瓦礫の街






22





 それからしばらくは平穏な日々が続いて、気がつけばSUGIZOとINORANがカザラへ来てから二ヶ月近い時間が経っていた。
 コミュニティ軍は相変わらず穏やかならぬ空気を振り撒いて闊歩しているし、反乱軍はその網からまだ逃れ続けているらしい。今井は相変わらず無口で生活形態も変わらない。櫻井は時々やって来てはSUGIZOを勧誘するのをやめないが、本気で引っ張るつもりもないらしい。

 INORANは一時期よりも落ち着きを取り戻していた。一日のうちに雰囲気が激変することはほとんどなくなり、ラウルにいた頃のようにおとなしくなったのだ。だがそれは、幼馴染みであるSUGIZOにはよく知った顔だったはずなのに、どこか違う気がしてならなかった。

 その違和感が最も強くなるのは、Jが店を訪ねて来た時。

 Jは三日と空けず店に顔を出すようになった。半分くらいはちゃんと店に用があって来るのだが、あとの半分は雑談だけだったり、今井を飲みに誘うのが目的だった。
 そのJが来るだけで、INORANは条件反射のように店の奥に引っ込んでしまうのだ。応対せざるを得ない状況でも最低限の言葉しか交わさない。
 表面上はおとなしいようにも見えるが、実際はJに対してなにかしら強い感情を、INORANは抱いている。傍にいるSUGIZOが見ているだけでも分かるほど、はっきりと。ただ、その感情がどんなものなのかが分からないのだ。

 思えば初対面から、INORANはJに気を許す様子を欠片ほども見せていなかった。だがそれにしても、二人が顔を合わせる度にその間に流れる緊迫した空気は、少なくともSUGIZOには異様に思えたのだ。

 対するJも、INORANの態度にはなにか感じるものがあるのか、INORANに積極的に近づく素振りは見せない。INORANと一定以上の距離を置いて、深入りしないように気をつけているように、SUGIZOには見えた。もしかしたらそれはINORANも同じで、互いに深入りを避けているのかもしれない。

 しかしJは、SUGIZOに対してはまったく違う顔を見せるのだ。邪気のない笑顔で接してきて、SUGIZOが少し邪険に振り払ってもまとわりついてくるほど。振り払おうとするSUGIZOとまとわりつくJを、猫好きに犬が懐いたみたいだ、と言ったのは今井である。
 SUGIZOも、決してJが鬱陶しいとか嫌いだとか、そういうわけではないのだ。ただ、自分より体格のいい同年代の男にまとわりつかれても嬉しくないだけで。だから振り払おうとするのだが、Jが店に来ない日が続くとなんとなくJを待ち望んでいるような気もしてくる。
 これではまるで子供だ、とSUGIZO自身も思うが、Jが来ればやはり鬱陶しさ半分、面白さ半分で接してしまう。

 SUGIZOとJでは、互いに刺を向け合ったり笑い合ったりする、その波が一致しやすいのだ。

 ならば、INORANとJはその波が合わないのだろうか、とSUGIZOは考えた。しかし、そういった反発とはまた別のなにかが二人の間にあるような気もする。



 他にも気にかかることがあれこれと脳裏に点在していた。カザラ内部のことはもちろん、もうカザラを出てだいぶ経つhideの隊商のことや、自ら望んで離れたラウルのことも。

 ただ、それらの点を線で結んで考える余裕が、SUGIZOにはあまりなかった。店がそれなりに忙しかったせいでもある。だが、そういったことをまとめて考えるより、馴染み始めた生活に溺れている方が、今のSUGIZOには楽だったのだ。



 INORANとラウルで過ごした時間はすべて、SUGIZOにとっては「友達」との時間ではなく「弟」との時間に等しかった。
 同年代の子供は二人の他におらず、友人と呼べる存在はINORAN以外にいなかったのだ。だからINORANとは血が繋がっているわけではないが兄弟も同然で、いつもSUGIZOがINORANの面倒を見ていた。SUGIZOにとって、INORANは「友達」と「弟」の間の存在なのだ。

 しかしINORANと同い年のJは、SUGIZOにとってはまさに「友人」になり得る存在だった。
 真矢も同年代だが、真矢は頼り甲斐のある性格で、どちらかと言えばSUGIZOから見ても「兄」に近い。
 その点Jは、対等なのだ。どちらが上でも下でもなく、同じ高さにいるのが肌で感じられる。それはこれまでのSUGIZOの人生にはなかった感覚だった。

 だからSUGIZOは、Jと接している時間が楽なのだ。
 誰かに面倒を見てもらうのでもなく、誰かの面倒を見るのでもなく、ただ対等であること。それがこんなにも肩の力を抜いてくれるものだと、SUGIZOは知らなかったのだ。



 このまま平穏に時が過ぎ去って、争いもなく過ごしていけたら。

 SUGIZOは、そう願ってしまう自分を止められなかった。
 だが平和を願う裏側で、恐らくその願いはかなわないだろうとも思っていた。











 風の強い日だった。街を囲う外壁があるとは言え、吹き込んでくる風は止められない。それと共に四方を囲む砂漠から砂が舞い込んでくるのも、止めることはできなかった。

 そんな日に、SUGIZOとINORANは買出しに出ていた。酒が切れたから買ってこい、と今井に言われたのだが、その量が半端ではなかったために二人で出かけたのである。一緒に食料品も買おうかと相談していたのだが、この風と砂では帰るまでに砂まみれになることは間違いない。その点、今井に頼まれた酒は栓をしてあるからまだいい。仕方なく二人は、酒を買うことだけを目的に、呼吸さえ妨げられそうな風の中を歩いていた。



 今井御用達の酒屋は、北東の一角にある。既にINORANが何度か買出しに行っており、SUGIZOも一度行ったことのある店だった。
 建物や大通りのテントを風避けに利用しながら、二人は他の店に目もくれずに酒屋を目指す。

 北部の中央に聳える、首長の居城と思われる建物がだいぶ大きく見えてきた頃、INORANが不意に道を変えた。大通りから外れて東側へ少し踏み込み、また北へ向かう。
 INORANの方がこの辺りの道には詳しくなってきているから、SUGIZOは黙ってその後について歩いた。
 しかし、当然だが北に近づけば近づくほど、コミュニティ軍の目が増えてくる。覚えている酒屋の位置よりも北まで来ている気がして、SUGIZOはとうとうINORANを呼び止めた。

「ちょっと回り道にはなるけど、次の角を曲がって酒屋を一周したら、風避けて行けるかなって思って」

 INORANは不思議そうに小首を傾げてそう説明する。酒屋の裏を通って北側から店に行くつもりだったのだ。
 確かに、ここまで来るとそれまでよりも建物の大きさが格段に違って、風を避けるには都合がいい。しかし、風に舞う砂も少ないということは、コミュニティ軍の目から隠れる方法が一つ減るということでもあるのだ。
 人影の見えない小路にINORANを引き込んでそれを説明すると、INORANは仕方ないかと言うように頷いた。

 ところが、来た道を戻ろうとした矢先、SUGIZOは後ろからINORANに引き戻された。ラウルにいた頃に近い落ち着きを見せていた最近のINORANからは想像もつかないほどの強い力で。
 もつれた足をなんとか立たせて、何事かとSUGIZOが振り向くと、INORANはさっきまでとは大違いの硬い表情を見せていた。その視線はSUGIZOを見てはいない。SUGIZOの肩を通り越したその先を、瞬きもせずに凝視している。

 つられて視線を戻したSUGIZOの視界で、見慣れた金髪が揺れた。



 通りを数本隔てた先の、建物の影。
 SUGIZOとINORANがいるのと同じように、上手く隠れれば周りから見えないであろう場所に、Jの顔が見えた。遠くて表情までは分からないが、時折警戒するように辺りに目を配っているらしいことは見て取れる。

 Jは、夕闇の中でSUGIZOが最初に見かけた時と同じマントを羽織っていた。しかしそれは、J一人の身体を包んでいるにしては不自然に膨らんでいる。
 Jが、マントを広げたその腕の中にもう一人、誰かを隠しているのだ。
 SUGIZOがそれに気づいたのは、マントの端からJのものではない長い黒髪がほんの少し、風に舞ったのが見えたから。



 そしてその髪の色は、SUGIZOに別の記憶を思い起こさせた。

 北寄りの、西側の一角。SUGIZOはJがちょうど今のように、一回り小柄な人物を抱きしめていた光景を目にしたことがある。
 Jがその時抱きしめていたのは、長い黒髪をなびかせ白い服をまとい、裸足で駆けてきた女性だった。

 その記憶と重なるように、Jのマントの端から今度は、隠されている人物の細く白い素足と、純白の衣装の裾がのぞいた。

「……あれは、巫女?」

 不意に、後ろにいたINORANが聞いてきた。INORANがいることも忘れかけてJの方をじっと見ていたSUGIZOは、驚いたがすぐに平静を取り戻して頷いた。「カザラの巫女」の話はSUGIZOもINORANも、ラウルに出入りしていた隊商の男たちから聞かされたのだ。INORANが覚えていても不思議はない。

 そう言えば西側で今とよく似た光景を目撃した時、SUGIZOはJの素性をまだ知らなかった。だが真矢と同じく首長の甥であるJが、首長やその近親者くらいしか知らないはずの巫女を知っているのも、今なら頷ける。
 それにJは、コミュニティ軍に遭遇してもすぐ追われたり捕まったりすることはないとも言っていた。だからこれほど北寄りにいても大丈夫なのかもしれない。

 しかし、だからと言ってこの状況は危険過ぎるのではないだろうか。

 ここは大通りの東側。巫女が普段生活しているという神殿は北西にある。前に彼らが落ち合っていたのは神殿に程近い西側の一角で、自分たちが今いる場所より少し南に下った辺りだったはず。今いるのはそこより更に北寄りで、神殿から遠い東側なのだ。人目、それもコミュニティ軍や首長派の者の目につく可能性は、西側より高いかもしれない。
 そんな危険を冒してでも、Jと巫女には会わなければならない理由があるのだろうか。

 前に見た時、巫女がJに必死でなにかを訴えていたのを、SUGIZOはよく覚えている。今もあの時と似たような話をしているのかもしれない。風に乗って、途切れ途切れに女性の声が届いてきて、SUGIZOはそう考える。Jは身動ぎもせずに、ただ相手を抱きしめている。それもあの時と同じだった。



 突然、通りを一本隔てた程度の至近距離で、大きな声が聞こえた。誰かを探しているらしい、複数の女性の声だった。
 砂の舞う風の中でも透明感を失わない独特の声が幾つも折り重なって、名前らしき単語を頻りに口にしている。

 それらの声が耳に届いた瞬間、INORANがSUGIZOの服をもう一度強く引いて、二人は小路の更に奥へと隠れた。こんなところで立ち止まっていること自体、怪しまれる原因になりかねないのだ。

 同じように、二人の視線の先でJが動いていた。
 それまで抱きしめていた白い人影を突き放すようにして腕をほどき、後ろも見ずに駆け出す。

 残されたのはやはり、以前にもJとこうして会っていた巫女だった。
 角を曲がって姿を消す直前、Jは一度だけ、置き去りにした巫女を振り返った。しかし巫女はその時にはもう、Jを見てはいなかった。
 もう余裕がないのか、巫女と目を合わせないまま、Jは建物の影へと消えた。恐らくそのまま走ってどこかへ身を隠すのだろう。

 重なり合う声がどんどん近づいてくる。呼ぶ声に応えるように、SUGIZOとINORANの視線の先で、巫女が口を開き、声を発した。
 それは誰かを探しているらしい女性たちの声を押し退けるようにして辺りに響き渡り、強い風に運ばれて散っていった。

 その直後、女性たちの声が一切聞こえなくなり、代わりに複数の忙しない足音が響いた。
 そしてSUGIZOとINORANのいる位置から巫女の立つ位置までのちょうど中間辺りに、足音の主たちが姿を見せた。



 角を曲がって駆けてきた数人の女性は、皆同じ服をまとっている。巫女がまとっているのと同じような形だが、巫女のものと比べるとわずかに生成りっぽい色の布地を使っているらしい。
 彼女たちは立ち尽くす巫女の前へ一目散に駆け寄り、その足元にひざまずいた。まるで王侯貴族を前にした平民のように。

 SUGIZOとINORANが黙って見守る中、中央に立つ巫女は静かに手を振った。それを合図に女性たちが立ち上がり、巫女を守るように四方を固めて静かに歩き出す。

 Jの身体とマントという風避けを失っても、巫女の純白の衣装や白い素足は、砂に汚されていないように見えた。それどころか、わずかに色のある衣装の女性たちに囲まれた今は、巫女の衣装の白さが余計に際立って見える。

 巫女と女性たちは、SUGIZOとINORANの隠れている方へ少しだけ歩いてから、北へ角を曲がった。



 角を曲がって姿を消す直前、正面を見ていたはずの巫女がこちらを向いたのを、SUGIZOは見ていた。一瞬目が合ったかと思うほどその視線は強かったが、辺りに舞う砂が邪魔して、本当に目が合ったかどうかは定かでない。

 Jに続いて巫女と彼女を囲む女性たちが消えた後、SUGIZOはまだしばらく歩き出すことができなかった。
 まだSUGIZOの服をつかんだままのINORANが、その手を放してくれないのだ。
 通りにはもう、自分たち以外に誰の姿も見えない。なのにINORANは、固まってしまったかのように動かないのだ。

 SUGIZOが幾度か名を呼ぶと、INORANはようやく我に返ったようにSUGIZOの服から手を引き剥がした。しかしその視線はまだ巫女が去っていった辺りに向けられていて、SUGIZOを見ようとしない。

 INORANの目には、一連の光景がどう見えたのだろうか。SUGIZOには分からなかった。

「……行こう。酒、買わないと」

 ようやくINORANがそう呟いたが、その声もまだどこか虚ろだった。



 INORANのこれほど真剣な眼差しと、これほど虚ろな声を同時に感じたことなど、SUGIZOには一度もない。
 真剣さはラウルを出てからのINORANに見えるし、虚ろさはラウルにいた頃のINORANに常にあった。しかし、この二つが同居している状態は、一度もなかったのだ。

 Jと巫女が一緒にいたことか、巫女が角を曲がる直前にこちらを見たこと。あるいはその両方が、INORANになにかしらの変化を与えた。それだけは確実なことだろう。だが、その変化が具体的にどんなことなのか、それがSUGIZOには分からない。

 酒を買い込んで今井の店へ帰る途中も、帰ってからも、INORANの変化はSUGIZOの脳裏に小さな黒点のように残っていた。だが、どんなに考えても、やはり明確な答えは出なかった。








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