12
「あんた、Jって言ったっけ」
今井に視線を固定していた金髪の男はわずかに表情を強張らせたが、SUGIZOの顔と声を覚えていたのか、すぐに緊張を解いた。
薄暗い店の中で少しくすんで見える金髪が、夜の中で見たそれと綺麗に重なる。
間違いなく、Jだった。
「……出てくんなって言っただろ」
鬱陶しそうに言う今井とSUGIZOを交互に見て、Jは首を傾げている。なぜSUGIZOがここにいるのか、どうしてそのSUGIZOを今井が隠そうとしているのかわからないのだろう。
ただ、その視線に警戒心は見えなかった。
昨夜SUGIZOがコミュニティ軍の者ではないと言ったことを覚えているのか、あるいは単になにも考えていないのか。それはSUGIZOにもわからない。
SUGIZOがhideと今井に世話になった経緯を簡単に説明すると、Jは納得したようにうなずいた。他所のコミュニティからカザラへ潜り込んだことも話したが、SUGIZOが他所者であることはJにとって大きなことではなかったらしい。今井も、昨夜のうちにSUGIZOとJが逢っていたことを知って、それ以上はなにも言わなかった。
「生きてたんだな。昨夜は巻き込んじまって悪かった」
「なんでコミュニティ軍に追われてるんだ?」
まっすぐにSUGIZOを見て頭を下げるJに、SUGIZOは気にしてない、と言って話題を変えた。
あっさり答えてはもらえないかもしれない、と思いつつも、SUGIZOにはそこが気になっていたのだ。
「反抗勢力の旗頭だもん」
SUGIZOの心配をわかっているのかいないのか、Jはなんでもないことのようにさらりと答えた。
反抗する相手はもちろん、昨夜Jを追いかけていたコミュニティ軍、そして軍を擁する首長以下コミュニティ全体。
ならば、Jが西側のテントで男たちと交わしていた議論の内容は、そのまま対コミュニティ軍用の作戦案だということになる。
その中心人物であることを明かした目の前の男は、堂々と往来を歩き、コミュニティ軍も出入りする今井の店へ平然と来ているわけで。
そんなに堂々としていて、日中から追われたり捕まったりすることはないのかとSUGIZOが問うと、Jは薄く笑った。
「べつに、いつも反コミュニティ軍の看板持って歩いてるわけじゃないから」
その笑みは深い意味を持っているようにも、難しいことなどなにも考えていないようにも見えた。
SUGIZOはふと、昨夜Jを見かけて後を追い始めた時のことを思い出した。
あの時追っていたJの背中は確かに血生臭さを感じさせた。なのに、そのJの歩みはどこか楽しそうだった。
思えばSUGIZOはそのギャップが不思議で、夢中でJを追ったのだ。
コミュニティ軍が迫った時こそJの背中は戦っている者のそれに変わった。しかし、西側のテントへ向かっていた時のJの背中は、目の前にいるJの表情と同じ雰囲気を、確かに持っていた。
「あんたが今井さんに世話になってるなら、あんたにも世話になるんだろうし、よろしくな」
そう言いながら、Jは無造作に片手を差し出してくる。
Jの手のひらをSUGIZOはじっと見ていた。
皮膚が荒れているだけでなく、マメが潰れたような痕が幾つか残っている、柔らかさの欠片もない男の手だった。それも、マメは潰れるそばから新しいマメを作ってまた潰したのか、ずいぶんと酷い状態のものばかり。
その痕の位置と大きさと、今井の手に預けられたばかりの銃を思い浮かべて、SUGIZOはもう一度確信する。
この男には、Jにとっては、戦うことと生きることがたぶん同じ意味なのだろう、と。
それほどにJは、銃に慣れた手をしている。
SUGIZOはJの手を握り返そうと手を差し出したところで、ふとあることに気づいて軽く眉根を寄せた。
Jはここまで、SUGIZOを「お前」とか「あんた」としか呼んでいないのだ。SUGIZOがJに名乗る間がなかったせいではあるが、それにしてももう少し失礼のない言い方ができないものか。
SUGIZO自身もJを「あんた」呼ばわりしているが、それは別問題だと無茶苦茶な理屈をつけて、SUGIZOはそれを無視する。
「あんたじゃねぇよ。SUGIZO」
仏頂面で言いながらJの手を握り返して、すぐにその手を解く。
SUGIZOの反応が予想外だったのか、不思議そうに瞬きを繰り返したJは、不思議そうな顔のまま問うてきた。
「歳、いくつ?」
「20歳」
「あ、年上なんだ。下かと思ってた」
納得したように一人うなずいたJは、SUGIZOの名を口の中で転がしている。
「なんでだよ」
ラウルにいた頃は、実際の年齢より大人に見られることが多かったSUGIZOに、Jの言葉は意外だった。だから眉間に皺を寄せたままで問い返したのに、Jは表情を変えずにあっさりと答えた。
「なんとなく」
顔には出さなかったものの、SUGIZOが内心で脱力したのは言うまでもない。
「お前はいくつなんだよ?」
なんとか気を取り直して今度はSUGIZOの方からJに聞いてみた。
SUGIZOよりわずかに高い背丈と、痩身のSUGIZOよりずっとがっしりした体格。全体の雰囲気から考えても16やそこらということはないだろうと考えかけて、SUGIZOはそれをすぐに否定せざるを得なくなった。
Jが見せた悪巧みでもしていそうな笑みが、なんとも子供っぽかったのだ。これでは、15だと言われても納得できてしまう。年下と言っても実際Jが幾つなのか、SUGIZOには見当もつかなかった。
SUGIZOの内心をわかっているわけではなく、単に面白がっているのだろう。Jはもったいぶるように間を空けてから口を開いた。
「19。たいした差じゃないよな。背は俺の方が高いし」
1年違い、ということは、JはINORANと同い年ということになる。その年齢なら、流されるのではなく自ら望んで戦いに身を投じていてもおかしくはないし、銃に慣れた手をしているのもうなずける。
しかし、言われた数字には安心したものの、身長を笠に着て偉そうに上から見下ろしてくるJはSUGIZOの神経を逆撫でしてくれた。
「それがどうした」
「いや、べつに」
SUGIZOの反応が面白かったのか、Jは笑みを深くしてはぐらかすのみ。それがまたSUGIZOの神経に嫌な刺激を与えるのだが、Jは気にしたふうでもなく今井を振り返った。
「じゃあ今井さん、すいませんけどそれ、お願いします」
「明後日の昼までには仕上げておくよ」
SUGIZOとINORANだけが残ることになる明日を巧妙に避けて、今井はJの銃を指先にぶらさげて揺らしてみせた。
「今ぐらいの時間に取りに来ます。それじゃ」
律儀にそんな約束を置いて、Jはあっさりと踵を返す。
しかし、店のドアを開けたところで足を止めて、なんとも楽しそうな顔で振り返った。
「hideさん、櫻井さんの店は行った?」
問われたhideはゆるりと首を横に振って笑う。
「これから行こうと思って、今井くんに櫻井くんの予定聞きに来たの」
「あ、そうなんですか? さっき見かけましたよ」
「あっちゃん、今日は店だよ」
店に来て最初にhideが今井と話していたのは、そう言えば櫻井のことだった。それが目的だったのか、と納得するSUGIZOを尻目に、Jと今井がそれぞれの持つ情報を出し合う。出された言葉に満足したように笑ってうなずいたhideは、Jに向けてひらひらと手を振った。
「後から行くから、酒、取っといてもらって」
わかりました、と軽く笑って応えたJは、あとはもう振り返らずに店を出て行った。
その背中はやはり、戦いの血生臭さをほんの少しその場へ残していった。
Jがドアを開けたことで近くなっていた街の音が再びドアに遮られて、SUGIZOはわずかに肩に入っていた力を抜いた。
しかし、店内でJを見送ったhideに視線を戻したところで、ごく軽くついたばかりの息をもう一度詰めてしまう。
SUGIZOの視線の先で、hideは幾分険しい表情を見せていた。
なにかに耐えているようにも見えるhideの表情は重く、あんなに明るく笑う人と同一人物なのかと疑うほどだった。
ほんの少しの間を置いて、hideはふっと頬に入ってしまっていたらしい力を抜いてSUGIZOを振り返った。しかし、その表情はまだ硬い。
「……お前、Jがただの物好きで戦ってるんだと思う?」
そして落とされた問い。
「……違うんですか?」
「正解はわかんない。聞いたことないしな。でも、俺から見たら答えはただの物好きじゃない方だな」
SUGIZOは答える言葉を持たなかった。
まだ知らないことが多過ぎる。
Jの素性すら知らないのだ。名前と、対コミュニティ勢力の中心にいるらしいということ以外、なにも。
その程度の知識で、Jが戦う理由など明確に理解できようはずもない。Jが自ら戦いを好んでいるのか、戦わなければならない理由があるのか、判断できる材料がないのだ。
黙ったままのSUGIZOから、hideがふと視線をそらした。天井の隅なんか見上げて、わざとらしくSUGIZOの視線を引きつけてから口を開く。
「……まぁ、ケンカっ早くて血の気余り過ぎてて曲がったことが大っ嫌いな一直線バカだからね。少なくとも、戦うことを忌み嫌ってはいないだろうとは思うよ」
まだ硬さを残す頬を少しだけ歪めて、hideは笑った。笑おうとしたのだとかろうじてわかる程度のかすかなその笑みは、決して明るいものではないのに、口調だけが軽かった。
「でもな」
なにも言わないSUGIZOに向き直って、hideは更に言葉を続ける。
「Jが好きなのは、曲がったことを正すことだけだと思うんだよ。真実がどうだか、ずっとカザラにいるわけじゃない俺は知らないよ。けど、Jの場合は結果としてケンカだ戦闘だっていう事態になってるだけで、J自身が好んでケンカ始めてるわけじゃない気がする」
「でも、コミュニティ軍にとっては反抗勢力なんでしょう?」
コミュニティがどんなに大きくても、内部は結局狭い社会でしかない。その中でわざわざ反抗勢力として旗揚げすることは、実はかなり難しい。
コミュニティという集合体では、正しいのは首長一族であり、それに従わない者や従えない者はコミュニティを離れることがほとんど。
ラウルで内乱が起きたのは首長一族の中で対立構造ができあがったためで、そんなことでもなければコミュニティ内は平和を保てる場合が多い。
カザラほどの規模のコミュニティであれば首長の勢力も強く、反対派として起つこと自体難しいだろう。よほど綿密に計画を練って人脈を広げないと、出る杭が打たれるどころか出る前から潰されてしまう。
Jが首長以下コミュニティ勢力に反抗することの目的がなんなのか、SUGIZOにはわからない。わからないが、それが無謀だということくらいは判断できた。
「一方が正しくてもう一方が間違ってるって具合に白黒はっきりしてるのか、あるいは両方とも間違ってんのか、両方とも正しいか……そこがそもそもの問題」
SUGIZOの問いに直接は答えず、hideは曖昧に笑ってみせた。その言葉は謎かけのようで、SUGIZOはうつむいて考え込んでしまう。
「正義なんて、人の数より多くあるんじゃない? 『悪いのは誰だ?』って聞かれて誰かを名指しにできるような人とは、俺はあんまりお近づきになりたくないなぁ」
SUGIZOを置き去りに、hideは今度はずいぶんと明るく言ってのけた。その明るさの裏にそれまでのhide自身の経験や思いが潜んでいるであろうことは、SUGIZOにも想像がつく。
「お前がなにをどう考えようとお前の自由だよ。だけど、少ない情報で物事を判断しないよーに」
最後にそう言って、hideはゆらゆらと楽しそうな足取りで店を出て行った。
SUGIZOとJが話し始めてから一言も口を利かなかった今井の気持ちを聞いてみたいと、SUGIZOは思った。