瓦礫の街
10
大慌てで用意した夕食のテーブルには、やはり「あっちゃん」がいた。
ちょうど四人掛けのテーブルの、一方にINORANとSUGIZOが並び、INORANの向かいに今井、SUGIZOの向かいに「あっちゃん」。いつもなら今井の向かいに座るのに今日は隣だ、と笑うその人が何者なのか、SUGIZOにはやっぱり分からない。
食べ始める前に今井に説明を求めて、SUGIZOは「あっちゃん」こと櫻井という名のその人が、今井と腐れ縁の仲だということを知った。
櫻井本人からの自己紹介はなく、今井が話してくれたことだけでは櫻井を理解するまでには至らない。けれど、今井が受け入れてくれた自分とINORANを、櫻井は疎んじるでもなく自然に接してくれているように見えた。
SUGIZOにはとりあえずそれで充分だった。
INORANは黙ったまま、ほとんど自分が作った料理を淡々と口に運んでいる。反応がないのは興味がないからなのか、それともすでに櫻井のことをある程度聞いていたからなのか。いずれにせよ、INORANは一言も口をきかずにいる。
櫻井は年も今井と同じだという。血の繋がりはないが、なんとなく一緒にいるのが当たり前になっているそうで、そんなふうになってからの年数は数える気にもならないと、櫻井は笑った。
その櫻井の職業は、今井と同じ武器商ではないという。
櫻井が言っていた「うちの店」というのは東側にある酒場でも特に人気の店で、櫻井は夜毎フロアに出て客の話相手になっているというのだ。
ウェイターとしてではなく、単に客の酒の相手をするだけのためにいるというのだが、その相手が遊び慣れた女性だったりすると当然、一晩だけベッドを共にすることもあるわけで。
櫻井がSUGIZOを誘ったのは、自分と同じ立場にSUGIZOを引き込もうという魂胆からだったのだ。
無論、INORANと離れる気などまったくないSUGIZOは、改めて櫻井の誘いを断ったが。
ちなみに櫻井の家はちゃんとカザラの内にあるが、休みをもらえた時は帰らずに、こうして今井の所へ来るのが習慣になっている。家は朝帰りして眠るためだけの場所なのだという。
「家より今井の隣の方が気が休まるんだよね。楽しくて寝られないけど」
そう言って口元をほころばせた櫻井とは対照的に、今井は黙って酒を飲んでいた。それがこの二人の一番楽な在り方なのだろう。
逆に自分たちのことを櫻井に尋ねられて、SUGIZOは隠すことなくラウルを出てきたのだと告げた。今井と櫻井になら話しても大丈夫だろうと、なんとなく思ったのだ。
今井と櫻井は小さくうなずいただけで、後はSUGIZOとINORANの故郷を話題にもしなかった。
今井たちにとってはそれが重要なことではないのか、それとも気遣ってくれたのか。それは分からないが、SUGIZOは二人に巡り会えたことをそっと神に感謝した。
「散歩してきたんだって?」
今井に絶妙のタイミングで酒を注いだ櫻井に問われて、SUGIZOはうなずいた。
先を促すように黙って見つめてくる櫻井に、一回りしてきたカザラの中で見たことを話す。
ラウルと違ってとにかく人が多いのに驚いたこと。
コミュニティ軍が一目で分かってしまうこと。
警備が厳しそうで北側だけは足を踏み入れなかったこと。
昼と夜の東側が、まったく別物に見えるくらい違う顔を持っていること。
西のゲートを越えたことは話さなかった。西側へ話を移した途端、櫻井が唇に指を当ててみせたのだ。
「西のゲート近くの人たちは、カザラにはいないことになってるから」
だから喋らなくていい、と言い添えられて、SUGIZOはうなずき返すことしかできなかった。
ただ、今井や櫻井は西のゲートを越えた先のあの死んだ街に人が住みついていることを知らない気がした。
直感でしかないけれど、カザラの住人が知っているのは西のゲート手前に居ついた他所者のことまでで、RYUICHIの存在までは知らないのではないだろうか。
なんとなくそう思ってSUGIZOは、西のゲートが警備されていないことに驚いた、とだけ話して西側の話を終わらせようとした。
「じゃあ、西でコミュニティ軍が動いてたのは、関係ない?」
不意に櫻井がそう言った。
その言葉で、SUGIZOは自分の心臓が破裂した音を聴いた気がした。
胸の奥から蘇る恐怖。
遠いのか近いのかも分からない場所から迫ってくる足音と声。
大通りへ出てからも人々のざわめきの色を変えた、コミュニティ軍の存在。その威圧感。
次々と脳裏に浮かぶ生々しい感覚に、SUGIZOは唇を噛んだ。
手のひらが汗ばんでいるのが、鼓動が速くなっているのが、自分でも分かる。
「……関係あるんだ?」
見透かしたように櫻井が言う。SUGIZOを責める雰囲気はないものの、さっきまでの楽しそうな声とはまったく違う低い声で言われて、SUGIZOは小さくうなずいた。
テーブルについた全員が、食事の手を止めていた。降りてしまった沈黙が、肌に刺さる。
「……明日は外へ出ない方がいい。店もだ。二階と作業場はいいけど、それ以外はダメ」
やがて、グラスに酒を注ぎ足した今井が、呟くようにそう言った。
出かける前にも「コミュニティ軍には関わるな」と忠告してくれたのに、わざわざそれを破ったのはSUGIZO自身。そんな危険分子を家に置いてなどおけないと言われても仕方ないと気づいたのは、たった今。
自分の無鉄砲な行動のせいで、INORANの居場所まで失くしてしまうかもしれなかったのに、SUGIZOの予想に反して今井は再度忠告してくれた。
それがいっそ不思議なくらいで、SUGIZOはまじまじと今井を見つめてしまう。その視線をどう解釈したのか、今井は黙って酒をあおるばかり。
代わって口を開いたのは、今井が手に持ったままだった酒瓶をやんわりと奪った櫻井だった。自分のグラスに酒を注ぎながら、少ない言葉でゆっくりと説明してくれる。
今井の店にはコミュニティ軍が武器や弾薬を仕入れにくることが多いのだという。
だから今井がコミュニティ軍の手先、ということではない。もしそうなら今頃、SUGIZOとINORANの居場所は牢の中か砂漠か天国のいずれかだろう。事実、今井は反コミュニティ勢力の者にも、求められれば平気で武器を売るという。
中立とはまた少し違ってどちらにも協力する立場である今井は、その分どちらからも警戒されている。
例えば戦況に関する情報などを今井の店で簡単に話す者はいない。今井を通じてコミュニティ軍の情報が反抗勢力に、反抗勢力の情報がコミュニティ軍に流れることを警戒しているのだ。
しかし不規則な潜伏を繰り返している反抗勢力とは違い、コミュニティ軍は一定の秩序をもって行動している。武器弾薬の注文も、決まった時間に装備点検があって、そこで足りない分が数日に一度注文される。
それ故に、突然の武器や弾薬の注文があると、コミュニティ軍が緊急に動いていることが嫌でも分かるのだ。
そんな立場にいる関係上、今井は深入りするのを嫌っているのだという。
求める者には相応の価格で武器を売る。手入れや改造も頼まれればいくらでもやる。
けれど、それ以上のことはしない。
コミュニティ軍が動いていることを察知しても、なにも言わないしなにも聞かない。
「コミュニティ軍には関わらない方がいいし、そのためには反乱軍にも関わらないこと。それが一番確実な、平和な生活への道だよ」
そう言った櫻井の隣で、今井は相変わらず無言で酒をあおっている。
SUGIZOは今井たちに小さくうなずいてみせた。転がり込んだ自分のせいで、今井たちにまで迷惑をかけるわけにはいかないし、とりあえず家主の意見には従っておくべきだろう。
けれど、SUGIZOは知っていた。
今井たちの言う平和が、どれほど脆いものなのかを、知っていた。
平和。
それは確かにこの家の中にある。間違いなくあるのだ。
この空間に閉じこもっていれば、SUGIZOとINORANはそう遠くない未来に、その平和に包み込まれるだろう。
けれどその空間を一歩出てしまえば、そこには一触即発の緊迫した空気がある。その一端に、SUGIZOは確かに触れたのだ。
ラウルで、炎に飲まれていく教会の周辺で触れた、緊張が弾けてしまった荒々しい空気。
それまでの、小さなコミュニティの小さな平和が、あまりに脆く崩れ去って荒れた空気に飲まれていく。
そうなってしまう一歩手前の緊張感が、カザラにもある。
不穏な空気を無視するかのように、人々はいつも通りの朝を迎え、いつも通りの生活を営み、いつも通りの明日を想って眠りにつく。
すぐにも切れてしまうかもしれない緊張の糸が張り巡らされたその中で、薄いガラスのような平和に溺れる。
今井たちと、ラウルで内乱が起きるまでのSUGIZOやINORANとは、まったく同じ存在だった。
平和にしがみつき、壊れないでくれと願い、壊さないように静かに生きることを良しとして、戦乱を巻き起こそうとする者から遠ざかろうとする。
同じだから、その平和がいかに壊れやすいものか、SUGIZOもINORANも知っているのだ。
平和が壊れてしまえば、今井たちもきっと巻き込まれる。
沢山の人を巻き込み、沢山のものを奪って、なにも残さずに去っていく。戦乱とはそういうものだ。
手の中にある平和。すぐ隣にある戦乱の予感。
自分がこのカザラ・コミュニティで、そのどちらに存在することになるのか、今のSUGIZOにはまだ分からなかった。
平和でありたいと、平和に暮らしたいと、願っている。
ラウルで戦乱の火蓋が切って落とされてしまった瞬間を知っているから、なおさらそう願ってしまう。
ただ、偶然とは言えわずかに関わってしまったJの影が、ラウルでも感じていた戦乱の前兆と一緒になって、なかなか脳裏から離れなかった。
他にも気になることは山のようにあった。
hideと今井の関係、SUGIZOが戻ってきてからのINORANの態度、櫻井の存在。
疲労の限界を超えた身体が、意識を強制的に眠りの淵へと引きずり込んでくれたことが、この夜のSUGIZOにとっては救いだった。