瓦礫の街
7
RYUICHIのいる死んだ街からカザラへ戻った頃には、辺りにはもう薄闇が降りていた。
南北に走る大通りに近いとは言え、そう目立つ場所にあるわけでもない今井の店に、これ以上暗くなっては帰れなくなるかもしれない。
そう思いながらも、SUGIZOの足は西のゲートの北寄りへ向いていた。
原因は、ゲートを越えてすぐに見かけた、まだ若い男。
家のない余所者が身を潜めている地域であるはずのこの西側で、一人浮いた印象を残す、小奇麗な格好をしていたのだ。
使い込んだふうでもない雨除けのマントのフードを外して、薄闇に浮かび上がるような短い金色の髪を晒して。頑丈そうなブーツの踵が地を打つ音を隠そうともせず、静かな街を悠々と歩いている。
ただ、これだけはSUGIZOにも分かる。
その男は、コミュニティ軍とは違うものの、戦いに身を投じる者特有の空気をまとっていた。武器は恐らく隠し持っているのだろう。男の全身から漂う空気には隙がない。
こんな静かな街ではあまりにも浮いてしまうその空気を不思議に思って、SUGIZOは男の背中を見失わない程度の距離を置いて後についていった。
周囲からは、家を持てない者たちの物珍しそうな視線が浴びせられる。
今井が受け入れてくれなかったら今頃、INORANと二人でこの辺りに身を潜めて男を眺めていたのかもしれない。そう思うと、INORANがいるはずの今井の家へ帰りたくなる。けれど前を行く男の存在と秤にかけて、SUGIZOは男の後を追うことを優先した。
男はSUGIZOの存在に気づいているのかいないのか、変わらない速度で悠々と歩き続けている。時折足元の小石を蹴り上げたりしながら歩くその姿は、心なしか楽しそうにさえ見える。けれどやはり、男のまとう空気には独特の雰囲気があるのだ。
言葉に換えるならたぶん、血生臭いという言葉が合っているだろう。
戦いに身を投じる者に必ずついて回る、血の臭い。温かさを残す血を浴びながら、それでも生き延びた者の、臭い。
けれど男は、そんな血生臭さを感じさせながらも楽しそうに歩いていく。コミュニティ軍のように、近づけばただでは済まされそうにない雰囲気はまったくない。
そのギャップが不思議で、SUGIZOは道を覚えるための目印を探すことすら忘れて男の背中を追った。
しばらくまっすぐ歩いていた男は、ある場所で突然方向を変えた。
西のゲート沿いの通りから離れて、家とも言えないような建物の間へ入っていく。その後も、不規則に並ぶ建物の角を幾度か曲がり、男は迷う素振りも見せずに歩いていく。
その背中は、建物に囲まれてぽっかりと空いた空間に張られたテントの前でようやく止まった。使い込まれた粗末なテントの前で、男の背中はやはり浮いて見える。
男はテントの前で、テントの中にいるらしい誰かと小声で何事か話した。人の気配はあっても物音がほとんどしないこの辺りでは、男の低い小さな声もかろうじて聴こえたが、なにを話しているのかまでは聴き取れない。
テントの入り口が内側から開かれ、男を飲み込んで再び閉じられるまで、SUGIZOは男が最後に曲がった角に身を潜めて、じっと見ていた。
辺りに人影がないことを確かめてから、足音を立てないようにテントに歩み寄る。
SUGIZOの胸に湧き起こる、単なる好奇心とは少し違う感情が、そうさせた。
テントに使われている布地が厚いとは言え、闇が濃くなる一方のこの時刻、外からでもテントの中の灯りが見える。テントの中に潜む人影を、揺れる炎がくっきりと厚い布地に映し出していた。
SUGIZOから見える範囲だけでも五人、テントの中にいる。小さなテントだから、中は恐らく狭苦しくなっているのだろう。
「ダメ。色々考えてはみたけど、やっぱり南のゲートを占拠しないと、身動き取れなくなる」
低い男の声が聴こえた。溜息混じりの、少し疲れた声。
「そいつはまったく仰る通りなんだがな、J。そこをどうやって陥落させるかが問題なんだろうがよ」
別の男の声がそう応えると、テントの中のあちこちから重い溜息が漏れた。
SUGIZOは、男が迎え入れられた入り口と反対側に身を隠して、息を殺してテントの中の話を聞いていた。
中にいる男たちの話は、ぽつりぽつりと出てくる案を検討する形で、ひっそりと続いていく。
南のゲートを陥落させなければならない。
もう少し人を集めないと無理がある。
まだ時期は早いのではないか。
否、手遅れになる前に動かなければ意味がないだろう。
しかしそのための人員と武器が足りない。
ならば今の時点で作戦を決行すると仮定して、どう動けばいいか。
男たちの話は一進一退を繰り返し、机上の空論の域を出ない。それでもこれは、作戦とやらを実践するための話し合いなのだろう。
ただ、話を最初から聞いているSUGIZOでも、固有名詞が一切出ない会話では、テントの中の男たちが目標に掲げるものまでは分からなかった。
襲撃。陥落。占拠。味方。敵。武器。
そういった単語から、男たちがどこかを襲撃する計画を立てているのだろうということだけは分かる。けれど、それがどこなのか、敵は誰で、男たちが誰なのか。それが、SUGIZOには分からない。
男たちの話から少し意識を離して、SUGIZOは忙しく頭を働かせた。
SUGIZOが後をつけた男は、カザラの西の端を南から北へ歩いてきた。
男たちの話に度々出てくる南のゲートが、このカザラの南のゲートだと仮定して、あの男がその偵察をしてきたのだとしたら?
話の辻褄は一応合うが、確証はなにもない。けれど、否定できる証拠もなかった。それ以上その方向で考えても答えが出るとは思えなくて、それなら、とSUGIZOは別の場合を想定した。
一瞬、他のコミュニティの襲撃を企てているのかとも思ったが、それならばコミュニティ軍が出向くことになるだろう。だが、テントの中の男たちはコミュニティ軍ではなさそうだった。
コミュニティ軍なら、こんな人目につかない場所にテントを張る必要はない。むしろ、コミュニティの首長一族の護衛とコミュニティ内の警備が普段の仕事なのだから、もっと中心近くに詰所を置くのが普通であって。
テントの中の男たちがコミュニティ軍ではないとすれば、他のコミュニティを集団で襲撃する理由はなにかあるのだろうか。例えば、カザラの首長に反発して集団での出奔を企て、次に定住するための場所として近隣のコミュニティを襲おうとしている、とか。
そう考えて、SUGIZOはすぐにそれを否定した。
カザラの首長に反発するのなら、そんな回りくどいことをするより、カザラ内部で内乱を起こした方が手っ取り早い。
仮定ばかりが重なるようでは信憑性が薄い。けれど、なんとなく男たちの狙いが見えてきたような気がして、SUGIZOは手を握り締めた。
運良く落ち着くことができたこのカザラでも、ラウルと同じような内乱が起きるのだろうか。争いから逃れて、平穏な日常を取り戻せるのだと思ったばかりなのに。それもまた、争いに巻き込まれ奪われるのだろうか。
そう思ったら、哀しみも怒りも戸惑いもぐちゃぐちゃに混ざった重い気持ちが身体を満たしてしまったのだ。
テントの中から聴こえる男たちの話は、まだ終わらない。同じことを幾度も繰り返して話題に上らせては、結論が出せずに溜息をつく。
男たちもまた、SUGIZOとは別の意味で、様々な感情が渦巻く心を静めようと足掻いているのだろうか。
「……広場辺りで囮でも使わないと、南のゲートは落とせねぇよな……」
さっきJと呼ばれていた男の声が、低く呟いた。
「そんな形で費やせる戦力なんか俺たちにはないんだぜ? わかってんのか?」
「わかってる……それでも、最悪の場合はそういう手も使わなきゃ……」
諭すような別の男の声に、Jが応える。その声は虚ろで、まるで口を動かしながらなにか別のことを考えているかのよう。
「誰がやるんだよ」
囮という危険極まりない役に誰かを配する余裕はないと言った男がそう尋ねた。実現するかしないかは別問題として、適役がいるのかどうかがまず問題だと言いたかったのだろう。
応えたJの声が、今度はしっかりしたものに変わっていた。
「……なり手がいないなら、俺がやる」
その言葉の余韻が消えるより前に、テント内の空気ががらりと変わったのが、外にいるSUGIZOにも分かった。
「特攻隊長自ら行く気かよ!」
「それで戦況がこっちに有利に傾くようなら、俺はなんだってするぜ?」
慌てたように叫ぶ男に応えるJは、あくまでも味方に有利な状況を作ることしか考えていないようだった。
そうまでしてテントの中の男たちが目指すものがなんなのか、SUGIZOには分からない。
ただ、特攻隊長とも呼ばれたJという男が、戦闘以外の手段を取るつもりがないらしいことは理解できる。
どうしても戦わなければならない、その理由。その目的。それはきっと、テントの中の男たちやその味方にも、彼らの敵に回る者たちにも、はっきり見えているのだろう。
理由も目的もなく戦乱を引き起こすのなら、綿密な計画は必要ない。無差別に人を傷つけ殺していけば、自然と敵は現れるのだ。ただ戦いたいのなら、それで充分だろう。
けれど、テントの中の男たちやコミュニティ軍とすぐに接することのできる位置にいる民間人は、争いの理由を知っているのだろうか。
SUGIZOとINORANがラウルを出たのは、争いに巻き込まれることを避けるためだった。その争いの理由を、SUGIZOは理解しきれなかったのだ。
父の跡を継いでラウルの首長となった男が打ち出した、他のコミュニティを侵略するという方針。新首長の弟がそれに反対した。
争いの最初の形は言葉だったのだ。言葉で言い合って、理解し合える道を、少なくとも新首長の弟は探していたはずだった。首長も、数少ないラウルの住人を軽視していたわけではなかったから、無意味に反対派の者を攻撃することなどしなかった。
血を流すことなく、互いを理解し妥協し合う機会は、幾度もあったはずなのだ。
だが結局、新首長の弟についた反対派が首長派の中心人物を教会で殺害するという形で、ラウルの内乱は始まった。そこに、恐らく言葉はなかったのだろう。
言葉を尽くして想いを伝え、相手の言葉からその想いを受け止め、互いのために妥協するということが、何故できないのか。
争い、血を流し、命を奪い奪われる。戦いの中では、言葉の存在そのものが無駄になる。
ならば、なんのために言葉というものがあるのか。
そんなことをSUGIZOはずっと考えていた。
テントの中の男たちとその敵に回る者の間にも、やはり言葉は存在し得ないのだろうか。
SUGIZOが唇を噛み締めた時、テントの方へ向かってくる誰かの足音が響いてきた。
テントの影から少しだけ顔を覗かせたSUGIZOにも気づかず、足音の主は凄まじい速さでテントに駆け寄り、その入り口を跳ね上げた。
「失礼します! コミュニティ軍がここを突き止めたという情報が入りました! 包囲される前に解散してください!」
駆け込んだ男が荒い息もそのままにもたらした報告ではっきりする。
テントの中の男たちはやはり、カザラのコミュニティ軍ではないのだ。むしろ、敵対勢力であるとみていいだろう。
報告された内容からすると、この場にいれば今井に「関わるな」と忠告されたコミュニティ軍と接触しかねない。SUGIZOもここを離れなければならなかった。
テントの中も急に騒がしくなり、わざとなにかを壊しているような音も聴こえてくる。いくらも経たないうちに、テントの布地に影を映し出していた灯りも消され、辺りは完全な闇に落ちた。
「よし、行くぞ。計画に関わる物だけは残すなよ」
襲撃の計画に必要なものだけ手にして、この場をテントごと放棄するのだろう。Jと呼ばれていた男の号令で、男たちがテントから駆け出してくる。
男たちが無言であちこちへ散っていく中、最後に悠々とテントを出てきたのは、SUGIZOが後をつけた金髪の男だった。
その男がここを立ち去ったら、自分も移動しようとSUGIZOは考えて、息を潜めて男が動くのを待った。
それが、裏目に出た。
「……お前、誰だ?」
動けずにいるSUGIZOの視界で、金髪の男が驚いた様子を隠そうともせずに口を開いた。
その声は、Jと呼ばれ特攻隊長と呼ばれた男の、あの声だった。SUGIZOが後をつけていたのが、Jだったのだ。
Jは最後に、支柱を引き倒してテントを潰した。おかげで、テントの影に身を隠していたSUGIZOの姿が、見事にJの目に晒されてしまったのである。
「カザラでは見かけない顔だけど。コミュニティ軍の新顔か?」
警戒こそしているものの、Jには多少の余裕もあるのだろう。冷静に、SUGIZOが味方か敵か無関係な民間人かを見極めようとしているらしい。
けれどSUGIZOの方は、そこまでの余裕がなかった。
「違う、俺は」
関係ない、ただの民間人だと言い切ってしまえば良かったのだろうが、SUGIZOの口は本人の意思通りには動いてくれなかった。
ところが、SUGIZOが立場を明らかにしないうちに、Jは踵を返してSUGIZOに背を向けた。
その背中は、SUGIZOが後をつけていた時と同じ背中だったけれど、まとう雰囲気がまるで違った。
戦いに身を投じる者のまとう空気ではない。
Jの背中はすでに、戦っている者のそれだった。
「違うならなんだっていい。ここにいたら殺されるぞ。死にたくなかったらとっととここを離れろ」
自分に関わるなと言外に言われたことで、SUGIZOはようやく我に返る。
『コミュニティ軍に捕まりたくなきゃ周りに馴染んで大人しくしてた方がいい』
出かける直前、今井にそう言われたばかりだった。コミュニティ軍がここへ駆けつけてくると言うのなら、Jにも関わらずにこの場を去るべきだろう。幸い、JもSUGIZOに頓着する気はないらしい。ならば、ここを去らない理由がない。
しかし。
「昨夜カザラに着いたばっかりだから、どこに行ったらいいかなんてわからねぇよ!」
周りを見回して、SUGIZOは思わずその場に膝をつきそうになった。
今になって初めて、自分が今どこにいるのか分からなくなっていることに気づいたのだ。
辺りはもう真っ暗で、建物に挟まれた道はいくらも行かないうちに闇に飲まれている。方角を知る手立てすらない夜の中で、SUGIZOはどこへ向かえばいいのかすら分からなくなっていた。
「J、来た!」
あちこちへ散った男たちのうち、一人が駆け戻ってきた。彼が向かった方向からコミュニティ軍が迫っているのだろう。
「わかってる、今行く!」
戻ってきた男に誘導される形で足を踏み出しかけたJは、立ち尽くしたままのSUGIZOを振り返った。
「ああ、もう……時間がねぇんだ、来い!」
強く腕をつかまれた、と思った次の瞬間には、SUGIZOの足は信じられないほどの速さで走り始めていた。
Jに手を引かれて走っているのだ、とSUGIZOの脳が理解した時、背後からコミュニティ軍の怒声が聞こえた。