太陽・作

第 2 部

 

第4章 エル・ドールの憂鬱

 

 

登場人物紹介

 オスカルの為にレジーが選んだ夜会用のドレスは、真紅のベルベットのドレスだった。パニエはなく、中にペチコートを着込んだだけのシンプルなラインはオスカルのプロポーションの良さを一層引き立てていた。夜用のドレスだけに胸元のカットもかなり深く、彼女としては不満だったが、仕事なのだからと諦めた。ドレスに合わせて、ネックレスとイヤリングはピジョンブラッドのルビー。オスカルの真っ白な肌に彩りを添える。髪はその黄金の輝きを強調するようにトップで軽くまとめただけで、垂らされ、豪華なティアラで飾られた。

部屋に入ってきたオスカルを一目見るなりレジーが言った。
「シルビィ、口紅の色はもう少し暗めの赤がいいな。」
「はい、レジーさま」
「細かいやつだな、お前は。どうでもいいではないか。」
「その色はお前には似合わない。ところで、男に言い寄られても頼むから殴り倒さないでくれよ。」
「ああ、解った。適当にあしらえばいいのだろう。」
「そうそう、適当にね、お前に出来るとは思えないが・・・。取り敢えず今夜は注目を集めることが目的だから、余計なことに首を突っ込むな。短剣はあくまで護身用だからな、いいな。」
「解った。」
「では奥様、用意はいいか。」
「OKだ。」
「ん、ティアラはもう少し上がいいな。」
レジーはオスカルに寄り添い、やさしく直してやった。美しい二人をシルビィは哀しい目で見つめていた。

玄関口から馬車に乗り込むと、二人でアセンブリー・ルームズへ向かった。1769年にジョン・ウッド(息子)によって建てられた社交場で上流階級の人々が集まって毎夜舞踏会や音楽会が催され、またカードゲームをしたり、お茶を飲みながら会話を楽しんだりした。

色とりどりの花で飾られたアセンブリー・ルームズの大広間は人でいっぱいだった。ドレスの衣擦れと人々のおしゃべり、舞踏会場から流れる優雅なメヌエットの調べが大広間から正面の大階段へ、そしていくつもの小サロンへと流れて行く。

二人は颯爽とアセンブリー・ルームズに乗り込んだ。オスカルのドレスに合わせて、レジーも真紅のアビに着替えていた。

二人を目にした人々からは感嘆の声が上がった。
「フランスからお出でになった、伯爵ご夫妻ですって。」
「何と美しい、カップルでしょう。」
「真紅にお二人の金の髪が映えて、まるで夕陽のようにゴージャスですわ」。
「しかし、どこから見ても絵になるお二人ですなあ。」
対のフランス人形のように美しい二人の登場に舞踏会は一気に盛り上がり、オスカルにダンスを申し込む男性は引きも切らず、レジーはレジーでご婦人方と踊り続けた。

オスカルはドレス姿で踊るのは特訓でなんとかなってはいたが、相手の男性に笑顔を向けるほどの余裕はやはりなかった。でも、そのつれなさが逆にまた男心をそそるのか、ダンスの誘いは途切れることがなかった。

夜が更けるに従って、パーティーは益々華やかに盛り上がっていった。舞踏会場からは音楽が途切れることなく流れている。カード室では、白熱したカードゲームが続いていた。テラスや奥の小部屋では秘密の恋のドラマも、いくつか演じられているようだ。

もちろんパーティーの一番人気はオスカルで女性たちは彼女を自分のグループに引き入れようとし、男性たちは、何とかしてその手にキスをし、甘い言葉の二言三言でも交わすことが出来たらと躍起になっていた。

「マダム、どうか私と一曲お相手を。」
流暢なフランス語で話しかけられ、振り返ると30歳くらいの如何にもイギリス人らしい長身の男が立っていた。りっぱな体躯と隙のない身のこなしで、軍人かとも思われたが、どこか雰囲気が軍人のものではなかった。頷いたオスカルの手を取ると優雅に踊り出した。

「本当にお美しいですね。あなたのような方を妻になさっている伯爵は本当に幸せ者だ。羨ましい限りですよ。ああ、失礼。私は、ウォルター・バートンと申します。お見知りおきを。」
「私はオリヴィア・フランソワーズ・ド・ロッシュです。ミスター・バートン、英語で結構ですわ、解りますから。」
「麗しい伯爵夫人にはやはりフランス語がお似合いです。でも、私のフランス語はいけませんか?」
「いいえ、そんなことはありません。発音も完璧ですわ。」

一曲踊り終えると彼はオスカルに尋ねた。
「喉が乾きませんか? 何か如何です。」
「では、ワインを。そうですね、ソーテルヌの白を」
「かしこまりました、マダム。君。」
ウェイターに頼むと、奥の小部屋へオスカルを連れていった。

小部屋には二人の他はもちろん誰もいなかったが、オスカルはこういう部屋の存在理由さえ解っていなかった。自分の座っている長椅子もどんな意味が在って置かれているのかも解らず、ただ、履き慣れない華奢な靴で痛む足を休めてほっとしていた。喉も乾いていたので、ウェイターの持ってきた白ワインを一気に飲み干した。ウォルターは空いたグラスにワインを注いでやりながら、オスカルに聞いた。

「ご主人と結婚なさってどのくらいですか?」
「え? そうですね、10年ですわ。」
一瞬オスカルは言葉に詰まった。
「10年ですか、私はまた今日結婚なさったのかと思いましたよ。」
「どうして、そうお思いになりましたの。」
動揺を隠すように、ワイングラスを両手で弄んだ。
「お二人の関係は友人以上恋人未満というところでしょうか。どう見てもあなたは処女だと思いますし、男性とダンスを踊られた経験さえも余りないとお見受け致しましたが、違いますか?」
「し、失礼な!」
羞恥と怒りで真っ赤になったオスカルは、すっくと立ち上がった。彼は彼女の前に立ち塞がり耳元で囁いた。
「私もソーテルヌの白が飲みたくなった。」
「どいてください。ワインならそこにまだあるでしょう。」
「いいえ、美しい真紅の薔薇が口にしたワインが・・・。」
男はオスカルを押さえつけると無理やり唇を奪った。
「・・・ん!・・・」
殴り倒してはいけないと言われていたが、完全に動きを封じられていて、とても動けなかった。

オスカルの脳裏に以前レジーに言われた言葉が浮かんだ。
「相手の男がお前と同レベルかそれ以上の技を持っていれば、残念ながら腕力が強い男の方が勝つ。だから全ての人間に勝てる訳ではない、覚えておけよ。」

(どうして? この男は何者なのだ。)
オスカルは必死で唇を閉じ、顔を背けようと出来る限りの力で抗った。 男は立っていたオスカルの膝を崩し、長椅子に倒した。声にならない悲鳴を上げた瞬間を逃さず、舌をしのび込ませ、嫌がる彼女の舌を捕らえ絡ませる。そして圧し掛かった男の手が容赦なくオスカルの身体を這い回った。
(いやあ、レジー助けて!)

ほんの少し目を離した隙に、姿の見えなくなったオスカルをレジーは必死で探していた。奥の小部屋に男と入って行ったとやっと付き止めた時は、さすがのレジーも平常心では居られなかった。
(あのバカ! まったく何を考えているのだ。)

小部屋のドアを乱暴に開け、レジーが中に飛び込んだ。ウォルターの肩を掴むと、感情を押し殺した低い声で言った。
「私の妻から、離れて貰おうか。」
「これは失礼。お美しい深窓の令嬢に囚われてしまったのです。」
「私の妻だ!」
レジーがもう一度“妻”と強調して、二人の間に割って入り、オスカルを背にして庇った。

オスカルの目の前がレジーの広い背中で一杯になり、その安堵感からか身体が急に震えてきた。
「ではそういうことにしておきましょう。またすぐお目に掛かることになると思います。失礼致します。」
男は意味深な微笑を残すと、わざとらしく丁寧にお辞儀をして部屋を出ていった。

男が部屋から出ていったのを確認するとレジーは振り返り、オスカルに向かってきつく言った。
「このバカ! どうしてこんな部屋へ、のこのこ付いてくるのだ。ここがどんな場所か解っているのか、襲ってくれと言わんばかりだろうが。」
「だって、そんなこと知らない・・・。」
目にいっぱい涙を溜めて、震えているオスカルをレジーはやさしく抱きしめた。
「本当にお前はこういうことは何も知らないのだな。」
「お前が早く来てくれないから、あんな男に・・・。気持ち悪い、いやだ!」
興奮して、自分の唇をゴシゴシと擦り続けるオスカルの両眼から涙が堰をきったように零れ落ち、泣きじゃくる。
「落ち着け、オスカル。落ち着くんだ。」
オスカルの両腕を掴み、言葉で説得するが感情の高ぶりを止められない。彼は一瞬躊躇したが、泣き続けるオスカルを力強く抱きしめると口づけた。
「・・・あ・・・」
強張ったオスカルの身体からゆっくりと力が抜けて行く。

泣かないで
俺のサファイヤ
お前の涙に心が惑う
黄金の翼を持つ天使
純粋無垢な月の女神よ

私を抱く激しい腕
鼓動が肌を走り
愛が伝わる
命の詩を刻み込む
潮の香りの熱い胸
アメジストの瞳に
映るのは誰?


「もう大丈夫だ、俺がいる。」
「でも、あいつは・・・」
レジーはそれ以上オスカルに言わせずまた彼女の唇を塞いだ。ゆっくりと静かに。本当にやさしい、心を癒すような口づけだった。オスカルは彼に身体を預け、次第に心を落ち着かせていった。

「落ち着いたか? 一応覚えておけ、こういう奥の小部屋はカップルの為の部屋なのだ。今度から誘われても絶対についてくるなよ。」
オスカルはすみれ色の瞳をじっと見つめながら、ただ子供のようにコクンと頷いた。
「化粧が台無しだ、口紅は擦ってしまったし。このままじゃ、出られないな。化粧道具は?」
レジーは化粧を直してやり、オスカルはただされるままになっていた。

「あいつは只者じゃあない。あの隙のない身のこなしといい、鍛えた身体つきといい、お前の技も封じられていただろう? 俺達の正体にも気が付いていたようだし、やっぱり同業者だろうな。しかもトップクラスの・・・。となると、イギリス諜報部のbP、ウォルター・バートンか。」
「そう言っていた。」
「本人が名前を名乗ったか? ではお前が叶わないのも当たり前だ。大体俺と同レベルだろうからな。イギリスもbP諜報員をここに送り込んでいる訳だから、ここに何かあるのはやはり間違いないな。取り敢えず今夜はもう戻ろう。」

部屋に戻り、お風呂と着替えも済ませたオスカルは、ベッドを見て言葉を失っていた。
「あの、同じベッドで寝るのか?」
「お前には悪いが、一応同じベッドで寝て貰うぞ。夫婦だということになっているからな。絶対に何もしないよ。幸いベッドもかなり大きいから端と端で寝よう。」

「レジー、もう寝た?」
オスカルが小さな声で尋ねた。
「いや、何だ?」
「今日はありがとう。おやすみ。」
「ああ、おやすみ。」
しばらくするとオスカルの小さな寝息とレジーのため息が暗闇の中に聞こえた。

「助けて、レジー。いやーっ。」
やっと寝ついたばかりのレジーは慌てて飛び起き、横を見るとオスカルが夢にうなされて、悲鳴を上げたのだった。
「オスカル、どうした。オスカル。」
彼が揺り起こすと怯えた目で子猫のようにしがみ付いてきた。
「レジー・・・」
「夢だよ、オスカル。俺がついている。このまま眠れ。」
その言葉に安心したように目を閉じたオスカルを小さい子供をあやすように軽く抱き、髪と背中をゆっくりと撫でてやった。
レジーは自分の腕の中で再び眠りについたオスカルの寝顔を見つめ、眠れぬまま考え込んでいた。

オスカルは女としての自分を押さえて今まで生きてきたのだろう。子供のころから自分を男だと信じて、男ばかりの中で男として生活してきた。普通の女性として育っていたら、少女時代に同性の友人と語り合い、知るはずだった世界もオスカルは何も知らない。もちろん、知識としては知っているだろうが、あまりにも男に対して無防備過ぎる。それというのも自分が魅力的な女性だという自覚がないからなのだろう。今夜のようにごく普通の貴婦人として自分のことを見られた覚えがないから、マダムとして受ける賛辞や、肉欲としての対象、そんなことにはまるで免疫がないのだ。狼の群れの中に小羊を目隠しして放り込んだようなものだった。俺の考えが足らなかった、良く考えれば解りそうなものだったのに。決して側を離れるべきではなかった。お前を傷つけてしまったな。ごめんよ、オスカル。

「おはようございます。お目覚めでございますか?」
ノックをして、二人の眠る寝室に入ったシルビイの目に写ったものは、朝の光に輝く2色の黄金の髪。まるで天使が寄り添うような神々しいばかりのその光景に見入ってしまっていた。彼女の愛するアメジストの瞳がそっと開く。
「しーっ、マダムはまだ眠らせてやってくれ。」
レジーは悪戯っぽい笑顔をシルビィに向けると、眠っているオスカルの頭を支え自分の腕をそっと抜いて、静かにベッドを出た。

ガウンを羽織りながらシルビィの頬におはようのキスをすると、
「今朝はあれが食べたいな。」と言った。
「太りますよ、私みたいに。」
「船の上では食べられなかったから、食べたかったのに。それに人前じゃ、恥ずかしいだろう・・・。」
「ちゃんと用意してありますよ。」
「だから、シルビィは好きさ。」
テラスに用意されたテーブルにつくと、レジーは大好きなガトー・オ・ショコラ(チョコレート・ケーキ)を嬉しそうに食べ出した。
「朝からよくそんなものが食べられるな。」
その言葉にレジーが振り返るとガウンを羽織った、オスカルが立っていた。
「良いだろ、別に。好きなんだから。」
レジーは子供みたいにふくれて言った。
「別に良いけど。お前が甘党だったなんて、知らなかったな。何か可笑しい。くっくっく。」
「ふん、勝手に笑っていろ。お前になんかやらないもんね。シルビィ、もう一つ頂戴。あ、生クリームもたっぷり乗っけて。」
「おはようございます。」
エミーの声にレジーは慌てて、威厳を保とうと躍起になっていた。
「ご心配なさらなくても、かなりの甘党だと解っていますよ。」
レジーの慌て振りが可笑しかったが、笑いを必死で堪えて言った。
「ちぇ。知っていたのか、じゃあいいや。もうカッコつけるの止めた。でも、他の皆には内緒にしておいてくれよ。」
開き直って生クリームを嬉しそうに食べ出したレジーに、皆の笑い声が朝のテラスに明るく響いた。

 

 





―つづく―






 

      

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