瓦礫の街






23





 数日後、夕食がちょうど終わる頃に、櫻井がふらりと現れた。手には酒の瓶をぶら下げて、吐く息も少し酒の匂いがする。

「来るなら飯の前に来れば良かったのに」

 今夜はなかなか美味かったんだ、と付け加えて今井がにやりと笑ってみせる。軽く目を伏せて笑い返した櫻井が、酒瓶を掲げて今井を手招いた。

「まだ飲み足りないだろ?」
「先に部屋行っててよ。肴になるもん持ってくから」

 今井は言葉通りにすぐキッチンに立って幾つかの食材を漁ると、適当に皿に盛っただけの状態のそれを手に、櫻井の後を追った。
 櫻井と言葉を交わす機を逃したSUGIZOとINORANは、今井の部屋には立ち入らないと決めている。今井に禁止されているわけではないが今井の部屋に行く用事もないし、櫻井と二人きりという今のような場合はなおさらだった。だから食器を片づけた後、INORANは作業場でもう少し仕事をすると言って階段へ向かった。

 しかし、自室へ戻ろうとしたSUGIZOは、奥の今井の部屋から聞こえた声に、思わず足を止めてしまった。

「客がほとんど来ねぇんだよ。早ければ数日中にも動きがあると思う」

 それは櫻井の声だった。常の落ち着いた低音とは程遠い、どこか自棄になっているような、大きめの声だった。櫻井の言葉を受けているはずの今井の返事は聞こえない。ただ、今井の声らしき音がぼそぼそと聞こえるだけである。

「本当にやばくなったら、あいつらどうすんの?」

 今井の声らしき音がまた、わずかに聞こえた。恐らく、ドアに張り付けば今井の言葉も少しは聞き取れるだろう。しかしSUGIZOにはそこまではできなかった。今井の家は決して古くはないが、そっと移動していても必ず床板がどこかで鳴るのだ。まったく気づかれることなく今井の部屋に近づくことは不可能だった。

 SUGIZOはわざと大きめに足音を立てて、階段へ向かった。自室へ戻るのはなんとなく避けたかった。



 作業場を覗くと、足音でSUGIZOと分かっていたのか、INORANが手を止めてこちらを見ていた。その手元にあるのは、昨日Jが預けていった銃の部品。INORANは今もJをあからさまに避けているが、仕事は仕事と割り切っているらしい。
 そのJが店に来る頻度は、このところ急激に高くなっていた。今井が店番している時も含めると、ほぼ日に一度、少なくとも三日に二度くらいは来ているらしい。それも、今井やSUGIZOの顔を見に来るだけということはほとんどなく、大抵は武器弾薬の調達や手入れの依頼をしていく。SUGIZOとINORANがカザラへ来た頃よりも格段に、J一人による売り上げが増えているのだ。

 本格的に戦いが始まる日が近いのかもしれない。SUGIZOがそう考える理由の一つがこの、Jの頻繁な訪問だった。

 他にも理由はある。
 ただでさえ近寄り難かった東のゲートの警備が、以前より格段に厳しくなっていた。今となっては南のゲートから他所者が侵入することも難しいだろう。もちろん、カザラの中枢とも言うべき北部一帯を守る北のゲートは更に警備が強化されていることは容易に想像がつく。

 そして、同じく目に見える変化がもう一つ。大通りの両側を埋め尽くしていた露店が、気がつくと一つ二つと消えているのだ。消えたテントの大半は隊商のもので、別のコミュニティへ旅立ったものばかりだった。
 SUGIZOはhideの言葉を思い出す。隊商は戦乱を避けて通る、と。カザラから隊商が離れていって、後に入る隊商が来ないということは、カザラに戦乱の日が来るということではないのだろうか。

 重くのしかかる予感に苛まれるSUGIZOにとって、漏れ聞いた櫻井の言葉もまた、自分の考えを肯定するものに思えてしまったのだ。
 カザラで一番の酒場に客が来ない、と櫻井は言った。繁華街から人が消えるのは、世間の金回りや治安、あるいは自分たちを取り巻く情勢が良くない時である。そして、武器屋である今井の店は、今井曰く「かつてないくらい」に潤っている。それらが示すことはたった一つしかないように、SUGIZOには思えた。

 緩慢だった流れがたった一晩の大雨ですぐに溢れるように、いつか、急激に事態が変わる日が来る。そしてその日は、そう遠くはない。

 SUGIZOには、そうとしか思えなかったのだ。











 日に日に、カザラの街は緊張感を増していった。それが肌で感じられるようになった頃には、今井は店を開けない日が多くなった。店を開けておくとカザラの一般の住人がひっきりなしに訪れてきて、先に頼まれた仕事や仕入れが追いつかないのだ。カザラにここ以外の武器屋がないわけじゃない、と素知らぬ顔で、今井は武器の修理や改造に取り組んでいる。無論、SUGIZOとINORANはその手伝いと、今井がまったくやらない家事に追われていた。

 そんな状況下でも、当たり前のことだが食糧は必要で、SUGIZOとINORANはよく買い物に出ていた。しかしその日は、SUGIZOは今井を手伝うので手一杯で、買い物に出られなかった。買うものが少ないから一人でも事足りる、とINORANが言うので、そちらを任せたのだ。INORANは朝からなにやら機嫌が良く、いつもより少し明るい声で出かけてくると宣言して、夕方に出かけて行った。

 ところが、買い込んだ食材を抱えて暗くなってから帰宅したINORANは、打って変わって顔を曇らせていた。眉間に薄く皺を刻み、しきりになにかを考えているように見える。

 どうかしたのかとSUGIZOが声をかけるより先に、INORANは小さくSUGIZOを手招いた。それに気づいたのは今井も同じだったようだが、今井は黙って二人に背を向け、それまでとは別の銃を手に取った。もう一仕事するから食事の支度をしろ、ということらしい。



 SUGIZOは作業場を出て、INORANと共に二階へ上がった。INORANは食材をキッチンへ置いてから、二人に与えられた部屋へとSUGIZOを誘った。促されるまま部屋に足を踏み入れたSUGIZOの背後で、INORANが静かにドアを閉める。

 部屋の中央に立ったまま、二人は少しの距離を置いて向き合った。
 いつもそうだった。ラウルにいた頃から、INORANは必ず、伸ばした手がようやく届くかどうかという距離を保って人と向き合っていた。SUGIZOもそれを知ってからは無理に近づこうとはせず、いつしかそれは無意識の癖になっていたのだ。
 けれど今、不意にその距離を実感して、SUGIZOは胸の奥にわずかな痛みを感じた。自分の手では、INORANの悩みや不安を取り除くことはできないと、その距離が教えているような気がして。

 INORANはしばらく無言だった。SUGIZOと視線を合わせないように軽くうつむいて、ただ立っている。
 しかし、やがて上目遣いにSUGIZOを見上げて、ゆっくりと口を開いた。

「……Jに、逢ったんだ」

 それだけ言って、またうつむいてしまう。INORANは、話し始めてからもゆっくりと言葉を選ぶ。それを知っているから、SUGIZOは根気強く続きを待った。

「歩いてたら、路地裏に引っ張り込まれて……J、すごく急いでた。時間がないから黙って聞いてくれって言って、それから」

 少し早口になってそこまで言って、INORANはまた止まった。しかし、SUGIZOが視線で先を促すと、気を落ち着けるように幾度か呼吸を繰り返して、先を続けた。

「……今夜、カザラを出ろって。俺と、SUGIちゃんに」

 INORANの声は小さかった。だが、SUGIZOの耳には嫌と言うほどしっかりとその言葉が滑り込んできた。
 理由はすぐに見当がついた。Jが、反コミュニティ勢力が動くのだ。それ以外に、Jがこのような警告を自分たちに与える理由など思いつかない。

「なんで……」

 それでも問い返してしまうのは、もしかしたら違う理由ではないかと、どこかで期待したかったからかもしれない。
 だが、INORANの口はSUGIZOの想像通りの言葉を紡ぎ出した。

「夜が明けたら反乱軍が決起するから、巻き込まれないように外へ逃げろって」

 Jを筆頭とする反乱軍が、なにをきっかけに決起すると決めたのか、それは分からない。分からないが、JがINORANに話したことは冗談や嘘ではないということは分かる。
 やはりそうなるのか、と思うと同時に、SUGIZOは名付けようのない強い感情が身の内に湧き起こるのを感じた。ラウルに続いて、カザラも戦乱の波に呑まれるのだと理解した瞬間、悔しさとも怒りとも諦めともつかないなにかが胸を満たしたのだ。

「西のノウラ・コミュニティを越えてその先を更に南西へ行くと、まだ小さい、新しいコミュニティがあるって教えてくれた。エセルっていうそのコミュニティなら、他所者でもそう阻害されないかもしれないから、そこへ行けって。そうでなくても、ノウラと、東のキアラは避けた方がいいとも言ってた」

 Jの忠告を素直に受け入れるならば、カザラへ来た時のようにまた放浪して、次の滞在先を見つけなければならない。それ以前に、カザラを出るかどうかがそもそもの問題だ。
 しかし、SUGIZOはすぐに心を決めることができなかった。巻き込まれず戦乱を遠ざけて生きるのなら、Jの忠告を受け入れるのが正しい選択だろう。そうするべきだと囁く声が自分の胸の奥から響いてくるのが分かる。それでも、SUGIZOは道を選びかねていた。

「……どうする? カザラを出るか、残るか。出るなら明日の朝を待たないといけないし、今井さんに話すかどうかって問題もある。残るなら、身の安全をどう確保するかが問題だろうし」

 INORANに問いかけながら、SUGIZOは忙しく頭を働かせた。ここを去るか残るか、それぞれのメリットとデメリットを並べた中に道を決める決定的なものがないかと考える。しかし、必死に考えているSUGIZOに、INORANがぽつりと問いかけてきた。

「どうしてそんなに冷静なの?」
「……冷静なんかじゃないよ」

 それはSUGIZOの本心だった。
 忙しく頭を働かせてはいるし、考えを整理するだけの理性は残っている。だが、一人で考えても答えの出ない堂々巡りのことを中心に、様々なことを一度に考えている現状を、冷静とは言わない。冷静なのではなく、慌てているのが表面に出ないだけなのだ。実際、端から様々な考えが次々に顔を出す。例えば、カザラに残るなら武器はどのくらい必要か、食糧はもつだろうか、そもそもどのくらいの規模の戦闘になるんだろうか。あるいはカザラを出るなら、どこのコミュニティを目指すべきか、どの道を選ぶべきか、出かける際の荷物はどうしようか。そういったことを次々に考えるのだが、まったく脈絡のない順番で出てくるから、整理が追いつかないのだ。こんな状態を、冷静とは言わない。
 SUGIZOに言わせれば、INORANの方がよほど冷静に見える。INORANは、Jの忠告を口に乗せたその時こそ動揺しているようにも思えたが、今はすっかり表情を消してしまっていた。

「INORANはどうしたい? ここに残る? それともまた別のコミュニティに移住する?」

 SUGIZOの再度の問いに、INORANは軽くうつむいて視線をさまよわせた。自分の周囲の空気に答えを求めるような仕草だったが、そんなところに答えが浮いているはずもない。少ししてINORANは再びSUGIZOと視線を合わせた。

「……SUGIちゃんは?」

 INORANはいつも、他人の後についてしか動かない。自分でなにかを判断するということが、できないのか、したくないのか、あるいはそんなことを考えつきもしないのか。いずれにせよ、INORANは今も、SUGIZOに判断を委ねるつもりらしい。それを鬱陶しく感じることはないが、今のSUGIZOには判断が難しかった。自分一人についてさえ判断しかねているのに、INORANの分まで委ねられても、どの道が最善のものなのかまったく分からない。
 SUGIZOは、首をわずかに横に振って、決められないと答えた。

「でも、ここに残ると……ラウルを出た意味がないかもしれない、とは思う」

 そう付け加えて、SUGIZOはまた考え込む。しかし、やはり一つ一つの考えを線で結ぶことは難しかった。INORANも同じように考え込んでいるようだった。

 外はもう、西の空さえ真っ暗になっていた。INORANの帰宅と前後して、東西南北すべてのゲートは閉じられてしまったはずである。ゲートが開くのは明日、夜が明ける時。Jの忠告はこの時点で既に無駄になりかけている。だが、明日の夜明けと同時にゲートを出れば、反乱軍の決起に巻き込まれることなくカザラを脱出できるだろう。まだ、Jの忠告が完全に無駄になったわけではない。
 ならば、考える時間はまだある。夜明けが来るまでに結論を出せばいい。

「……どの道、一晩待たないといけないんだよね」

 INORANの呟くような声に頷いて、SUGIZOはドアに向かった。食事の支度を急がないと、今井に不審に思われる。カザラを去ることになった場合、今井に話すか否かも決める必要があるが、今はまだ話すつもりはなかった。今井に気づかれないためにも、今は普段の生活を優先するべきだった。

「じゃあ、朝までにどうするか決めよう。どっちになってもいいように支度だけはしておいて、決めるのは後で」

 それだけ言って、SUGIZOはドアを開けた。
 だが食事の支度をしていても、SUGIZOの頭の中では様々な考えが散らかって、まったく集中できなかった。











 そして、朝が来る。
 SUGIZOもINORANも、どうするべきか、あるいはどうしたいのか、決めることができないまま、暗いうちに起き出した。

 二人は、今井に書き置きを残して店を出た。
 カザラにいる間に少し増えた荷物を持って、誰もいないように見える道を静かに歩き出す。だが、誰も見えない道のあちこちから自分たちが見られているような気配を、二人とも度々感じていた。

 書き置きに、行き先は書いていない。どこへ向かうのか、自分たちでも分からなかったからだ。








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