突如のリタイア

それ以来、介護保険施行の2000年4月、
そして祖母が老健入所となった6月まで、そのワーカーさんには
何かと助けていただきました。
施設としては確かに遠方であるにも関わらず、
デイケアの送迎を厭われませんでしたし、
また、自治体によって違いますが月2週のショートステイの予約も
迅速にとる手続きを下さいました。

おかげで、やっと私も母も、一時の休息を得ることが出来たわけです。

ただ、祖母のショートステイの予約が、
3ヶ月くらい先までは取れてしまったその夜、
私も母も、今から思えば喪失感のあまり眠れない夜を過ごしました。
喜ぶべきものでもなく、喜べもしなかったのです。

月半分の祖母不在は、本当にひたすら休むためにしか
費やしていない、それまでの疲労の蓄積を徐々に癒す日々で、
不在の間に家族で何かするなどというリラックスムードは、皆無でした。

そんな2月下旬、祖母の要介護認定の判定結果を受け取りました。
「要介護5」

これを喜ぶべきなのかどうかは分かりませんでしたが、
判定書を受け取ったとき…『勝った!』と思いました。
何に勝ったということは特別、思っていません。今も考えていません。
ワーカーさんに打ち明けてあるので、記述することも構いません。
あえてご説明をするなら、それほどにこれからの不安があった、
そして本当にそれまで、私が足りないながら頑張ったことへの
一つの証明を頂いた、という気持ちまでしたからです。

祖母の施設入所は介護者たる私が持病の薬の「薬物中毒」で、
起き伏しが出来なくなってしまったことが一つの原因でした。

医薬品と呼ばれるものでも漢方薬でも、それを過ごすと「毒」になるのですが、
私の薬は内臓や口腔などに副作用があるため、
定期的に検査をしながら使用する薬です。
それを知ったワーカーさんが在宅介護続行が困難と
働きかけをしてくださった結果でありました。
そして、この施設ならと信じて祖母のことをお願いしました。


最後まで、家で看てあげたい願い、
本人が家にいたい願いは叶わなかったですが、
今も、祖母はその老健で医療・介護ともに充分なケアを
いただいて生活をしております。


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