太陽・作

第 2 部

 

第6章 破滅への前奏曲

 

 

登場人物紹介


次の朝――。
レジーは諜報部からの定時連絡が入ることになっていたため、待ち合わせ場所である橋の上で相手を待っていた。

そして約束の時刻を少し過ぎた頃、一人の男がレジーに近づいた。男はポケットに両手を突っ込んだまま、訛りのない英語でレジーに話しかけた。
「あの船の帆装形式は何でしたか。」
「3本マストのトップスルスクーナーですよ。」
レジーは決められた合言葉をやはり英語で答えた。
相手の男はほんの少し表情を緩めると、レジーに向かって握手の為の右手を差し出した。
「有名なあなたにお会いできて、光栄です。私は海軍のバルデュス少尉です。よろしくお願いします。」
「フォーレ中佐です。」
「恐れ入りますが、お見せしたい物があるのでちょっとそこまでご足労下さい。」

バルデュス少尉はレジーの前を歩き、レジーは黙って付いて行った。橋を渡りきり、いくつかの角を曲がり、薄暗い路地に入って行った。
立ち止まったバルデュス少尉に向かって、無表情のままのレジーが静かに尋ねた。
「私に見せたい物とは何かな?」
「これだ!」
振り向きざまに男は懐から拳銃を取り出し、レジーに銃口を向け引き金を引いた。その刹那、レジーの回し蹴りが炸裂し、男の手から拳銃を蹴り落していた。余りの早さにあっけに取られている男の後ろを取ると、首を締め上げながら、冷たい声で耳元に囁いた。
「本物のバルデュス少尉はどうした。」
「ど、どうして、偽者だと分かった。」
「両手をポケットに入れて歩く海軍の人間が居たら、ぜひお目に掛かりたいものだ。未来永劫そんな軍人は我が海軍に一人もいないと信じているからな。さあ、私がここにいるとどこから知ったのか聞かせて貰おうか?」
「し、知らない。そう教えられただけだ。」
「私を殺すように言われて来た訳だ。では、その組織の名は?」
「いいだろう、教えてやろう。我々は、『レイヴン』(raven)だ。」
「なるほど、『レイヴン』(大カラス)か。それで本部はどこだ?」
「知らない。」
「ほう、私が誰だか分かっているのだろう? 私は、そういう冗談は嫌いだ。では、少し痛い目にあって貰おうか。」
レジーが締め上げている腕に少し力を加えた。
「あ、あうっ!」
「で、痛いのはどこがいい? このまま首か、それとも腕か? 言え、『レイヴン』の本部はどこだ?」
「くうっ・・・」
「もっと痛いのが好きか?」
「い・・・言う。『レイヴン』の・・・本部は・・・」
「本部は?」
パーーーン!!
「!・・・」
一発の銃声が響き、レジーの腕の中で男は心臓に銃弾を浴び、事切れた。
「ちっ!」
レジーは男の身体を離し、銃の発砲された位置を瞬時に見極めるとその位置から自分が死角になるように気を配りながら、ものすごいスピードで路地を走り抜け、その場を離れた。しばらく、あちこち素知らぬ顔で歩き続け、尾行されていないことを確認した。

レジーの頭の中は、混乱していた。
命を狙われることなど、彼にとって日常茶飯事だから、どうということもないが、自分達の情報がどこからか漏れている。これは彼にかなり深刻な打撃を与えた。

本物のバルデュス少尉はもはや生きてはいないだろう。今回、この日時と場所でレジーと諜報部が連絡を取るということを知っているのは本当に限られた数人しか知らない。それなのに情報が漏れている。合言葉だけなら、本物のバルデュス少尉から聞き出すこともできるだろうが、それ以前の場所と時間については分かる筈がない。どこから漏れたのか、しかもその情報の機密レベルはどこまでなのか、早めに突き止めないと大変なことになる。

今回バルデュス少尉が持っていた連絡事項が余り重要な内容でないことを望むばかりだった。その内容如何によっては自分達の置かれる立場の危険度は尚一層増すことになる。

一体誰を疑えばいいというのだ?
今回のメンバーは諜報部の中でも特に信頼のおける気心の知れた人間だけなのに・・・。2〜3日待てば、グレンヴィル卿から連絡が入る筈だ。そうしたら、我々は、敵の本部へ少しでも近づくことができるだろう。でも、それでは遅くはないのか?

『レイヴン』は一体どれほどの組織なのか。蜘蛛の糸にじわじわと絡め取られるような不気味さをレジーは感じていた。

レジーが諜報部のラップ少将へ通常の連絡方法パターンの1がもう使えないとの連絡を何とか取り結び、部屋に戻ったのは、もう日が落ちかけた頃だった。窓辺の椅子に力なく座り、茜色に染まって行く外の景色を眺めながら、今後の対応を考えていた。

「お帰りなさいませ。何か問題でもございましたか? 元気の出るお茶と甘いものでもお持ち致しましょうね。」
「ああ、そうだな。頼むよシルビィ。お前は何でもお見通しだね。」
「レジーさま、服に血が! やはり何かあったのですね。」
「シルビィ、俺の血ではないよ。着替えを頼む。」
シルビィはレジーを心配そうに見つめていた。

着替えを済ませたレジーは彼女の持ってきてくれたお茶を一口飲んで、つい顔をしかめて尋ねた。
「シルビィ、このお茶は?」
「あの、お気に召しませんか。疲労回復にとても良く効くと聞きまして・・・。東洋の珍しい薬茶なのですが。」
「いや、少し不思議な味と香りだなと思って。薬なら仕方がないな、シルビィがせっかく用意してくれたのだし、我慢して飲もうか。」
「はい、そうなさってください。」
「レジー、ラップ少将はなんだって?」
オスカルが、レジーの向かい側の椅子に座りながら尋ねた。
「いつも通りさ。」
「そうか。」
「オスカル、お前もどうだ。この薬茶、うまくはないが疲れが取れるそうだぞ。」
「あっ、レジーさま。そのお茶は失礼ながら男性だけの・・・。」
シルビィが慌てて言葉を濁した。
「ははは・・・。お前のその顔を見ると飲みたくないな。私は普通のカフェにするよ。」
「オスカルさま、すぐにお持ち致します。」
シルビィは、部屋を出て行った。

「ところで、レジー。面白いものをみつけたぞ。」
「なんだ?」
「今イギリスで話題の恋愛冒険小説とでも言えばいいのか。『ブルーシャークより愛を込めて』だ。」
「何だって。」
「読んでみろ。」
オスカルは持っていた本をレジーに手渡した。レジーは渡された本を急いで読み、そして読み終わると呆然としたままオスカルに尋ねた。
「いつの間にこんな本が。」
「最近出たばかりの本で、今ベストセラーらしいぞ。諜報員『ブルーシャーク』の恋と冒険だ。この本を持っていた他所の侍女に聞いたら『ブルーシャーク』がかっこいいって、大人気だそうだ。この本に書かれている『ブルーシャーク』とお前が良く似ていると評判だったらしい。私には、この本に書かれていることがどこまで本当か分からないが、本人なら分かるだろう。」
「本名に身長、体重、髪の色に瞳の色まで、・・・。おいおい、挿絵まで付いている訳か。冗談じゃないぞ。ここまでばらされたら、今後の諜報活動に重大な差し障りが出る。」
「それでは、この本に書かれていることは本当なんだな。」
「ああ、残念ながら大体は真実だ。俺の動きを止めるにはかなり効果的だろうな。」
「じゃあこの、クレア嬢とかメアリー嬢とか、ぞろぞろ出てくる女性の話も全部本当なんだな。」
「いや、その辺はフィクションだって。」
「信じられない、この女ったらし。」
「だからただの小説だって言っているだろう。本人が書かない限りそんな部分は誰にも分かる訳がないだろう。」
「また、とぼけて。」
「この本は俺が預かって置くからな。まったくもう・・・。」

レジーは立ち上がろうとして、何か不思議な感覚に襲われていた。何かがおかしい、ほんの少しだけれど、感覚に狂いが生じているような違和感を覚えていた。目を閉じると頭の中を派手な色が渦巻いていて、気分が高揚している。視覚も聴覚も変だ、いつもと違う。五感がすべて損なわれているのか、それともいつもより鋭敏なのか。

「オスカルさま、お茶をお持ちしました。」
「ああ、シルビィありがとう。」

自分の手をじっと見つめ、考え込んでいるレジーにオスカルが尋ねた。
「レジー、どうかしたか?」
「いや、なんでもない。それより、エミーを見かけていないが、どうした?」
「エミーですか、あの何か調べたいことがあると言って出かけましたが。」
シルビィが何気なく答えた。
「なんだって! 俺は何も聞いていないぞ。どうして一人で出したのだ!」
珍しく激昂したレジーにシルビィとオスカルは驚いた。
「申し訳ありません。ちょっと出掛けてくる、すぐ戻るからと言っていたものですから。」
「それで、いつ出かけたのだ。」
「あの、レジーさまが出かけられてすぐです。」
「今何時だ?」
「あ・・・」
もう既に夕闇が迫りつつあった。シルビィの顔に緊張が走る。
「これだけ時間が経っているのに、エミーから何の連絡もないということはエミーに何かあったということだろうな。見つかるかどうかは分からんが、探しに行ってくる。」
「私も行く。」オスカルが立ち上がった。
レジーはオスカルに視線を移すと黙って頷き、二人は部屋を出た。

「オスカル、間違いなく組織の手が伸びてきている。気を付けてくれ。」
「どうして、組織だと分かるのだ。」
「俺が既に組織の者に襲われたからだ。」
「レジー、大丈夫だったのか?」
「ああ、襲われた相手から、組織の名は聞き出した。『レイヴン』だ。かなり大きな組織らしく、裏の情報にも通じている。俺個人の情報もかなり詳しく分かっているみたいだった。俺の情報は先に潜入した同僚の、『ブラックオルカ』から聞き出したことが考えられる。あいつとは付き合いが長いからな。先の本はその辺から書かれたものだろう。但し、『ブラックオルカ』は、お前のことは知らない。だからお前についてはさすがに『レイヴン』も大した情報は持っていない筈だ。」

二人はエミーの足取りを追って行った。
朝、レジーの出た後を追うように出ていった彼は、他所の従僕や侍女に目撃されていたので、彼が行った方向は掴めた。辿って行くとエミーはレジーと同じ橋に向かっていたことが分かった。

橋の上から下を覗き込むと橋の袂に通路が見えた。レジーは暗闇に何かが見えた気がして、二人は通路へ急いだ。そこにうつ伏せに倒れた男の姿があった。青のお仕着せを着て、頭から血を流している。
「エミー! 大丈夫か?」
レジーはエミーを抱き起こした。
「あ・・・? レジー先輩。あの、私は・・・。痛てて・・・。」
エミーは何とか意識を取り戻すと痛みに顔をしかめながら、自分の身に何が起きたのか考えていた。殴られて気を失う前に見聞きしたもの・・・。
「あっ!」
「どうした? 何があったのだ。」
「あの、良く覚えていません。後ろから殴られたみたいです。」
「そうか・・・、分かった。いいさ、お前が無事だったのだから。」
レジーはエミーの言葉に何か隠されているものを感じたが、取り敢えず今は追求しないことにした。
「良かった、エミー無事で。大丈夫だ、見たところ大した傷ではない。歩けるか?」
オスカルはハンカチでエミーの傷口を押さえてやった。
「大丈夫です。ありがとうございます。」

次の日、昼過ぎ―。
待ちに待ったグレンヴィル卿からの連絡が入った。
@ 明日の朝、出発出来るようにこちらを引き払い、準備をしておくこと。
A 行き先の分かる者を差し向けるので、その者の指示に従うこと。
B 行き先については、誰にも口外しないこと。
の以上3点だった。

幸いエミーの傷はそれほど酷くはなかったので、みんな一緒に出発出来そうだった。でも、情報漏れについての調べは進んでいなかった。レジーは明日の朝、言われた通りに出発出来るように準備をしておくように告げると、一人で調査に出かけた。

外に出ると自分の後をこっそりと付けてくる人間に向かって、小さな声で言った。
「オスカル、俺の後を不用意に付いてくるな、危険だぞ。お前だと分かったから良かったが。」
「ばれたか。でも、私も行くぞ。いいだろう?」
「帰れと言って、帰る訳がないか。まったく。しかも、その格好。」
「いいだろう。久しぶりの男装だ。ちゃんと地味にしているぞ。お前だって、髪の色が違うじゃないか。」
「不本意だが、あそこまでブルーシャークの情報が漏れているんじゃ、仕方ない。髪粉で色を変えているだけだ。」
「髪の色が違うだけで別の人間みたいだな。それで、どこへ行くのだ?」
「まずは、基本その1。飲み屋だな。」
「よし、行こう。」

 

―つづく―