太陽・作

第 2 部

 

第3章 エル・ドール登場

 

 

登場人物紹介

 

夜になって甲板で水夫達の酒盛りが始まった。通りかかったオスカルは水夫長のエドモンに声をかけた。
「私も、混ぜて貰ってもいいか?」
「いいけど、オスカル。お前もちっとも将校らしくない変なやつだな。俺たちと飲む気か。」
「悪いか?」
オスカルは水夫たちと車座に座ると、一緒に飲み出した。
「んーっ、久しぶりの酒はうまいな。」
「やっぱり、お前もかなりいける口だな。」
「もちろん、酒は大好きだ。最近誰かのせいでちっとも飲めなかったからな。」
「どうして、この船に乗るやつは変わった将校が多いのだろうな。レジーといい、お前といい。お前も近衛では偉いのだろう。」
オスカルに酒を注いでやりながら、エドモンが聞いた。
「偉いかどうかは知らないが、階級は准将で、近衛連隊長だ。」
「ひぇー、近衛の連隊長さまがこんなところで、甲板に座り込んで俺たちと一緒に酒を飲むのか?」
「別に不思議でも何でもないだろう。どうせこの船のセカンド・コマンダンテだっていつも一緒に飲んでいるのだろう?」
「まあな。あいつも変わっているからな。」
「じゃあ、あいつも呼んでこよう。」
「おい、どうせ行くなら酒もくすねてこいよ。」
「解った。」
オスカルはレジーのキャビン(船室)まで行くとドアの前から声を掛けた。
「レジー、お前も甲板で飲まないか?」
レジーはドアを開けて顔を出すと
「オスカル、お前誰と飲んでいるのだ?」
と聞いた。
「エドモンたちと。」
「どうせ酒が足りないのだろう。俺に酒の催促か?」
「おっ、さすがに察しがいいな。たまには一緒に飲もう。」

「解った。じゃあ、酒を持って行くよ。」
レジーとエミーが酒を持って、甲板に出てきた。

「オスカル、剣では負けたが、酒では絶対に負けないぞ。」
水夫長が酒瓶を掴んだまま、豪語した。
「いや、酒でも負けない。」
オスカルの負けず嫌いがつい顔を出す。
「なんだと、では飲み比べだ。」
「よし、望むところだ。2人だけではつまらないから、4人でやろう。」
「私は弱いのです。勘弁してくださいよ。」
エミーは逃げ腰になっているし、レジーは他人事のように、ただ穏やかに笑っている。結局エミーも捕まって、4つのコップに酒がなみなみと注がれると4人はコップを掴み、乾杯すると一気に飲み干した。水夫達はそのまま次々に杯を重ね、飲み干す4人にあっけに取られていた。誰が勝つかそれぞれに賭けていたため、勝負の行方をはらはらとしながら固唾を飲んで見守っていた。一番人気はレジー、次に水夫長だった。

エミーは既に真っ赤になって、ふらついていた。
「もう、だめです。」
エミーは自分からギブアップして、甲板で寝入ってしまった。
「オスカル、お前はどうなっているのだ。その細い体のどこにそんなに酒が入るのだ。まるで詐欺だ。」
ひげ面を赤くしながらも絶対に負けまいと無理をしてエドモンは飲み続ける。

オスカルとレジーは顔色一つ変えずに飲んでいた。次の一杯を3人が飲み干すと、エドモンはそのままひっくり返った。エドモンに賭けていた水夫達の罵声が飛ぶ。

「勝負あったな、賭けもこれで終わりだ。誰か、水夫長とエミーを船室へ運んでやってくれ。オスカル、お前も終わりにしろ。」
レジーの言葉が静かに甲板に響いた。
「お前とまだ勝負がついていないぞ。」
向きになって言ったオスカルに
「そういうのを野暮というのだ。おやすみ。」
レジーは片手を上げると、ひらひらと振りながら去っていった。

次の朝―。
船は予定よりは遅れたが、夜のうちに、ポーツマス沖に到着していた。レジーは水夫長に錨泊の指示を与えると船室に戻り、上陸の準備を始めた。

ここから先は海軍のフォーレ中佐ではなく、諜報員『ブルーシャーク』に気持ちを入れ替える。海軍の軍服を脱いで、濃紺のアビ・ア・ラ・フランセーズに着替えた。襟元と袖からはたっぷりとした真っ白のレースが覗き、上着には豪華な刺繍が施されていた。そしてアビと同色で羽根飾りがついた帽子を被った。
(うーん、いやみったらしいくらい派手だな。俺の趣味ではないが。ま、仕方がないな。)
鏡で自分の姿を確認すると船室を出た。

部屋の前にはやはり従僕のお仕着せに着替えた、エミーが待っていた。エミーはレジーの姿を見ると身震いした。
(この人がフォーレ中佐から、『ブルーシャーク』に変わる瞬間はいつ見てもすごい。)
「よし、では奥方を迎えに行ってくるか。」

そう言って歩き出したレジーの後をエミーは黙ってついて行った。
レジーはドアをノックすると声を掛けた。
「オスカル、仕度は出来たか? そろそろ上陸する時間だぞ。」
「レジーさま、どうぞ。オスカルさまのお仕度は出来上がっております。」
シルビィがドアを開け、二人を招き入れた。

そこにはブルーのドレスを身に纏ったオスカルがいた。地色は濃い海の蒼、そしてスカート部分に薄い透けるような素材の空の青を重ねて、色の深みを出している。そして、細い首を彩るサファイヤのチョーカー。黄金の髪は高く結い上げられ真珠の髪飾りでまとめられ、白い項にウェーブを付けられた毛先が儚げに揺れていた。白磁のような肌に薄化粧が施され、唇には愛らしいチェリーピンクの口紅が塗られていた。

オスカルは自分をやさしく見つめるレジーに視線を移すと
「お互いに派手だな・・・。」
と一言、万感の想いを込めて呟いた。
「そうだな、俺たちは所詮、客寄せパンダだからな。」(*注)
レジーは、自嘲するように笑った。

そんなオスカルに見とれて立ち竦んでいるエミーがいた。
「ミ、ミューズのようです。美しい・・・。とても男性とは信じられない。」
ドレス姿のオスカルを最初は男が女装しているものと信じていた彼だったが、開いた胸元に視線を向け、その谷間が本物の胸であると理解すると固まってしまった。
「あ、あなたは女性だったのですか? そういえば近衛連隊長は女性で、確か・・・そうだ、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ! そんな、レジー先輩、どうして教えてくれなかったのですか? みんな知っていたのでしょう、私だけ知らないなんて、ひどいですよ。」
「知っていたら、どうだというのだ。ん、男に心を動かされたのではなくて、安心したか?」
からかい気味のレジーの言葉にエミーは真っ赤になって俯いた。

「オスカル、これを渡して置く。」
指輪を数個彼女に手渡した。
「これは?」
「仕掛けがあって中に薬が入っている。この一番大きな金の指輪は、解毒剤。そして、ルビーの指輪には眠り薬、エメラルドの指輪には致死量の毒が入っている。くれぐれも扱いを間違えるなよ。」
「解った。」
オスカルは緊張しながらも指にはめた。
「船から降りた瞬間から任務は始まっている。いいか、絶対に気を抜くなよ。全員必ず無事に戻るぞ。そして、仲間も助ける。いいな。オスカル、エミー、シルビィ。」
レジーは、3人を見まわした。
「はい。」3人は真剣な面持ちで返事を返した。
「では、各自もう一度自分の武器と装備の確認をしろ。それとお互いの偽名と設定を馬車の中でしっかりと頭に入れておくこと。」
オスカルは『ブルーシャーク』としてのレジーの顔を初めて見た気がした。
「何だ? 俺の顔に何かついているか? よし、皆行くぞ。」

行きかけたレジーは振りかえると、オスカルに向かって左腕を差し出し、
「オリヴィア・フランソワーズ・ド・ロッシュ伯爵夫人お手をどうぞ。」
これからオスカルが使用する偽名で呼んだ。
「参りましょうか。フェルディナン・クリストフ・ド・ロッシュ伯爵。」
オスカルも彼の偽名で答えると、レジーの腕に捕まり『エル・ドール』としての第一歩を颯爽と歩き始めた。

帆が畳まれ、錨泊の準備が整った甲板に出ると、オスカルを見た水夫から驚きの声が上がった。
「女だ! すげえ美人の女がいるぞ。」
「何だって、何を言っているのだ。女なんて、乗っている訳がないだろう。」
水夫長のエドモンが怒鳴った。
「女だ、女。」
「おい、すっげえ美人だ。」
皆が口々に叫ぶので甲板はどんどん人間で溢れかえった。ドレス姿のオスカルを見たエドモンが喚いた。
「ど、どうして? 女なんて乗っていなかった筈だ。しかも、こんな美人。レジー、ずるいぞ、一体どこへ隠していたのだ。」
「私は別に隠れてはいなかったぞ、マストも登ったし、喧嘩もした。昨夜も一緒に酒を飲んだ仲だろうが。」
「オ、オスカル!? お前女だったのか、そ、そんな、俺は女に剣も酒も負けたのか?」
がっくりと力の抜ける水夫長だった。
水夫達も彼女の正体が解って、大騒ぎだった。

そんな騒ぎをラップ少将は、穏やかな目で見つめていた。
(これはさすがに凄いな。ものすごく目立つカップルだ。組織がすぐ食いついてくるだろう。頼むぞ、レジー。)
レジーはラップ少将の視線を受け止めると、黙って頷いた。

艀に乗り込むと4人はイギリスのポーツマスに上陸した。そのまま2台の豪華な馬車に乗り換えて、バースへ向かった。

バース。ローマ人によって神殿と温泉場が造られ、バス(風呂)の語源になった街。飲泉ブームとともに上流階級の人々が訪れ、一大社交場として栄えている。

滞在地となるナンバーワン・ロイヤル・クレッセントに到着するとレジーは先に馬車を降り、オスカルに手を貸して馬車から降ろした。そこは全長180mの三日月型のフォルムを刻み、一見すると宮殿のような風格がある建物だった。

シルビィがたくさんの荷物をポーターに運ぶように頼み、エミーが宿泊の手続きを取るべく、フロントで一番いい部屋を用意するように頼むと、支配人が慌てて挨拶に現われた。
「こちらはフランスからでございますか? 遠いところをようこそお出で下さいました。ロッシュ伯爵ご夫妻でございますね。どうぞ当地をゆっくりお楽しみ頂きたいと存じます。どうぞ、お部屋にご案内致します。」
レジーは尊大な態度で頷くと、オスカルと共に歩を進めた。吹き抜けの高い天井の広々としたロビーを先客らの羨望の眼差しを集めながら、二人は顔見世興行よろしく重厚な色彩の厚みのある絨緞を踏みしめ、ゆっくりと歩く。二人の後をエミーとシルビィが、そしてわざとらしい程の大量の荷物がポーターによって運ばれていった。

部屋はシックな色調で統一され、重厚な雰囲気を漂わせていた。気品溢れる調度品にウェッジウッドを連想させるような淡い色合いの花柄のファブリックを配して、シックな中にも華やかさを添えて、英国の伝統美を醸し出していた。

居間と食堂、主寝室そして、いくつかのゲストルーム、バスルーム、衣装部屋、その奥にお付きの者の為の控えの間が付いていた。一通りの説明を済ますと支配人は愛想良く、引き上げて行き、エミーとシルビィは荷物を衣装部屋に運び、情報収集の為に部屋を出ていった。

「あとは夜の夜会までは、楽にしてもいいぞ。但し、ドレスを脱ぐ訳には行かないが。お茶でも飲むか?」
レジーはドレスでの行動に慣れないオスカルを労わって声を掛けた。
「ああ、ありがとう。」
「夜会が勝負だからな。向こうもすぐは動かないだろうし、しばらく派手に遊ぶしかないだろう。」

夜会のための仕度が始まった。
レジーはオスカルの夜会用のドレスとアクセサリーを選び、シルビィにヘアスタイルを指示した。
「そうだ、シルビィ。これを右足に付けてやってくれ。」
レジーが渡したのはベルト付きの細身の短剣だった。
腿にベルトを止めて、短剣を鞘ごと収められるようになっている。
ドレスのスカート部分の右側に特別な仕掛けがしてあり、ドレスを捲らなくても短剣に手が届くようになっていた。

シルビィはオスカルの髪をレジーに言われた通りに結い直していた。
「本当にオスカルさまの髪は美しいですね。さらさらで柔らかくて、素晴らしい輝きの黄金の髪。憧れてしまいますわ。」
「そうか、まとまりがつかなくて、苦労しているのだが。」
「それになんてきれいなお肌でしょう。吸いつくようですわ。こんなに美しいお肌なのになぜ肩の出ているデザインのドレスが一枚もないのでしょうね。レジーさまがドレスのデザインを選ばれているのですよね。あの方はこういうことに気がつかれる筈なのですが。」
「左肩に刀傷があるから、そのせいだろう。」
「気がつきませんで、申し訳ございません。」
「ああ、別にいいのだ、気にしたこともないから。普段軍服だから見えないし、こんな仕事でもない限りドレスなど着ることもないからな。傷と言えばレジーもこめかみに傷があったよな。」
何気なくオスカルが言った言葉にシルビィは動揺した。
「あの傷は、私のせいなのです。」
「シルビィの?」
「あれは私が、レジーさま付きの侍女になって3ヶ月しか経っていないころで、私が18歳、レジーさまが19歳でした。あの時まで、私は自分の容姿に、いじけて捻くれて、笑うことも忘れていました。私が持っていないものを何もかもお持ちのレジーさまが大嫌いでした。でもあの日、暴走してきた馬車を避けきれなかった私を庇って、レジーさまが大ケガをなさいました。」


 

彼がベッドの上で意識を取り戻したとき、シルビィは泣きはらした目で彼を見つめていた。
「レジーさま、気がつかれましたか・・・?」
また大粒の涙が溢れる。
「シルビィ、お前にはケガはなかったか?」
「私は大丈夫ですが、私なんかの為にレジーさまのきれいなお顔に傷が・・・。お医者さまがどうしても傷が残ると・・・。」
泣き崩れるシルビィ。
「ああもう、泣くな、シルビィ。俺は男だし、軍人だ。別に顔に傷が残ったところでどうでもいい。箔がついてちょうどいいくらいだ。だから、気にするな。良かったよ、お前の顔でなくて。結婚前の女性のきれいな肌に傷が残ったら大変だからな。でも、シルビィ、私なんかと言うのは止めろ。自分を卑下するような言葉を使うな。」
「でも、私なんかきれいではありませんから・・・。」
「きれいじゃない女性がいるのか?」
「ここにいます。」
「どこに?」真剣に尋ねるレジー。
「レジーさま・・・」
「俺はすべての女性がきれいだと思っている。だって白くて柔らかい肌だとか丸みのある身体だとか、やさしいトーンの声だとか、男とはまるで違う、同じ生き物だとは到底思えない。もうそこに居るだけで華やかではないか。」
彼は慰めるためのお世辞で言っているのではなく、本心からそう思っているのだった。
「女性は春の贈り物だ。“花”だぞ。つぼみのまま萎れる訳には行かないのだ。」
「花、私でも咲けるのですか?」
「そうだ、咲かなくては意味がない。いろいろな花があるから、男の人生も楽しいのだ。どんな花でも、花はちゃんと美しく咲くものだ。野の名もない花でも、温室の大輪の薔薇でも同じさ。」
レジーは彼女に笑顔でウィンクして見せた。
シルビィは泣きながらもやっと笑顔を見せた。
「ほら、その笑顔だ。そんな素敵な笑顔、どうして今まで見せてくれなかったのだ。これからはいつも笑っていてくれよ。」
「はい、レジーさま。」

 


「それから、私は明るく笑えるようになったのです。でも、レジーさまの左のこめかみと髪で隠れてはいますが、頭にも傷が残ってしまいました。」
「あいつらしいな。女性にはやさしいから。でも、私には全然違うような気がする。女性扱いされたことなど一度もないぞ。」
「オスカルさまは、レジーさまにとって特別なのですよ。本当に・・・。」
シルビィは自分の心に湧きあがってきた、暗い感情に恐れおののいていた。

 




―つづく―


(*注)「客寄せパンダ」
この時代にもちろんこんな言葉はありません。ただの冗談です。