太陽・作


第 3 部

 

第10章 守りたい人


 

登場人物紹介


「しばらくこれを着けたまま生活して貰おう。」
男はそういうと彼にマスクを渡した。 そのマスクは今まで見たこともない特殊な素材で、両目をぴったりと覆い隠し、一筋の光さえも通さないように作られていると思われた。

「なぜ、こんなものを私が? どうしてここに連れられてきたのでしょうか?」
「お前に守りたい人がいるなら、黙って言うことを聞くようにと『ブルーシャーク』からの伝言だ。」
「守りたい人・・・」
彼はレジーの真意を汲み取ると、黙ってそのマスクを身につけた。
マスクをつけると何も見えず、真っ暗闇と同じで、一歩歩くことさえ手探り状態だった。
「そのままで視覚以外の感覚を極限まで鍛える。」
「はい」
「次第に目では見えないものを感じられるようになるだろう。ただし、一筋縄ではいかないが。覚悟はいいか?」
黒い髪が決意を込めてきっぱりと縦に揺れた。

 



 


巨大な水門を開け、その激しい水の勢いを利用して、スタンフォード伯爵夫人らを乗せた船は地下2階の水路からすべるように夜明け前の湖へ出た。やや遅れて部下たちを乗せたやや小振りの船も何艘か後を追った。そして、湖を渡る風をその帆いっぱいに受けて、徐々にスピードを上げて行った。

出帆寸前に導火線に放たれた火は、すべてを破壊すべく城の上部へ置かれた爆薬まで、ゆっくりと舐めるように進んで行く。

城内には脱出の船に乗り遅れた部下や滞在中の客、牢内に閉じ込められたままの者、そしてスコットランドヤードの警官など、まだたくさんの人間が残っていた。

スコットランドヤードは城内に突入するために城壁や城門を爆破するという強引な手段を取っていた。しかもそれはかなり手際が悪かったため時間がかかり、スタンフォード伯爵夫人らに逃げる時間を充分与えてしまった。

「地下二階へ急げ、絶対に捕まえるのだ。そこだ、その階段から行け!」
 警官に大声で指図し、自らも走りながらウォルター・バートンは舌打ちした。
(畜生! 上司が無能だから今までの努力が水の泡だ。私がいない隙に突入だなんて、今はまだ突入する時ではないというのに。しかも爆破だって? もっと頭を使え、頭を!)

彼らが地下二階にたどり着いたとき、以前そこに係留されていた船は既に一艘もなかった。
 (やはり遅かった。また一からやり直しか。仕方ない、証拠をゆっくり探そうか・・・)
 がっくりと項垂れた瞬間、彼はそこに漂ってきた危険な臭いを嗅ぎ取った。
 「しまった! 城ごと爆破する気だ。この近くに火のついた導火線がある筈だ。早く消すのだ、急げ!」
 「火のついた、導火線? に、逃げろーっ」
 「うわあーっ」
 警官たちはすぐにも爆発する可能性に脅え、慌てふためき、そして我先に逃げ出した。
 「くそっ、役立たずども。」
 ウォルター・バートンは臭いを頼りに導火線の燃え殻を見つけ、その後を追った。裏階段の途中で燃え殻は二手に分かれていた。一筋は地下1
階の麻薬工場の方向へ、そして一筋は更に階段を上り城の上階へ向かっていた。瞬時彼は迷ったが、結局麻薬工場の方へ走った。ここで選択を間違えると大変なことになるが、彼の本能はどちらがより危険かを見事に感知した。

麻薬工場に積まれた大量の火薬のすぐ側まで火のついた導火線が迫っていた。
彼は火元に走り寄ると靴底で火を踏み消した。もう
1本の導火線を追いかけようとした彼の前に、麻薬工場と運命を共にする筈だった男が現れ、その行く手を遮った。
「このまま爆破するだ。邪魔はさせねえ。」
年取った男は短銃をウォルター・バートンに向け、彼の前に立ち塞がった。
「ボスには、今までうんと世話になっただ。わしはご命令どおりにここを爆破しなきゃなんねえ。」
男は側にあったろうそくを左手でつかむと、導火線にもう一度火をつけるべく、その場にしゃがんだ。
「止めろ。お前も死ぬぞ。」
右手の短銃で彼を狙ったまま、男は静かに微笑むと、導火線に火をつけた。そして、残り僅かな導火線を穏やかに見つめた。
ウォルター・バートンは男の視線が自分から外れ、導火線に目を移した瞬間を逃さず、その足先で短銃を蹴り上げ、その足を男の頭上に振り落とした。男はそのまま気を失った。
彼は男の頭上を飛び越え、導火線をしっかりと踏みしめて消した。
 




スタンフォード伯爵夫人らは湖を突っ切って対岸まで渡り、馬車に乗り換え海へ向かった。そして、大きな帆船に乗り込んだ。
「お帰りなさいませ。」
「すぐに出帆準備を。」
スタンフォード伯爵夫人は出迎えた乗員に不機嫌そうな声でそう告げた。
彼女はその船の中で一番広くりっぱな調度を備えた部屋に足を踏み入れると、後ろに控えたファーガスンに一緒に部屋に入りドアを閉めるよう目で合図した。

スタンフォード伯爵夫人は日除けの為の帽子を脱ぎ、テーブルに叩きつけるように置いた。その手は、怒りのためにわなわなと震えていた。
「それで『ブルーシャーク』にまんまと逃げられたというのね。」
ファーガスンは主人の怒りの前に両膝をつき、力なく項垂れていた。
「彼を誘き寄せる為にどれほどの犠牲を払ったと思うの。あの美しいスタンフォード城も麻薬工場も手放す羽目になったというのに。え?」
「も、申し訳ございません。私が必ずもう一度捕まえて見せます。」
スタンフォード伯爵夫人はその言葉に一層激昂し、引き出しから鞭を取るとファーガスンの顔に向かって二度三度振り下ろした。
二筋、三筋とファーガスンの顔や首筋に血の滲んだ蚯蚓腫れが出来て行く。

「もう遅いのよ。あの侍女はここにいるし、彼はもう薬を手に入れることは出来ない。今頃は薬が切れて、のた打ち回っていることでしょう。」
「ですが、奥様・・・。」
「今まであの薬から抜け出せた人間が一人でもいたかしら? 中毒になっている人間から急に薬を取り上げたらどんなことになるか、お前もよく知っている筈ね。」
「気が触れるか、廃人、若しくは死・・・」
「そうよ。彼が正気のうちに私にひれ伏し、薬をねだる姿が見たかったの。それだけを楽しみに長いこと彼を探して、やっと・・・。」
「奥様、申し訳ございません。」
「今更言っても始まらないわ。どちらにせよ、もう二度と『ブルーシャーク』に会うこともないでしょう。彼はもう終わりよ。」
スタンフォード伯爵夫人は手にした鞭をファーガスンに向かって投げつけ、踵を返した。
「もういい、着替えるわ。」
「はい、すぐに。」
ファーガスンは慌てて立ち上がり、着替えを手伝うようドアの外の侍女に声をかけた。

 





ファーガスンが隣の部屋に消えた直後、大きな鏡が音も無く開き、その中からオスカルが現れた。彼女はそこに倒れているレジーをどうやって運ぶべきか暫し悩んだ。
(少々乱暴だが、仕方ないな)
オスカルは足枷のついたままのレジーの両足を持ち、ずるずると引きずって鏡の後ろまで運んだ。そして、素早く元通りに鏡を閉めた。

「レジー、しっかりしろ。」
オスカルはレジーを抱き起こした。
「う・・・ん、あ・・・オス・・・カル・・・か? ててっ、あの野郎、思いっ切り殴りやがって・・・。」
  レジーは霞む意識を取り戻そうと頭を振ったが、ひどい眩暈のために顔をしかめた。
「シ、シルビィを、シルビィを助けなければ」
「今、エミーが後を追っている。」
「そうか、我々も急がなくては。」
無意識に立ち上がろうとしたレジーは、手枷足枷に絡め取られた不自由な己が姿を思い知った。
「くそっ、早くこれを外さねば。」

そのとき、嗅ぎ慣れた危険な臭いに気がつき、二人は顔を見合わせた。
「時間がないな。レジー、すまないが一人で外せるか?」
オスカルは硬い表情で聞いた。
「ああ、道具さえ渡してくれれば。」
オスカルは急いでレジーの靴の踵から鍵開けの道具を取り出して彼に渡すと、そのまま隠し通路を走り、火がついている筈の導火線を探し始めた。

レジーは後手にかけられた手枷の鍵穴と、寝転んだままの不自然な姿勢で格闘していた。
(鍵穴が本当は見えれば有難いのだが・・・。仕方ない、このままやるしかないな。)
指先に伝わる微かな感触だけが頼りの根気の要る仕事だった。鍵開けを得意としている彼だったが、手元も鍵穴も見えず、肝心の手が抑制され、まともに動かすことができないという状態での作業は初めてだった。
(爆発まであとどのくらい時間があるのか。急がないと、オスカルが危ない・・・)
額に汗が滲み、首筋を伝って行く。指先が震え、鍵穴の引っ掛かりを捉えられない。彼は目を閉じて呼吸を整え、逸る気持ちを抑えた。慎重に僅かな形の違いを探っていく。やっと見つけた要所に工具を差し込み、息を止め慎重に回す。

かちゃり・・・
小さな音と共に手枷の鍵が外れた。
「よし!」
手枷をむしり取り、自由になった手で今度は足枷の鍵を外しにかかった。これは鍵穴も見えていたし、手も楽に動かせるし、簡単に外すことが出来た。やっと身軽になったレジーはオスカルの後を追い、飛ぶように走った。

オスカルは鏡の後ろの隠し通路から出ると、臭いの元を探した。そして、城の塔の最上階に向かって伸びる螺旋階段に導火線の燃え殻を見つけた。
「あそこだ!」
オスカルがその燃え殻を追い、やっと導火線の火のついた部分が目に入ったとき、スコットランドヤードの警官がオスカルの前に立ち塞がった。
「黒装束とは、怪しいやつ。捕まえろ」
オスカルの周りを数人の男たちがそれぞれに武器を持ち、取り囲んだ。
「その腰に下げた剣を素直にこちらへ渡せ。」
オスカルは長剣を抜き、男たちの喉元に剣先を向けて怒鳴った。
「お前たちとやり合っている暇はない。邪魔だ、退け!」
「おっ、刃向かう気だな。」
オスカルは剣を手に、二、三歩足を踏み出した。警官たちはオスカルの気迫に押されてじりじりと後ろへ下がった。
「何をしている。かかれ!」

二人の男が同時にオスカルに切りかかった。オスカルは一人の剣を上段で受け止め、もう一方の剣からひらりと身をかわしてしゃがみこみ、突進してきた男の足に自らの足を掛けて転ばせた。そして立ち上がりつつ次の男の腕をつかみ、投げ飛ばす。正面から殴りかかってきた男の腕をかわし、身体を反転させると相手のみぞおちを素早く肘で打つ。後ろから切りかかろうとしていた男は、振り向きざまに後ろ回し蹴りで一撃のもとに倒した。素晴らしい攻撃スピードだった。あっという間に警官たちは床に転がった。

 導火線に向かって改めて走り出そうとしたオスカルの前に、新手の警官がぞくぞくと現れた。
「くそっ、きりがない」
オスカルは次々と繰り出される剣をかわし、少しずつ後ろ向きで階段を上って行った。一人を倒し
45段上り、また一人をかわして45段上り、必死で導火線に近づこうとしていたオスカルだったが、とうとう業を煮やし大きな声で叫んだ。
「邪魔するな、爆発するぞ!」
「何だと?」
「そこだ、その導火線が・・・。」
振り返ったオスカルは、そこに導火線の終着点となる山積みの火薬を見た。導火線はその使命を果たし、火薬に着火するまであと
10センチ程度を残すのみだった。
「しまった! 間に合わない。伏せろ!!」
辺りの空気が一瞬で凍りついた。警官たちの中には言葉通り素早く伏せた者もいたが、動くことさえできずに、呆然と立ち尽くしていた者も多かった。

オスカルの背後で何かが素早く動き、耳元を掠めて何かが飛んで行った。
それは、見事導火線を切断し、床に突き刺さった。

皆の視線が集中していた導火線は、間一髪で飛んできた短剣によって沈黙したのだった。
辺りは安堵のため息に包まれた。

オスカルは、振り返らずに言った。
「遅いぞ、レジー。」
レジーは照れくさそうに微笑むと、床に刺さった短剣を抜き、オスカルに手渡した。
「返すよ。」
「もう少し、貸しておいてやる。まだ必要だろう?」
「それはどうも。」

 警官たちは皆が緊張した場面に一人平然としているレジーを見て、やっと己を取り戻した。
「こいつは?」
「あ、怪しいやつが、もう一人・・・。」
「つ、つ、捕まえろ。」

オスカルとレジーは背を合わせ、辺りをゆっくりと見回した。
オスカルは長剣をレジーは短剣を持ち、身構えた。
「掛かれ――!」
警官たちは大挙して二人に向かって行った。
「相手にしないで、さっさと逃げるぞ。」
レジーは自分に向かって攻撃してくる警官たちの隙間を縫い、跳び越し、走り出した。オスカルは小さく頷くとレジーの後を追った。

二人は客間を抜けるとバルコニーへ走りこんだ。警官たちが追い詰めたと思い込んだとき、二人は軽々と階下のバルコニーへ飛び降りた。追うこともできず慌てふためく警官たちを尻目に二人はどんどん下の階へ飛び降り続け、地面に達した。

「こっちだ、船が隠してある。」
レジーはオスカルに船の隠し場所を説明し、船で少し待っていてくれるように頼んだ。
彼は麻薬工場にいるマントノン先生を連れて、この城を出るつもりだった。

 

 ―つづく―


2005/1/1