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太陽・作

 


「オスカル、入るぞ」
アンドレはいつものようにワインを持ってくると、オスカルに声をかけた。
「アンドレか? ああ・・・」
オスカルは椅子に座ったまま、ぼんやりと蝋燭の明かりを見つめていた。
「何をしていたのだ?」
アンドレは、テーブルの上にワインのビンとグラスを静かに置いた。
「ん?  別に・・・。考え事をしていたのさ。本当はワインじゃなくて、ブランデーがいいのだがな。でも、お前が怒るから、これで我慢するよ。」
オスカルはグラスに注がれた赤ワインを飲み干した。
その姿を、アンドレはただじっと見守っていた。

「お前、顔色が悪いんじゃないか? 疲れているのか?」
オスカルが立ち上がり、心配そうにアンドレの顔を覗き込む。
大きなサファイヤ・ブルーの瞳に覗き込まれて、彼の心臓はかなり大きな音を立てていた。
「どこも悪くないし、疲れてもいないさ」
アンドレは落ち着いた振りをしてオスカルの顎を捉えると、やさしく口付けた。
「そうか、それならいいのだが。」
アンドレの腕に抱かれながら、はにかんで答える。
「それより、オスカル。」
アンドレは、オスカルの髪をなでながら、意を決して言った。
「俺は、昨日ラソンヌ先生のところへ行ったのだ。先生にすべてを聞いた。」
「!!!」
オスカルは、愕然としたまま腕を振りほどき彼から離れた。
「・・・・・。あ、先生は、先生は。お前に私のことを話したのか? あんなに、誰にも話さないように頼んだのに・・・」
自分に背を向けたまま必死に平静を取り戻そうとしているオスカルを両腕で捕まえ、きつく抱きしめながら俺は言った。
「違う、オスカル。俺が先生に無理に頼んだのだ。先生も悩んでおられた。お前を心配して俺に教えてくれたのだ。」
「アンドレ、私は。お前にだけは知られたくなかったのだ。」
みるみるうちにオスカルの蒼い瞳に大粒の涙が浮かぶ。
「オスカル、頼む。今ならまだ間に合うかも知れない。俺と一緒に療養しよう。」
「いやだ! いやだ、アンドレ! 病気のことを知ったらお前は絶対にそう言うとわかっていたのだ。だから、だから私は・・・」
「当たり前だ、オスカル。俺は世界中の誰よりもお前を、お前だけを愛している。だから、俺のために生きてくれ。」
アンドレの唯一つの黒曜石の瞳からも大粒の涙がこぼれる。
「アンドレ・・・。泣かないで、アンドレ。私はもう覚悟はできている。」
オスカルは静かに言った。
「今私に、今の私に・・・、卑怯者になれというのか。命を懸けてでも、逃げ出すことはできない。たとえお前の達ての頼みでも・・・」
オスカルはアンドレの瞳を見つめながら悲しそうに言った。
「わかった、オスカル。やはりそう言うと思っていた。それでは、仕方がない。俺はお前の為なら、卑怯者でも何でもなれるのさ。」
アンドレは決心したようにオスカルに言い放った。
「?」
オスカルは、自分の身体が変なことに気がついた。
力が抜ける・・・。
眠い・・・。
「あ・・・アンドレ、まさか・・・! さっきのワインか? 何を入れた・・・・?」
「オスカル、ごめんよ。お前の言うことには見当がついていたのだ。だから、無理に療養に連れて行く。心配ないよ、ただの睡眠薬だから。少しお眠り、オスカル・・・」
「あ・・・、アンドレ。いやだ・・・。い・・・や・・・。」
アンドレの腕の中で、オスカルの身体から力が抜ける。くずおれたオスカルをシーツで包むと、アンドレは横抱きに抱えて、部屋を出た。

階段の下には、療養に向かうオスカルを見送るべく、沢山の人たちが夜遅くにも係わらずそこにいた。馬車の用意もすでにできていた。
「アンドレ、誰も連れて行かないとだんな様に言ったそうだけど、私だけは付いて行くわよ。」
オスカル付きの侍女のマドロンが言う。
「オスカル様は、お小さいときからずっと私がお世話してきたのよ。今更、離れることなんてできないわ。誰が何といったって絶対に付いていきますからね」
と涙を浮かべながら続けた。
「女でなければできないお世話だってあるんだから。」
マドロンのオスカルを愛する真剣な想いに、アンドレは頷くしかなかった。

「アンドレ、頼んだぞ」
父は愛する娘の寝顔を覗き込みながら言った。
「私からブイエ将軍に長期休暇を頼んであるが、本当は軍籍を抜いたほうがいいのではないか?」
「彼女の居場所をすべて奪う訳にはいかないと思います。」
「そうか、わかった」
「いろいろとありがとうございました。だんな様。」

「オスカル。私の愛する娘。どうか奇跡が起こりますように。」
母はオスカルの頬に愛を込めて口付ける。
「アンドレ、頼みましたよ。」
「はい、奥様。お任せください。」
「これを向こうに着いたら、オスカルに渡してやって下さい。」
アンドレは奥様から手紙を受け取った。

「オスカル様、オスカル様・・・・」
泣きながらマロン・グラッセがオスカルの手に口付ける。
「おばあちゃん・・・」
「アンドレ、頼むよ。私の私のオスカル様を・・・。私も一緒に行きたいけれど。もう年だから、役に立ちそうもないし・・・。マドロンによく頼んであるからね。」
「大丈夫だよ、おばあちゃん。心配いらないよ。」
アンドレはマロン・グラッセの頬にやさしく口付けた。

「皆様、ありがとうございました。パリが危険なので暗い中出発します。必ず元気なオスカルと帰ってきます。それまで・・・。皆様もどうかお元気で・・・」
御者台に御者のニコラと侍女のマドロンを乗せ、アンドレはオスカルを抱きかかえたまま、馬車に乗った。座席はマドロンの手によってクッションを沢山並べて、オスカルが少しでも楽に過ごせるようにしてあった。

アンドレは、オスカルをしっかりとその胸に抱き寄せた。そして、オスカルの寝顔を見つめたまま逡巡していた。
「ごめんよ、オスカル。これでよかったのか・・・。」

アンドレは誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるように小さな声で囁いた。
「許してくれ、オスカル。俺はお前を失いたくないんだ・・・。」

漆黒の闇の中、オスカルとアンドレはアラスへの旅に出た。


                             

 
−つづく−