太陽・作

第 2 部

 

第7章 偽のブルーシャーク

 

登場人物紹介

 


レジーとオスカルが酒場に向かって歩いていると、突然女性の悲鳴が聞こえた。慌てて走り出すと4〜5人の男に取り囲まれた美しい女性が見えた。男たちは彼女の手提げを引っ手繰ろうとしていた。そこへ彼女を助けようと一人の金髪の若い男が現れて男たちと揉み合いになっていた。

どう見てもその若い男は強そうに見えなかったので、レジーとオスカルは互いに目配せすると、そっと近づき、その若い男に気付かれないように加勢した。男が繰り出した弱々しいパンチに合わせて殴ってやり、へろへろのキックに合わせて後ろから蹴って、相手を倒してやった。二人はその男が自分で倒したのだと思えるような見事なタイミングで取り囲んでいた男たちをすべて倒すと、ただの傍観者よろしく素知らぬ顔で佇んでいた。

助けられた彼女は気が動転していたので、誰が助けてくれたのか良く分からなかったが、麗しい二人は、ただの見物人のようだったし、あまり格好良くないこの若い男が自分を助けてくれたのだろうと分かると少しがっかりした。

その男は何時の間に自分がこんなに強くなったのだろうと己の手を見つめ不思議な顔をしていたが、彼女の手前、精一杯格好をつけて言った。
「お嬢さん、大丈夫でしたか? 私はフランス人で、レジーヌ・フランセット・ド・フォーレといいます。よろしければ、ご自宅までお送り致しましょう。」
「レジーヌ・フランセット・ド・フォーレ?」
オスカルの口からつい声が漏れた。
レジーとオスカルは顔を見合わせた。
「レジーヌ・フランセット・ド・フォーレ! あなたがあの有名な『ブルーシャーク』さん? 感激です。私ダイアナと申します。大ファンでしたの。本に書かれていたようにとっても強くてすてきな方ですね。ありがとうございました、助かりました。」
彼のことを冷めた目で見つめていた筈の彼女の瞳が一気に熱っぽくなった。その彼女の瞳をうっとりと見つめ返している若い男を無視して、オスカルが身を乗り出して彼女に聞いた。
「それで、一体どうしたのです。」
(すてきな人。なんて綺麗な顔立ちなのでしょう。素晴らしく豪華な黄金の髪。こんな男性がこの世に存在するなんて、信じられないわ。)
彼女はオスカルに暫し見とれていたが、慌てて答えた。
「あっ、あの人たちは昨日橋の近くで私が拾ったものを渡せと・・・。」
「橋?」
「はい、これを拾ったのです。」
彼女が手提げから出したものは、古びた小さな銀の十字架だった。離れて立っていた筈のレジーがそれを目にすると、急に割り込んで声を掛けた。
「すみません。ちょっと、見せてください。」
レジーは彼女の手から十字架を受け取ると、一目見て顔色を変えた。オスカルは呆然としているレジーの手から十字架を取ると、まじまじと見つめた。
「何の変哲もない、古い銀製の十字架か。鎖が切れて落ちたのだな。でも、これにどんな意味があるというのだろう。」

レジーはオスカルの手から再び十字架を取り戻すと、ダイアナの瞳を見つめながらやさしく言った。
「ミス・ダイアナ、この十字架を私に譲っては頂けませんか? このままあ
なたがお持ちになるとまた先ほどのような輩がいつ現れるとも知れません。」
(あら、こちらもとっても良い男。なんてきれいな色の瞳なのかしら。)
レジーのすみれ色の瞳にじっと見つめられ、潮風に鍛えられた張りのある男らしい声が優しく彼女を包む。うっとりとレジーを見つめ返した彼女は、もちろん逆らうことなど出来ずに、あっさりと承知した。

若い男はレジーにばかり良い格好はさせないと、良ければ明日もボディガードを引き受けるとダイアナに告げ、彼女はその申し出を嬉しそうに受けた。

彼女を自宅に送り届けた後、レジーが若い男に向かって言った。
「いやあ、先ほどはすごかったですね。あまりの強さに惚れ惚れしました。」
「あんなこと、私にとっては日常茶飯事ですよ。どうということはありません。」
「あんなことが日常茶飯事ですか、すごいですね。ぜひお話を伺わせて下さい。もちろん私が奢らせて貰います。」

その男はオスカルにうまく酒を勧められ、レジーには煽てられて、かなりの量の酒を飲んだ。そして、酔いが廻ると一昨日ここで聞いた話を得意そうに話し始めた。
「私が一人で飲んでいると、隣のテーブルで飲んでいた4人の男の話が聞こえたのです。最初は気にも留めていなかったのですが、『ブルーシャーク』の名前が出てきたので耳をそばだてたのです。ところで、『ブルーシャーク』はご存知ですよね?」
「ええ、もちろん。本と噂だけで私は会ったことはありませんが。」
レジーは当然のように言い、オスカルはグラスを手に素知らぬ顔で肯き、笑いをかみ殺して言った。
「『ブルーシャーク』がどうしたのですか?」
「“『ブルーシャーク』と明日会うことになっている”と聞こえたのです。あっ、私の正体は誰にも内緒ですよ、本当は正体を知られると困るのです。」
「ええ、そうでしょうとも。分かります。」
二人は真剣な顔で肯いた。
「それでその後の話は?」
レジーはグラスの中身を一息で飲みほすと、男に話の続きを催促した。
「橋の上で10時に『ブルーシャーク』と待ち合わせている。そして自分はバル・・・うーん、バルなんとか少尉に成り済ますのだと。」
「バルデュス少尉ですね。」
「そうそう、そのバルデュス少尉に成り済ます為に合言葉も覚えて、『ブルーシャーク』を油断させておいて、殺してしまう。とそんな話だった。」
「なるほど、それで?」
オスカルは彼のグラスに琥珀色の液体を注いでやりながら、先を促した。
「それで私は次の朝10時少し前に橋に行ってみたのです。そうしたら、酒場にいた4人のうち3人の男が現れたのです。」
「え? 3人ですか。」
レジーは4人のうちの一人に会い、一人に狙撃されかけた。あとの二人には残念ながら気がつかなかった。
「そうです、3人です。一人は前の晩に言っていたように誰かに成り済まして、ブルーシャークに会いました。そして、ブルーシャークと二人で路地に消えて行ったのです。」
「え? ブルーシャークと?」
オスカルは男の話が何時の間にか、自分が見た通りの話になっていることに気が付いたが、本人はその矛盾にまだ気が付いていないようだった。
「そして、もう一人の男は橋の下の通路で誰かと会っているようでした。でも、私の位置からは橋が邪魔で相手の姿は見えませんでしたが、何かを渡しているように見えました。」
「そうですか。何かを渡していた・・・。」
「その橋の下の二人が去った後に、何か光るものが落ちていたのです。何だろうと橋の下に行きました。でも私より先に、たまたまそこを通りかかった先ほどの女性、つまりダイアナがそれを拾ったのです。私はその光るものにも興味はあったのですが、それよりも美しいダイアナに一目惚れしてしまいました。それでこっそりと彼女の跡をつけて、彼女がいつもあの時間にあの道を通ることが分かったのです。今日は彼女に声を掛けたいとずっとチャンスを伺っていたのです。」
「なるほど、それで彼女を助けることができた訳ですね。」
「そうです。彼女と知り合いになることが出来て、とっても幸せです。」
若い男は酔いも手伝ってか、かなり舞い上がっていた。

「橋にきたもう一人の男は、どうしていたのですか?」
「もう一人は、橋の下の二人を私と同じように橋の上から監視しているようでした。あ、監視しているといえばその二人を見ていた男がもう一人いました。」
「もう一人? どこに、どんな男です。」
レジーは畳み掛けて質問した。
「その男も橋の下にいました。二人からはかなり離れていましたし、柱の陰に隠れていましたから、二人は気が付かなかったと思います。でも私の位置からは良く見えたのです。青い服を着た、若い男のようでした。」
「青い服の若い男・・・。」
(エミーだな。)
オスカルとレジーは二人で肯いた。
「橋の上から監視していた男からも、その青い服の男が見えたのでしょう。急に走って行ってしまいました。私が橋で見たのはそこまでです。その後私はダイアナの跡を付けていってしまったので。でも、ブルーシャークは本に書かれていた通りの容姿でした。蜂蜜色の長い髪で背が高く、見た目は優男というか、そんなに強そうにも見えなかったのです。そういえば、あなたに雰囲気が似ているかも知れませんね。」
男はレジーをじろじろと見た。
「似ていますか?」
レジーは男を見つめ返すと余裕たっぷりに微笑んだ。
「強そうに見えないって・・・。」
オスカルは笑いながらレジーの袖を軽く引っ張ると小さな声で言った。

そのとき騒々しい足音と濁声と共に大勢の男が店の中へ乱入してきた。そして、オスカルたちの座っているテーブルの側までくると大きな声で怒鳴った。
「おい、邪魔しやがったのはお前らだな。あの女の持っていた物を黙って渡せば、少しは手心を加えてやってもいいぞ。」
「オスカル、新手が来たぞ。たくさん引き連れてご苦労なことだ。さて、ここで暴れると店に迷惑だから、外へ出よう。」
「よし。」
二人は楽しそうに立ち上がるとブルーシャークを名乗っていた男に向かって穏やかに言った。
「強いところをまた見せて貰えますか?」
「是非、拝見したいですね。」
「わ、私は、違います。違うんです。あの・・・。」
男は真っ青な顔で、しどろもどろの言い訳をしていた。
「店の中に隠れているがいい。」
オスカルは哀れな男にそっと耳打ちした。
「親父、騒がせて悪いな。勘定ここに置くぞ。」
レジーは、迷惑料として多めに金を置き、オスカルと二人で静かに店を出た。

「さっきは仲間が世話になったな。」
「いや、礼には及ばん。もっと丁寧に世話してやれば良かったか?」
レジーがにこやかに答えた。
「なんだと、この野郎。やっちまえ。」
オスカルとレジーめがけて、大勢の男たちが一斉に襲い掛かるのを、男はこっそりと店の窓から覗いていた。いつしか二人の姿が大勢の男たちに隠れて見えなくなってしまった。男は二人がやられてしまったら、次は自分の番だとばかりに恐怖で床にしゃがみ込んでしまっていた。

オスカルは殴りかかってきた太い腕を掴むと、関節を捻り、あっという間に石畳に叩きつけた。背後と正面から襲い掛かってきた男たちをぎりぎりまで引きつけて、すっとしゃがみ込んだ。二人はオスカルを殴ったつもりで、仲間同士で殴りあい、相打ちで倒れた。オスカルが立ち上がったところへ、短剣がきらめいた。その短剣を長い足で蹴り飛ばし、そのまま相手のみぞおちへの膝蹴りを決めた。一分の隙もないしなやかな動きで敵を圧倒していた。金色の長い髪がオスカルの激しい動きと共に軽やかに舞う。

そのオスカルの鮮やかな戦い振りを満足しながら見つめていたレジーの背後を何人かが一度に襲う。
「危ない!」
オスカルの一言に答えるように、襲い掛かってきた敵の横面に振り向きざまに強烈な後ろ回し蹴りを炸裂させた。そして、目にも止まらぬスピードで連続技を繰り出し、何人かを瞬時に沈めた。だが、振り下ろされた短剣をいつものようにかわした筈のレジーだったが、避け方に日頃の俊敏さがなく、短剣の切っ先が彼の自慢の髪を一束切り落とした。自分の頭に手をやって、髪が切れてしまったことを確認したレジーは、その男に向かって言った。
「俺の自慢の髪を・・・。俺を怒らせたことを後悔して貰おうか。」
レジーは静かに呼吸を整えると、怒気を含んだ気合を放った。レジーの長身が飛燕のように宙を飛んだ。その男が覚えていたのはその瞬間までだった。次の瞬間には鋭い蹴りをまともに受けて悲鳴さえ上げることも出来ずに気を失っていた。

しばらく、うめき声や殴りあう音が聞こえていたが、辺りに静寂が戻った頃、男が恐る恐る立ち上がり窓の外を覗き見るとそこには、無様に伸びた大勢の男たちと何事もなかったかのように平然と佇む二人の姿があった。

男は二人のあまりの強さに呆然としていた。
何者なのだ、この二人は?
あの時橋で見た本物の『ブルーシャーク』は、蜂蜜色の長い髪だった。あの背の高い方の男が、髪の色さえ蜂蜜色なら瓜二つなのに・・・。
え? 瓜二つ・・・?

「さて、オスカル。行くか。」
「ああ。」
若い男はよろよろと店の外に出てくると、レジーに向かって言った。
「あの、あなたはもしかして・・・。」
レジーは軽く片手を上げて男の言葉を遮ると黙って去っていった。

仏頂面で前を歩くレジーに、オスカルがシニカルな笑みを浮かべて言った。
「しかし、笑わせて貰った。『ブルーシャーク』は女ったらしの代名詞になりそうだな。」
「うるさい。俺は『ブルーシャーク』の名前を使って女性を口説いたことなんか、一度もないからな。そんなみっともないことができるか。」
憤慨して言い切ったレジーを見て、オスカルはお腹を抱えて笑った。

「ところでレジー、お前身体の具合でも悪いのか?」
「いいや、別に。」
「あんな弱い連中相手に危なっかしいところがあっただろう。私の気のせいならいいのだが。」
「お前の考え過ぎさ。ただ、何もかもやりにくくなってきたなと思ってはいる。」
レジーはオスカルに心配させないようにそう答えたが、実のところ考え込んでいた。
(どうしたのだ、この感覚の狂いは。弱い相手だから良かったが、このままこんなことが続いたら危ないかも知れないな。)

部屋に戻ったレジーはシルビィに言った。
「シルビィ、お茶頂戴。またあの薬茶が飲みたいな。慣れると割とおいしくて癖になったみたいだ。オスカルお前は?」
「私はショコラを貰おうかな。」
「はい、すぐお持ちします。」

二人はシルビィが持ってきてくれたお茶を飲みながら、今後の予定を相談していた。
「シルビィ、髪粉を落として、髪を切ってくれないか。そうだな、肩くらいまででいいだろう。」
「レジーさま、どうして?」
「ん? ちょっといろいろあってな。」
「どんな理由があるのか知りませんが、この髪を切るなんて、私は絶対にいやです。」
「シルビィ、お前の髪を切れと言っている訳ではないのだぞ。」
「私がずっと手入れしてきたのです。毎日毎日丁寧にブラッシングして、ときどき蜂蜜を塗ったりして。こんなにくせのない、真っ直ぐでさらさらの金髪なんて、そうあるものではありません。私の大好きな髪なのに切るなんて、酷いです。いやです。」
シルビィは段々と興奮してきて、涙声になってきた。
「ごめん、シルビィ。分かったよ、切らなくていいよ。何か他の方法を考える。これでは俺がお前を苛めているみたいではないか。」
「あっ、ここはどうなさったのです?」
シルビィはレジーの髪が変な風に切れているのを見つけて、とうとう泣き出した。
「あーあ、レジーが泣かした。私は知らないぞ。」
オスカルはつい口を挟んだ。
「ね、泣かないで。こんなのすぐ元に戻るから、大丈夫だって。」
レジーは大慌てでシルビィを慰めた。オスカルはそんなレジーを今まで見たことはなかったので、少し可笑しかった。
「私は髪のことだけを言っているのではないのです。いつもいつも危険なことばかり。私はただ、レジーさまのことが心配なのです。」
「大丈夫だよ、シルビィ。及ばずながら私もついているから。」
オスカルも彼女の気持ちを少しでも宥めようと声を掛けた。
「オスカルさま。ありがとうございます。」

次の朝―。
約束どおりグレンヴィル卿の使いの者が現れ、4人は次の目的地へ向かって出発した。
「北へ向かっているみたいだな。」
また、仕方なくドレスを着ているオスカルが憮然としたまま言った。
「ああ、このまま『レイヴン』の本拠地まで連れて行ってくれると有難いが。どこへ行くのか、神のみぞ知るという所か。」

何日かの馬車での旅は続いた。うっそうと生い茂る森の中を走り抜けると、前方に大きな湖が見えてきた。湖面にその優美な姿を映し、4人の前に立ちはだかる白亜の居城。
その正面入り口から馬車のまま乗り付けると、そのまま跳ね橋へと続いていた。跳ね橋を渡りきると馬車を止めさせられ、その城の執事らしい初老の男が現れた。馬車の扉をうやうやしく開け、重々しい声で告げた。
「ようこそ、スタンフォード城へ。」

 

 

第2部―終―

 

第3部へつづく