瓦礫の街






8





 窓に灯る火を悠長に眺める余裕もなく、SUGIZOは走った。
 もうどれほど走ったのか、今自分がどこにいるのかも分からない。背後から迫る怒声に追いつかれないことだけを考えて走っている。

 テントを離れる時に手を引いてくれたJとは、途中で別れた。正確には、Jが囮になると言い出したのだ。とにかく明るい方へ走れとSUGIZOに言い置いて、Jは踵を返した。その後Jがどうなったのか、SUGIZOには知る術もない。
 それでも後方の闇に響くコミュニティ軍の怒声は静まることがなく、SUGIZOはただ光を求めて走るしかなかった。

 月でも出ていれば方角も分かるのだろうが、今夜の月は未だ雲の向こうからその姿を見せない。
 それでも、広過ぎるわけでもないカザラのこと、南北に走る大通りにいずれは出るだろうと思っていたのに。


「ったく、なんだってんだよ、このコミュニティは……!」


 いつまで経ってもあの広い通りに出ないのだ。

 角という角を曲がっては身を潜められないかと隠れ場所を探して、それが叶わないと見ればまた走り出す。その繰り返しばかりで、SUGIZOはとっくに失っていた方向感覚を取り戻す手がかりすらつかめずにいた。

 夜の帳に覆われてしまったこの時間でも、大通りだけは絶対に分かるはずなのだ。南北に走るあの通りはそれほど広かったし、夕方あれだけ静かだった東側は今が最も人出の多い時間なはず。
 なのにSUGIZOは、人の気配がほとんどない狭い路地を一度も抜け出せていないのだ。ここはまだ西側。大通りを越えてはいない。

 ならば、大通りへはどちらへ向かえばいいのか。このまま正面へ進むか。左か右へ折れるか。それとも踵を返せばいいのか。
 それすらもう判断できなくて、SUGIZOは人がいないらしい家の壁に背を預けて座り込んでしまった。


 息はとっくに上がってしまっている。必死で胸に取り込む空気には砂が混ざって、SUGIZOは幾度も咳き込んだ。
 RYUICHIに会った時には雨に濡れていた服も髪も、もう乾いてしまった頃だろうに、今は雨の代わりに汗がSUGIZOの全身を濡らしている。
 膝に力が入らない。そう言えば丸一日以上寝ていなかったことを思い出して、SUGIZOは唇を歪めたけれど、忙しない呼吸に邪魔されたそれは苦笑いにすらならなかった。


 もう、今夜はこのままここで倒れてしまおうか。

 ふとそんな考えが脳裏をよぎる。
 怪しまれるだろうし殺されるかもしれないけれど、動くための力がもう身体のどこにも残っていないから。


 自分で自分に言い訳して、SUGIZOは瞼を閉じた。コミュニティ軍の怒声が遠いのか近いのかすら分からない。それほど急速に、睡魔はSUGIZOの意識を引きずろうとした。疲労ばかりを重ね過ぎた身体に、その誘いはあまりにも強力で。

 だから、分からなかった。


「……お前さんねぇ、こんなトコで寝てたら、ただのアヤシイ人だぜ?」


 すぐ隣に人が立ったことが、SUGIZOには分からなかったのだ。

 弾かれたように顔を上げると、そこには雨除けのマントを羽織った男が一人。闇に浮かぶ髪の色は、Jのそれとは少し色合いが違って見えた。
 不躾に顔を覗き込んでくる男の視線から逃れる気には、何故かならなかった。どうあってもコミュニティ軍には見えない男の雰囲気がそうさせた。

「……そんなアヤシイ人に声かけるあんたもアヤシイ人なんじゃねぇの?」

 まじまじと自分を見つめる男の視線に自分の視線を絡ませて、SUGIZOはそう言ってみる。走り通しだった上に睡魔に襲われたせいで、口がうまく動かなかったけれど。
 男はSUGIZOの反応を楽しむかのように口元を引き上げて笑うと、首を軽く横に振った。家々の灯りに照らされた髪が楽しそうに揺れる。

「ああ、違う違う。俺はどっちかって言うと、ただのお人好し」

 だから行き倒れそうなあんたについつい声かけたんだ、と男は笑う。たしかに、行き倒れかかった男など拾ってもなんの得にもならない。それを見過ごすことなく声をかけてしまうのは、お人好しの証拠だろう。

「……お人好しついでに頼みたいことがあるんだけど」

 一度は睡魔に引きずられた意識をしっかりと持ち直してしまったSUGIZOは、試しに助けを求めてみた。道を教えてもらえれば充分。抜けそうな膝も立ちそうにない腰も、すぐにも眠ってしまいそうな頭も、あえて気にしないことにする。
 しかし、男はまた首を横に振った。今度は不機嫌そうな顔をして。

「やだ。俺はお節介なお人好しだけど、頼まれごとは好きじゃねぇのよ」

 自分から声をかけるのはよくても、ついでになにか頼まれるのは嫌だ、ということらしい。だったら最初から声をかけなければよさそうなものだと思ったけれど、SUGIZOは文句をつけるより食い下がる方を選んだ。

 はっきりしてきた意識が、コミュニティ軍の怒声をとらえていた。のんびりと話している時間はない。

「ちょっとだけ。難しいことじゃないし、時間も取らせない。あんた、カザラの住人だろ?」
「そうだけど?」
「道、教えてくれない?」


 SUGIZOがそう言った瞬間、目の前の男の顔が、固まった。
 面倒臭そうな表情だったのが、ぱたりと無表情になって、そして。


「なんだ、迷子かぁ!」

 男は弾けるように笑い出した。

「悪かったな! 昨夜カザラに着いたばっかりなんだよ!」

 たしかに迷子には違いないが、迷子になって当然でもある。ただでさえ道が分からなかった上に日が暮れてしまったのだ。追われているのでなければどうにかなったかもしれないけれど、とSUGIZOは舌打ちする。

 そんなSUGIZOを面白そうに見ていた男は、笑うのをやめてSUGIZOに手を差し出してきた。

「そっか、そいつは悪かったな、俺も言い過ぎた。で、どこへ行きたいんだ?」

 問いかけながらSUGIZOの手を引いて立たせてくれたと思うと、SUGIZOの服についた砂を払い落としてくれる。そうやって世話をやいてくれる辺り、この男はたしかにお人好しでお節介なのだろう。

「とにかく大通りに出たいんだ。できれば、少し南寄りの辺りに」
「ああ、その辺りなら……」

 男が道を教えようと口を開いた矢先、それまで少し遠かったコミュニティ軍の怒声が急に近くなった。

 慌てて辺りを見回せば、コミュニティ軍が持っているらしい火が遠くに見えた。今までは足音や声が聞こえただけで、コミュニティ軍の姿は見えなかったのに。
 このままここに悠長に立っていれば、見つかるのは時間の問題だろう。

「来やがった……!」
「……アレに追われてんのか?」

 舌打ちしたSUGIZOに、男は真剣な顔で問うてくる。

「俺はなにも知らないのに、勝手に追っかけてくんだよ!」

 苛立ちを隠さずにSUGIZOが言うと、男は四方に続く道の一つをぴたりと指差した。

「じゃあね、この通りをまっすぐ走っていけ。しばらく行けば大通りに出るから、右へ曲がれば南へ行ける。人がいる辺りに出たら、走らない方が目立たないからな」

 迷う素振りもなく道を教えた上におまけまでつけて、男は早く行けとSUGIZOを急かす。
 ところが、そこで別れて元々の目的地へ向かうのかと思ったら、男はまっすぐにコミュニティ軍の火に向き合った。

「道教えてくれたのはありがたいけど、あんたはどうするんだよ?」

 なんとなく不安になってSUGIZOが問うと、男は少し悪戯な笑みを見せた。

「アレ、ごまかしといてやるよ」

 また少し大きくなった揺れる火を指差して、男はそう言う。
 それはつまり、見ず知らずのSUGIZOを逃がすために、この男がなにかしてくれるという意味で。

「そんなことしたら、あんたに迷惑がかかる。いいよ、道教えてくれただけで充分だ」

 慌てるSUGIZOを気にもせずに早く行けと言う男に、SUGIZOは戸惑う。
 この男を頼らなければ、SUGIZOはいくらも経たないうちにコミュニティ軍に見つかっていただろう。けれど、SUGIZOが頼んだのは道を教えてくれということだけで、コミュニティ軍の目くらましまでしてくれとは言っていない。
 本当にそこまで頼ってしまっていいのだろうか、自分の代わりにこの男がコミュニティ軍につかまってしまうのではないか。SUGIZOはそれが心配で、足を動かせずにいる。


 そんなSUGIZOを見て、男はまた笑った。唇を引き上げて、楽しそうに。

「言ったろ? 俺はお節介のお人好しなんだよ。モノはついでってな。いいから行けよ」

 ただのお節介でここまでする人も珍しいだろう。SUGIZOは小さな溜息と一緒に戸惑いを吐き出した。

「……わかった。恩に着るよ。あんた、名前は?」
「真矢。お前の名前は次に会った時に聞くよ」
「ああ、ありがとう」
「ほら、行け」

 嬉しそうに笑ったままの真矢は、言葉と一緒にSUGIZOの背中を押した。
 意外に強かったその力に流されて走り出したSUGIZOは、後ろを振り返りはしなかった。

 根拠はなにもなかったけれど、真矢とはまた会える気がしたから、振り返らずに教えられた道を走った。








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