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太陽・作

 

そこには、シンプルでスレンダーなシルクサテンの真っ白なドレスに身を包み、淡いレースのロングベールを被った女性が立っていた。後ろ向きなので顔は見えないが、細くしなやかな身体つきで、女性としてはかなり上背がありそうだった。
窓から差し込む太陽の光を反射して、結い上げた見事なブロンドの髪がベール越しでもきらきらと輝き、神々しいばかりに美しい。
「失礼しました。部屋を間違えました。」
アンドレはびっくりして慌てて部屋を出て行こうとした。
「アンドレ、どこへ行くのだ?」
「え、オスカル・・・? オスカルなのか?」

光の中を眩いばかりのオスカルが微笑みながら、ゆっくりと振り返る。その顔にはいつもの彼女と違って、薄化粧が施されていた。
「ふふ・・・。恥ずかしいな・・・。どこかおかしいところはないか、アンドレ?」
オスカルは頬をほんのりバラ色に染めて真剣な表情で聞いた。
「・・・・・・・・! き・・・、きれいだ。」
アンドレは驚きのあまりしばらく声も出なかったが、我に返るとオスカルに聞き返した。
「でも、オスカル。なぜ? お前は、もう二度とドレスは着ないと言っていたのに。」
「でも今日は特別だ。結婚式だからな。いつもの格好では花婿が二人いるようではないか。」
オスカルが照れ隠しに冗談ぽく答えても、アンドレはオスカルが何を言っているのかまだ理解できずにいた。
「まったく自分のことには鈍感なんだから、私が他の誰と結婚するというのだ。ほら、母上からの手紙だ、読んで見るがいい。」
アンドレはオスカルの手から、手紙を受け取って慌てて読んだ。そして、再び顔を上げたとき、アンドレのただ一つの眼から涙がこぼれ落ちようとしていた。
「だんな様が、結婚をお許しになったって! そんな、ばかな。でも、でも、本当にいいのか、俺で・・・。オスカル、俺は何も持っていないし、それに俺は・・・。」
「いいのだ、アンドレ。私は地位も称号も領地も何もいらない。お前がずっと私の側にいてくれれば、それだけで・・・。」
オスカルは彼の言葉を遮って、彼に自分の気持ちを正直に告げた。
「あっ、でも私はまだお前からプロポーズされていなかったな? お前にその気がないならだめだけど・・・。」
オスカルは長い睫毛を伏せ、淋しそうに言った。
「オスカル・・・。」
アンドレはオスカルの足元に跪き、貴婦人に対するように礼をとった。そして、オスカルの右手をやさしく取ると手の甲にキスし、持っていた白薔薇の花束を手渡しながら言った。
「オスカル、私と結婚していただけますか? 世界中の誰よりもあなたを愛している、アンドレ・グランディエの妻に。」
オスカルは蒼い瞳に涙をいっぱい溜めながら、消え入りそうな声でアンドレに承諾の意思を伝え、震える手で花束を受け取った。アンドレは立ち上がると、感涙にむせぶオスカルをそっと抱きしめた。
「お前が私に選んでくれたのは白薔薇か? 花言葉は確か、純潔。」
頬を赤く染めてうつむいたオスカルにアンドレが言った。
「そうだよ、オスカル。やっぱりお前は白薔薇が似合う。お前は俺にとって永遠の聖女だ。」
キスしようとしたアンドレの唇を指で制して、オスカルは微笑みながら言った。
「だめだ。キスは、式までお預けだ。お前の服もマドロンが用意して待っているから、早く着替えて来て。馬車の用意もしてある、お前の支度ができ次第教会へ行くぞ。」
「わかった、オスカル。少し待っていてくれ。」
アンドレは急いで着替えに行った。

教会へ向かう馬車の中でオスカルはポツリと呟いた。
「本当は父上や母上やばあやにも来てほしかったのだけれど。それを望むのは贅沢というものだな。」
「そうだな。オスカル・・・。後でお礼の手紙を書こう。」
アンドレはそう言うとオスカルの細い肩を抱き寄せた。

アラスの小さな教会が二人を温かく迎えてくれた。
夏の爽やかな日差しに木々の緑が映え、派手ではないが歴史の重みを感じさせる教会で、礼拝にも何度か訪れたことのある思い出のある場所だった。
「私は今日のお手伝いをさせていただきます、マリイ・アニュースと申します。おきれいな花嫁さんで、本当におめでとうございます。それでは、新郎さまはこちらからどうぞお入り下さい。」
まずアンドレが聖堂内に入って行った。
「新婦さま、どうぞこちらへ。お父様がお待ちです。」
「えっ、父上が?」
そこには、涙を堪えて笑っている父、レニエ・ド・ジャルジェの姿があった。
「オスカル、きれいだぞ。お前のドレス姿は初めて見るが・・・。姉妹の中でお前が一番美しい。今まですまなかったな。私の我儘から・・・。」
「父上・・・」
オスカルのサファイヤ・ブルーの瞳から涙が止め処もなく溢れる。
「泣くやつがあるか。幸せなのだろう?」
「はい、父上。でも、父上がいらして下さるなんて・・・。」
「当たり前じゃないか。お前の一世一代の晴れ姿だ。私も是非見たいと思っていたのだ。それにあれもばあやも来ているぞ。」
「本当ですか? ありがとうございます、父上・・・。」
オスカルは泣きながら父に抱きついた。
「おいおい、オスカル。抱きつく相手が違うぞ。ほら、涙を拭いて・・・。」
ハンカチでオスカルの涙を拭いてやった。

「さあ、どうぞ。ご入堂です。」
マリイ・アニュースの言葉にオスカルは生まれて初めて父の腕に掴まり、ゆっくりと聖堂内に入った。
アンドレは、誰もいないと思っていた聖堂内に奥様やおばあちゃんがいるので、ひどくびっくりしていた。そして、オスカルは父と腕を組んで、アンドレに向かってゆっくりと歩いて行った。それは、アンドレにとって信じられない光景だった。当たり前の父と娘として初めて存在する二人の姿が、涙で霞んで良く見えなかった。

主人としてではなく、娘を盲目的に愛する一人の父として、レニエ・ド・ジャルジェはオスカルをアンドレに手渡しながら静かに言った。
「アンドレ、オスカルは頼んだぞ。」
そして、ゆっくりと二人の側を離れた。

二人は神父様より祝福の祈りを受けた。そして、二人に結婚の意志をそれぞれに確認し、二人は床に跪きそれに答え、神の前に誓約する。
「私達は夫婦として、順境にあっても逆境にあっても、健康なときも病気のときも、生涯互いに愛と忠実を尽くすことを誓います。」
二人は涙ながらに声を揃えて誓った。

神父が結婚指輪に聖水を注いで祝福し、二人に渡す。
「この指輪は私の愛と忠実のしるしです。」
アンドレがとオスカルの左薬指にはめた。
「アンドレ、この指輪は?」
オスカルが小さな声で聞いた。
「母さんの形見なんだ。貰ってくれるか?」
「もちろん・・・。でも、いいのかそんな大事なものを?」
「お前に持っていて欲しい。」
「ありがとう。大事にするよ。」

「この指輪は私の愛と忠実のしるしです。」
今度はオスカルがアンドレの指にはめる。

「それでは、誓いのキスを。」
神父の言葉にアンドレはオスカルのベールをそっと上げると、
「オスカル、愛しているよ」と囁き、やさしく唇を重ねた。

二人は、神と皆に祝福された結婚ができたことが、まだ信じられないような気持ちで一杯だった。今まではお互いに愛し合っていても、身分の違いや仕事上の部下と上司の立場、周りの好奇の目など、どこか自分たちも心を隠してきていた。隠さざるを得なかった。でも、今日からは素直に感情を外に現してもいいのだと幸せをしみじみとかみしめた二人だった。そう、通常では絶対に有り得ない幸せ、身分が違いすぎる二人を世間が祝福することなど有り得ない。お互いに口には出さないけれど理解していた、命と引き換えのつかの間の幸せであるということを。すぐ後ろに暗雲が立ち込めていることを。でも、今だけはこの幸せに浸りたい。そう、今だけは・・・。

幸せな二人を乗せた馬車が別荘に戻った。アンドレが先に降りて、オスカルが馬車を降りようとするのに手を貸し、そのまま抱き上げた。
「あ、アンドレ?」
「新妻を抱いて新居に入らなくてはな。」
「降ろせ! は、恥ずかしいから、降ろしてくれ。皆が見てるじゃないか。」
真っ赤になって暴れるオスカル。
「足が痛いんだろう? じっとしていろ。」とそっと耳打ちする。
「ど、どうして、わかった?」
「当たり前だ。お前のことなら、何でもわかるさ。」
アンドレは得意そうに言った。

「オスカル、アンドレ。おめでとう。」
奥様が眼に涙を一杯溜めて、祝福に来てくれた。
「オスカル、きれいよ。そのドレスよく似合っているわ。いつかこんな日がくると思って作っておいたの。役に立つ日がきて、本当によかったわ。」
「母上、母上・・・ありがとうございます。」
オスカルは母に抱きつき、頬にキスする。そして蒼い瞳からまた涙が溢れる。母は娘にキスを返し、やさしく頭をなでてやる。
「アンドレ、オスカルを頼みましたよ。」
「はい、奥様。本当にいろいろありがとうございました。このご恩は一生忘れません。」

「お嬢様、オスカル様。」
マロン・グラッセが泣きながら駆けてくる。
「おきれいですよ。オスカル様。まあ、当たり前ですがね。ご姉妹の中で一番お美しくお生まれのオスカル様なのだから。でも、オスカル様、本当にアンドレでようございますか? 本当に?」
「ばあや、私もアンドレを愛しているのだ。他の誰でもない。アンドレ・グランディエを・・・。ただちょっと待たせすぎちゃったかな?」
「オスカル様・・・。」
「ばあや、よろしくね。これで私もばあやの本当の孫だね。」
「オスカルさまあ・・・」
ばあやはオスカルにしがみつくと大きな声で泣き出した。
「ばあや・・・」
「おばあちゃん・・・」
二人は両側からやさしくマロン・グラッセにキスした。

「それでは、私達はベルサイユに戻ります。二人のじゃまはしませんから。オスカル、アンドレのいうことを良く聞いて、身体を大事にしてね。」
「父上、母上、どうもありがとうございました。」
オスカルとアンドレは深々と頭を下げる。
「マドロン、二人のことは頼みましたよ。」
「はい、奥様。私にお任せくださいませ。」
幸せな二人とマドロンを残し、3人はベルサイユへ帰っていった。

「オスカル様、おめでとうございます。」
「ありがとう。マドロン。今日は世話をかけたな。」
「いいえ、今日の日を待ち望んでいたのは私の方だったのかも知れません。とっても幸せでございました。」
オスカルに微笑みかける。
「それでは、私は夕食の準備がございますので、それまでお部屋でお寛ぎください。腕に縒りを掛けてご用意させて頂きます。」
マドロンはそう言い残すと、張り切って厨房へ向かった。

「アンドレ、二人っきりになってしまったな。」
皆が帰ってしまってどことなく寂しさを覚えたオスカルは、彼に向かって呟いた。その言葉を聞き終わらないうちに、アンドレはオスカルを素早く抱きかかえると、黙って階段を登った。
「え? アンドレ。ちょ、ちょっと待って・・・」
  

                                  
   
                           
(*注)この時代のウェディング・ドレスは家の権力を現す為のもので、そのために金の装飾などかなりはでなものだったようです。フランス革命の後に白が流行しました。よって時代的には白のドレスではないのですが、時代考証は無視させて頂きました。オスカルのドレスのイメージは細身の飾りのないシルクサテンの長袖のドレスで、襟元も開いていません。(開いたドレスを着せて見たかったのですが、肩に刀傷がありますので)ですので、アンドレもアビ・ア・ラ・フランセーズではなく、フロックコートまたはモーニングコートもしくはテールコート(燕尾服)などを想像してください。(昼間の式ですので、タキシードはだめです。)色は皆様のご自由にご想像ください。

薔薇の花言葉ですが、白い薔薇は、「私はあなたにふさわしい」というのが一般的ですが、花言葉発祥の地のフランスでは「純潔」といわれています。

 

−つづく−