメニューを一人で終わらせると、彼の寝ている部屋で残りのトレーニングを始めた。彼はオスカルの言う通りベッドに寝たまま、指示だけ与えていた。
本当は投げ固め技の練習には相手が必要なのだが、今日は一人で出来る練習を続けた。彼が余り静かなのでオスカルがベッドを振り返ると指示をしていた筈のレジーは眠ってしまっていた。まだ身体が回復し切っていないのだろう。
彼の子供のような無邪気な寝顔を見て、笑いながら上掛けを掛けなおしてやった。
(ゆっくりおやすみ、レジー。早く元気になってくれよ。)
彼の額に軽く口づけると、そっと部屋を出ていった。

次の日には、レジーも完全に元気を取り戻した。
前日の分まで取り返そうと、またきついトレーニングが開始された。
しかし、以前と違う体力、筋力、精神力を兼ね備えた彼女に、もう耐えられないほどのトレーニングはなかった。そして数々の技を会得した彼女の瞳は自然に鋭い眼光を放ち、しなやかな野性動物の敏捷性をも感じさせた。

この頃のオスカルは、レジーと二人で走っても彼と遜色ないくらいまでに走れるようになっていた。射撃や剣も元々天性の才能に恵まれていたところへ、筋力もつき、尚一層のスピードも加わったので、彼女に勝てるのは男でも一部の人間に限られるだろう。レジーは絶対に誉めたりはしなかったが、彼女の能力には舌を巻いていた。自分の身体もかなりの日数を掛けてここまで鍛え上げてきたものだったので、こんな短い日数で彼女がここまで上達するとは彼も思っていなかった。

レジーは、今度は別の心配をしなくてはならなくなった。
レジーが考えていた以上だった彼女の能力を諜報部のお偉方が認識した場合、今後果たして彼女を手放してくれるかどうかということだった。
彼女の危険を少しでも回避するために彼は自分の信念を曲げ、心を鬼にして、扱きに扱いて彼女を鍛えた。
レジーとしては、例え一度だけでも彼女に諜報部員としての仕事をさせたくなかったのだ。それなのに度重なったらどうなるか。
(彼女を守りきれなかったら、俺は一体どうするのだ。こんなつもりではなかったのに・・・。)
彼は結果的に墓穴を掘ってしまった自分を責めていた。

その後は予定されていたトレーニングも順調に進み、最終段階に入ったのはそろそろ1ヶ月経とうとした頃だった。
レジーからオスカルに最後通牒が突き付けられた。
「もうそろそろ約束の1ヶ月だ。そこで、最終試験をさせて貰う。これで合格なら、ここを出て俺と一緒に任務に就く。もし不合格なら、ここであったことはすべて忘れて帰って貰う。いいな。」
「解った。」
「明日、日の出と共に試験のスタートだ。お前は付近一体に隠れている仲間の諜報員3人と闘って、彼らの持っている手紙を手に入れて貰う。相手をギブアップさせたら、手紙が手に入る。向こうから攻撃を仕掛けてくることもある。お前がギブアップすればそこで終わり、即ち不合格だ。日没までに3通の手紙を持ってここに戻ってこられたら、合格だ。武器は何を使っても構わない。変わった武器を使う者もいるが、武器が何かは教えない、自分で対処して貰う。言っておくが、3人はお前が女だと知らない。だから、もちろん手加減もない。いいな、かなり厳しいぞ。それに森の中には狼もいるだろう。それでも、試験を受けるか? いやなら、今すぐ帰っていいぞ。」
「もちろん、受ける。」
「よし。」
レジーはオスカルの手首のベルトを外してやった。
「やっと、外す時がきたな。どうだ、腕が軽く感じるだろう。」
オスカルは剣を持って振り回してみた。
「本当だ。剣を持っても全然重さを感じない。凄い。」

次の朝――。
オスカルはこの付近の地図と食料を持って、日の出と共に一人で城を出た。
レジーは彼女の前には姿を見せず、2階の窓からオスカルの無事と成功を信じて黙って見送っていた。

(さて、どうやって探せばいいのだろう。無闇に動き回っても意味がないな。取り敢えず向こうがどう出てくるかを待ってみるかな。)

オスカルは湖のほとりに日当たりの良い草地を見つけると、寝転がって、空を見上げた。春の陽気は本当に気持ちが良かった。暖かな日差し、目にやさしい木々の緑、芳しい草木の香り、そして晴朗な空の蒼、それらは本当に心に染み入った。

レジーと過ごした1ヶ月、こんなに自分の肉体や精神を酷使したことはなかった、それを見事やり通した事がオスカルに自信をつけさせたのか、オスカルは衒いも気負いもなく、自然体でそこにいた。

それを遠くから観察していた一人の男は、呆れていた。
「何だ、あいつは。みんなこの試験の時は緊張でがちがちなのに、あのまま寝てしまいそうではないか。」
オスカルは伸びをすると、本当に寝てしまった。
男はオスカルのあまりの無防備な姿に、
「こんなやつは合格できるわけがない、無神経なのか、それともかなりの大物なのか? さっさと不合格になったほうがこいつの為だ。」
男は拳銃を手に、静かにオスカルに近づいた。そして、寝ているオスカルのこめかみに銃を突き付けようとした瞬間、彼の身体は宙を飛び、地面に叩き付けられていた。

油断していた彼は受身も取り損ね、無様な姿で関節を取られ固められていた。手にしていた筈の拳銃は既にオスカルに奪われ、逆にこめかみに当てられた。
「降参かな?」オスカルは涼しい顔で告げた。
「畜生、油断し過ぎた。」
「では、手紙を頂戴しようか。」
男は諦めて、懐から手紙を取り出すとオスカルに渡した。
「なぜ、探しもしないで寝ていたのだ。」
「どうせ私のことを見張っているのに、動き回るのは無駄というものだ。待っていればそちらから来てくれるだろうと思ってね。ほら、果報は寝て待てというだろう。」
オスカルはにこやかに言った。

男は感心していた。この緊張する最終試験の時に浮き足立たずに何て冷静に判断するやつだろう、そして見事な技の切れ。また、凄い人間が入ってきたものだ。

「君のように有能な同僚が増えるのは、大歓迎だ。俺のコードネームは『サザン・クロス』だ、よろしく。」
彼は右手を差し出した。
「こちらこそ、私はオスカル・フランソワだ。」
彼女も手を差し出して握手を交わした。
「しかし、『ブルーシャーク』といい、君といい、女のような顔をしているくせに強いのだな。」
彼はオスカルが女だと気が付いていなかった。
オスカルは『サザン・クロス』と別れて、あと2人を探すべく、歩を進めた。

二人目の若い男はオスカルと同じような考えで、必ず水を飲みに現われるだろうと、泉でオスカルを待っていた。
オスカルは地図を見て、取り敢えず泉に行って見ようと思っていた。

オスカルが来たのを察知した男は、近くの太い木の後に隠れた。
オスカルは泉に着くと、周りを見まわした。人の気配は感じられない。こんこんと涌き出る綺麗な水に、喉の渇きを覚え、近くの葉っぱを一枚取りコップを作ると、それで水を汲み一口飲んだ。オスカルの赤い唇から水が滴る。彼女の金髪に湖面に当たった太陽の光が反射して、きらきらと輝いていた。
男はオスカルのあまりの美しさに一瞬息を飲み、心を奪われた。
(あの人は男性です、しっかりしなくては・・・。)
己を叱咤すると愛用の鞭を振るった。鞭はしなやかな形跡を描くとオスカルの持っていた草のコップを正確に払い落とした。
オスカルは少しも慌てずに拳銃を抜くと、二人目の男と対峙した。
「武器は、鞭で取れます。」
その男はお気に入りの玩具を持った子供のように鞭を持ち、得意そうに言った。
「そうか、では取って見て貰おうか。」
「面白いですね。」
男は素早く鞭を振るった、オスカルの持つ拳銃に向かって鞭がしなやかな触手を伸ばした。その瞬間、オスカルは拳銃から手を放し、左手で素早く剣を抜くと、男の喉元に突き付けた。両手を使った圧倒的なスピードだった。
男は鞭よりも速い彼女の動きに呆然としていた。
「武器は一つではないからな、一度に二つ取らないと駄目なのではないか?」
オスカルは剣を突き付けたまま、手紙を渡すように命じた。
男は懐から手紙を取り出すと、素直に渡した。
「さすがに『ブルーシャーク』から直々に鍛えられただけのことはありますね。彼の能力は諜報部でもずば抜けていますから。あなたは幸運ですね。」
「彼はそんなに凄いのか?」
「ご存知ないのですか? 彼はこの世界では知らないものはいないくらい有名です。彼は与えられた任務は必ずやり遂げています。敵側の諜報員にも一目置かれている存在で、味方の諜報員の人望も厚く、彼と組みたがっている諜報員はたくさんいます。もちろん私もそうですが。」
「そうか。」
「私はエミール・マチュー・ド・リファール少尉です。レジー先輩は私のことをエミーと呼びますので、宜しければエミーと呼んでください。次の任務ではきっとご一緒出来ると思います。よろしくお願いします。」
そう言ってオスカルの側に近づいた彼は、彼女より少し背が高く割と細身のまだ少年と言った方が良いような幼さを残した顔立ちだった。癖のある柔らかい薄茶色の髪とヘイゼルの瞳を持つ彼は、人懐こそうな笑みを浮かべて彼女と握手した。
「私はオスカル・フランソワ・ド・ジェルジェ准将だ。ここでは私の方が後輩になるのだな。こちらこそ、よろしくお願いする。」
オスカルは、一目でこの素直そうな青年が気に入った。
彼はオスカルに再会を約束し、自分の役目を終えて戻って行った。

あと一人、最後の一人はどこにいるのだ。日はかなり傾いて来ている。もうあまり時間がない。オスカルがそう思ったとき近くで一発の銃声と獣の唸り声が聞こえた。
無意識で駆け出した彼女の目に飛び込んできたのは、ものすごい数の狼の群れに囲まれた一人の男だった。
お互いに相手が誰なのか、一瞬のうちに察知した。
「逃げろ!」男はオスカルに告げた。
「冗談じゃない、これでも武人だ。見殺しには出来ない。」
「武器は?」
「銃と剣だけだ。」
二人は背中を合わせると自分に向かって攻撃を仕掛けてくる狼だけを相手に闘った。オスカルの見事な剣さばきを見て、男は感心したように言った。
「綺麗な顔して、大した腕だな。」
「それはどうも。」
文字通り死闘だった。男は銃の名手らしく、狼の眉間を確実に狙って仕留めていった。オスカルも剣を拳銃に持ち替えて、狼を倒していったが、二人とも予備の弾もすべて使いきってしまい、弾切れとなってしまった。
二人の弾の数だけ狼を仕留めたが、狼の数は一向に減っていないような気がしていた。

オスカルは冷静に狼の群れを見つめた。その中に一際鋭い目を持つ灰色の大きな狼がいた。無数の傷がその狼の歴戦を物語っていた。オスカルはその狼に向けて、闘いを挑んだ。狼も彼女の意図を察して、群れから一歩足を踏み出すと彼女に牙を剥いた。狼は彼女の喉元に向かって素早く飛び、彼女の長剣が目にも止まらぬ速さで一閃し、狼の喉を刺し貫いた。オスカルの見たとおりその狼は群れのボスだった。ボスを失った群れは、獲物を諦め、尾を垂れて、その場を去っていった。

「お見事、冷静な判断力だな。助かったよ。」
オスカルは、握手しようと近づいた男の腕を瞬時に取り、投げ固め技を掛ける。相手の男はあっという間に地面にキスさせられていた。
「参った。まったく、手紙を渡そうと近づいたのに・・・。」
「油断するからだ。」
「気の短いやつだな。ほら、手紙だ。これで最後なのだろう? 早く行け、日が沈むぞ。」
「ああ、ありがとう。」
「じゃあな、次に会うときを楽しみにしているよ。俺は『ドラゴン・ノワール』だ」
オスカルは黙って男に敬礼を返すと、走り出していた。

これで合格だ。レジーもきっと喜んでくれるだろう。
3通の手紙を胸にオスカルは古城を目指して、走った。

「レジー、ほら手紙だ、持ってきたぞ。レジー、どこだ?」
古城に戻ると既にレジーの姿はどこにもなく、使用していた部屋の中に在った筈の物も、すべて無くなっていた。
2階の自分が使っていた部屋へ入ると壁に一通の手紙が短剣で刺してあった。

 

レジーの手紙

 


(レジー、また何も言わずに行ってしまったのか。どうして、お前はいつも・・・。)

では、3通の手紙には何が書かれているのだろうと、懐から取り出して中を見てみると、中身は白紙で何も書かれてはいなかった。ただ、封筒の裏に彼らの「コードネーム」が書かれていただけだった。
レジーの手紙を手に外へ出ると、馬車が待っていた。
オスカルは振り返ると古城をもう一度眺めた。
(もう二度とここにくることはないだろう。弱かった自分はここに置いて行こう、私は新しく生まれ変わったのだから。)
彼女は黙って馬車に乗り込んだ。御者も何も言わず、また外の覆いを閉めた。

馬車は夕陽の中をベルサイユへ向けて走り出した。
数々の試練を打ち破り、大きく成長したオスカルを乗せて。


第1部完

第2部へつづく

(注)コードネーム(暗号名)は、ただのあだ名のようなものなので、言語に決まりはありません。ですので英語でもその国の母国語(この場合はフランス語) でも、なんでもいいのです。