2005道院高原(水害と地震の果て)
 2004年の道院高原は7月13日の「7・13水害」と10月23日の「中越地震(中越大震災)」の被害を受けてしまいました。そのため現在孤立状態となり、営業を中止している道院高原の様子が以前から気になっていたのですが、この度やっと行ってきましたので紹介します。
2005.6.19

 県営刈谷田川ダム脇の県道347号二分栃尾線です。写真のとおり、ここに通行止めのバリケードが有ります。
 上の写真の所を右に曲がると、1031段の遊歩道があり、道院高原まで歩いて行けるようになっています。しかし、曲がってすぐの所で、崩れた土砂が道をふさいでいます。徒歩なら問題なく通れそうですし、その先は大丈夫らしいです。
 遊歩道には登らずに、道路を更に奥に進むと、所々に崩れた跡が見受けられます。
 この手前の分岐を左に下りていくと河川公園があります。そこまでの途中も、未確認ではありますが道路が通降困難とのことです。
 直してはありますが、まだ仮復旧といった感じです。
 こんな道路状況ではありますが、先の方には工事用の重機のほかに乗用車も数台見かけました。 
 奥の左側に青く見えるのが守門岳です。
 二ヶ所目の通行止めのバリケードです。 
 一時は完全に道路が塞がれたらしく、路面にはまだ土砂が残っています。
 山の中を走る道路だけあって、山側から崩れてくる土砂と、谷川に崩れ落ちていくので、ただでさえ狭い道幅が更に狭くなっています。
 ここで完全に道路が無くなっています。(だからだめだって言ったでしょ。)地震前の水害での被害だけだった時は、軽自動車の通った跡があったのですが、今は完全に無理です。
 そばに近寄ると、こんな感じです。バイクの通った跡が轍になっていました。
 保久礼方面との分岐を右折して道院へ向かうと、やっぱり亀裂が。このあたりで自転車の方とすれ違いました。それも女性。(恐るべし)
 向かいの山にも崩れた跡がくっきりと残っていました。
 地震の前に下の写真だった所が、左側を削って復旧してあります。
 ガードレール代わりのコンクリートブロックもそっくり落ちています。 
 ガードレールが見事に曲がっています。土砂で曲がった上に、更に雪で押したのでしょうか。
 ガードレールだけでなく、道路を横断していたヒューム管も落ちてしまっています。
 昭和32年、高松宮殿下が宿泊された道院ヒュッテ。ゆがんではいるようなのですが、地震と豪雪に耐えてシッカリと建っていました。
 道院池です。ご覧のとおり水がありません。いつもは水をいっぱいにたたえている池なのですが、あまりに殺伐とした様子に唖然としてしまいました。後で聞いた話では、ひびが入ったため、決壊を避けるために水を抜いてあるのだそうです。
正面に見えるのが守門岳です。
 グレステン(ローラー)スキー場も被害を受けていました。
 上の箇所を下から見たところです。この崩れた土砂が池まで流れ込んでいます。
 フリーキャンプ場からオートキャンプ場に向かう途中です。この崩れた場所は、以前ご紹介したサツマイモ畑の有った所です。
 道院池を上から見たところです。茶色く見えるところが、本来は水の中なのですが・・・。
 キャンプ場の管理棟は、特に傷んだ様子も見られませんでしたが、今シーズンは休業のためひっそりとしていました。本来なら毎年子供会のキャンプをここで行うのですが、昨年の水害に引き続きお預けとなってしまいました。
 「ロッジ道院」も冬囲いをしたまま一年を過ごすことになるのでしょうか。屋根に雪のためと思われる損傷箇所が見られました。
 道院から来伝方面に向かう途中にあるカネタタキ池も道院池と同じく、減水中でした。
 更に進むと、道路の亀裂が大きく口を開けています。このあたりでバイクの調子が悪くなり、断念しかけたのですが、一休みした後その先へ行くことに。この辺は携帯電話の電波も不安定で心細かったです。
 慌ててブレーキです。電柱がこんな状態ですから、当然道院高原は停電のままなのでしょう。
 林道来伝道院線はここで完全に断絶しています。あったはずの道路は、はるか下に落ちてしまっています。復旧も大変かと思いきや、年内に直すんですと。(凄い)
来伝側からの写真は「楽しさいっぱい・栃尾愛乱度」「高波保」の栃尾情報局で紹介されています。 

2005.7.3

復旧作業も完了し2008年から通常営業しています。
詳しくは道院高原のページへどうぞ。


トップページへ


Copyright© NOAH 2005All Rights Reserved