瓦礫の街
6
大通りを越えて西部の過密地域を抜けると、建物の数がどんどん少なくなっていく。道幅はそう変わらないが、荒れ放題の空き地が目立つようになる。
今朝、隊商の男が教えてくれた通り、西側には着の身着のままといった雰囲気の者が多かった。大半は、SUGIZOやINORANと同じく南のゲートを越えてカザラに潜り込んだ余所者だろう。
東とはまったく別種の、けれどどこか似通ったにおいがする。
東ほど甘くなく、東よりもすえたにおい。
加えて、ここは乾いていた。雨雲が迫っているのに、空気が乾いている。
豊かな街の一角だというのに、ここには飢えと渇きがあった。
足元の道は進むに連れて荒れていき、やがて、ただ建物と建物の間を埋める土になった。
道として人が通ることで、かろうじて踏み固められているようなその道の先に、他のどのゲートより大きな門が待ち構えている。
しかし、人がまったくいない。
ゲートの手前までは、わずかでも人影はあったのだ。なのに、規模だけなら最大の西のゲートには、見張りさえ立っていない。
「……方角は間違いなく西、なんだけどな……」
他にゲートらしきものがあるのかと左右を見回しても、延々と壊れた柵が続くだけで、ゲートは見当たらない。
「……しかもこれ、開かない……なんなんだよ……」
目の前の門はもう長いこと使われていないのだろう。全てが錆びついていて、渾身の力で押しても引いてもまったく動かない。
そうこうしているうちに、さっきから太陽を隠していた雲から、細い糸のような雨が幾筋も降りてきた。
わずかずつ、けれど絶え間なく地上に降り注ぐそれは、遮るものを持たないSUGIZOの身体をしっとりと濡らす。
帰るかこのゲートの向こうを見てみるか、いずれにせよとりあえず移動しようと、SUGIZOは壊れた背の高い柵に沿って南へ歩き始めた。
ほどなく、柵が大幅になくなっている、正確には倒壊してしまっている場所に出た。が、その先が道になっているわけではない。
あるのはただ、残骸。
地球が発達しすぎた遥か昔にここに君臨したであろうなにかの、今はまるで役に立たない遺産。
建物と言うには難のある謎の建造物。
横に長く続く平たい建物には均等に入り口らしき穴が見える。
華やかに飾り立てられていたであろうものはすべて色褪せ、朽ちきることができないまま砂に埋もれかけている。
そこは、街だった。カザラとゲート一つ隔てただけの、死んだ街だった。
コミュニティの拡大に伴って、邪魔者扱いされ壊される遺跡も多いのだが、カザラの西に隣接するこの廃墟はそのまま残っている。
ラウルから出たことのなかったSUGIZOにはもちろん初めて目にする遺跡である。
前時代の遺物には父親譲りの好奇心が疼くのだが、この廃墟に対しては好奇心より気味の悪さが勝った。
人気のない廃墟はそれでもなにかが潜んでいそうな雰囲気がある。それを恐れるわけではないが、気持ちのいいものではない。
降り続く雨は強くはならず、止みもしない。
短くしたばかりの緋色の髪をかきあげて、SUGIZOは一つ溜息をついた。
ここで立ち止まっていても日が暮れるだけ。ならば、とりあえず日暮れ前に行けるところまで行ってみようと、SUGIZOは倒壊した柵を踏み越えた。
柵を越える前に背後に感じられた生の気配は、柵を越えていくらも歩かないうちに消えた。
ここには本当に誰も、なにもいないのだろうか。
その割には、なにか感覚に訴えてくるものがあって、SUGIZOは首をひねる。
もちろん、気を抜くことだけはしない。
なにもないかもしれないけれど、なにかがいるかもしれない。そのなにかが自分に危害を及ぼすものだったら、と考えると警戒心ばかりが強くなる。
懐にしまってある愛用の銃の存在を幾度も手のひらで確かめながら、SUGIZOは随分と歩いた。
水を吸った服はもうぺたりと肌にはりついて、体温を少しずつ奪っていく。
重くなった緋色の髪をかきあげるのはこれで幾度目か数える気にもならない。
歩いても歩いても、砂漠には出ない。
廃墟が点々と続くばかりで、生きているものの気配もあるようでないようで。
いったいこの廃墟はどれだけの広さがあるのか、SUGIZOには見当もつかなかった。背後にゲートは見えなくなっている。正面にあったはずの太陽は、もう沈みかけている頃なのだろうけれど、その姿は雲に隠れて見えない。
もう諦めて戻ろうかと思って立ち止まった時、SUGIZOの耳が音をとらえた。
風ではない。
砂でもない。
静かに静かに降り続く雨でもない。
自然のかすかな音とは明らかに違うそれは、一定のリズムをもって流れている。
時に子守唄のように静かに、そのすぐ後には弾むように軽く、音はSUGIZOの耳をくすぐり続ける。
音の元はどこだろうかと、SUGIZOは慎重に辺りを見回して、それまでまっすぐ西に向けていた足を北へ向けた。
音は絶えずにSUGIZOの耳に流れ込んでくる。その存在がどんどん近くなって、SUGIZOは自分が方角を違えていないことを知る。
やがてSUGIZOは、ほんの少し開けた場所に出た。それまでも道は広かったけれど、ほぼ完全に近い円形に開けた場所はここが初めてになる。
その広場らしき場所に出た途端、音は声になった。
明らかに、人の声。それも、歌声。
誰かが、広場の中央にいた。
風が巻くのか、砂が広場の中央に小さな丘を作っている。
その端に、その人は座っている。
雨の中、SUGIZOと同じように全身を濡らして、どこか虚ろな表情で空を見上げて。
その人はただ、歌っていた。
耳を震わす声だけでは、年齢が分からない。変声期は間違いなく過ぎて安定した、けれど若い男の声。
男は短い黒髪を鬱陶しそうにかきあげては、天に向けて声を響かせる。
雨に混じったその声は、砂に埋もれ、大気に溶け、SUGIZOの耳を、感覚を揺さぶる。
やがて、歌は終わった。
消え行く声の余韻に、それまで歌声でかき消されていた雨の音が耳に戻ってくる。
SUGIZOはようやく一歩を踏み出した。足元でさくりと砂が鳴いた。
雨音にも消されなかったその足音は、歌うのを止めた男の耳にも届いたらしい。
身構えるように振り返ったその顔は、SUGIZOより幼く見えた。
「……だれ」
座ったままのその人まであと5歩、というところでSUGIZOは立ち止まり、危害を加える意思がないことを示すために両手をだらりと下ろした。
そのSUGIZOを瞬きもせずにじっと見つめながら、歌っていた時より幾分幼く思える声で、その人が問う。
恐らく、まだ20歳前だろう。青年と言い切るには幼く、少年と言うには無理のある年頃の、子供でも大人でもない人。
「歩き回ってたらここに来ちゃっててさ。どこか、雨宿りできるとこ知らない?」
毛先から雫が落ちるほどに濡れてしまった緋色の髪をかきあげて、SUGIZOはそう言ってみた。雨宿りしたいのは事実だし、他にも嘘はついていない。
「……でも、銃を持ってる」
「ならお前がこれ預かって。俺はべつにお前と殺し合いがしたいわけじゃない」
服の上からでは見えないようにしてあるのに、銃の存在を見抜いた青年に対して、油断はできないと知りつつSUGIZOは提案する。懐に手を差し入れて銃を取り出し、相手の足元近くの砂に投げてみせた。
不審の眼差しが緩むことはなかったけれど、青年は投げ出された銃を拾い上げ、立ち上がった。
後ろを振り返りながら歩くその背中がすぐ近くの建物の残骸へ向かっているのを見て、SUGIZOはゆっくりと後をついていった。
今にも崩れ落ちそうなボロボロの建物は、意外にもしっかりした状態で残っていた。
青年は入り口らしき場所の軒下に入って足を止めた。SUGIZOもその隣に入って、ようやく冷たくも優しい雨の手から逃れる。
上着に染み込んだ水分をしぼっていると、足元にSUGIZOの銃が投げ出された。
「返す。べつに俺のこと撃ってもいいよ」
愛想の欠片もない口調と表情と態度で、青年はそれだけ言った。
なんの感情もにじまない言葉からは、相手にどんな心境の変化があったのかSUGIZOには分からない。
ただ、なにかしらの変化はあったはずなのだ。
間違いなくSUGIZOの持つ銃を警戒していた男が、その警戒心を緩める程度の変化が。
「そんなことしてもなんにもならないからね。やらないよ」
SUGIZOは、その銃を使わないことの意思表示として、足元からそれを拾い上げるのは帰る時にしようと決めた。
「……お前、ここでなにをしてたの?」
同じように服の水気をしぼっていた青年の手が止まるのを待って、SUGIZOはそう聞いてみた。
カザラのゲートを越えてからここまで、この青年以外の生物を見かけなかった。そんな、朽ちかけた建物ばかりが残るこの場所で、この青年は何故、たった一人で歌っていたのだろうか。
「分かんない? 暇潰しに歌ってたんだけど」
「……暇潰しね……お前、家は?」
「ここ」
ストレートな答えしか返ってこないので、SUGIZOが質問を変えると、またしてもストレート極まりない答えが返ってきた。
ここ、ということはカザラの西のゲートに隣接する死んだ街、ということになる。
「ここに? 一人で住んでるの?」
「うん。誰もいない」
「家族は?」
「いないってば、誰も。キミは? カザラに住んでるの?」
「うん、カザラの街の中だけどね。ここじゃなくて」
「こことカザラは別物だよ。だから、カザラって言ったらここじゃなくて隣」
ぴたりと東の方角を指差して、青年は言い切った。
ということは、この青年はカザラというコミュニティがすぐ隣にあることを知りながら、わざわざこちら側に住んでいることになる。
「じゃあ、旅の人じゃないんだ」
SUGIZOが勝手に納得していると、唐突に青年がそう言った。SUGIZOがカザラに住んでいると言ったことを受けてのことらしい。
少なくとも、最初の短い旅は終わったところだし、とSUGIZOが頷くと、青年の表情がほんの少しだけ変わった。
無表情で淡々と抑揚までも少ない言葉を並べるだけだった青年の口調に、わずかに感情が覗いた。
たぶん、好奇心。
「なら、いつでもここへ来られるね」
また一つ、青年の言葉に感情が見えた。
これはきっと、歓喜。
どうやらSUGIZOはこの青年に気に入られたらしい。悪い気はしなかった。
「そう、だな……俺は、またここへ来てもいいの?」
「うん。歓迎するかどうかは分からないけどね」
「どういう意味?」
「俺はここの中を好きなように使ってるから。寝床もその日気が向いた所にするし、昼間もどこにいるか決めてない。キミが来ても俺を見つけられなかったら会えないよね」
「なるほどね……でも、歌っててくれたら分かるけどな。俺、お前の歌、好きだよ」
拗ねたようにそっぽを向いたまま可愛げのないことを言う青年に、SUGIZOは思ったままを告げてみる。
実際、あの歌に気を引かれたからここまで歩いたのだ。SUGIZOの感覚を揺さぶったあの歌は、とうにSUGIZOの心に刻まれてしまっていた。
青年はちらりとSUGIZOに視線を投げて、またすぐにそっぽを向いてしまう。
「……もう日が暮れるよ。ゲートまではけっこう歩かなきゃいけないから、帰ったら?」
少し照れていたりするのだろうか。歌についてそれ以上なにも言わないまま、青年はまたしても可愛げのないことを口にする。
その態度に口元をわずかに歪めて、SUGIZOは足元の銃を拾い上げた。
「わかった。また来るよ。お前の名前、教えて?」
「……RYUICHI。キミは?」
ためらうような間を置いてから、それでも青年はSUGIZOの眼をちゃんと見て名乗ってくれた。
「SUGIZOっていうの。じゃあまたな」
わずかな時間で随分と警戒心を解いてくれたRYUICHIに、満面の笑みで名前を教えて、SUGIZOは建物の軒下から出た。
雨はいつの間にか上がっていた。