21
話がコミュニティ軍のことに戻った時、SUGIZOは不意に思い出した。
真矢に初めて逢った時、SUGIZOはコミュニティ軍に追われていた。ただし正確には、Jがいたテントの傍にいたせいでついでに追われていたようなものだった。現に、SUGIZOはその後一度もコミュニティ軍に追われたことがない。他所者を排除する傾向にあるカザラの、コミュニティ軍も出入りする武器屋に居候しているのに、である。もっとも、コミュニティ軍の者の応対はすべて今井がやっているのだが。
そして、店によく顔を出すJは、正真正銘コミュニティ軍に追われる立場だと、自ら言っていた。
真矢なら、Jのことを知っているだろうか。
コミュニティ軍を含む首長派のことを細部までよく知っている真矢なら、反抗勢力のことも知っているだろう。その中心にいる人物のことまで知っている可能性は、高くはないかもしれないが、ゼロということもないのではないだろうか。SUGIZOはそう考えたのだ。
真矢がもしJのことを知らなかったとしても、自分たちが居候している店によく来る客だと言えばいい。それは嘘ではないのだから。
SUGIZOはいつの間にかうつむけてしまっていた顔を上げて、真矢に向き直った。
「なぁ。Jってヤツ、知らない?」
軽く、世間話の一つとして切り出したつもりだった。
それはSUGIZOにとって、少なくとも失敗ではなかったはずだった。
むしろ、話の発端としては成功だと思ったのだ。
真矢が、瞳の奥から笑みを消すまでは。
「知ってるもなにも……お前、どこでJのことを知った?」
真矢は、Jのことを知っている。
そう確信するには充分な言葉だった。
居候している店によく来るのだとSUGIZOが答えると、真矢はSUGIZOを見据えていた視線を外してうつむき、考え込んだ。
「……そうか……いよいよ始めるつもりかな……」
ずいぶん長く感じられた沈黙の後、真矢はかろうじて聞き取れる程度の声でぽつりと呟いた。その声は、どこか悲しそうな響きだった。
真矢は一つ大きく溜息をつくと、顔を上げた。
「Jと俺は従兄弟なんだよ。俺の方が半年ちょっと早く生まれてる」
その説明に、SUGIZOはさすがに驚いた。INORANも軽く目を瞠っている。二人の外見からすると、それは想像の域を超えていたのだ。もっとも、実の兄弟でも似ても似つかない者もいるのだから、言われてみれば納得できなくもないのだけれど。
「で、とっても困ったことに、俺は首長の補佐役になるべくなんの反感も持たずに育てられたんだけども……Jは反抗心の塊でね。反首長派の反乱軍に入っちゃって、目下敵対中」
続いた真矢の言葉に、SUGIZOはまた一つ思い出した。
真矢は、首長の甥だと言っていた。その真矢と従兄弟同士ならば、Jもまた首長の甥か、もしかしたら首長の直系の子供という可能性もあるのだ。
そんな出自の者が反乱軍に入るということ自体が信じがたいが、まだその状態が続いているということは更に信じがたかった。首長に近い位置にいるということは、それだけ自身の言動が首長に伝わり易いということではないだろうか。
だがJは白昼堂々とコミュニティ内を歩き回り、SUGIZOの眼前で自ら反抗勢力の者だと言ってのけた。他所でそういうことを言っていないのかもしれないが、真矢が知っていることを考えると極秘事項というわけでもなさそうだ。
しかも真矢は、Jが首長と敵対中だと言った。正面からぶつかっているのではないかもしれないが、Jの立場が首長派に知られていないというわけではないだろう。
SUGIZOは更に考える。
初めて遭遇した時、Jは西側の一角にあったテントで数人の男と話していた。内容のすべてを聞き取れたわけではなかったが、覚えていることはある。
あの時Jを含む男たちが話していたのは、なにかの作戦行動のことだった。
Jが店を訪ねてきた時に気づくべきだったのかもしれない。あのテントで話し合われていたのは、カザラ・コミュニティの首長に反抗する者たちの作戦会議だったのだと。
テントの中から聞こえた「南のゲート」という言葉は恐らく、SUGIZOが想像した通り、SUGIZOとINORANが通り抜けたあのゲートを指しているのだろう。
ならば、Jを含む反コミュニティ勢力は、まだ作戦が机上の空論の域を出ないとは言え、首長とコミュニティ軍に対して具体的な行動を起こそうとしているのだ。少なくとも、首長を倒すとかコミュニティを制圧するとか、目標だけを掲げてなにもせずにいるのではない。コミュニティ軍に存在を知られ、追われる程度のことを既にしているのだ。
SUGIZOは隣に座るINORANの様子をちらりとうかがった。あからさまにJを避けているINORANにとって、真矢の話はどんな思いを呼び起こしているのだろうか。
口に出してはなにも言わない二人をどう思っているのか、真矢の説明は淡々と続く。
「反乱軍の勢力は大きくはない。コミュニティ軍で楽に潰せる。だけどJがいる以上、俺は反乱軍をすぐに潰してしまうことには反対してる。反乱軍に入る前のあいつは、隣接コミュニティから襲撃を受けた時、常に先頭に立って戦ってカザラを守ってきた功労者だ。あいつの存在がなかったら、カザラはとっくに西のノウラか東のキアラに潰されてる」
Jがコミュニティ軍に属していたことを、軍や首長はまだ覚えてるんだ。
真矢はそう付け加えて、溜息をついた。
真矢は、SUGIZOとINORANにとっても、またJにとっても、敵となり得る立場に在りながら、実際にはほぼ中立なのだ。Jに関することを、ただ手のかかるやんちゃな弟のことでも言うように話すから、それが分かる。反乱軍全体に対してはどうか分からないが、J個人に対しては、真矢は敵意を向けていない。
無理に首長派に引き戻そうというのでもなく、けれどきっと、Jの考えに賛成しているわけでもない。中立というより、どちらの立場に回るかまだ決めかねているのかもしれない。
では、Jは真矢のことをどう思っているのだろう。
首長に従うべく反抗心も抱かずに育った真矢を敵視しているのか。あるいは、自陣へ引き込みたいと考えているか。真矢の存在そのものをまったく気にかけていないかもしれない。
それに、Jの胸中も分からないが、そのJの考えを真矢が知っているのかどうか、それも分からない。
迂闊なことは口にしないに越したことはない。
そう思いながらも、SUGIZOは言わずにはいられなかった。
真矢がJを本気で心配しているのが肌で感じられるから、言わずにはいられなかった。
「……カザラを制圧するにはまず、南のゲートを陥落させる必要があるんだろう? そのためにJは、囮が必要なら自分がやるって言ってた……」
真矢ばかりかINORANまでもが驚いて自分を見ているのが、SUGIZOには感じられた。
「SUGIZO、お前……それ、どこで聞いた?」
Jは今井の店で再会してからも、SUGIZOが何故あの時テントの傍にいたのか問いただすことをしなかった。だから、SUGIZOがあのテントの外で話の内容を聞いてしまったことを、Jは知らない。
今ここでSUGIZOが真矢に、あの夜に知ってしまったことを話すのはためらわれた。
だが、SUGIZOは少しの罪悪感を押し殺して、知っていることを正直に話すことにした。
「……真矢に助けてもらう、そのちょっと前。西にあったテントで、ちょうどそういう話をしてるのが聞こえて。囮のことは、Jが自分で言ってた」
真矢はまた黙り込んだ。
INORANも黙っている。うつむいたままの表情は、前髪に隠されて見えない。
SUGIZOもそれ以上話すことがなく、黙っていた。
「……そうか……ありがとな、教えてくれて」
ようやく真矢がそう言った時、SUGIZOは知らず詰めていた息を吐き出した。もし真矢がJのことを話した時のあの心配そうな声を聞いていなければ、真矢がSUGIZOの話したことを首長に流してしまうのではないかと疑ってしまうところだっただろう。そのくらい、真矢の声は真剣だった。
真矢はまだ肩の力を抜ききらないまま、また話し出した。
「反乱軍は上手い具合にアジトを転々としてて、なかなか反乱計画の決定的な証拠がつかめなくてな、コミュニティ軍がイライラしてるんだ。Jがアジトに出入りしていることはもう数年前から俺もコミュニティ軍も察してたけど、前線に出るつもりだってのは……初めて知った」
それじゃあいつ、捕まってもおかしくないよな、と真矢はほんの少し笑ってみせた。無茶ばかりする従兄弟でも、大切に思っているのだろう。
「真矢の立場、複雑なんだな」
SUGIZOがまっすぐに真矢を見て言うと、真矢は軽い溜息と共にうなずいた。
「板挟みの真ん中にいるのは自分でも分かってるよ。でも俺はどうにか首長派と反乱軍の前面衝突を回避したい。今の立場だからこそできることもあると思ってるんだ」
二大勢力の間に立つということ、その両方に繋がりを持っているということ。
それはつまり、どちらの陣営に立つかの選択を迫られる立場にあるということと同義。
ただの民間人も同じだが、真矢が一方を選ぶということの意味は段違いに大きいだろう。なにしろ出自が出自だから、首長につけば首長派が勢いを増し、反乱軍につけば民間人の選択が変わる可能性がある。次代の首長とも目される真矢がどちらにつくかによって、カザラの情勢そのものが大きく変わるかもしれないのだ。
しかし真矢は、それを逆手に取ろうとしている。生半可な覚悟でできることではないだろう。悪くすれば二大勢力の両方を敵に回すことにもなりかねないのだ。
真矢がそうまでする理由は、なんなのか。
SUGIZOの考えを読み取ったのか、真矢は一度軽く目をつむって静かに息を吐き出してから、口を開いた。
「あいつの存在がカザラに必要かどうかなんて、そんなのは正直言うとどうでもいいんだ。俺が、あいつを死なせたくないんだ」
最後は呟くように小さな声だった。
真矢の胸の内では、首長の親族であるという自分とJの立場や未来なんてことは、そんなに重くないのかもしれない。
最も重要なのはきっと、Jが真矢から見える範囲でちゃんと生きていること。たぶん、それだけなのだ。
「でも、打算的な考えがまったくないとも言えないけどな」
また苦笑いの形に口元を歪めて、真矢は話し続ける。
「首長は、俺とJの伯父に当たるんだ。伯父の直系の子供はいないから、俺たちしか次代の首長候補がいないんだけど……俺は、どうせならJを推したい」
自分は首長の後継として反感も抱かずに育てられた、と真矢は言っていた。対してJは反抗心の塊だと。ならば首長以下、真矢とJを知る者は、真矢を次の首長に、と思っているはずである。
しかしその真矢が、Jを推したいと言う。
真矢が首長になりたくないのか、あるいはJの方が適任だと考える根拠があるのか。カザラの内情などほとんど知らずに育ったSUGIZOには、まるで見当もつかない。
SUGIZOの疑問は、続く真矢の言葉で解決された。
「俺は、こう見えてあんまり身体が丈夫じゃないんだ。おかげで戦闘に出たことがないし、もちろん戦功もない。カザラを守る力が確実にあるのはJの方なんだ。いざって時はJの方が頼りになる。それを、カザラの住人は知ってる。戦乱のない時代なら俺の方が自治には向いてるかもしれないけど、強敵に挟まれた今のご時世じゃ、絶対にJの方が向いてる」
だからと言って、あいつに大役押しつけて自分はなにもしない、なんてつもりもないけど。
真矢は妙に明るく、けれど少しだけ辛そうな声でそう言い添えた。
それはきっと、真矢が抱いた、もしかしたら今も抱いている、真矢とJの未来なのだろう。そしてその夢がかなわぬままに消えるであろうことを、真矢は予想しているのだ。
「……でも、このまま反乱軍が決起しちまったら、Jを殺すしか道が残らない……いや、囮になることも辞さないってんなら、その前にJが自分から死のうとするかもな……教えてくれて助かったよ、ほんとに」
話すうちに顔をうつむけ、視線をどこへ向けているのか分からなかった真矢が、言葉の最後に顔を上げてSUGIZOを見た。
その目には迷いや困惑は浮かんでおらず、ただ、なにかを決意した者の持つ強い光があった。
「首長にバラすのか?」
SUGIZOはもう一度だけ、真矢に聞いてみた。
真矢が首長派と反乱軍の間にいるのは分かるが、どちら寄りなのかが分からない。もし、SUGIZOが話した反乱軍の計画が、真矢から首長へ流れたら、それだけでカザラの情勢が大きく動く可能性もある。
しかし真矢はきっぱりと首を横に振った。
「いや。俺はどっちの味方でもねぇのよ。首長に反乱軍のことを密告したりしないし、反乱軍に手を貸すこともしない。Jが生きててくれるなら、どっちが勝とうがどんな形で決着がつこうが構わねぇ。さっき言った通り、コミュニティの住人全部を巻き込むような全面衝突は避けたいけどな」
安心して、詰めていた息を吐き出したSUGIZOに、真矢は一つうなずいてみせた。
「もちろん、Jがいれば他の誰もいらないなんて恋人紛いのことは言わねぇよ。ただ、あいつのいない世界を想像したくないんだ」
Jのいない未来を想像したくない。
真矢のその言葉は、ラウルの通りを走っていた時のSUGIZOの想いと、よく似ていた。
SUGIZOは、INORANのいない、INORANと自分が一緒にいない未来を想像したくなかったのだ。あの時のSUGIZOほど切迫した状況にないだけで、真矢の想いはSUGIZOのそれと同質のものだった。
SUGIZOはあの、ラウルの教会が焼け落ちた夜、INORANと離れる運命を遠ざけることができた。そして今のところ、まだその運命の足音は近づく気配を見せていない。
真矢とJも同じように、別々の道を生きる、あるいは一方だけが生きていくという運命の存在を感じているのかもしれない。
SUGIZOは既に、真矢とJを赤の他人と割り切ることができなくなっていた。
その感覚はとてもあたたかなものを胸にもたらすものであり、同時に漠然とした不安をももたらすものだった。