瓦礫の街






14





 買い物を終えたSUGIZOが店に戻ると、決して明るいとは言えない明かりの下、カウンターからINORANが声をかけてきた。

「お帰り。今日、今井さん帰ってこないって」

 感情の伺えない声でINORANはそう言う。
 しかし、櫻井が来ていた日のように明るく声をかけられるより、SUGIZOにはよほど馴染みのある声だった。もともとINORANは、こんなふうに感情の起伏の少ない子供だったのだ。

 INORANの手元とカウンターの上には、INORANのものではない刃物が幾つかある。見れば店の刃物を並べてあった棚にところどころ空きがある。売り物のうちのいくつかを軽く手入れをしていたのだろう。

 今井が帰ってこないから夕食の支度ではなく店番をしているのかと納得して、SUGIZOは二階へ上がった。荷物を部屋に放り出し、階下へ戻る。
 炊事はSUGIZOよりINORANの方が手際もいいし上手い。店には自分がいて、INORANに食事の仕度を頼もうと思ったのだ。



 SUGIZOが階段の最後の一段を踏んだのと同時に、店のドアが開いた音がした。
 SUGIZOの足音を聞いたのだろう、階段の下まで来てSUGIZOを見上げていたINORANが、店の方を振り返る。SUGIZOもつられてINORANから店へと視線を移した。

 薄暗い店内に見えたのは、金色の髪だった。見覚えのある色と、その下の顔。Jだった。

 SUGIZOは階段を降りきって、INORANの肩を軽く叩いた。

「俺が出るから、INORANは食事の支度してくれる?」

 肩を叩かれるまで店を振り返ったままだったINORANは、SUGIZOの手に驚いたものの、すぐにうなずいた。
 しかし、INORANの足はそのまま動かず、視線は再び店に入ってきたJに向けられる。

「……あれ、Jっていう人だよね」

 先日Jが店に来た時の話を、作業場でずっと聞いていたのだろう。INORANはわずかに躊躇うような間を置いてJの名を口にした。
 その問いにうなずいて、SUGIZOは店へ出た。

「今井さんは?」

 すぐにSUGIZOに気づいたJが、片手に持った薄汚れた布の包みを持ち上げながら聞いてくる。

「今夜は帰らないって」
「そっか。ナイフの刃の手入れ、頼める?」

 SUGIZOの言葉に落胆した様子もなく、Jは手にした包みを解いて、ずいぶんと使い込んでいるらしい革製の鞘ごと大振りのナイフを差し出す。SUGIZOが二階へ上がっている間にINORANが片づけたらしいカウンターを挟んで、それを受け取ろうとSUGIZOが手を伸ばした。

 その腕のすぐ横を、別の細い腕がかすめていった。

「俺でよければ」

 階段の下ですれ違ったばかりのINORANだった。
 Jが差し出したナイフを鞘ごと受け取るべく、利き腕の左手を伸ばすその表情からはなにも読み取れない。

 対照的に、INORANの視線を受けるJは、素直に驚きを顔に出していた。SUGIZOよりもいくらか背の低いINORANを驚いたままの顔でじっと見つめた後、JはSUGIZOに視線を移して小首を傾げた。

「……連れ?」

 間があったのは、兄弟や親戚か、あるいは血縁ではないのか、そもそもSUGIZOとなにか関わりがあるのか、と迷って言葉を選んだせいだろうか。連れ、という表現はこういう時に楽でいい、と少しずれたことを考えながら、SUGIZOはうなずいてみせた。

「INORANっていうの。年は俺の1歳下だから、お前と一緒か」

 説明しながらINORANの肩をぽんぽんと叩いてやると、INORANをじっと見ていたJが驚いたと顔に書き直して口を開いた。

「……見えねぇ。年下だと思った」

 実際、SUGIZOよりわずかに背の高いJから見れば、INORANは小さい。年の割に小柄、というわけでもないが、決して大柄とは言えないし、体格そのものだって細くて色白で一見頼りなさそうに見える。恵まれた体格を持つJと同い年、と言われても、すぐには納得できないかもしれない。
 ましてこの時代、子供はどこのコミュニティにも少ないものだ。同年代の同性と体格を比べる機会など、カザラのように大きめのコミュニティでも多くはないだろう。
 だからと言って、驚きを素直に顔に出してしまうのもどうかとSUGIZOは思うが。

「同い年の男がみんな似たような体格なわけないだろ」

 INORANも似たようなことを思ったのか、わずかに棘を含んだ声でJにそう言い放つ。SUGIZOが今日初めて聞く、INORANの感情が滲んだ声だった。

「そりゃそうだ、悪かったよ。俺はJ。よろしく」

 JにもINORANの棘が感じられたのか、すぐに表情を改めてINORANに手を差し出した。よろしく、と無愛想に返しながら、INORANがJの手を軽く握る。

 その一瞬、INORANとJの間になにかが流れたように感じたのは、SUGIZOの気のせいだったろうか。
 なにか奇妙な間があったように思えたのだ。それがなにかはわからないが、敵対心とか警戒心とか好奇心とか、そんな言葉で簡単に言い表せる類のものではなさそうな気がした。

 SUGIZOが考えに沈むあまり、眉間に薄く皺を刻みかけた時には、INORANがJの手を振り解いていた。JはそんなINORANの態度に気を悪くするでもなく、今度はSUGIZOに向き直った。

「連れっていうか、兄弟?」
「似たようなものかな。血は繋がってないけど」

 Jにすべてを話すのはまだ躊躇われた。だからSUGIZOは曖昧な言い方で逃げる。しかしJはそれすらも気にした様子を見せず、さっき差し出したナイフをINORANに示してみせた。

「ええと、INORAN? ナイフの手入れ、頼める?」
「できないように見えるとでも?」

 INORANはナイフを受け取るべく手を出して、憮然とした表情で言い返す。

「INORANは、俺よりずっとナイフの扱いは上手いよ」
「それは、手入れがっていうことじゃなくて、ナイフを使う方のこと?」
「どっちも」

 SUGIZOが補足説明しても、JはINORANにナイフを渡さない。INORANを上から下まで眺めて、またSUGIZOを見る。

「……この体格で?」

 出てきたJの言葉は、INORANを怒らせてしまうであろうものだった。体格で他人に劣ることを、INORANは密かに気にしている。それをSUGIZOは知っているから、無闇にその点に触れないようにしてきたが、Jはお構いなしにそこに踏み込んでしまった。

「……それ以上言うなら手入れしてやらない」

 案の定、INORANの声に棘が増している。
 こんなにも機嫌の悪さを声や態度に出すことはINORANにしては珍しかったが、今の状況では仕方ないとSUGIZOは思った。
 Jもさすがに同じ場所を二度突いてしまったことに気づいたらしく、すぐに頭を下げた。

「わかった、悪かった。ごめん」
「……手入れの内容は?」

 憮然としたままではあったが、今度はINORANの方から話を切り換えた。仕事は仕事と割り切るつもりか、INORANのJを見る視線は、さっきよりは少し柔らかい。
 Jはもう一度だけごめん、と呟いて、ナイフをINORANに手渡した。INORANはすぐに革の鞘からナイフを引き出す。
 現れた刃は鞘と同様、ずいぶんと使い込まれたものに見えた。

「刃を砥いでほしいのと、柄のはめ込みが弱くなってないかどうか見てほしいんだ。少し緩くなってる気がするんだけど」

 Jの依頼を聞きながら、INORANは刃のあちこちに触れてみたり、柄でカウンターを軽く叩いたりしている。やがて顔を上げると、INORANはすっかり落ち着いた、感情の見えない声に戻って、口を開いた。

「砥ぎ具合の好みは?」
「どう説明すればいい?」

 INORANはJの問い返しに、ナイフを持ったままカウンターを出ると、店の棚の一角にかけてある大人の親指ほどの太さのロープを軽く持ち上げてみせた。

「このロープを何往復で切れるようにすればいい?」
「一刀両断って可能?」
「可能だけど、その切れ味を長持ちさせるのは難しい」
「わかった、それでいい。いつまでかかる?」

 途端に話の進みが早くなった二人をなんとなく眺めながら、SUGIZOはさっき二人の間に流れたなにかの正体を考え続けていた。傍から見ていてそう簡単にわかろうはずもないのに、考え始めると止まらないのはSUGIZOの昔からの悪癖である。

 ロープを戻してカウンターに入ったINORANは、ナイフを丁寧に鞘に戻した。

「今夜中に終わるから明日の朝には」
「了解。明日の今頃に取りに来るよ。お代、置いていこうか?」

 懐に手を入れかけたJを手で制して、INORANはナイフを持ったまま踵を返した。

「後でいい。SUGIちゃん、俺、二階に行ってるね」

 二階に行く、と言いながら、INORANは店の奥の作業場へ向かった。預かったナイフを置いてくるつもりなのだろう。その背が作業場へ続くドアの向こうへ消えた時、JもSUGIZOに片手で軽く挨拶して店を出て行った。


 INORANとJ。
 今初めて顔を合わせたはずの二人の間に流れたものがなんだったのか、SUGIZOにはさっぱりわからなかった。








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