えいしさまの霊能力

えいしさまは高い霊能力をもつお方であったそうで、村田妙法寺の貫主であられた間にその霊能力を示すエピソードが いくつか伝えられていますので、ご紹介します。

身延山久遠寺の山門の火事を遠隔で火消し!!


山梨県にある日蓮宗総本山の身延山久遠寺の 山門が火事になった時、えいしさまは村田妙法寺に居りながらその火事を感知され、本堂の前で井戸水を汲んでは七本杉に かけておられた。

それを見ていた爺や(住み込みでお寺の庶務をする人)は、「お貫主さまは気でも狂われたか」と思ったそうだ。

ちょうどその頃身延山で、山門に向かって水をかけている僧侶の姿と「村田妙法寺」の幟(のぼり)が見られ、ほど なくして火事は下火になったという。

後日身延山久遠寺から礼状が届いたのであるが、残念ながら 戊辰戦争中の火事で焼失したとのことである。
七本杉の生き残り
村田妙法寺の
七本杉の生き残り

【クリックで拡大】

雀の言葉(さえずり)が理解できた!

ある時、えいしさまが外出から帰ってこられたので、小僧さんが玄関までお迎えに出た。
するといきなり中啓(僧侶がもつ半開きになった扇子)で頭をたたかれ、「雀が小僧に卵を取ら れたと鳴いているではないか!」と怒られたそうである。

えいしさまは小僧さんが雀の卵を盗んだその場には居合わせてはおらず、卵を盗られて悲し んで鳴いていた雀の言葉が理解できたのである。

またある時は、「雀たちが”庄屋の庭に干してある籾(玄米になる前の採りたての米)を食べに行こう!”とさえ ずっているから、弥右衛門の家へ行って見て来い。」と言われたで、小僧さんたちが庄屋の弥右衛門の家へ見に行くと、 たくさんの雀たちが籾をついばんでいたそうである。

衣の袖を通して餓鬼(注1)が見えた!!

当時の村田妙法寺には”じいや”と呼ばれる下男が住み込んでいて、毎朝のお勤めの前に 仏様にご飯をお供えし、お勤めが終わった後に下げていた。

ある日のお勤めの後、じいやがお供えのご飯を下げようとしたところ、中央の仏様のお供えの器が空になっていた。 そんなことが3日くらい続いたので、じいやは「おかしいな?えいしさまがお食べになったのかな?」と訝しく思い、 そのことをえいしさまに告げた。

えいしさまはお勤めの後、お供えのご飯をお持ちになり、じいやに「ちょっとこっちへ来い」と おっしゃり本堂の廊下に出られ、軒下にそのご飯を撒かれた。そして「見てごらん」とおっしゃり、ご自分の衣の袖をかざされた。
じいやがのぞくと、餓鬼(成仏できない霊)たちが集まり、えいしさまが撒かれたご飯を貪り食べている姿がえいしさまの衣を透かして 見えたそうである。

えいしさまは餓鬼たちがお供えのご飯を食べにきていたことを既に知っておられたのである。

※【餓鬼】(がき)とは、生前の 悪行のために餓鬼道に落ち常に飢え
     と渇きに苦しむ亡者のこと

葬列を襲う魔物から遺体を守る

ある日えいしさまが「ろ平のじいさんが死んだな。ワシがいかにゃな。」とひとりごとのようにつぶやかれた。 ほどなくしてお寺にろ平さんの訃報が伝えられ、葬儀が行われた。

葬列が火葬場に向かっている最中のこと、西の空に突然黒い小さな雲があらわれたと思ったら 見る見るうちにその真っ黒な雲が空を覆い、雨・風の大荒れとなった。葬列に参加していた人々はたまらずに1人2人と葬列を離れ、 家へ逃げ帰って行った。

ろ平のじいさんは存命中相当な極道であったようで、魔物が襲いかかって棺桶から遺体を 引っぱり出そうとしていた。えいしさまはその魔物を数珠を使って追い祓い、守られていたのであった。

やっとのことで火葬場に着いたものの、棺桶を担いできた人々も慌てて逃げ帰ってしまった。
後に残ったのは、"かんべ"という屋号の家の人だけであった。長柄(大きな傘)もちであったため、 逃げずに最後までえいしさまについていたのであった。

かんべの家はその功績によりえいしさまから直筆の御本尊を賜り、今でも家宝として大切に保管されている。

copyright 久田妙本寺 All Right Reserved