瓦礫の街
15
様々なことが「日常」として定着し始めていた。
ラウルで生活していた頃から夜更かし好きで朝に弱かったSUGIZOは、カザラでもその悪癖を治すことができずにいた。
しかし朝に弱いことについては今井も同じで、SUGIZOと今井が同じくらいの時間に起きるとINORANが朝食を用意してくれる。
他にも、家事はINORANがやっていることが多かった。ただしそれは、SUGIZOよりINORANの方が慣れているというだけの理由であって、SUGIZOがINORANに押しつけているわけではない。
INORANは、やはりSUGIZOから見ると少しずつ変わってきているように思えた。性格の浮き沈みが、ラウルにいた頃の何倍もはっきりと見えるようになっている。
機嫌のいい時は声を上げて笑うこともするようになったし、機嫌の悪い時は思い切り不機嫌そうな顔を見せるようにもなった。それは両方とも、ラウルにいた頃のINORANにはほとんど見られなかったものだった。
単純に考えれば、INORANが変わり始めた原因は環境の激変だろう。だが、それだけで説明してしまっていいのかどうか、SUGIZOはまだ悩んでいた。
悩んだところでどうなるわけでもないことはわかっている。結局はINORAN自身の問題なのだから、SUGIZOが横から口を出したりしても意味はなさそうだと思っている。
だが、気になるものは気になるのだ。
そんな日々の合間に、hideや櫻井やJが度々顔を覗かせてくれた。
からかわれたり遊ばれたり可愛がられたりケンカしかけたりしながら、SUGIZOとINORANは彼らの間に馴染んでいく。
ただ、INORANはやはり「SUGIZO以外の他人」にどこかで一線を引いているようで、完全に打ち解けるということはなかった。特にJに対してはその線がずいぶん太いものになっているように、SUGIZOの目には映った。理由はやはりわからないが。
そしてもうひとつ。SUGIZOが気にしていたのは、カザラの西の廃墟にいるはずのRYUICHIだった。
カザラに来たその日以来、SUGIZOは一度も西の廃墟に行くことができずにいたのだ。暇そうに見えて実は店がそれなりに忙しいせいでもあったし、慣れない新しい日常に早く慣れようと様々なことに懸命になりすぎていたせいでもあった。
やっと慣れて日々の生活の隙間に余裕が出てきたと感じられるようになった頃には、カザラに移り住んでから半月も経っていた。
半月も西の廃墟に行っていない。
半月も、RYUICHIに会っていない。
一度気になってしまったらなかなかそのことを忘れられなくなった。それほど、あの雨の中でRYUICHIに出逢ったことは印象的だったのだ。
その日、SUGIZOはとうとうINORANに店番を頼んで、店を出た。向かう先は西の廃墟。RYUICHIに会うために。
西のゲートの向こう、廃墟はなにひとつ変わらぬ姿をSUGIZOの前に見せていた。
ゲートを挟んで向こう側にもこちら側にも、人の気配がまったくない。それも、SUGIZOが初めてここへ来たあの日と変わらなかった。
そして、西から雨雲が迫っていることまでも。
朝は天気が良かったのに、昼前から薄い雲が陽光を遮るようになり、今は西に色濃い雨雲が見える。SUGIZOとINORANがカザラへ来てから二度目の雨が、もうすぐここに降り注ぐのだろう。
SUGIZOはゲートの正面で止めていた足を南へ向けた。ほどなく、柵が倒壊しているところが見えてくる。ためらうことなく柵を踏み越えて、SUGIZOは廃墟の中を進んだ。
RYUICHIはこの、カザラ全体よりまだ広いかもしれない廃墟のどこかにいるはずだった。ただ、日によって居場所を変えると言っていたRYUICHIのこと、この廃墟のどこにいるかはわからない。
SUGIZOはまず、RYUICHIと初めて逢った広場を目指した。そこにRYUICHIがいなくても、広場を拠点として廃墟を探索してみようと考えたのだ。
初めてここへ来た時には、風に乗ってかすかに流れてくるRYUICHIの歌が頼りだった。柵を越えてまっすぐ西へ進む途中で、北から流れてくるかすかな歌に気を引かれたことを、SUGIZOはよく覚えている。
記憶をたどりながら道を選び、この前はRYUICHIの歌に気を取られてよく見ていなかった周りのものをじっくりと眺め、SUGIZOは急ぐことなく歩いた。
廃墟は、静かだった。鳥や虫の姿もない。
時折通り過ぎる風と、それに巻き上げられる砂がかすかな音を立てるだけの、誰もいない空間。
こんな静かな場所で、RYUICHIは暮らしているのだ。
たった独りで。
誰と話すこともなく、ただ歌いながら。
立ち並ぶ建物の様式は、どれほど前の時代のものか見当もつかない。ただ、やたらと派手に彩られていたらしいことは、わずかに残る塗料や装飾からわかる。真矢が言っていた「テーマパーク」というものだったのならば、それはきっと人が生活するための空間ではなかったのだろう。事実、試しに入ってみた建物は壁一面に棚だったらしいものの残骸がしがみついていて、生活に必要な家具などがまったくなかった。だからと言って、これを見ただけでは「テーマパーク」がどういった施設なのかまではわからないのだが。
ほどなく、SUGIZOの前に円形の広場が現れた。
知らない道を歩いている時は距離感や時間感覚が狂って実際よりも遠く長く感じるもの。二度目にたどった道は、思ったほどにはゲートから離れていなかった。
広場の中央に吹き寄せられた砂の丘も、RYUICHIと雨宿りをした建物も、変わらずにただそこにある。
そして、SUGIZOに背を向けるように座るRYUICHIの姿も。
「……来たんだ?」
この前と同じように砂の丘の端に座って、RYUICHIは振り返りもせずに問う。
「来ちゃいけなかった?」
RYUICHIの正面に回り込んで、SUGIZOは膝を折りしゃがみ込んだ。これでも目線はRYUICHIより頭半分ほど高い。RYUICHIがうつむいているせいでもあるが。
「もう来ないかと思ってた」
顔はうつむいたまま、瞳だけをちらりと上げて、RYUICHIが呟く。その表情は、例えて言うなら拗ねた子供のようだった。SUGIZOは小さな子供のそんな表情を見たことはなかったが、なんとなくそう思った。
「なら、どうしてこの前と同じこの場所に?」
上げられた目線を捕まえるように覗き込んで、SUGIZOは笑ってみせる。それが気に入らないのか、RYUICHIは今度は顔を背けてしまった。
「……なにしに来たの」
それでも、問いかけは続けられる。カザラの西のゲートを越えてきたSUGIZOが気になってはいるのだろう。
だからこそ前と同じこの場所にいたのだろうし、顔を背けながらも無視はしないのだ。
初めて目が合った時は警戒心を剥き出しにしていたRYUICHIが、二度目は自分を歓迎してくれた。まっすぐに喜びを表現しているわけではないけれど、少なくとも嫌われたり疎まれたりはしていない。SUGIZOはそれを内心でとても喜びながら、目を合わせてくれないRYUICHIをじっと見つめて問いに答える。
「お前に逢いに」
「逢ってどうするの」
「べつに。なにかしてもいいし、しないならそれでもいい」
それはまったく真実で、嘘偽りないSUGIZOの本心だった。
RYUICHIに逢う以外の目的があって柵を踏み越えたわけではない。
本当に、ただ逢いたかったのだ。逢って、一緒にいたかった。
それだけだった。
RYUICHIはゆっくりとSUGIZOに向き直って、黙ったままじっとSUGIZOを見上げてきた。RYUICHIの上目遣いの視線に、SUGIZOを疑うような感情は見えない。ただ、少しの戸惑いが見えるだけだった。
RYUICHIの視線を遮るように、一筋の雨が二人の間に落ちて砂に小さな染みを作った。二人が空を見上げると、さっきまで西の空にあった雨雲がもう頭上を覆って、二人の髪も肩も背も足元も濡らそうとしていた。
「……変な人だね」
砂を払って立ち上がりながら、RYUICHIは溜息をついた。けれどそれは、SUGIZOに呆れての溜息ではなかった。
指先だけでSUGIZOを誘って立ち上がらせ、この前とは別の建物の軒下へと歩いていく。次第に増えていく雨粒を見上げて、SUGIZOはRYUICHIの誘いに応じた。
「じゃあ……あの歌、歌って?」
軒下で雨から逃れながら、SUGIZOはふと思いついたことをそのまま口にした。
自分を引き寄せたRYUICHIの歌をもう一度、今度は最初から聴いてみたいと思ったのだ。あの時はかすかな声を追うことだけに集中していて、歌われている言葉を気にもしなかったから。
「どれ?」
「俺が初めてここへ来た時に、お前が歌ってた曲」
もっとも、SUGIZOは別の曲でも構わなかった。RYUICHIが歌いたいと思うものならどんな歌でも聴いてみたかった。
RYUICHIは一つうなずくと、唇の端を引き上げてSUGIZOに向き直る。なにか新しい遊びでも思いついた子供のような、悪戯な笑みだった。
「『お前』じゃなくて名前で呼んでくれたら歌ってあげてもいいよ?」
言われてみれば、RYUICHIを名前で呼んだ覚えが一度もない。気にしていたならもっと早く言ってくれればよかったのに、とも思ったが、それは口に出さず、SUGIZOは眼前の問題を考える。
「……RYUICHI」
なにか敬称をつけるのはなんとなく避けたくて、とりあえず名前をそのまま呼んでみた。するとRYUICHIは、不満そうに唇を尖らせる。
「俺をそう呼ぶの?」
「どう呼んだらいい?」
「好きなように」
対応に困ってSUGIZOが問い返すと、RYUICHIは肩を竦めてみせた。
その肩が案外細いことに、SUGIZOは初めて気づいた。雨を吸った服が張りついているのはこの前と同じなのに、この前は気づかなかった。
「じゃあ、RYU」
今度は名前の前半分だけを呼んでみると、RYUICHIはSUGIZOの視線の先で、とても綺麗に笑った。
「……いいよ。歌ってあげる」
笑みを浮かべる唇が小さく開いて、承諾の言葉が零れ落ちる。
軽く息を吸い込んだ唇から次に流れ出たのは、歌だった。
雨にかき消されることなくどこまでも伸びていくようなRYUICHIの声が紡ぐ言葉は、SUGIZOの耳に滑らかに入り込む。
それは、誰も見たことのない世界の果てにある、至福の国に焦がれる人の歌だった。
現実にはあり得ないであろう、誰もが幸せな国を夢見る歌だった。