瓦礫の街






9





 真矢が教えてくれた道は、正しかった。あれほど出られなかった大通りが今、SUGIZOの目の前にある。
 真矢と逢った場所からここまで、そう遠くなかったのだ。それなのに辿り着けなかった自分が情けなくて、SUGIZOは大通りに出た途端にこれ以上ないほど大きな溜息をついた。

 汗で肌に貼りつく服地が邪魔だった。自分の呼吸や心音すら鬱陶しい。
 けれど、もう走らなくていいのだと思えばそれも我慢できた。


 教えられた通りに右へ折れ、まだ絶えるには早い人通りに紛れる。
 頃はまだ宵の口。
 大通りを埋め尽くすほど並んでいた露店はもう片付けられていた。カザラに住む商人の家は、今がちょうど店を閉める頃。
 仕事を終え、東に集中する夜の店でこれから飲もうと意気揚々と歩く人々は、皆幸せそうに見えた。


 この幸せの陰に、コミュニティ軍に追われるJがいる。


 懸命に歩むSUGIZOの脳裏にふと、Jの背中が浮かんだ。
 平和に見えたカザラの端、覗き込まなければみえなかったかもしれない闇の中で、戦っていたあの背中。

 Jはあの後どうしたのか。真矢は。
 彼らが普段どこでなにをしているのかも知らないSUGIZOには、心の内で気にかけることしかできない。



 自分のせいで迷惑をかけたかもしれない彼らを思って顔を上げた時、異様な空気が見えた。楽しそうだった周囲のざわめきが、徐々に色を変えていく。

「……コミュニティ軍だ」
「なにかあったのか?」

 誰かの声が耳に入った。周囲の人々は皆、厄介者を見るような視線を、SUGIZOが向かっている南側へと向ける。
 その南側から、目的地へ一直線というには遅い速さで、コミュニティ軍らしき集団が迫ってくるのが見えた。

 けれど、走るのをやめ、呼吸と鼓動と一緒に意識も落ち着いてきたSUGIZOは、逃げ出さなかった。


 大通りなら数多い灯りに映えるSUGIZOの緋色の髪も、西側の闇の中では目立たなかったはず。たとえコミュニティ軍にどこかで姿を見られていたとしても、闇に紛れていた時と灯りに照らされた今とでは、印象も違うだろう。
 西側で迷っている間に、至近距離で接触したわけではない。大丈夫。


 SUGIZOは自分にそう言い聞かせて、大通りを駆けてくるコミュニティ軍の一団を見ていた。周囲の人々と同じように通りの端に寄りながら、コミュニティ軍からは視線をそらさない。

 人波をかき分けて迫ってくるコミュニティ軍は、周囲の人々を睨みつけては進んでいく。その視線が探しているものを想像して、SUGIZOは小さく喉を鳴らした。



 コミュニティ軍の先頭がすぐ近くまで来た時、不意にSUGIZOは腕を引かれた。
 後ろから突然かけられたその力によろめきかけた身体は、すぐに力強い腕に支えられる。

「こっち。目立たないに越したことはないでしょ」

 そのまま脇道へと引きずられるように歩きながら、頭の上で囁かれた言葉とその声に、SUGIZOは慌てて顔を上げた。


 視線の先には、見覚えのある明るい紅色の髪と、白い頬。楽しそうに引き上げられたままの唇にまで見覚えがある。

「……すみません、二度も助けてもらって。ありがとうございます」

 建物の影になる場所にしっかり立たせてくれたその人に、SUGIZOは素直に頭を下げる。
 カザラのゲートの前、朝日の中で見たのと同じ隊商の隊長の笑顔は、子供のそれによく似ていた。

「気にすんな。俺ができることなんて大したことじゃないんだから」

 少し嗄れたその声までもが今朝と変わりなく楽しそうで、SUGIZOは肩の力を抜いた。

「それよりお前、どっか落ち着けるとこ見つかったの? 髪の黒いのはどうした?」

 隊長は、SUGIZOの服が今朝と変わらないのを見てか、不思議そうな顔でそう言った。SUGIZOとINORANが世話になったあの隊商の人々は、今日一日ずっと二人のことを心配していたのだという。
 大通りの西側、今立っている場所より南寄りの場所にある武器屋に拾ってもらったとSUGIZOが告げると、隊長はにやりと笑った。

「今井君のとこね。そっかー、あそこに行ったんだー」

 今井の名前を出さずに説明したのに、隊長は迷うこともなく今井の名前を口にした。それほど今井が有名人なのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 カザラに武器屋は数軒あるそうだが、今井の店の他は隊長曰く「なんか嫌な感じ」の店なのだそうで、隊長自身も今井の店がお気に入りなのだという。コミュニティ間の移動中に窃盗団に襲われることも多い隊商では、武器はいくらあっても足りない。だからコミュニティを出る前には武器屋での仕入れが必須で、カザラで仕入れをするのは必ず今井の店なのだそうだ。

「それなら、俺たちがここを発つまではいつでも会えるな」

 嬉しそうに笑う隊長に、SUGIZOも疲労に強張っていた頬を緩める。この人の傍はどうしてか、無条件に安心してしまう。



 ふと思い出して大通りを見れば、南から迫っていたコミュニティ軍の一団はもう通り過ぎていた。
 隊長に腕を引かれるまで、一回り大きくなったかと思うほどうるさかった心臓も、今は落ち着いてしまっている。コミュニティ軍が去った大通りのざわめきも、元の陽気さを取り戻していた。

 コミュニティ軍が引き返してこないのを確かめて、隊長は軽い足取りで大通りへと戻る。

「あ、名前教えてください」

 そのままどこかへ行ってしまいそうな隊長を、SUGIZOは背後から呼び止めた。それくらいは知っておきたかったのだ。
 隊長はぴたりと足を止めて、またあの子供のような笑みを浮かべて振り返った。

「そういう時は自分から名乗んなさい」
「SUGIZOです」
「簡単だなー。俺はね、hideっていいます」

 照れているのか、隊長は名前を言う時だけ少し声が小さくなった。それがなんだかおかしくてSUGIZOが笑うと、hideはこれまた子供のように拗ねた顔をしたけれど、それも一瞬で笑顔に戻る。

「昼間はちょうどこの辺りに店出してる。俺がいなくてもうちのヤツが誰かしらいるし。いつでも来な」

 付け足すようにそれだけ言って、hideは今度こそ大通りの人波に消えた。

 その背中を見送ったSUGIZOは、不思議と疲労感が薄くなっていることに気づいて、唇だけで小さく笑った。


 疲れているのは間違いないのだ。ラウルを飛び出してから一睡もしていない。今この場で、あと少し気を抜いたらすぐに倒れられる。そのくらい身体は疲れている。
 けれど真矢とhideに助けられたことで、コミュニティ軍に追われた時の精神的な疲労がなくなった。

 闇の中で武器を持った大勢の人間に追われる恐怖。
 生き延びたい、帰りたいと叫ぶ心に反比例して、次第に動きの鈍くなっていく身体。

 真矢にもhideにも出逢えずにあのまま走り回っていたら、今頃は心が身体に負けて、どこかで倒れていただろう。
 その恐怖から抜け出せたのは、迫るコミュニティ軍に立ち向かう真矢が、余裕たっぷりの表情で自分を送り出してくれたからだ。コミュニティ軍が通り過ぎるまで、hideがずっと笑っていてくれたからだ。



 SUGIZOは一つ深呼吸して膝に力を入れ直し、再び歩き出した。
 視界に見覚えのある武器屋の看板が飛び込むまで、そう長くはかからなかった。











「お帰りー。遅かったね。ねぇ、夕食の支度するの手伝って。全部で四人分作らなきゃいけないんだから」

 店の入口から奥へ、階段を上がって二階を覗いた途端、かけられたのはそんな言葉で。
 それがINORANの声だと把握するのに少し手間がかかった。

 明るい声で話すINORANという存在を、SUGIZOはこれまで知らなかったのだ。
 INORANはいつももっと静かに、どちらかと言えば抑揚に欠ける話し方をする。
 それが突然明るく話すようになっていたら、いくら付き合いが長くても驚かされる。

「あ、え……なんで?」

 あまりにも平和な光景に、思考が追いつかない。
 それでも、昼食に比べて食事の頭数が増えるらしいということは分かるからとりあえず返事はしたものの、SUGIZOの脳は混乱から抜け出せない。



 コミュニティ軍から逃れようと全力で走っていたのが遠い昔のことに思えるほどの平和。
 本来なら、それが当たり前で。
 本当なら、ラウルでの自分たちもこんなふうに過ごせていたはずで。

 けれど、ラウルでINORANはこんなにも楽しそうに日々を生きていただろうか。



 闇雲に走っていたさっきまでの状況と、暖かな光が溢れる平和なこの家の中と。その差に感覚がついていけないだけではなくて、INORANの態度の違いも、SUGIZOの思考を乱していた。

 本当に自分はここにいるのか。これは現実なのか。

 それすらも疑いかけた時、SUGIZOの視界に見慣れない人影がよぎった。

「ああ、君? もう一人の居候さんって」

 少しくせのある黒髪を揺らして、その人は楽しそうに笑いながらSUGIZOに歩み寄ってくる。

 高過ぎも低過ぎもしない背丈と、服の上からでも分かる薄過ぎも厚過ぎもしない筋肉。穏やかに凪いだ風のように耳に染み込んでくる低い声。
 どこからどう見ても男性にしか見えないその人は、けれど何故か美しく見えた。

「幾つ?」

 間近で問われた言葉に、慌てて答えようと口を開いたSUGIZOは、自分が変に緊張していることに気づく。相手が見知らぬ人だから、というだけではないだろう。
 たぶん、目の前の人に圧倒されたのだ。

「え、あの……20歳、です、けど」

 問われたのは年齢。
 ラウルでは物心つく前からSUGIZOを知る人ばかりだったから、改めて年齢を問う人もほとんどいなかった。久しぶりに答えるその数字に間違いがないか、自分で疑問に思ってしまうほど、久しく問われなかったこと。
 けれど、SUGIZOが答えた数字に間違いはなかった。SUGIZOが20歳、INORANは1歳下の19歳。

 たったそれだけ、か。もうそんなに、か。

 それを決めるのはこれからの自分たちなのだと、SUGIZOが改めて思うその目の前で、その人は納得したようにうなずいた。

「今井が美人だって言ってたけど、ほんとだ……うちの店に来ない?」

 今度は言葉の意味がつかめずに、SUGIZOは思わずまじまじと目の前の人を見つめてしまう。


 この人の言う「うちの店」というのは、どこの店のことなのだろう。
 今井の武器屋ならもう住み込みで世話になっているから、今井から自分のことを聞いているらしいこの人の勧誘は無意味に思える。
 もしかしたらこの店ではなく別の店のことだろうか。
 そもそも、今井の家にいるこの人は誰なのか。


 SUGIZOの頭が混乱しかけた時、さっきINORANが顔を出したドアから、今井が顔を覗かせた。

「あっちゃん、勧誘もダメ。怯えてるって」
「え、強制連行がダメなんでしょ? 勧誘くらいならいいかと思ったんだけど」
「とりあえずメシが先」
「そうか……それは死活問題だし、しょうがないね」

 目の前の人と今井の会話についていけないSUGIZOは、一人で二人を見比べて困惑するばかり。

「SUGIちゃん、早くー!」
「い、今行く!」

 再度のINORANの催促に、SUGIZOは内心ほっとした。INORANが呼んでくれなければ、今井たちの間でどう話が展開したか、想像もつかない。
 SUGIZOは、帰宅した矢先に対面した「あっちゃん」の誘いをとりあえず脇に置いて、INORANの隣へと走った。








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