太陽・作

第 2 部

 

第5章 麗しき囮

 

 

登場人物紹介

「ミスター・バートン、何か良いことでもございました?」
「ええ、レディ。とても・・・。」
次の目的地へ向かう馬車の中で、ウォルター・バートンは昨夜のことを思い出していた。

フランス諜報部も1を送り込んで来ましたね。『ブルーシャーク』には一度会って見たかったのです。噂通りと言うところでしょうか。しかし、彼の妻役の女性はとても気高く美しかった。黄金の髪の美姫、あなたに本気で囚われてしまいそうです。フランス諜報部にあなたのような方がいらっしゃるなんて、今まで聞いたこともありませんでしたよ。これがあなたの初仕事なのでしょうか? そうすると私にとってもなかなか面白いことになりそうです。

 

 

 

4人は部屋に篭って、昨夜のお互いの行動で知り得た情報を整理していた。
1.イギリス諜報部も既に出入りしている。
2.ここでは、麻薬が使われている形跡がない。
3.ここは単なる客探しの場らしい。
4.仲介役の人間がいて、彼に声を掛けられると例外なくここを出発して、どこかへ行ってしまっている。

「以上を踏まえると、その仲介役の人間に近づくことが第一目的となる訳だな。誰かは見当が付いているのか?」
レジーの問いにエミーが答える。
「はい、一応『グレンヴィル卿』と名乗っています。組織の人間なのか、それともただの仲介役なのかはまだ、解りません。」
「では、そいつに近づけばいいのだな。」
「はい、でも、それが・・・。」
「どうした?」
「すごい女好きというか、今のところ彼が声を掛けるのは美しい女性だけです。後は妻が美人の夫婦です。男だけではなかなか近づけないようです。」
「女好き? 美人だけ・・・」
レジーは絶句してしまった。
(畜生、その辺までは既に解っていた訳だな。だから女性が必要だったのか。上層部の考えそうなことだ。ひどい人選ミスじゃないか、あいつに男を誘惑する手練手管何か使える訳がないだろう。)
「私がその男に近づけばいいのだろう?」
オスカルが口を挟んだ。
「どうしますか?」
エミーはレジーの答えを待った。
(オスカルは・・・、それで釣れるだろう。後は・・・)
エミーの問いにしばらくレジーは考えていたが、オスカルに尋ねた。
「オスカル、でもいいのか? もちろんお前に手出しはさせないが、どうしてもいやな思いはするぞ。」
「覚悟はしている。」
「よし、解った。シルビィ、手伝ってくれ。」
「は、はい。レジーさま。」

シルビィは、今朝自分が見た光景が頭から離れずに苦しんでいた。余りにも美しく似合いの二人だった。シルビィの愛する人の腕の中で眠っていたオスカル。自分がどれほど望んでも決して有り得ない現実。それがオスカルには易々と手に入れられるものなのだ。

シルビィの視線はついレジーを追ってしまう。そしてその結果、彼のすみれ色の瞳がやさしく捕らえる女性をはっきりと認識してしまった。シルビィはオスカルに対して溢れる憎しみや、羨望、嫉妬という初めての感情を押さえることができなかった。

ありふれた善良な人間だと思っていた自分の心に巣食うこんなにもどろどろとした汚い思い、真っ暗な心の闇に彼女は、愕然としていた。

今夜も夜会へ出席する為の準備が始まった。
「何なのだ、このドレスは。いくら何でもこんなドレスはいやだ。」
オスカルがごねている。
「仕方がないだろう。お前は囮なのだからな。」
そう言いながらオスカルのいる部屋に入ってきたレジーを見て、オスカルは仰け反った。
「レ、レジー!! お前・・・。」
;レジーは絶句したオスカルに向かって軽くウインクを贈った。
「俺の目に狂いはないな。オスカル、とても素敵だ。グレンヴィル卿もいちころだな。さて、後は打ち合わせ通り、行くぞ。」

オスカルは従僕役のエミーと二人で夜会へ行った。馬車を降りた彼女に皆のどよめきが上がった。

今夜のオスカルのドレスは、紫色の地色に金糸で細かく刺繍された豪華なチャイナ・ドレスだった。黄金の髪は右耳上の高い位置で一つに結わえられ、自然に垂らされた。結び目には大輪の真紅の薔薇が飾られた。オスカルのしなやかなプロポーションを際立たせるぴったりとしたラインのドレスは、左側の腿の辺りまでスリットが入り、オスカルのすらりと伸びた見事な足が歩く度に見え隠れする。皆の熱っぽい視線がその美しい足に集中していた。オスカルは平気な顔を作るのに苦労していた。本当は持った羽根の扇で顔を隠して、ここから逃げ出してしまいたかった。

ダンスの誘いを振り切り、予定通りカード室に行き、空いているテーブルに付くと、カードゲームに興じた。

オスカルはもともとカードゲームなどろくにやったことはなかったため、取り敢えずルールを知っている程度だった。大体オスカルの性格では賭け事は向いていないのだが、勝とうと思ってやっている訳ではないが、ビギナーズラックというべきか、なぜか勝ち続けていた。

「私もお仲間に入れて頂いてよろしいですかな。」
一人の男が声を掛けてきた。オスカルが振り返ると、男がオスカルの後に立っていた。
同じカード・テーブルに付いていた他の人間から
「どうぞこちらへ、グレンヴィル卿。」
と声が掛かった。
(こいつが探していたグレンヴィル卿か。)
オスカルはその男の顔をまじまじと見つめた。恰幅の良い、見るからに軽薄で好色そうなオスカルの大嫌いなタイプの男だった。オスカルの左側の席に男は座ると、
「マダム、美の女神だけではなく、勝利の女神までも一身に集めてしまうのですね。」
とテーブル上に置いたオスカルの手を握った。
オスカルは瞬時に“無礼者”と殴りそうになったが、(仕事、仕事。我慢、我慢。)と自分を押さえ、引きつってはいたが男に笑顔を向けた。エミーはそんなオスカルを部屋の隅で心配そうに見つめていた。

「マダム、今夜はご主人とご一緒ではないのですか。」
「主人ですか? さあ、どこで何をしているのでしょう。」
そしてレジーに言われた通り、テーブルの上に置いた自分の扇を下に落とす。
「あら、扇が・・・。」
「マダム、私が拾いましょう。」
「メルシー」
グレンヴィル卿がテーブルの下に屈んだのを確認するとオスカルは、彼の眼前に突き出すようにその長い足を組んだ。左側のスリットから見事な足が丸見えになる。
オスカルは顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったが、必死で我慢した。グレンヴィル卿はテーブルクロスに隠れ、しばらくテーブルの下から出てこなかった。やっと立ち上がって、オスカルに扇を渡すと、そっと耳打ちした。
「あちらへ参りませんか?」
もちろん例の小部屋のことを指して言っているのだ。オスカルは扇を持ち、口元を隠すと、頷き、小さな声で言った。
「先に行っております。10分ほどしたら、いらして。」
オスカルは立ちあがると
「みなさま、とても楽しかったですわ。勝ったまま失礼するのは心苦しいのですけど、今夜はこれで失礼致します。」

「奥様、お見事でございました。」
エミーがオスカルに声を掛ける。
「そうか? では、次に行ってみようか。」
二人で足早に小部屋に入ると準備を整える。
「さて、首尾は上々、仕上げを御覧(ごろう)じろ」

ドアをノックしたグレンヴィル卿がそっと部屋に入ってきて声を掛ける。
「マダム、どちらですか。」
「こちらですわ。グレンヴィル卿。」
長椅子に座ったまま声を掛けた。
「マダム、なんて心地よいハスキーボイスでしょう。でも、どうしてこの部屋は暗いのですか。折角のあなたの美貌を堪能出来ませんね。」
「今夜は、闇夜ではございませんわ。新月の灯りだけで充分でございましょう。どうぞ、こちらへ。」
美しい人の誘いに、グレンヴィル卿は疑いもせずに嬉しそうに隣に座った。夜目にも鮮やかな黄金の髪、そして白い脚。
「私、グレンヴィル卿にご相談がございますの。」
「何でしょう、マダム。どんなことでも、ご相談に乗りますよ。」
「私、最近とても退屈ですの。主人と二人でいろいろ旅行しておりますが、どこも似たり寄ったりでございましょう。そろそろ旅行も飽きてしまいましたの。何かこう、刺激が欲しいのですわ。」
「刺激ですか。そういうことでしたら、私がマダムのお役に立てるかも知れません。」
「本当ですか、グレンヴィル卿。それはとても楽しみですわ。それはどんなことですの?」
「まあまあ、そうお急ぎにならないで。ゆっくりと楽しみましょう・・・。」
彼の手が肩を抱きかかえ、そして白い脚に無遠慮に触れる。
「ええ、でも・・・、主人はとても嫉妬深くて、こんなところをもしも見られたらグレンヴィル卿、あなたが殺されてしまいますわ。過去に何人かに決闘を申し込んで、相手の方は全員亡くなっていますの。」
「それはなかなか恐ろしいですな。では、その芳しい薔薇の唇だけで我慢することに致しましょう。」
彼はしっかりと腕の中の人を抱きしめると、その薔薇の唇をゆっくりと味わい、満足そうに言った。
「2〜3日中にお部屋まで連絡が行くように致しましょう。それまで当地をゆっくりとお楽しみ下さい。それでは、マダム失礼します。」

グレンヴィル卿が部屋から出ていったのを確認すると長椅子から立ち上がり、吐き捨てるように言った。
「気色悪い! 最低だ! あの野郎、覚えていろ。エミー、灯りを点けてくれ。」
「はい、先輩」
隠れていたエミーが出てきて灯りを点けると、そこにはオスカルと同じ格好の(つまりチャイナ・ドレスを着た)レジーの姿があった。
オスカルもくすくす笑いながら姿を現した。
「さすがだな、レジー。笑いを堪えるのが大変だったぞ。その高めのかわいい声で喋る女言葉も素敵だ。」
「ちぇ、他人事だと思って。」
同じドレスを着た美しい二人をエミーは改めて呆然と見つめていた。
「エミー、俺に惚れるなよ、ややこしいからな。」
オスカルはレジーの胸を触って、感心していた。
「これは何が入っているのだ?」
「いいだろう、特別製のパットだ。少しぐらい触っても偽物だと分からないぞ。」

「エミー、もう目的は果たしたから、帰るぞ。馬車を回して貰ってくれ。二人で同じ格好では出られないから、俺はその間に着替えて、化粧を落としてしまおう。」
エミーが部屋から出ていくと、レジーがまだ笑いの止まらないオスカルに言った。
「笑っていないで、俺が可哀想だと思ったら、口直しにキスしてくれ。」
「ふふふ・・・、そうだな。いいぞ。」
オスカルは彼の首に腕を回し、背伸びをすると、彼の唇に小鳥が啄ばむような軽いキスを贈った。
「ご褒美は、たったこれだけ?」
「当たり前だ、贅沢言うな。私だって大変だったのだからな。」







―つづく―


*この年代にチャイナドレスはまだありません。現在のような形になったのは、1920年以降からです。