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太陽・作

 

二階の部屋のドアを開け、長椅子にオスカルをそっと降ろした。
「ア、アンドレ・・・。」
怯えた顔でアンドレを見上げた彼女に、彼は笑いながらしゃがみこむと言った。
「ほら、足を見せてみろ。かなり痛いんだろう?」
「でも、どうしてわかった? 我慢していたのに。」
「だって、お前ハイヒールなんて、ろくに履いたことないだろう。いつもの軍靴じゃあるまいし。痛いに決まっているさ。こんな華奢な靴。」
アンドレはオスカルの靴と靴下をそっと脱がせ、オスカルの足を見つめた。
「これじゃあ痛いわけだ、まめがつぶれている。薬、持って来るよ。」
オスカルは薬を取りに行こうとした彼を引き止め、そして言った。
「アンドレ、ありがとう。どうして、そんなことまで気が付くのだ? お前は私のことばかり・・・。ここへ強引に連れてきてくれたのだって、私のことを一番に考えてくれたからだろう? それなのに私は・・・。どうして私はこんなに長いこと気が付かなかったのだろう。お前を愛していることに・・・。私がもっと早く自分の気持ちに気がついていれば、私達は違った意味を持つ人生を送れたのではないか? 私はお前の愛にどう答えれば良いのだ? 私はお前の愛に自惚れて、その自惚れ故の残酷さに気が付かなかった自分に腹が立つのだ・・・。」
アンドレはそっと彼女の横に座り、オスカルの両手をやさしくその手の中に包み込むと穏やかな口調で言った。
「オスカル。俺がお前にこれ以上何を望むというのだ? 俺の望みは唯一つ、一生お前の側にいることだった。何も持っていない俺と結婚する為にお前はすべてを捨ててくれたではないか? 身分も地位も財産も・・・。俺にはお前だけだ。お前にやれるのも俺自身だけだ。それ以外には何もない。神に誓った、俺の妻はおまえただ一人だ。」
「アンドレ・・・」
サファイヤ・ブルーの瞳を揺らせて、黒曜石のただ一つの瞳を見つめる。アンドレはオスカルの頬を両手で挟むと、紅薔薇のような唇にそっと唇を重ねた。
「アンドレ、口紅がついてしま・・・う・・・」
皆まで言わせず、また唇を塞ぐ。オスカルの唇を押し包み忍び込む。しっとりとしたやさしいくちづけから、彼女の舌を絡めとっての情熱的なくちづけへ、彼女の腕がおずおずとアンドレの首に回された。彼女の息の続く限りに続けられる激しいくちづけ、今までに受けたこともない激しさに全身の力が抜け、彼に縋っていないと、気が遠くなってしまいそうだった。初めての不思議な感覚にオスカルは戸惑っていた。

「アンドレ・・・」
「どうかしましたか? マダム・グランディエ」
「あの・・・、このドレスいったいいつまで着ているのだろう?」
「ふふ・・・。コルセットがきついのだろう? 俺が脱がせてやろうか?」
「ば、ばか・・・。」
オスカルは耳まで真っ赤になって言葉がでない。
「冗談だよ、俺としてはもう少し着ていてほしいが。やっぱりきれいだからな、とても似合うよ、オスカル」
「そうか? 自分ではどうもしっくりこないのだが・・・。動きにくいし、苦しいし。でも、お前が喜ぶなら、もう少し着ていようかな。そうだ、アンドレ! 今日は私がお前の願いを何でも聞くぞ。たまには反対もいいだろう?」
うれしそうに提案する。
「それはどうもありがとうございます、マダム。そうですね、それでは・・・。ひとつお願いが。」
「なんだ?」
「マダム、一曲お相手を・・・。お前と踊りたかったのだ。普段のお前にそんなこというと怒られるからな。せっかくドレスを着ていることだし、裸足でいいから。」
「いいけど。音楽はないぞ?」
「いいさ、頭の中で。」
「わかった。」

二人は立ち上がると、黙って見つめあった。そして、アンドレはオスカルの手を取ると静かに、踊り始めた。 二人はお互いのぬくもりで心が温かく満たされていくのを感じ、とても幸せだった。
「ふふふ・・・、ドレス姿のお前と二人で踊るのは、20年ぶりくらいかな?」
「いいや、26年だ。お前がジャルジェ家に来て、間もないころだったから。姉上の結婚式で私までドレスを着せられて、お前と踊ったっけ・・・。あの日のことはよく覚えているのだ。なんか凄くうれしそうだったな。アンドレ?」
「うれしかったさ。あのときのオスカルは、ものすごくかわいかったから。本当に天使みたいで・・・」
「悪かったな、今はかわいくなくて。」
「すぐ拗ねるんだから。そこだけは昔からちっとも変わってないな。ふふふ・・・。今はそうだな? 地上に舞い降りた女神のように美しいよ。」
「本当に?」
「本当だとも・・・」
踊りながらオスカルの腰を抱き寄せて唇をうばう。
「ん・・・ん・・・、ア・・ン・・ド・・レ」
オスカルは甘い疼きに襲われていた。


「オスカル様、お食事の支度が整いました。」
マドロンがドアをノックして、遠慮がちに声をかける。
「あ、ありがとう。マドロン・・・。すぐ行くよ。」
我に返ったオスカルが慌てて答える。
「オスカル、どうする。また抱いていってやろうか?」
「いいよ。我慢して靴履くから。」
「あ、今日は俺の願いは何でも聞くっていっただろう?」
「え?」
「抱いて行きたいの、俺が!」
「ああ、変なこというのじゃなかった。でも約束は、約束だからな・・・。」
オスカルはアンドレの首に手を廻して、恥ずかしそうに抱かれた。
「食事か。でも俺は食事よりお前が食べたいが・・・。」
と彼女の耳元で囁いた。
「あ・・・・」
これ以上染まれないほど真っ赤になったオスカル。
それを見てアンドレは楽しそうに笑った。


二人だけの楽しい食事を済ますと、オスカルはマドロンと浴室にいた。
「オスカル様、お手伝いいたします。」
オスカルはドレスと鎧としか思えないようなコルセットを脱がせて貰って、やっと人心地がついた。
「あーっ、清々する。よく皆こんなもの着けていられるな。私には我慢できん。一日だけでたくさんだ。」
手足をゆったりと伸ばして、バラの香油入りの湯船に浸かった。
「うわー、しみるーっ・・・。足は痛いし、頭皮も引っ張られて痛いし、化粧は気持ち悪いし、本当に女性は大変なのだな。」と感心したように言った。
「何をおっしゃいます、オスカル様は女性でございます。これからは毎日でございますよ。」
「え?」
「奥様が夜着から、下着からすべて女物をお持ちくださいました。もう男物はございませんし、着る必要もございません。」
「そんな・・・、急にそんなこといったって・・・」
「今夜はこちらをお召しください。」と女物の夜着を見せられた。
「これを私が着るのか? 嘘だろう・・・、勘弁してくれ。」
渋るオスカルにマドロンは夜着を渡して着るように促した。
「これはばあやさんから、預かったものです。ぜひオスカル様に着て貰いたいと。」
「え、ばあやが?」
オスカルはマドロンから夜着を受け取ると自分の身体に当ててみた。
「何か、透けて見えないか? 胸元がえらく開いているし、それにレースとかリボンとか。何なのだこれは?」
「貴族のお嬢様の夜着では普通でございます。」
「ああ、もうわかったよ。着ればいいのだろう。着れば。」
しぶしぶと袖を通すオスカル。
「とっても女らしくて素敵でございますよ。オスカル様。」
オスカルを見つめ満足げに目を細めるマドロン。
「それでは、私は下がらせて頂きます。おやすみなさいませ。」
「ちょ、ちょっと待って、あ、そうだ。ガウン。ガウンを持ってきて。」
「夏にガウンは必要ございません。そのままどうぞおやすみください。」
「じゃあ、いつものコルセットだけでも。」
「眠るのにコルセットは要りません。」
「だめだ。恥ずかしくて・・・。」
真っ赤になってうろたえるオスカル。
マドロンは意を決して、アンドレのいる寝室に続くドアを開けるとオスカルを押し出し、そしてドアを閉めた。
「マドロン、何をする。う、うわっ、ア、アンドレ・・・。」
マドロンに寝室に押し出されて、慌てるオスカル。そしてアンドレを見つけてなお一層慌てる。
「オスカルどうしたんだ。」
彼女の声に異変を感じて慌てて近づく彼。
「だめだ、アンドレ! 見るな、くるな・・・」
胸元を手で隠して立ち尽くすオスカル。
「オスカル・・・。」

恥ずかしさに薔薇色に染まった見事な色合いの陶磁のような白い肌。華奢な身体に纏った柔らかなピンクの淡い布地が、しなやかな身体の曲線に沿ってやさしいドレープを描き出す。剥き出しの肩は見事なまでの黄金の髪で覆われ、大きく開いた胸元は細やかなレースが覆い、裾には段の大きなフリルが付いていた。前開きの夜着を何本かの細身のリボンで 結び止めてあった。
「オスカル、素敵だ。とても綺麗だ・・・。背中に翼が見えるようだよ・・・。」
「うそだ。こんなの私に似合う訳がない。」
怒ったように彼女が言った。
「オスカル、とても似合っているよ。おまえはれっきとした女性なのだから、自分を卑下するのは止めてくれ。ずっと心のどこかで憧れていたはずだ。姉上達や王妃様やロザリー、彼女達をどこかで羨ましいと思ったこともあるはずだ。お前は生まれたときから今までずっと男として生きてきた。 でも、男ではないのだから、女性らしいものに憧れたとしても当たり前なのだ。それを恥ずかしがる必要はない。無理に似合わないと思わないでくれ。恥ずかしがらないで、心の呪縛を取り払って。もう、女性に戻っていいのだから。」
やさしく彼女を抱きしめる。
「アンドレ・・・。でも、・・・私は・・・女であることに、いや女として過ごすことに違和感があるのだ。」
彼の胸に顔を伏せながら呟いた。
「そうだな、オスカル。そんな急に無理だな。ゆっくりでいいのだ、ゆっくりで。でも、本当に美しいよ。誰にも見せてやらない。俺だけの、お前でいてくれ。オスカル、愛しているよ。」

彼女の華奢な身体をきつく抱きしめながら、何十年の想いを情熱に変えて唇を奪った。その想いの熱さに彼女はアンドレの男を感じて怯えた。
「ア・・・ンドレ、待って・・・。だめなのだ。ずっと男でもなく、女でもなく生きてきた、だから自分の心と身体のバランスが保てなくて・・・、自分の身体に女性としての自信が持てなくて・・・、こ・・わ・・いんだ。神の御前に夫婦として誓ったのに・・・。笑ってくれ、アンドレ。いい歳をして、子供みたいだと・・・。だけど・・・だけど・・・やっぱり、怖い!」
アンドレを押しのけて、逃げようとするオスカル。
心臓の鼓動は高鳴り、彼女の身体はガクガクと震えていた。
「もう、待たない。」
「あ・・・」
彼女の片腕を捕まえて自分へ引き寄せると、後ろから羽交い絞めにして、静かに言った。
「オスカル、俺は待った・・・。充分過ぎるほど待った。オスカル、もう待てない・・・。俺を信じて・・・。怖くないから・・・。」
やさしくオスカルの額にくちづける。そして彼が愛して止まない豪華な黄金の髪を静かに愛でる。
「アンドレ・・・、お前を・・・信じる・・・」
消え入るような小さな声で囁き、アンドレの胸に顔を埋め、震えながらしがみついた。 アンドレはオスカルをそっと抱きかかえるとベッドに運び、寝室に点いていた蝋燭の灯りをすべて消した。

「オスカル、愛しているよ。」
「アンドレ、愛している・・・。」
彼女は薔薇色に頬を染めてそっと目を伏せる。
彼は自分の腕の中で小鳥のように震えている愛しい彼女を、壊れ物を扱うようにそっとくちづけ、そして自分にでき得る限りやさしく愛した。
二人を見つめるのはただ半月の月だけ・・・。
神はその御前に、幼馴染の美しい二人を結び合わせた。
「オスカル、俺の妻・・・。」
「アンドレ、アンドレ、私の夫・・・。」
黒曜石の彼の瞳から、そして、サファイヤ・ブルーの彼女の瞳から感動の涙が溢れる。

そして、純白のシーツの上には、彼女の純潔の印である紅薔薇の刻印が示されたのだった。

 

−つづく−