5.初七日まで超音速、の記
通夜・葬儀と初七日は私の記憶のなかではつながりになってしまってます。
香典返しやら、役所への届の類から、遺品の整理やら、毎日毎日…ずっと続いていたので、初七日の日は「もう、そうなる?本当?お祖母ちゃんが逝ったのがさっきみたいな気もするのに」と家族で言い合ったものです。

祖母は浄土宗でしたので、葬儀が終わった後も七七日(しちしちにち)という追善供養があります。それは初七日に始まり、二七、三七、四七、五七、六七、七七日(これが四十九日)とお坊さんがお経を唱えに来てくれるのです。毎週土曜日、という日に来てくれるので、気が向いた身内は初七日以外にも来てくれてます。

ホトケさんは、三途の川を無事渡るのにその四十九日かかる、と。で、七日おきに裁判てのがあるのだと。そうなるとあの世というのは大変に忙しいところだなあ、と思いますが、この世の人には…亡き人を偲びまた思い出を整理するに一つ一つの供養がまた区切りとなっていいのかなあ、と思います。その間に「葬儀後にすること」ってのが段々終わってきて…段々と周りが静かになっていきます。

そういうときに本当に「喪失感」というものの訪れがあるのじゃないかと。

今年の暮れは静かだろうし、年明けも静かだろう。静けさの中で、家族それぞれが本当に思い出を繰り返し、そっと泣いたり何だりじゃないのかな、と思います。弔問に来てくれた方の一人が、「今こうしてお祖母ちゃんの思い出が停まってしまっているけど、静かになると段々思い返す、そのときはつらいけれど…思い出していくうちに思い出がきれいになるから」と言っておられましたが、私もそんな予感がしています。

来年、祖母の好きだった桜の花が咲く頃に、三重県の菩提寺に祖母の納骨にいくことになります。管理上、墓地の移転を申し出たこともあったのですが、祖母は馴染んだ土地に埋まりたい、という希望だったのでそれを叶えるつもりです。そして生前、ことに若かった頃の祖母を知っていた方々、お世話になっていた方々とお目にかかることかと思います。「そのときまで、待っててね」と祖母には言っています。今年中には墓地の修繕も終わるので、破損した場所もきれいになったところで亡きお祖父ちゃんも待っていることでしょう。

(そのときにうちの墓かどうかはっきりしない墓があったので、メールで写真を送ってもらって、それを頼りに戒名で確認を取ったりなんてのもやったりしたのですが、250年くらいまえの位牌が平気であったのにはビビりました。地元のお坊さんにも見ていただいたのですが、『釈』という字がつく戒名もあるそうで、これが浄土真宗のものなので、『ご先祖の誰かが嫁入りのときなどに持ってきたものも一緒にしてあるかも』とも言っていました。先祖の墓が複数あったのは、昔はご夫婦単位でお墓を作ってそれを増やしていたのだそうで…。それをある程度、祖父の代でまとめたのだろうが、まとめてない分があったのだろう、と。祖父母の代で終わりの家なので、墓もそうですが、位牌もどうするべきかもこれからの相談です)

余震がおさまったせいか、しんみりする余裕とお坊さんの唱えているお経(『仏説 阿弥陀経』の日本語バージョンで間違いないと思います)を検索したりする余裕はやっと出来たところです。お坊さんは知らないと思いますが、それでいいのです。飛ばしたりするような誠意のないお坊さんではないことは分かるのですが、せっかくお経の内容が聞き取れるからには個人的に意味を知りたい、ってことなので。見つけて、印刷して、それでお坊さんの来る日の前に『予習だ』なんていって妹とそれを読んでいるのは最後まで内緒です。


もどる