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太陽・作

 

「ん!? 止まれ! 急使らしい・・・」
「テュイルリー宮広場にお急ぎください。ついに兵士が民衆に発砲いたしました。暴動発生です。広場は乱闘の巷とかし血の渦に巻き込まれました!」
「暴動発生!!」
「兵士諸君。聞いての通りだ。ランベスク公ひきいるドイツ人騎兵が民衆に発砲した。私は以前諸君にこういったことがある。心は自由なのだと・・・。どんな人間でも人間である限り、誰の所有物にもならない心の自由を持っていると・・・。今、あの言葉の過ちを私は訂正しようと思う。"訂正"というのが適当でないなら"付け加える"といってもいい。自由であるべきは心のみにあらず!! 人間はその指先一本、髪の毛一本に到るまですべて神の下に平等であり、自由であるべきなのだ。かつてアメリカが自らの手でイギリスからの独立を勝ち取ったように、今我フランス人民は自由・平等・友愛を旗印に雄々しくも立ち上がった。」

「もう、私は貴族ではない。自分の意思ですべて捨てた。だから今は諸君と同じ、第三身分だ。」
「えーーっ」
「た、隊長・・・」
「そういえば、隊長の胸に勲章も階級章もついていないぞ!」

「さあ、選びたまえ! 国王の貴族の道具として民衆に銃を向けるか、自由な市民として民衆と共にこの輝かしい偉業に参加するか!」
「隊長・・・」
「我々はあなたについて行きます!!」
「もうとっくに約束したはずです!」
「ばんざい!」
「フランスばんざい!」
「隊長ばんざい!!」

「君達はどうする? ベルサイユに帰るというのなら止めはしない。」
「隊長のお気持ちは分かりますが・・・我々は貴族です。最早、貴族以外の何者にもなれません。」
「うん・・・、幸運を祈るダグー大佐。」

「さあっ! 勇敢なる兵士諸君!! 祖国の為に民衆と共に戦おう!! 歴史を作るのはただ一人の英雄でも将軍でもない。我ら人民だ。我らは祖国の名も無き英雄になろう!! 人間の世のある限り歴史と共に我らがフランス衛兵隊の名は永遠に人々の上に語り継がれよう。目指すはテュイルリー宮広場、ドイツ人騎兵ぞ!! 弾込めーっ! 進撃!!」

「ランベスク公、大変です。フランス衛兵が寝返りました!!」
「なんだと、寝返った・・・!! うぬ、裏切り者め。指揮官は誰だ!」
「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将です。元近衛隊の連隊長だった女性です。」
「なんだと、女?」

「ベルナール、フランス衛兵が我々の側に寝返った!!」
「なんだって! フランス衛兵が? オスカルか・・・? よし、すぐ行く。」
「お・・・お、オスカルさま・・・。ベルナール、私も連れて行って。少しでもオスカルさまのお役に立ちたいの。」
ロザリーとベルナールはテュイルリー宮広場へ急いだ。

「いいか、隊伍を乱すな・・・集中して撃て! 第一班、前へ・・・よし」
「撃て・・・撃てーっ!!」
オスカルの的確な指示が飛ぶ。
「ようし、散開!! いいか! 市民を前へ出すな、焦らず確実に狙え!!」
「第二班、前へ・・・よし」
「撃てーっ!」

両陣営共に凄まじい銃撃戦となった。
一般市民の犠牲は出すまいと、オスカルの奮戦が続く。
フランス衛兵側でも犠牲者は少しずつ増えていった。

その時、浮遊する砂塵と硝煙の臭いがオスカルの気管を刺激し、発作を誘発した。
(しまった!! こんなときに・・・)
敵に対してまったく無防備な姿を晒して、馬上で咳き込むしかなかった。

「今だ、指揮官を狙え!」
彼女の耳には自分に向かって打ち込まれる銃弾の音が聞こえた。
(これで、終わったか・・・・・・)

カガーン・・・ガン・・・ガン

「・・・?」
顔を上げた彼女の眼に飛び込んできたものは・・・。

自分の前に盾となり、背中に無数の銃弾を受け、馬上からずり落ちる、愛しい黒髪の男・・・。
ここにいるはずの無い、私のアンドレ。

「い・・・いやーーーーーーーっ!!!! アンドレーーーーッ!!!」

馬から飛び降りて、アンドレを抱き起こす。
唇を噛み締め、必死の思いで叫んだ。
「ユラン伍長、後の指揮は任せる!」
「はいっ!」

「指揮を・・・続けろ・・・隊長が・・・なぜ・・・戦闘現場を離れる・・・」
「しゃべるな! アラン、手を貸してくれ!」
「はいっ、アンドレ、しっかりしろ・・・」

安全な路地にアンドレを運び、そっと横たえる。
「ど・・・どうして・・・・、どうして・・・お前が・・・ここに・・・? わ・・・
私が、どんな思いで、お前を置いて・・・・・・・」

「くそう・・・、ひ、ひとまずマルス連兵場まで退却だ・・・」

「アンドレ・・・・」
涙が止め処なく溢れて、子供みたいに泣きじゃくる。
今まで張り詰めていた心を、彼女はもう保つことができなかった。
「泣くな・・・オスカル・・・。美人が・・・台無し・・・だぞ・・・。お姫
様を・・・守った・・・騎士(ナイト)に・・・キスを・・・」
「ああ・・・、アンドレ・・・」
オスカルは泣きながら、くちづけを贈る。
愛を込めて・・・、愛しい人に命のくちづけを。
「あ・・・あ・・・、お前の・・・唇だ。お前の・・・。オスカル・・・」
「アンドレ、どうやって・・・?」
「あの時・・・、最後の力を・・・振り絞って・・・グラスの・・・破片を・・・掴み、・・・それで・・・自分に・・・傷を・・・つけて・・・、何とか・・・正気を・・・保って・・・ここまで・・・来た・・・。まさか・・・、お前に・・・薬を・・・飲まされる・・・とは・・・思わな・・・かったよ・・・。でも・・・間に合って・・・よかった・・・。」
「ごめん・・・、アンドレ・・・だって、だって・・・・・・。私は、お前を
失いたくなかったのだ・・・。」

地面に血溜りが広がる。アンドレの命が流れ出る。

「いやだ、アンドレ!! 私をおいて逝かないで・・・。逝くのは私だった筈だ・・・。なのにどうして・・・」

「オス・・・カル、俺は・・・こうなった・・・ことを・・・後悔して・・・
いない・・・。だから・・・お前は・・・前だけを・・・見て・・・くれ・・・。
決して・・・振り返るな・・・。俺は・・・いつも・・・お前と・・・共に・・・
いる・・・。どんな・・・ときもだ・・・。例え・・・この身は・・・滅ん・・・
でも・・・。」

「オスカル・・・先に・・・逝って・・・る。ゆっくり・・・おいで・・・。
いつ・・・までも・・・、待って・・・いるから・・・。」

「新婚だぞ、アンドレ・・・? 私をたった一週間で・・・未亡人にする気か・・・?」
「そうか・・・そう・・・だったな・・・ごめんよ・・・オスカル・・・」

「ねえ、アンドレ、私は、ひとつだけ心残りがあるんだ・・・。」
「何だ・・・?」
「お前の、お前の子供が・・・欲しかった・・・・・・。」
「オスカル・・・」
彼は血に濡れた腕をやっと持ち上げ、彼女の頭を撫でてやる。

「ほら・・・アンドレ・・・、夕日が綺麗だ・・・。アラスに・・・帰ろう・・・。
二人で・・・一緒に・・・」

「ありが・・・とう・・・、俺は・・・幸せだったよ・・・・・・・。オス・・・
カ・・・ル・・・・・・・」

「アンドレ? アンドレ!?」

「私を置いて逝くのか?! アンドレーーーーッ!!」
彼女は、蒼い瞳を見開いたまま彼を抱きしめ絶叫した。

アンドレ・グランディエ。
彼は微笑みながら逝った。
彼のただ一つの瞳は、永遠に閉じられ、もう二度とオスカルを見つめることはなかった。

「シトワイヤン、アンドレ・グランディエ・・・」

身じろぎ一つしない彼女の周りに静かに夕闇が迫る。
「オスカル・・・。彼を教会に運ばなくては・・・。」
「ベルナール・・・いやだ、触るな・・・いやだーっ。」
「オスカル、彼を離せ・・・」
「いやだ。私のせいだ。私のせいで死んだんだ。私が殺した・・・アンドレ、アンドレ・・・、私が死ねばよかったのだ。」
「隊長」
「オスカル」
「オスカル様・・・・、ロザリーです。彼を離して・・・」
「隊長・・・、彼の為に・・・教会へ・・・皆で運ぶから・・・俺たちが・・・」
皆も泣いている・・・・。
自分だけが悲しいのではない・・・。
そのことにやっとオスカルも気が付いた。
「アラン・・・、ロザリー・・・、そう・・・だな、頼む・・・」
オスカルはやっと頷き、アンドレを皆の手に委ねた。

アンドレの亡骸を近くの教会へ運び、棺に安置した。
他の衛兵隊員や市民の犠牲者も運ばれていた。

「彼のお身内は?」
神父様が問うと消え入るような声でオスカルが答えた。
「私です・・・。私の夫です・・・。一週間前に結婚したばかりなのです・・・。」
「一週間・・・、それはお気の毒に・・・。あなたに神のご加護がありますように・・・。」

「隊長、そうだったんですか・・・。アンドレと・・・。」
「アラン、そうだ・・・。この休暇中にアラスの教会で式を挙げた。貴族の結婚には国王の許可がいる。だから私はすべてを捨てた・・・。彼と一緒にいられるのなら私は何も惜しくはなかった。身分も地位も領地も・・・何も・・・。あのままアラスにいれば彼を死なすことはなかったのだ。でも、私にはできなかった。私は衛兵隊の皆を見捨てることができなかった。自分の信念を曲げることができなかったし、思想を忘れることができなかった。彼もそれはわかってくれていたと思う。でも、結局私の決断で彼を死なせてしまったことは、紛れも無い事実なのだ。」
「でも、隊長。あいつは本望だったと思います。あなたを守って死ねたのだから・・・。」
「すまない、アラン、みんな。私をアンドレと二人きりにしてくれるか・・・?」
「でも、オスカルさま・・・」
「大丈夫だ、ロザリー。心配はいらない。彼と最後の話しがしたいのだ・・・。」

棺の側に跪き、アンドレの髪を撫でながら、静かに彼女は話し掛ける。

「ねえ、アンドレ・・・。今夜だけは泣いてもいいだろう・・・? 朝になったら、ちゃんと前だけを見て、進んで見せるから・・・。」

「いつか、愛し合う者同士が身分や家柄の違いで引き裂かれることのない時代がくるだろうか? 私たちのような恋人たちはもういなくなるだろうか?」

「アンドレ、お前を失うのは、耐えられなくてアラスに置いてきたのに・・・。いつもお前がいたから、お前がついていてくれたから・・・、私は前を向いて歩いてこられたのだぞ。いつだって・・・。」

「小さい時からずっと一緒だった。離れたことなど一度もなかった・・・。なのにどうしてこんなにも思うのだろう。もっともっとたくさん、思い出が欲しかったと・・・。人間って欲張りなのだな・・・。」

「お前も私の側にいなければ、穏やかな一生を終えることが出来たのだろうな・・・。普通の娘と結婚して子供を持って・・・、お前子供好きだったから・・・。私は叶えてやれなかった・・・。」

「アンドレ、アンドレ・・・。お前がいない・・・。私はどうやって生きていけばいいのだ。こんなにも、こんなにもお前を愛しているのに・・・。」

彼にそっとくちづける。
「冷・・・た・・・い、アンドレ・・・つ・・・め・・・た・・・い・・・」

「アンドレ、もう一度眼を開けて・・・私にキスして・・・愛していると言って・・・。私を、抱きしめてくれ・・・アンドレ・・・アン・・・ドレ・・・。」

アンドレの遺体に取り縋り泣き崩れる、オスカル。

教会のステンドグラスから朝の光が差し込み、涙で濡れた彼女の顔を照らした。
神々しい光だった。彼の抱擁のような、温かい光だった。
彼女の耳に愛しい人の声が聞こえたような気がした。

《オスカル、行くんだ・・・。お前の信じる道を・・・。》

「アンドレ・・・、朝だ・・・。何があろうと、明けない夜はない。必ず朝がやってくる。希望の朝が・・・。今こそ時代が変わる・・・。私は行くよ・・・。お前が命を掛けて守ってくれたのだ。自己の信念のために残りの命を掛けよう・・・。アンドレ・・・、もう少しだけ、待っていてくれ。」

彼女はしっかりと一歩を踏みしめ、教会の扉を開けた。
彼女の蒼い瞳は今、一点の曇りもなく、輝いていた。
そこに深い悲しみから立ち上がった、壮絶なまでに美しい姿があった。

            

 

     −つづく−